2018年10月31日水曜日

さいたま市議会議員は何者

さいたま市議会議員は何者でしょうか。市議会議員は、さいたま市政のチェック役です。税金の無駄遣いはないかチェックする役回りです。多くの有権者にとって市議会議員を選ぶ根拠は地域です。
役所の出す文書は不親切なものが多いです。決算書だけを読んでも分かりません。印刷製本費とあっても、何を印刷したかは分かりません。単価も分かりません。
事務事業評価シートを作りましょう。前年度と比較するだけでも色々なことが見えてきます。大きく数字が変わるものには何か理由があるでしょう。事務事業評価シートは目標と達成度合いが分かります。特に公共施設は調べる価値があります。
お祭りに顔を出すことが地域のことを考えている訳ではありません。会合に遅刻して早く帰ることは、実は悪く言われます。はしごをまめと評価する人は意外と少ないです。

2018年10月30日火曜日

ガンダムビルドファイターズの利点

『ガンダムビルドファイターズ』。ガンプラバトルは一対一の対決になる点で、戦争よりも描きやすい。地球連邦のような腐敗した組織のために戦う矛盾を描かなくて済む。戦車の戦いを競技にしたガルパンと通じるものがある。
また、戦争は物量の側面がある。主人公を際立たせようとするならば、また、戦争に影響を与えるようにするならば一機で何機も撃墜する無双を描くことになる。あまりにこれが露骨になると非現実的になる。現実に『機動戦士ガンダムSEEDディスティニー』では、あまりの無双ぶりを揶揄する声があった。
ガンプラバトルは部隊の指揮を描かず、個人の活躍を描くことに特化できるメリットがある。戦争は部隊を動かすものであるが、ガンダム世界ではモビルスーツ隊の指揮官クラスも個人の戦いに没頭し、指揮官らしいことをあまりしていない。典型はシャア・アズナブルである。部隊の損耗率は異様に高いが、本人だけは生き残る指揮官としてはブラックである。ガルパンでさえ、もっと指揮している。ガンダムは個人の戦いが華である。ガンプラバトルは、それを中心に描くことができる巧みな設定である。

ガンダムビルドファイターズ

『ガンダムビルドファイターズ』はガンダムのプラモデルで対決するアニメである。機動戦士ガンダムシリーズの作品であるが、戦争を描かず、子ども達がガンダムのプラモデルを操作して対決する点が異色である。ガンプラバトルは競技である。物理的なプラモデルを動かすことは架空の技術がなければできないが、全てを電子データとすれば、eスポーツで実現可能である。
競技のために、勝つために手段を選ばない卑怯者は作品の価値観で否定される。楽しむ競技という価値観である。精神論根性論の支配する昭和的な日本のスポーツのアンチテーゼになる。
敵のボスは世界や人類をどうこうするという壮大な思想を持っていない。利権の維持を企む卑称な人物である。無能公務員のような存在が社会悪に映る現代日本を反映している。
往年のガンダムファンからすると低年齢の子ども向け作品と言いたくなるかもしれない。プラモデルを販売したいスポンサーの下心が露骨な作品と言いたくなるかもしれない。しかし、ガンダム作品の行き着く先として意味がある。
過去のガンダム作品のように戦争を描くとなると主人公は何らかの軍に所属することになる。そこの現実感を追求すると、組織人となり、子ども達が憧れるヒーローとは離れた姿になる。特に宇宙世紀ガンダム作品は主人公が地球連邦という腐敗した組織のために戦うものが多かった。

2018年10月29日月曜日

悪意の夜

『悪意の夜』は1955年発表のアメリカのミステリー小説である。名探偵ウィリング博士シリーズの一冊である。日本で最後に翻訳された書籍になる。
ウィリング博士が探偵役である。独特の存在感を醸し出している。真相究明のために重要な謎を解く。但し、一般の探偵小説の探偵役のような華々しい活躍はない。前半は全く登場しない。事件の謎解きの大半は手紙が明らかにする。正統派の探偵物と比べてキャラが立ちにくい役であるが、それでも印象に残る。作家の筆力のなせる技である。
英米のミステリーを読んで感心することは被疑者被告人の人権についての意識の高さである。親子の会話でも「この国の法律には有罪が立証されるまでは無罪と見なすという大原則がある」という台詞が出てくる(60頁)。本書は半世紀前の話であるが、現代日本よりも進んでいる。当時のアメリカには赤狩りがあり、決して人権保障の理想郷ではないが、何気ない会話に日本との差を感じる。
本書ではアメリカとメキシコの国境が取り上げられる。中南米はアメリカの裏庭と称されるが、それでも国境管理には緊張がある。

