2018年11月14日水曜日

たけちゃん、金返せ。

藤山新太郎『たけちゃん、金返せ。浅草松竹演芸場の青春』は浅草演芸場時代のビートたけしの芸人仲間だったマジシャンがビートたけしさんとの交流や自分の半生を振り返った書籍である。ビートたけしはツービートというコンビで浅草演芸場に出演していた。同時代の芸人達にも触れる。昭和の演芸文化を伝える書籍である。
タイトルはビートたけしさんに貸した金が返ってきていないことに由来する。売れる前の芸人の焦燥が描かれている。テレビでは話上手なビートたけしさんも、飲み屋で知らない人の前では話が続かないタイプであった。無頼な芸人の生き方に憧れながらも、コツコツとネタを作る真面目さを持っている。
著者自身の話も面白い。著者は二世芸人であるが、自堕落な父親を見てきたため、覚めており、堅実である。自分の生き残りを考え、ニッチ戦略を採った。伝統芸能の継承者であるが、ステレオタイプな伝統芸能のイメージにある堅苦しさはない。
面白い点は、お笑いコンビに対する一般人の誤解である。仕事以外では相方に気を使わず、別々にいたいと考えている。だからコンビを一緒に飲みに誘ってはならない(63頁)。一緒に遊ばないからと言って、仲が悪い訳ではない。

2018年11月12日月曜日

ギャラリーフェイク5巻

ギャラリーフェイク5巻は公立美術館の話「学芸員物語」が印象に残る。学芸員は真面目に働いているが、館長は学芸員資格を持たず、美術に関心の低い他部署の人間が就いている。業者にリベートを当然のように要求し、縁故で学芸員を採用する。腐敗した公務員である。その分野に意識がなくてもローテーションと称して異動する公務員の人事制度に欠陥がある。ゼネラリストを育成すると言えば聞こえが良いが、肩書きがなければ何もできない人である。
外部から公募するなど公務員に民間感覚を採り入れるべきだろう。勿論、不透明な公募がコネ採用の隠れ蓑になる危険がある。透明性のあるプロセスが必要である。
ギャラリーフェイクという言葉はギャラリーとフェイクを繋げただけであるが、不思議な響きがある。ハンターハンターの念能力の名前に使われたほどである。偽物を扱いながらも、本物への意識は人一倍高い。しかし、今ではフェイクニュースによってフェイクという言葉はミステリアスな雰囲気を失った。

2018年11月11日日曜日

スレイマンの妃

『夢の雫、黄金の鳥籠』はオスマン帝国のスレイマン大帝の妃ヒュッレムを主人公とした歴史漫画である。東欧で育ったが、遊牧民にさらわれ、奴隷として売られ、スレイマンのハーレムに入る。
スレイマンはオスマン帝国最盛期の皇帝である。最盛期ということは、その後は下り坂を意味する。ヒュッレムの介入が宮廷を乱したとされる。
ヨーロッパなどでは悪女として有名な存在である。日本では日野富子に相当するだろうか。日野富子を主人公とした大河ドラマがあった。日野富子を悪女と描かず不人気であったが、本作品も主人公はふてぶてしい悪女ではない。
むしろ、後宮の体制が問題である。主人公は抑圧される側である。主人公が権力を握った後は変わってしまうのか注目である。
オスマン帝国は国際色が豊かである。日本は西欧中心主義に影響され、イスラム世界を後進的と考える風潮があるが、オスマン帝国をもっと再評価しても良いだろう。

レプリカたちの夜

『レプリカたちの夜』は混沌と理不尽の世界を描く小説である。私はカフカの作品を連想した。主人公は動物のレプリカを製造する工場に勤めている。前半は意味不明な工場の指示に振り回される。何のためか説明されない。後半になると世界そのものが崩壊する。
ファンタジー作品として読むならば良いとして、前半の意味不明な仕事内容が現実の労働経験から来ているとしたら、深刻である。大きな組織の歯車であったとしても、自分の仕事が組織にどのように寄与しているか私は理解して働いているつもりである。それがなくなれば労働は苦痛になる。これが日本の労働の多くの現実ならば、うつ病や過労死が多いことも納得である。トップがビジョンやミッションを共有せずに生産性が上がるとは思えないが、だから昭和的な体質の日本組織は低迷するのだろう。上の顔色をうかがうソンタクばかりの公務員組織は、本書のような感覚かもしれない。
電話が信用できなくなっている。「電話なんてなんの意味があるのだろう。ただの音声。ただの合成シミュレーション」(231頁)。電話よりもメールを優れたコミュニケーション手段と考えている人々は自分の要求を一方的に押し付けたいだけではないか。

