2018年6月30日土曜日

花咲かぬリラ

東急リバブル東急不動産は不利益事実を告知せずにマンションをだまし売りした。それで問題にならないと考えていたならば、幼児用プールのように浅い考えである。マンションだまし売りは人間としての尊厳を置き忘れた所業である。

山本周五郎「花咲かぬリラ」は第二次世界大戦後の日本を舞台とする。復員兵が米作一辺倒の日本の農業を批判し、酪農を始めようとする。食を欧米化することが進歩的な発想とする。21世紀に生きる現代人から見たら倒錯である。今や和食は健康的と評価され、日本人の洋食化が生活習慣病を増加させたと批判される。米作は生産性が高いとされ、アジア人が肉食を増やしていることが世界の食料危機を高めている。
本作品は現代小説とされる。作品執筆時を舞台としている点では現代である。しかし、江戸時代を舞台にした小説を読むよりも古さを感じる。時代小説の方が人間の普遍性を感じる。時代は動いている。昭和戦後は一時代前という認識が必要だろう。昭和戦後の価値観と現代に求められているものは大きく異なる。

2018年6月29日金曜日

歯はみがいてはいけない

森昭『歯はみがいてはいけない』(講談社、2016年)は歯科医師による歯の健康の書籍である。食後の歯磨きや歯磨き粉など既存の常識を否定する大胆な書籍である。世界的には歯磨きは起床前と就寝前に行うものとする。歯磨き粉の普及は歯磨き粉メーカーの営業政策によるものに過ぎない。歯磨き粉で口の中が磨かれたような感覚になるが、それは実際に磨かれたかとは別問題とする。
本書の素晴らしいところは歯科衛生士の役割を高く評価していることである。歯科医が別の職種の歯科衛生士を評価することは中々できることではない。下に見る歯科医が多いだろう。同質性の高い日本は相違を相違として受け止めず、上下関係でしか見られない人間が多い。役割が違うだけということが理解できない。
本書の予防重視や薬漬け医療批判は全ての医療分野に当てはまることである。一方で寝たきりや延命治療についての主張には異論がある。日本で寝たきりが多くなる背景には車椅子生活が不便という環境の貧困があるだろう。延命治療をするかしないかは社会的必要性ではなく、自己決定権の問題である。

2018年6月28日木曜日

貧乏神が

『貧乏神が』は貧乏神と貧乏神に憑かれた女子高生の攻防を描くドタバタコメディ漫画である。タイトルは貧乏神の仕打ちに怒った女子高生の「この貧乏神が」という叫び声である。第1巻はドタバタコメディの名に恥じない抱腹絶倒の展開である。一方で巻が進むにつれて女子高生の人間的成長をサポートするという道徳的要素が強まっていく。それを物語の成熟とみるか、面白さの減少とみるかは評価が分かれるだろう。貧乏神が何を考えているか分からないから面白い。実は相手のことを真剣に考えていたとなると無理やり感動話にしようとしている感も出てしまう。笑えて泣ける話を狙っているのかと感じてしまう。それとも、さらなるどんでん返しがあるのだろうか。
とはいえ、現実世界には自己の責任逃れが第一で、相手に負担を押し付け、目の前の問題の解決しか考えない無能公務員的な存在が横行しており、多くの人が無能公務員に虐げられている。その種の無能公務員はコミュニケーションの輪の中に入れることすら嫌悪するのが人情である。相手のことを考える存在でなければ、やり取りする資格すらない。本心を描くことで貧乏神は読者が受け入れられるキャラクターになる。
本作品ではプリクラがあったり、カラオケでモーニング娘。が歌われたりと世紀の変わり目の風俗が描かれる。ロスジェネ世代には懐かしさを覚える。