2018年10月28日日曜日

何者

江戸川乱歩「何者」は短編推理小説である。宴の興も醒めやらぬ夏の宵、陸軍少将邸に時ならぬ銃声が轟く。惣領息子が被弾し、書斎が荒らされた。
江戸川乱歩は日本を代表する推理作家である。『名探偵コナン』で工藤新一が咄嗟に江戸川コナンと名乗ったほどである。コナンはシャーロック・ホームズを生んだコナン・ドイルである。コナン・ドイルと並ぶ存在になっている。
しかし、江戸川乱歩の作品は純粋な推理小説というよりも、ダークファンタジーやホラー色が強い。その中で本作品は純粋な推理小説の雰囲気を出している。但し、推理小説のお約束は裏切られる。意外な結末が待っている。
日本の警察は思い込みの捜査で誤認逮捕や冤罪を産み出すと批判される。刑事本人の思い込みで突っ走るケースもあれば、一方当事者の主張を鵜呑みするケースもある。被害者と加害者が逆転してしまうこともある。本書から、そのような怖さを感じた。

林田力は何者

林田力は何者か。さいたま市桜区をもっと楽しく面白くします。マンションだまし売り被害者として、だまし売りのない世界を目指します。
自由を大切にします。人には外部からの押し付けに反抗する性質があります。電子さえも量子力学の世界では機械的な物理法則に従っていません。
お役所的な礼儀や慣習を民間感覚から改革します。自分の右手に自分の左手が何をやっているか気づかせまいとする公務員の世界を改めます。市民に対する容赦ない冷酷さや嘲笑を改善します。公務員的対応ほど気の滅入るものはありません。計略や対抗策、憎しみや恐怖が赤裸々に渦巻いています。
危険ドラッグ販売に注意換気します。薬物依存は自暴自棄の最たるものです。

2018年10月26日金曜日

さいたま市議会ブルジョア発言

さいたま市議会でまた問題発言がありました。吉田一郎市議会議員が「ブルジョア障害者」と発言しました。この発言は障害者を侮蔑するように聞こえます。障害者にも高額所得者がいるとの文脈での発言でしたが、本人も品がない発言だったと反省しています。
私は飛び地のウェブサイトは好きで読んでいました。このサイトはジオシティーにあります。ジオシティーはサービス終了が発表されましたが、別の場所に移行して欲しいくらいです。
吉田市議は過去に「首つって死ね」との問題発言がなされました。自殺をなくすことが社会課題になる中で問題発言です。一方で、これは好意的に見れば、実のない公務員答弁に腹を立てたという同情の余地が皆無ではないと言えます。
吉田市議は北区選出です。さいたま市北区は前回の市議会議員選挙では北区は無投票でした。流石に次回は無風ではなくなるのではないかと思います。

2018年10月23日火曜日

のぼうの城

和田竜『のぼうの城』は忍城攻めを描く歴史小説である。野村萬斎主演で映画化された。
長束正家が腹立たしい。現代日本の高慢な小役人と同じである。現代日本の高慢な小役人は往々にして納期意識に欠けた無能公務員でもあり、それ故に民間感覚による行政改革が期待される。ところが、本書の長束正家は土手作りでは有能であり、後の五奉行として重用される要素はある。
豊臣政権における加藤清正や福島正則と石田三成の対立は有名であるが、武人ならば、むしろ長束正家のような性格の方が許せないと感じるのではないか。田中芳樹『銀河英雄伝説』でミッターマイヤーがオーベルシュタインは兎も角、卑称な小役人タイプのラングだけは除かなければならないと感じたように。それとも石高の少ない長束正家は大名にとって脅威ではなかったのか。
本書はリーダーのあり方について考えさせられる。忍城は城代が、でくのぼうのような人物であるから、侍大将が能力を発揮した。官僚的な管理主義は組織をダメにする。日本大学で問題になったボス支配も組織をダメにする。結束して皆で頑張る話であるが、特殊日本的集団主義を正当化するものではない。