2018年11月10日土曜日

サンクチュアリ

史村翔原作、池上遼一作画『サンクチュアリ』(小学館)はヤクザと政治家が日本を変えようとする劇画である。少年時代にポル・ポト政権下のカンボジアで地獄の体験をした北条彰と浅見千秋を主人公とする。
ヤクザの世界も政治の世界も上が下を駒とし、下を搾取している。あの手この手で出る杭を打とうとする老害には腹が立つ。それを潰していく主人公達には拍手喝采したくなる。ヤクザの世界は順調に老害を排除し、痛快である。HEATのような勢いがある。
これに対して政治の世界は一筋縄ではいかない。浅見は保護行政の転換を唱え、労働市場の外国人労働者への解放を主張する。これは現代でもタイムリーな話題である。逆に言えば21世紀に先送りされた問題である。トランプ大統領が誕生するなど日本だけでなく、世界でも外国人労働者から国内労働市場を守ろうという動きがあるが、無能公務員体質やパワハラ体質の日本人と働くよりは外国人と働いた方が良い。

2018年11月9日金曜日

ときめきトゥナイト3巻

池野恋・ときめきトゥナイト3巻(集英社)は江藤蘭世と神谷曜子が友情を育むという驚きの展開である。昨日の敵は今日の友、強敵と書いて友と読むという少年漫画にも通じる展開である。
正直なところ、少年漫画の昨日の敵は今日の友展開には食傷気味である。深刻なイジメ問題を抱える現代の子ども達に支持されるとは思えない。鬼畜と罵った敵国を戦争が終わったら同盟国と呼ぶような非歴史的な日本人好みの展開である。それでも、散々いがみ合った江藤蘭世と神谷曜子の友情は新鮮である。安直な昨日の敵は今日の友展開の少年漫画は本作品に学ぼう。
序盤は王子の卑怯な手口の続きである。見ていられないというサンドと同じ気持ちになる。真壁に誤解されることは、恋愛を進める上で不利益になる。これを取り戻すことは大変である。このような実害を考えない身勝手な王子に腹が立つ。
江藤蘭世は黒髪であるが、コミックスの表紙では金髪になっている。

2018年11月7日水曜日

ときめきトゥナイト2巻

ときめきトゥナイト2巻。前巻のラストで主人公が母親に噛まれてしまう。その結果、変な体質ができてしまった。それでドタバタギャグが加速する。
神谷曜子は現実に置き換えると非道なこともしているが、漫画では憎めない。主人公も黒髪のおしとやかそうな外見ながら、結構アグレッシブである。
後に第三部で曜子の娘が登場した。第一部の曜子のような雰囲気で、読者から「これぞ、ときめきトゥナイト」との反応があったという。第一部から愛読されている作品である。
新たに魔界の王子が登場し、恋愛模様が複雑になる。典型的なボンボンキャラである。読者からすると、お呼びではない。この巻の最後は卑怯な手段を使う。
真壁は少女漫画読者にとって人気上位の王子様である。それが不良キャラである点は時代を感じる。一方で真壁は群れない点で半グレやヤンキーとは大違いである。ヤンキーが恥ずかしい風俗になった現代人感覚でも真壁のカッコ良さを認めることができる。

2018年11月6日火曜日

ワンピース5巻

ワンピース5巻はウソップの話が終わり、サンジが登場する。シロップ村でのクロネコ海賊団との対決に決着がつく。
サブタイトルは「誰が為に鐘は鳴る」。名作の題名のタイトル使用は『極楽大作戦』を連想する。最近ではNHK大河ドラマ『おんな城主直虎』がある。
クロは平穏を求めて悪事を働く。かつて悪役の動機は世界制服がバトル漫画のステレオタイプであった。荒木飛呂彦『ジョジョの奇妙な冒険』の吉良吉影が新たな悪役像を示した。内部にしか通用しないルールを守るだけの無能公務員が社会悪になった時代を反映している。
麦わらの一味はゴーイングメリー号を得て、航海らしくなった。コックの必要性が語られる。コックを仲間にするために自然な導入部である。
しかし、ルフィは音楽家が欲しいと言う。この願望は、かなり後になって叶えられる。長い物語である。
ナミは海賊の手配書を見て恐ろしい顔をする。これは後の話に関係する。