2018年6月27日水曜日

だだら団兵衛

山本周五郎「だだら団兵衛」は武士が主君の命で移動中に山賊に襲われる展開が「山だち問答」と共通する。主人公の山賊への態度も同じである。「山だち問答」は孤立を怖れない侍のストイックな生き方が前面に出る。明治の立身出世主義や戦後昭和の右肩上がりの経済成長のアンチテーゼとなる思想である。これに対して「だだら団兵衛」は娯楽小説に仕上がっている。それでも立身出世を求めない点で著者の精神が込められている。
「宵闇の義賊」は義賊とされる鼠小僧治郎吉を捕らえる側から描いた作品である。盗んだ金の大半は自己の遊興に使い、一部を貧者にばらまくことで義賊と持て囃される欺瞞を指摘する。一方で鼠小僧治郎吉を捕らえる方法は卑怯である。正面からでは鼠小僧治郎吉に敵わないと言っているようなものである。それでも組織を背景にせず、一人で戦っている点で現代日本の警察権力のような卑怯さはない。
時代小説は江戸時代のものが多いが、「城を守る者」は戦国時代、上杉謙信の家中の話である。後方の重要性を指摘する。

2018年6月25日月曜日

ブラックペアン

ブラックペアンのテレビドラマの良いところは、医療過誤を許さないという正義感を前面に出したことである。原作シリーズは医者が書いており、原因究明に熱心な点は高く評価するが、医者の責任追及に批判的なところもあり、患者サイドとは言えない。失敗した医者に厳しい渡海のスタンスは医療過誤を許さない点で筋が通る。
逆に原作の渡海は、腕は良くても患者への説明に問題があり、そこに学生だった田口公平は反発する。ドラマでは患者への説明という点でも変に気を使って隠さない分、渡海が最も率直である。
治験コーディネーターの描かれ方が現実離れしていると抗議されたが、医療過誤を許さないという思いの共有者として意味があった。病院の部外者が手術を見ることはチェックの点で大きな意味がある。現実は契約を取るために何でもする出入りの業者になりがちで、チェック機能は期待しにくい。そのような現実があるからこそ、現実離れした治験コーディネーターを描く意味がある。

2018年6月22日金曜日

やぶからし

山本周五郎『やぶからし』は江戸時代を中心とした時代小説の短編集である。他の短編集では町人や遊女の物語があるが、本書は武家の物語で構成されている。但し、最後の短編「ばちあたり」は現代が舞台である。
表題作「やぶからし」は「女心のひだの裏側をえぐった」と紹介される。しかし、本書の多くの短編は武士の精神を描いたものである。人情物よりも侍物が好きな読者に向いている。
主人公の侍達は世間的な優等生ではなく、逆に同輩から嘲られもするが、ある種の人物である。時代小説であるが、窮屈な組織に苦しむ現代人に重ね合わせることができる。「山だち問答」では警察の裏金作りのようなことが行われている。山本周五郎は昭和の大衆文学であるが、21世紀人にも響く。
「やぶからし」は、やぶからしのように役に立たない人間と自嘲している。あすなろになぞらえた「あすなろう」と類似する。紹介文には「幸せな家庭や子供を捨ててはしる」とあり、どうしようもない人間の話かと思ったが、紹介文がミスリーディングであった。

2018年6月19日火曜日

失敗の本質

十五年戦争の日本軍の失敗を分析した書籍である。ノモンハン事件やミッドウェー海戦、インパール作戦などを取り上げる。本書の優れた点は個々の戦場の分析に特化していることである。このために、そもそも巨大な米国と戦うことが無理であったという逃げに走らずに済む。たとえ米国に勝つことが無理ゲーであったとしても、個々の戦場で日本軍は明らかに無駄な戦い、稚拙な戦いを展開して兵力を消耗した。その失敗に学ぶことは教訓になる。むしろ戦争目的が正しいか否かという大きな議論以上に日常生活における決断の局面では役に立つだろう。
本書を読んで感じたことは、日本軍の失敗が現代の公務員的な無能と重なることである。失敗を重ねた軍人のメンタリティは、責任逃れを重ねる無能公務員のメンタリティに重なる。現代の日本は戦前の反省を活かせていない。これは恐ろしいことである。
無能公務員的メンタリティの改善策は、情報共有の徹底になる。目の前の火を皆で協力して消すことに邁進する日本的集団主義が個々の失敗を隠蔽することに働く。やはり情報公開が改革の一丁目一番地である。