御家人斬九郎

柴田錬三郎『御家人斬九郎』(新潮文庫、1984年)は江戸時代後期の貧乏御家人が表沙汰にできない罪人の介錯を副業とする時代小説である。著者は三田文学出身であり、慶應義塾大学卒の私には親近感がある。武士の物語であるが、江戸城にもほとんど行ったことのない下級武士であり、忠義や立身出世という要素はない。公務員臭さはない。民間感覚を大事にした慶應義塾大学の学風を感じさせる。
反骨精神は前老中が出す料理にも発揮される。第四話「柳生但馬守に見せてやりてえ」では小粒な高級料理をこき下ろす。「料亭の名だけで、もったいめかした、子猫の餌ほどの小鯛二尾、それも一向に味らしい味もせぬ」(40頁)。高い値段の料理を高い値段ということでありがたがる愚かさはない。価格と品質が比例するという浅ましい拝金主義ではなく、健全な消費者感覚がある。
本書は一話完結のオムニバス形式である。この一話一話が非常に短い。想像力を働かされる。文字数や原稿用紙の枚数が報酬の単位となる作家としては贅沢な作品である。

2018年10月21日日曜日

キン肉マン

ゆでたまご『キン肉マン』は超人達によるバトル漫画である。週刊少年ジャンプ黄金期の前期を彩る作品である。
キン肉マン消しゴム(略してキンケシ)は私の小学生の頃に流行った。高学年になるとSDガンダムのガンケシに移行した。消しゴムと言っても塩ビである。
この『キン肉マン』の第1巻は、その後のストーリーとは様相が異なる。キン肉マンは宇宙怪獣から日本を守るウルトラマンらの同業者である。そのヒーロー中では落ちこぼれの存在であった。
キン肉マンは赤ん坊の頃に親に豚と間違えられて捨てられるという悲惨な過去がある。心に傷を負いそうな話であるが、ギャグテイストで語られる。80年代的な無神経さである。現代の作品ならば、もっと心理的葛藤を描くだろう。貴種の生まれながら孤独な生い立ちの主人公を描いた作品に『ナルト』がある。ナルトは前向きな主人公であるが、孤独の描写は深い。心理描写の深まりは21世紀のエンタメ作品の進歩だろう。

こうして店は潰れた

小林久『こうして店は潰れた 地域土着スーパー「やまと」の教訓』(商業界、2018年)は山梨県の老舗スーパーの三代目社長が経営改善や破産を描くノンフィクションである。このスーパーやまとはマイバッグ無料配布や貧困家庭への食料品支援、障がい者雇用など社会的な活動を色々としている。
そのために経済合理性優先を批判し、古きよき昭和を懐かしむトーンかと先入観を持ってしまったが、誤りである。逆に社長になってからは癒着や馴れ合いのあった取引先や従業員を切り、赤字店舗を閉鎖するなど経営改善を進めた。テレビドラマなどではリストラを進める側が悪玉で主人公サイドは人情で対抗しがちであるが、本書では著者の経営によって公正で公平な職場環境を実現し、従業員のモチベーションも上がった。合理的な経営を進めることと不合理を許さず、社会活動を行うことは同じ方向にある。今の日本の問題は日本大学や相撲協会のような不合理なドン支配だろう。
著者は癖のある人も含めて多くの人を雇ってきたが、採用時に必ず「変な薬とかやってませんよね」と質問するという(86頁以下)。依存性薬物は人間を蝕むものである。
社会的活動をする中では行政とのやり取りが発生する。責任を回避する行政の体質にはうんざりさせられる。ごみ袋有料化では甲府市がレジ袋のゴミ出しを禁止して指定ゴミ袋の販売を開始したとする(79頁)。消費者に負担とコストを押し付ける環境対策である。
やまとは安くてボリュームのあるコスパの高い弁当を販売した。著者は「これを食べるべきだ」と売る側が強いることを嫌い、腹いっぱいになる幸せを共有することを目指す(123頁)。価格と品質が比例するという浅ましい拝金主義とは異なる健全な商人精神がある。
やまとはプロサッカーチームのヴァンフォーレ甲府応援企画として対戦相手の本拠地の特産品を使ったドンブリを販売した。私の地元の浦和レッズと対戦する場合が気になるが、「浦和ならキムチで赤くすれば格好はつく」とする(129頁)。浦和の料理の認知が低いことを再確認した。実は市民団体oneさいたまの会のアンケートでも「さいたまは食文化で有名なものがないような気がする」と指摘された。
著者は山梨県の教育委員に就任した。そこでは委員報酬を削減したり、委員会の傍聴席を増やしたりした。教育委員会は教育の政治的中立性を確保するために独立性の高い機関になっている。その目的は正しいが、独立性を逆手にとって、主権者住民の目の届かない事務局官僚の牙城となってしまいがちである。お手盛りの報酬や密室の決定になりがちである。報酬を民間感覚に近づけることや情報公開は立派な教育委員会改革になる。

