2018年6月1日金曜日

ながい坂

『ながい坂』は山本周五郎の長編時代小説である。贅沢を否定する主人公の美意識は心地よい。単純な料理でも心がこもっていて人を感嘆させる(539頁)。味と価格が比例するという類の浅ましさはない。
贅沢を否定する美学は庭にも表れている。「自然のままの、少しの気取りもない野末のけしき」を以下のように評している。「どんなに費用をかけ、贅をつくして造った庭も、このけしきには遠く及ばない」(下巻12頁)
主人公は家族との関係は駄目だが、社会では有能である。よく「斉家治国平天下」「慈善は家庭から」と言われるが、主人公には該当しない。そのようなパターンもあるだろう。あれもこれもを目指さなくても良い。
御用商人は藩から独占権を得て、莫大な利益を上げている。独占権には業界の庇護者としての責任があるという名目になっている。「ところがしばしば、その「責任」は「権利」に転用され、業者を庇護するより、かれらを支配し、思うままに操縦する、という結果があらわれるようであった」(540頁)。これは現代日本の公共性の論理と重なる点がある。故に規制緩和が改革として求められる。
「臭いものにはなにもかも蓋をしてしまう、蓋をして押えてしまえば、それで万事がおさまると思っているらしい、だがそうはいかない、湯は沸くものだし、沸騰点に達すればどんなに重い蓋でもはねとばすだろう」(山本周五郎『ながい坂(下)』新潮文庫、1971年、24頁)
「怒りと屈辱感で血をわかし、こんな無条理なことが二度と起こらないような合理的な世の中にしてみせると心に誓った」(76頁)

区長の公募制や住民選挙を研究します。
教育委員会の活動をオープンにします。情報公開を進めます。
木を伐らないで残すことは、鳥獣の田畑や市街地への進出を抑えることになります。

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