2018年6月18日月曜日

1型糖尿病をご存知ですか

宮川高一『1型糖尿病をご存知ですか』は1型糖尿病を紹介した書籍である。糖尿病には1型と2型がある。糖分の摂り過ぎなどでなるのは後者である。
1型はウイルス感染などを契機として自己の免疫システムが自己のインスリン分泌細胞を攻撃し、破壊することにより起きる病気である。本人の生活習慣や肥満とは無関係である(16頁)。本書はインスリンを摂取すれば非糖尿病患者と変わらずに生活できるため、1型は一つの個性と主張する。しかし、この点が知られておらず、1型糖尿病患者は社会の偏見などに苦しんでいる。私も本書で1型糖尿病を知った。
本書の特徴は医者の書籍であるが、患者や家族のブログ記事や手記を収録していることである。それによって医者だけの書籍では感じにくい患者や家族の思いを知ることができる。
興味深い患者の取り組みとして、患者をロールプレイングゲームのレベルで呼びあっている。たとえば発症から10年経った患者はレベル10である(144頁)。生き続けようとする意欲が湧いてくる。
本書の対象は1型糖尿病であるが、その患者本位の医療姿勢は全ての医療に適用されるべき普遍性を持つ。実際、「結びにかえて」で日本の医療には古い「知らしむべし、よらしむべからず」という家父長的体質が残存しているとしつつ、一番の変化は患者医療者関係であると指摘する(208頁)。

さいたま市桜区

林田力『さいたま市桜区』(アマゾンKindle)は、さいたま市桜区を中心に、さいたま市の地域情報をまとめた。
Saitama City Sakura Ward is a ward of Saitama City. Saitama City is the capital and the most populous city of Saitama Prefecture, Japan. Its area incorporates the former cities of Urawa, Omiya, Yono and Iwatsuki. Saitama City has ten Wards.
【書名】さいたま市桜区/サイタマシサクラク/Saitama City Sakura Ward
【著者】林田力/ハヤシダリキ/Hayashida Riki
【出版社】江東住まい研究所/コウトウスマイケンキュウジョ/Koto House Laboratory

さいたま市桜区の長閑さを大切に
さいたま市桜区
さいたま市
鴨川堤桜通り公園
さいたま市桜環境センター
しびらきマーケット
田島の獅子舞
田島氷川社
からやま町谷店の極ダレ
道とん堀さいたま道場店
魚悦浦和大久保店どッキン市
浦和卸売市場
浦和うなこちゃん
別所沼公園
与野公園ばらまつり
武蔵野線大宮支線
首都圏対流拠点シンポジウム
六間道路
さいたま市桜区の渋滞交差点
浦和ナンバー
さいたま市桜区の水道
『地下水は語る 見えない資源の危機』
マンモス小学校
さいたま市議会議員選挙
埼玉県の最低賃金
『埼玉 地名の由来を歩く』
埼玉県警巡査が乳児揺さぶりで死なせる
さいたま市桜区道場でネズミ捕り
中野相続裁判さいたま地裁
さいたま地裁に移送
第1回口頭弁論
中野相続裁判さいたま地裁6月22日傍聴・取材のお願い
自己紹介
趣味
どんな子どもだったか
自分の考え方に影響を与えた出来事
起きて半畳寝て一畳
明日の約束
秋ヶ瀬公園スポーツアカデミーパーク構想
情報公開さいたま
さいたま市をエストニアのような電子政府に
これはおかしい、不思議でならないもの

2018年6月15日金曜日

樅ノ木は残った中巻

山本周五郎『樅ノ木は残った』中巻。仙台藩では上級武士達は互いを各々の領地の地名で呼びあっている。
原田甲斐は敵を欺くには味方からを実践している。この原田甲斐の姿勢では味方を失っても仕方がない。甲斐としては自分が犠牲になればよいと覚悟し、多くの人を巻き込みたくないのかもしれない。柿崎のような胡散臭い人物には容易に腹の内を空かさないことは当然である。一方で昔ながらの人物も膝詰めで談判し、自分には腹の内を明かしてくれるだろうという内々の特権意識が感じられる。甲斐には現代的なリーダーの資質であるビジョンの共有や透明性に欠けていると感じたが、周囲もどっちもどっちである。
甲斐と伊達兵部の対決であるが、甲斐の動きは見えにくく、対決そのものではない日常描写もあるため、兵部のターンの方が読み応えがある。さらに甲斐とも兵部とも異なる立場の脇役のターンもあり、これが人情物の要素が色濃い。物語の展開を早く読みたい向きには異論があるだろう。中巻の後半で甲斐と繋がっていく。
話が進むにつれ、藩内の御家騒動という以上の陰謀が見えてくる。江戸幕府と外様大名というスケールの大きな話になる。甲斐の消極性はじれったく感じられるが、藩内に紛争を起こすこと自体が敵の狙いであるならば意味がある。