ドラえもん魔法事典

『ドラえもん』37巻には「魔法事典」が収録されている。
のび太は魔法少女のアニメに夢中になる。ジャイアンやスネ夫からは女の子の観る番組と馬鹿にされるが、自分が面白いものを面白いと感じる、のび太は立派である。セーラームーンやプリキュアの普及した現代から見れば、のび太は先進的である。
ジャイアンやスネ夫にいじめられた、のび太は魔法を使いたがる。ドラえもんは「魔法事典」を出す。そこには何も書かれていないが、自分で好きなように書き込むと、それが魔法になる。この魔法事典があれば、映画『のび太の魔界大冒険』で、もしもボックスを使って魔法が使える世界にする必要はなかった。もしもボックスで魔法が使える世界にしても、魔法は訓練や高価な道具がなければ使えなかった。しかも人間界を滅ぼそうとする魔界まで作られてしまった。魔法事典ならば、これらの問題は起きない。
一方で、のび太は魔法事典を使っても失敗する。魔法が使えればうまくいくとならないところは、魔界大冒険と共通するコンセプトである。
この魔法事典はアニメで放送された。

2018年10月20日土曜日

ダイの大冒険3

堀井雄二監修、三条陸原作、稲田浩司作画『ダイの大冒険』3巻(集英社)はパプニカで不死騎団を率いるヒュンケルと対決する。一方でハドラーは軍団長を召集し、魔王軍の六軍団長が全て登場する。
六軍団は百獣魔団、妖魔士団、不死騎団、氷炎魔団、魔影軍団、超竜軍団である。この六軍団は連載当時はモンスターを組織化する仕組みとして新しさを感じた。しかし、改めて読むと、同種のモンスターばかりを集めた組織は役所の縦割り組織と同じ弱さがある。同質性の高い組織は危機に弱い。
勇者のパーティーのように、攻撃力の高いモンスターや攻撃魔法に長けたモンスター、回復魔法に長けたモンスターなど異なる特性を持ったモンスターでチームを組む方が強力だろう。多様性が強みになる。『ナルト』で綱手が医療忍者を小隊に加えたことは画期的であった。
パーティーはドラゴンクエスト3から登場した仕組みである。皆が同じことをするのではなく、異なる職種がチームを組んで効果を発揮させる。前世紀の頃から、このような仕組みを考えていたとはドラゴンクエストは先進的なゲームである。

ダイの大冒険2

堀井雄二監修、三条陸原作、稲田浩司作画『ダイの大冒険』2巻(集英社)は獣王クロコダインとの戦いが中心である。クロコダインは一度目ダイ達に敗れ、二度目はザボエラに唆されて卑怯な手段をとる。後にヒュンケルがザボエラの口車に乗ったから負けたと述べた通り、これが失敗だった。卑怯な手段をとる必要はない。一度目の戦いは敗れたが、朝日が目に入ったという不運があった。実力で敗れたとは思わないだろう。必殺技の獣王痛恨撃も出していない。実力でリベンジできると考える方が自然ではないか。ザボエラの詐欺師トーク力が高かったのではないか。
この巻ではマアムが登場する。マアムはヒロイン的な存在であるが、改めて読むとヒロインらしくない。ジェンダーを飛び越えた作品である。逆に『るろうに剣心』の神谷薫は連載当時に思っていた以上に恋する乙女になっていた。

2018年10月19日金曜日

ダイの大冒険

堀井雄二監修、三条陸原作、稲田浩司作画『ダイの大冒険』(集英社)は人気ゲーム『ドラゴンクエスト』を基にした漫画である。週刊少年ジャンプ黄金期を支えた作品の一つである。アバンストラッシュは少年時代に真似したくなる必殺技であった。
ドラゴンクエストに基づきながら独自の世界観を持っている。連載前の読み切り作品では、モンスターは平和に暮らしており、人間が悪者になっている。魔王軍との闘いになる連載後も、魔王軍が六大軍団に組織化されているところは当時としては新しかった。
ダイの師のアバンの不真面目そうなキャラクターは面白い。真面目に努力して這い上がる少年漫画のステレオタイプは後の時代に批判され、克服の対象になったが、黄金期の作品も真面目一辺倒ではなかった。鳥山明『ドラゴンボール』の亀仙人もそうである。努力と根性一辺倒でない点があることが支持され、黄金時代を作った要因であろう。
本作品はキャラクターが予想外の成長を遂げた。ポップが頼りになるキャラクターになり、ハドラーが主人公と心を通わせる強敵になった。冒頭からは考えられない展開になった。

2018年10月18日木曜日

新自由主義

ハイエクを読まれるとのこと素晴らしいです。
議論が根源的なところに言ってしまいましたが、そもそもの論点は新自由主義が正しいか否かではありません。SDGSや自殺0に取り組むことが新自由主義から外れるような指摘に対して違和感を覚えました。もし新自由主義が福祉的な主張を一切しないと位置付けられているならば、あまりに偏狭と思います。福祉を否定しているのではなく、中央集権的な画一的配分による個々のニーズの無視や無能公務員による非効率や無駄、利用者と非利用者の不平等などを問題視しています。福祉制度も需要と供給を考慮し、モラルハザードやフリーライダーを回避する仕組みを考えます。
このため、新自由主義の認識を改められた方が良いと思いますが、逆にSDGSや自殺0の取り組みを新自由主義からの転進と評されるならば、その中の新自由主義的要素はどのように評価されるのでしょうか?逆に新自由主義的な要素があっても、新自由主義と打ち出さなければOKということになりますでしょうか?

防御力を落として素早さを上げるという主張は一つの考え方です。しかし、航空参謀は、そのような立場から防御力向上を却下した訳ではありません。努力と根性で何とかしろと個人に負担を押し付けました。その点を本書は指摘しています。その点が醜悪な特殊日本的精神主義に陥っていると私は評しています。

2018年10月16日火曜日

銀河英雄伝説11

田中芳樹原作、藤崎竜漫画『銀河英雄伝説11』(集英社)はリップシュタット戦役が描かれる。キフォイザー会戦がほぼ決着する。正義派諸侯軍の総司令官はメルカッツである。メルカッツが総司令官になった背景が分かりにくい。はしょりすぎている。メルカッツは後にヤンファミリーになる重要キャラクターである。本作品の扱いには不満がある。
ヒルダがラインハルトに味方する意思を表明する。この会見の場所は異なるが、やり取りは石黒版アニメ通りである。ヒルダにはアンネローゼへの友情とキルヒアイスへの強い恩義がある点が本作品の特徴であるが、ここでは違いが見えない。初登場時に人の気持ちが分かる優しさがヒルダの特徴と説明されていたが、ここでは知謀を示している。ラインハルトに味方する貴族の扱いについては石黒版アニメ以上に冷酷な発言をしている。新たなヒルダ像を描くのか、原作をなぞるのか。
貴族の私兵艦隊の軍艦は装飾が派手である。古代中国の軍船を連想した。銀河英雄伝説は三国志を出発点としているとされるが、意外なところで古代中国風になった。
オフレッサーは野蛮人である。薬物使用者の危なさも出ている。ラインハルトは、シュトライトのように敵対者でも才能がある人を認めていたが、オフレッサーは最初から除外していた。
ザビーネ・フォン・リッテンハイムはラインハルトを苦しめる強敵になるかと思われたが、門閥貴族のゲスの思考に染まっている存在であった。ベーネミュンデ侯爵夫人のように初登場時は大物っぽく登場したが、その後は尻すぼみになるか。
本作品ではキルヒアイスがムキムキのキャラクターに描かれている。私は違和感を抱いていたが、この巻の農作業の手伝いのエピソードには合っている。