中野相続裁判さいたま地裁

日本海賊TVで中野相続裁判さいたま地裁を取り上げた。中野相続裁判さいたま地裁第2回口頭弁論が6月22日に埼玉県さいたま市浦和区のさいたま地方裁判所で開かれる。
中野相続裁判は東京都中野区に住んでいた被相続人の相続紛争である。紛争の過程で被相続人の長男が無断で経管栄養の流入速度を速めたり、治療を拒否したりしたことが明らかになった。高齢者虐待につながる社会的意義のある裁判である。
裁判前に長男の弁護士が長女に対して「長女に遺留分はない」と書いてきた。番組では、弁護士としてありえない主張と強く批判された。法廷では通用しない主張であるが、相手が弁護士が書いたものと盲信して騙すことができればラッキーという主張である。相手の無知につけこむ理屈である。まともな弁護士ならば依頼人の無理筋の主張を説得するものではないか。現代ではブラック弁護士が問題になっている。ブラック弁護士の言うがままに印鑑を押してはならない。
長男が経管栄養の流入速度を速めたことは問題である。相続から排除されても不思議ではない。

2018年6月14日木曜日

ユーキューホルダー

不老不死となった少年を描く少年漫画である。第1巻は丸々導入部である。物語の本筋に入っていない。絵柄からイメージしにくいが、根性物の要素がある。
未来の日本の物語である。軌道エレベーターがあり、魔法が使える世界である一方、人口が減少し、過疎化が進んでいる。主人公の暮らしている地域は、のどかな田舎である。
主人公は鈍感なほど前向きという典型的な少年漫画の主人公タイプである。読んでいて恥ずかしくなるくらいである。今時の作品ならば、もう少し影があったり、ひねくれていたりする方が自然である。何故ならば前向きに頑張れば何とかなるという発想こそが個人に負担を押し付け、個人を苦しめる傾向になっているからである。それでも複雑な事情を背負ったキャラクターに対しては、主人公の鈍感な前向きさが救いになっている。
第2巻は物語の本筋に入っていく。主人公達は地上げ屋の手先から住民を守ろうとする。人々の生活を破壊する地上げ屋は敵勢力にふさわしい。
第3巻は本格的な戦闘が展開される。

2018年6月12日火曜日

脳梗塞は油が原因

脳梗塞などは油が原因と主張する書籍である。ストレートなタイトルである。よく塩分が問題視されるが、塩分が原因ではないとする。冤罪(塩罪)と上手いことを言っている。
著者は医者であるが、効果のない薬による治療は否定する。その上で油を使わないなど食生活の改善による健康維持を勧める。唐揚げが好きな私は気を付けなければならない。
恐ろしい点は植物油、ココナッツオイルなど健康に良いと思われているものも摂取しない方が良いとの指摘である。オーガニックやベジタリアンなど健康志向の人で油をとっている人は少なくなさそうである。
また、本書はパン食、特に菓子パンを問題とする。但し、味のついていない食パンは、それほど問題ではないとする。ここでも多くの健康書籍で指摘されるパンよりご飯が当てはまる。
一般に肉よりも魚が健康に良いとされる。それに本書も従うが、魚の脂肪も問題とする。鯖など油の多いものばかり食べると問題である。