2018年10月15日月曜日

古見さんはコミュ症です。3

『古見さんはコミュ症です。3』はプールや夏祭りなど古見さんが同級生と経験する話が中心である。高校生活は夏休みに入った。
古見さんは極度のコミュ症美少女である。周囲からは綺麗だけど近寄りがたい人と思われがちである。コミュ症でいっぱいいっぱいになっている時の古見さんのデフォルメされた絵が可愛い。目が大きくなっている。
察し上手な只野くんと友達になり、少しずつ友達ができた。個性的な友達と夏休みを遊ぶ。只野くんは古見さんがコミュ症であることを分かっており、普通のやり取りでは新鮮味がなくなっている。プールや夏祭りという非日常的な経験を描くことにで新鮮な驚きが生じさせた。
第1巻のリア充グループはうざかったが、すっかり古見さんを中心とした世界に組み込まれてしまった。
古見さんの家族の話もある。あの母親から娘がコミュ症になることは想像しにくかったが、父親譲りであった。
古見さんのようなコミュ症のキャラクターには、田中芳樹『銀河英雄伝説』の沈黙提督アイゼナッハがいる。コミュ症という概念のない時代にアイゼナッハのようなキャラクターを登場させた『銀河英雄伝説』は深い作品である。

古見さんはコミュ症です。2

『古見さんはコミュ症です。2』。コミュ症を取り上げた点で画期的な漫画であるが、第2巻は古見さん自身の話よりも奇人変人図鑑のようになった。奇人変人が集まる「異端」高校という設定のために作者の予定通りの展開だろうが、コミュ症ということで注目した向きにはあまり面白くない。早くも第2巻でネタ切れかと思ってしまう向きもあるだろう。
奇人変人とのやり取りよりも、後半の美容室の話のように普通の人が古見さんのコミュ症を知らずに驚いてしまうパターンが笑えた。それは第1巻では只野くんの役割であったが、只野くんは既に古見さんがコミュ症であることを知っているので、新鮮な驚きにならない。
古見さんは話すことは苦手であるが、意志疎通はできる。たとえば「ありがとう」と言いたい時に「ありがとう」と言いたいという気持ちはあるが、声に出ないだけである。むしろメールやラインならば普通にコミュニケーションできるだろう。コールセンターに勤めることはできないが、メールやチャット回答のサポートセンターならば有能だろう。『スケットダンス』のスイッチのように音声を出すコンピューターを使えば会話も普通にできるだろう。
もっと深刻なコミュ症は「ありがとう」と言いたいという思いが出てこないことである。対人関係だけ人とはテンポが異なる人もいる。

2018年10月14日日曜日

三度目の殺人

『三度目の殺人』は映画である。ミステリー風であるが、日本の司法制度の問題や限界を描くことに重きを置いている。裁判官は判決の数をこなすことばかりを考えている。真実の追求を軽視する日本の司法の現実が描かれる。
被告人役の役所広司と弁護士役の福山雅治の頭脳戦が展開される。検察官役はシンゴジラやアンナチュラルに出た市川実日子である。シンゴジラと本作品では感情を出さない女優になるが、アンナチュラルでは人間味があった。
福山雅治の弁護士は被告人の言葉を鵜呑みにせず、自分で調査する。自白偏重の日本の警察や検察と対照的である。
一方で真実よりも依頼人の利益を重視する割り切ったところがある。ドラマ『刑事専門弁護士』の深山弁護士は真実を追求することで冤罪から守った。改めて凄い存在と感じた。
器と言えば、機動戦士ガンダムUCのフルフロンタルを連想する。人間の心理描写でアニメが実写映画の先を行く。

2018年10月13日土曜日

しょてんじんのはんせい

『しょてんじんのはんせい』は本の魅力を語る書籍である。著者は埼玉県浦和市(現さいたま市)で生まれ、埼玉県に住み続けている書店人である。
本書はエンターテイメントとしての読書を語る。難しい本を読めという話ではない。映画やビートルズ、プロレスの蘊蓄を語っており、文字通りエンターテイメントである。むしろ読書というよりも昭和の戦後文化を語っているように感じられた。
本書は現代人がスマホばかりで読書しなくなったことに問題意識を持っている。しかし、本書の述べるようなエンターテイメントならば、スマホと両立する。スマホで電子書籍を読むことができるし、「小説家になろう」などの投稿サイトで小説を読むこともできる。アニメがゲームもラノベを読むきっかけになる。さらにfateのゲーマーがアーサー王の伝承やクーフーリンのケルト神話を読んでみようという気になるかもしれない。
戦後のエンターテイメントとは異なるが、今の世代は今の世代のエンターテイメントを享受している。著者が自分の経験した文化を語ることは当然であるが、他の世代には他の世代の文化があり、読書がある。
一方で人とダベっていないと気が済まない、一人で楽しめないヤンキー的な習俗は読書と縁遠い。読書離れの要因はスマホとは別のところにあるのではないか。
本書には社会的な主張もある。役人の意識の低さが複数箇所で指摘される。