2018年6月11日月曜日

樅ノ木は残った

山本周五郎『樅ノ木は残った』は江戸時代前期の伊達騒動を描いた長編時代小説である。新潮文庫で上中下3巻になっている。NHK大河ドラマにもなった。
悪役に位置付けられがちな原田甲斐が主人公である。本書の原田甲斐は真っ当な人物として描かれているが、何を考えているか分からないところがある。そのために読者はじれったく感じることがある。
仙台藩の藩祖の伊達政宗は戦国大名として領土を拡大しながら、新時代に適応できた人物である。しかし、政宗個人に適応力があった分、仙台藩の体制は中世的なままと感じた。家臣が各々領地を持っている。他の藩が藩士をサラリーマン化して一円支配を進めたこととは異なる。伊達政宗は芯から戦国大名だったと感じた。
この家臣が独立領主になっている点は御家騒動が激化する要因と説明されがちであるが、それは結果論である。サラリーマン化して藩内の地位が全ての方が権力闘争が激しくなる。

2018年6月9日土曜日

写真撮影

マンション投資をしていると毎日、自分が汚れていくように思えます。

会議の議題を提起します。
ポスティング。チラシ第一号は印刷済みですので実際に行うだけです。
写真撮影はスキルある人に依頼するとして、コンセプトを決めたいと思います。
何を着るのか。ネクタイをするか。色をどうするか。
表情はどうするか。笑顔にするか、歯を見せるか。
正面から撮影するか、斜めにするか。
ポーズはどうするか。腕組みをするか、人差し指を上に立てるか。
まずスマホでも良いので、撮影して検討することが良いと思います。それが実会議の意味になります。
また、早く撮影する意味は同じ写真を使って統一したイメージを持たせることです。現時点はスマホ画像でも使えると思います。

武蔵野健康ランド

武蔵野健康ランドは埼玉県川口市にありますが、武蔵野線の東浦和駅が最寄りです。南浦和駅からもバスが出ています。24時間営業です。
電気風呂のビリビリは弱めです。強いビリビリが苦手な人も大丈夫です。
薬湯風呂は濃厚です。匂いも濃厚です。私は何故か皮膚がチクチクしたので切り上げました。
露天風呂は大自然の中とはいきませんが、空は広いです。23区の施設のように建物が目に入ることはありません。
食事処で冷やし中華のゴマだれを食べました。
入館すると下足箱に靴を入れて鍵をかけ、鍵を持って受け付けに行きます。手前の下足箱は理容室専用であり、奥の下足箱に入れます。受付に下足箱の鍵を渡し、ロッカーの鍵を受け取ります。この下足箱の鍵の番号とロッカーの鍵の番号は同一です。このため、複数人で入館し、一人がまとめて受付し、バラバラに帰ると靴が違うということになりかねません。

2018年6月8日金曜日

変わる農村と田園回帰

雑誌『地理』2018年6月号は「変わる農村と田園回帰」を特集する。田園回帰と言えば効率優先や文明批判のようなイデオロギー的な文脈で使われることが多い。しかし、本書の論文は、その種のイデオロギーから距離を置いて分析している。若者には地方居住志向があるが、それは情報通信技術の発達で都会と田舎の生活格差が減少したことが一因とする(小島泰雄「田園回帰といかに向き合うか」17頁)。
顕著なものは反都市化の論文である(磯田玄「田園回帰は反都市化のさきがけか?」)。欧米でも田園回帰相当の現象が起きており、反都市化と呼ばれる。この反都市化も文明批判のイデオロギーに使われそうな言葉であるが、都市の人口が増え、住みにくくなったために地方へ移住するという市場原理的に説明される。
田園回帰が市場原理的な平準化ならば、その阻害要因は農村の閉鎖性である。住宅や雇用をオープンに得られるようにすることが解決策になる。イデオロギー的な農村回帰論では農村の濃厚な人間関係を美化する傾向があるが、それは逆効果になりかねない。
一方で記事では市場主義的な反都市化の問題点を指摘する。富裕層の地方移住で地方の住宅価格が上がり、元からの住民が住めなくなるという問題である。これは日本では世田谷区の二子玉川など超高層マンション建設で起きている。