2018年10月12日金曜日

銀河英雄伝説10

田中芳樹原作、藤崎竜漫画『銀河英雄伝説10』はアムリッツア会戦から、皇帝崩御、リップシュタット盟約が描かれる。新皇帝エルウィン・ヨーゼフ2世の危なさに驚かされる。これの亡命を受け入れ、亡命政権を樹立させたトリューニヒトへの嫌悪が深まる仕掛けである。原作ではヤンがトリューニヒトを過剰に嫌っていたようにも見えたが、ヤンの嫌悪感に共感しやすくなる。
ラインハルトは最初から新皇帝の擁立に関わっていない。後からリヒテンラーデ侯爵と手を組んだ。この方が新皇帝切り捨ての道義的責任は軽くなる。
ブラウンシュバイクの娘エリザベートやリッテンハイムの娘ザビーネは原作や石黒版アニメではほとんど描かれなかったが、本作品ではキャラクターが描かれる。活躍が描かれるか注目である。
一方で華々しく登場したベーネミュンデ夫人は出番がないまま皇帝崩御まで生存していた。キルヒアイスが屋敷の使用人に警護できる人材を配置した上にマリーンドルフ伯爵家ともつながりを持ったために手出しできなくなったのだろうか。
原作のアントン・フェルナーのふてぶてしさは好きなシーンであったが、本作品は暗殺未遂自体がカットされている。そのため貴族連合側は欠けることなく終結した。原作よりも兵力を減らせなかった不利をどうするか。

2018年10月9日火曜日

原発マフィア

船瀬俊介『原発マフィア』(花伝社)は原子力発電利権の問題を明らかにし、自然エネルギーへの転換を主張する書籍である。原発マフィアは都合の悪い事実を隠して原発を推進し、利益を得る連中を指す。
原発利権は多くの書籍が指摘するが、そこに秘密警察が関わっていたとする点が本書は詳しい。日本の原発推進者は「逮捕状なしでの逮捕、拷問などなんでもあり」の特高警察出身であった(29頁)。それが戦後はCIAの犬になり、原発を推進する。
ソ連のチェルノブイリ原発事故もKGBが真相を隠蔽したとする(70頁)。チェルノブイリ原発事故は作業員のミスや構造的な問題が原因であり、日本では起こり得ないと説明されがちであるが、本書は地震が原因とする。福島第一原発事故と重なる。
各国の秘密警察が原発を支えていることから、原発利権は巨大な警察利権と言えるのではないか。上が腐っているから、下も交通違反取り締まりノルマや交通安全協会利権、パチンコ利権が出てくるのだろう。
本書は福島第一原発事故での情報隠しを批判する。情報を出さない。質問に答えない。これも警察不祥事と共通する。

2018年10月8日月曜日

詐欺師のトーク

さいたま市桜区の住民の不安に詐欺商法があります。マンションだまし売り被害者として詐欺師のトークの特徴を説明します。人脈をひけらかしますが、具体的な決定事項は何も言いません。曖昧なことしか言わず、コミットしません。
詐欺師トークを判定する方法として、相手の質問に対してイエスかノーかで答えられる質問をします。詐欺師は直接答えず、誤魔化し、自分の説明を繰り返します。自分の言いたいことを相手に理解しようとするだけで、こちらの論点は無視します。相互主義がありません。こちらの質問に答えないということは真面目に向き合う気がない、相手を尊重する気がないということであり、詐欺師の確率が高まります。
上記に該当しながら詐欺師でないとしたら、それはそれで問題です。騙すという悪意はないとしても、こちらの期待には応えられない人物です。こちらが相手を理解することはできても、その逆が成り立たなければ相互主義になりません。振り回されて失望を味わうことになります。