2018年6月7日木曜日

風よ、空へ

『風よ、空へ』は傾きかけている大企業のエンジニアが風力発電に取り組む話である。冒頭は退職強要面接から始まる。主人公は早期退職を求められる。同期の多くは既に早期退職した。何ともやりきれない話であるが、主人公より下の就職氷河期世代(ロスジェネ世代)からすると同情一辺倒にはならない。氷河期世代の方がもっと大変という感覚である。個の自由を望みながら、競争を強いられ、プレカリアスな仕事が増えている。
また、本書には80年代のメードインジャパンが世界を席巻した頃の日本のものづくりを取り戻したいという思いが感じられる。これも20世紀末のインターネットブーム後に社会に出たロスジェネ世代にはピンと来ない。デジタル化の遅れた日本は当たり前であり、遅れているとの自覚を最初から持っている。
しかし、話が進むにつれて、80年代的な日本の誇りの要素は薄くなる。自前主義ではなく、海外企業の技術利用を考えるようになる。海外の技術者も繊細なところを持っており、心は同じとの台詞が登場する。
最後は想定外の展開になった。想定外の事態に救われた形であり、それがなければどうなっていたか。

裸足で歩ける場所を作ります。

2018年6月4日月曜日

白竜7巻

白竜7巻は報道問題の続きである。権力者が破滅するという勧善懲悪のカタルシスは楽しめなかった。代わりに家族の人情話が入った。
次の話は剛野理事長が主人公の話である。白竜はチート的な存在であり、剛野理事長の話の方が白竜以上にヤクザ漫画らしい。そのヤクザ的なヤクザである剛野の口からヘッドハンティングという民間企業の言葉が出た。
話の途中で終わっており、続きが気になる。
剛野は最初、理不尽な暴君のキャラクターであり、若頭にも理不尽な振る舞いを重ねて陰で裏切られた。これに対して次の若頭の柳川は剛野への忠誠心が篤く、剛野も柳川の言うことは聞いている。強固な関係である。

2018年6月3日日曜日

信長のシェフ21巻

『信長のシェフ』21巻は上杉謙信との戦いである。史実では織田軍団が脆くも敗れ去っており、どのように本作品が描くのか興味深い。この巻では手取川の戦いまで進まず、続きが気になる。また、主人公の料理で歴史が動く展開が本作品の定番であったが、この巻では信長が史実では考えられないような方針を出しており、それがどのような結果になるか想像つかない。
手取川の戦いの前には柴田勝家と羽柴秀吉の仲間割れが起きた。本作品の勝家は一般に流布されている横柄イメージではない。羽柴秀吉も勝家との感情的対立ではなく、冷静に計算して別行動をとった。

東急不動産消費者契約法違反訴訟を通して東急不動産の対応はどんどん悪くなり、腐っていくばかりでした。

2018年6月1日金曜日

ながい坂

『ながい坂』は山本周五郎の長編時代小説である。贅沢を否定する主人公の美意識は心地よい。単純な料理でも心がこもっていて人を感嘆させる(539頁)。味と価格が比例するという類の浅ましさはない。
贅沢を否定する美学は庭にも表れている。「自然のままの、少しの気取りもない野末のけしき」を以下のように評している。「どんなに費用をかけ、贅をつくして造った庭も、このけしきには遠く及ばない」(下巻12頁)
主人公は家族との関係は駄目だが、社会では有能である。よく「斉家治国平天下」「慈善は家庭から」と言われるが、主人公には該当しない。そのようなパターンもあるだろう。あれもこれもを目指さなくても良い。
御用商人は藩から独占権を得て、莫大な利益を上げている。独占権には業界の庇護者としての責任があるという名目になっている。「ところがしばしば、その「責任」は「権利」に転用され、業者を庇護するより、かれらを支配し、思うままに操縦する、という結果があらわれるようであった」(540頁)。これは現代日本の公共性の論理と重なる点がある。故に規制緩和が改革として求められる。
「臭いものにはなにもかも蓋をしてしまう、蓋をして押えてしまえば、それで万事がおさまると思っているらしい、だがそうはいかない、湯は沸くものだし、沸騰点に達すればどんなに重い蓋でもはねとばすだろう」(山本周五郎『ながい坂(下)』新潮文庫、1971年、24頁)
「怒りと屈辱感で血をわかし、こんな無条理なことが二度と起こらないような合理的な世の中にしてみせると心に誓った」(76頁)

区長の公募制や住民選挙を研究します。
教育委員会の活動をオープンにします。情報公開を進めます。
木を伐らないで残すことは、鳥獣の田畑や市街地への進出を抑えることになります。