2018年10月7日日曜日

銀河英雄伝説9巻

藤崎竜・銀河英雄伝説9巻は帝国領侵攻作戦からアムリッツア会戦直前までである。原作を全て終わらせるまで漫画家の一生をかけても無理ではないかと思っていたが、テンポよく進んでいる。ラインハルトはヤンをかなり意識している。
ロイエンタールは奇をてらった陣形でビュコックに挑む。本作品のロイエンタールは芝居かかっている。原作ではバランスの取れた王道的な手法を採る存在と位置付けられていた。ユリアンからはラインハルト以上に保守的と評された。原作ではプライドが高かったことが破滅の理由であったが、本作品のように人生を芝居のように楽しむ性格があるならば反乱せずに済むのではないか。
ウランフの猛戦に敬意を示すビッテルフェルトはカッコいい。このようなところがケンプやレンネンカンプと異なり、最後まで生き残れた要素ではないか。
ラインハルト元帥府の提督達が登場する。石黒版アニメと異なり、ワーレンとルッツのビジュアルは大きく異なる。ワーレンは『貧乏神が』の変態執事を連想してしまう。
フィッシャーはアニメでは英国紳士風であったが、本作品では頑固親父の職人的である。艦隊運用の名人には合っているか。
ドワイト・グリーンヒルは無益な戦争を進めた自由惑星同盟の衆愚政治に疑問を抱く。後の彼の行動につながりそうである。

2018年10月6日土曜日

瑠璃色の一室

『瑠璃色の一室』は現代日本を舞台としたミステリーである。帯にはホワット・ダニットと書かれているため、何が起きたかが問題と思いながら読み進めるが、それも著者の仕掛けかもしれない。実はフー・ダニットの要素がある。
本書には3人の視点人物がいる。章毎に視点人物が変わり、それが繰り返される。視点人物の一人は刑事である。刑事の捜査の進め方が分かるが、これでは冤罪が生まれると感じた。基本的に一人で進めており、上位のマネジメントが見えない。ねじ曲げた捜査をしようと思えばできてしまう。海外の警察物はもっと会議のシーンが多い。テレビドラマ『踊る大捜査線』の「事件は会議室で起きていない」は官僚的な形式的な無駄な会議を批判したものであるが、内部統制の観点で悪影響を与えているかもしれない。
本書の刑事には鋭い閃きがあり、冤罪を生まずに踏みとどまった。しかし、並の刑事ならば思い込みで突っ走り誤認逮捕になりそうである。また、若い女性に対する態度も外部から見れば問題である。性犯罪の警察不祥事が多いことが理解できる。
当初の事件は偶発的なものであり、それほど頁をめくる手が速まらなかった。ミステリーの犯人は『金田一少年の事件簿』が典型であるが、壮絶な過去を抱えていないと物語は成り立ちにくいと感じた。

2018年10月4日木曜日

恋する力

藤本ひとみ『恋する力』は現代日本の就職氷河期世代の女性を主人公とした恋愛小説である。いかにも恋愛小説風のタイトルであるが、朝から晩まで恋愛ばかりの話ではない。むしろ労働が自己実現にならない就職氷河期世代の生き辛さが描かれている。
少女漫画のような甘さはない。桶川ストーカー殺人事件を彷彿とさせる危ない人物も登場する。不倫の話もあるが、それほどドロドロしていない。
主人公はパラリーガルである。債務整理中心の法律事務所で味気ない仕事をした経験がある。パラリーガルを搾取するブラック弁護士法人も現実に存在しており、主人公の満たされない気持ちは共感できる。
私にとって著者の作品と言えばフランス歴史小説である。本書は現代日本が舞台であるが、ナポレオンの話が随所に出てくる。フランス歴史小説を書いている著者らしさがある。

2018年10月1日月曜日

双亡亭壊すべし

『双亡亭壊すべし』(小学館)はホラー漫画。週刊少年サンデー連載作品。双亡亭という古くからある屋敷を壊すことを目指す。この屋敷は古くからあり、人を寄せ付けない。中に入った人は出てこれなくなる。警察官も入っているが、失敗している。
破壊を目指す物語であるが、むしろ簡単に破壊されないことを期待する。日本の建築不動産業界は安直にスクラップアンドビルドを繰り返してきた。暴力的な地上げも行われてきた。それ故に屋敷を破壊しようとする連中が返り討ちにあう展開を期待する。
同じ週刊少年サンデーでは『GS美神極楽大作戦』という連載作品があった。バブル経済の残り香を感じる作品で、不動産業者らの依頼を受け、開発の妨げになる不動産にとりついた霊を祓っていた。霊を祓う側が主人公側という構図は同じであるが、『極楽大作戦』では簡単に倒される敵であったものが、本作品では強敵である。開発至上主義が批判され、開発に対する感覚が変わってきていることを感じさせる。