HSCの子育てハッピーアドバイス

明橋大二著、太田知子イラスト『HSCの子育てハッピーアドバイス』(1万年堂出版)は人一倍敏感な子ども(HSC)の育て方をアドバイスする書籍である。漫画やイラストが多く読みやすい。
HSCは5人に一人いる。一言で言えば慎重派であり、そのために集団生活では行動が遅いと見られる場合もある。慎重派と大胆派がいることは種の生存戦略として都合が良いからである(64頁)。現在の民間企業ではダイバーシティが競争力になると考えられている。同調圧力で均質さを求める昭和の日本的集団主義は、競争力を喪失する。
本書は、敏感で慎重な人は科学者などの職に就いてきたと述べる(65頁)。しかし、HSCは、この職に向いているというよりも、全ての職種にHSCの人が必要だろう。それが硬直性を壊すことになる。公務員組織に民間感覚が必要と言われるが、体育会営業を入れたい訳ではなく、様々な利用者視点で考えられる人が求められる。
本書はHSCの子に特化してアドバイスしているが、その子どもの側に立った接し方は非HSCの子に対しても有益に感じた。
昭和的な集団主義への疑問はHSCか否かに関わらず抱けるものである。「またまだこの社会は、人と同じことが求められ、違っていると、わがままとか、親の育て方がおかしいとか言われかねない世の中です」(215頁)。
HSCと言っても多様であり、あまりHSCか否かで子育ての方針を分ける意味は感じなかった。

2018年11月5日月曜日

ワンピース4巻

ワンピース4巻はウソップの話の続きである。イソップ童話の狼少年を下敷きにした話である。
クロの陰謀が動き出すが、村人に話しても信じてもらえないウソップは辛い。それでも、一人で村を守ろうとするウソップは立派である。その思いを認めてルフィ達もクロネコ海賊団と戦う。既に仲間である。その後のストーリーの中ではウソップが存在する意味があるか、ギャグ要員かと思うところもあったが、このような熱い話が原点にあった。
ウソップは村を守るために準備するが、役に立たなかった。これは最初からルフィやゾロを戦わせないために作った設定だろう。ゾロが刀を奪われたり、ルフィが眠ったりと主人公側がハンディを持つことで、ワンサイドゲームにならないバトルが成立する。映画『ドラえもん』でドラえもんがポケットを使えなくなる設定に重なる。実力以上の敵キャラクターを根性で倒す昭和的な根性論作品の逆である。
ルフィは催眠術に弱い。これは海軍に採用されたら、強力な手段になるのではないか。それとも覇気を身につけた後は、跳ね返せるようになるのだろうか。
ナミは逃げ腰であるが、ウソップがやられそうになると棒で戦う。

2018年11月4日日曜日

繋がれた明日

神保裕一『繋がれた明日』(朝日文庫)は殺人を犯した者を主人公としたサスペンスである。さいたま市立桜図書館で借りた。
様々な社会の矛盾に直面するが、やはり警察の人権侵害が最大の矛盾である。主人公が怒ることは多いが、怒りの優先順位をつけるならば警察権力とならないか。
「顔の前で怒鳴っていた警官はもう姿が見えなかった。大声で正義を振りかざしておきながら、立場が悪くなると姿を隠す」(209頁)
「法律では黙秘権が正当な権利として認められていながら、彼らは生意気なやつだと怒りをむき出しにして怒鳴った。金槌でたたき続ければ、固く口を閉ざした貝だろうとこじ開けられると信じるかのように」(229頁)。
主人公は人を殺したが、主人公にも言い分がある。相手は女性に言い寄っており、それを止めさせることが目的であった。相手から先に手を出してきた。しかし、警察は主人公の主張をほとんど無視した。
主人公のような事情がある場合に、現実世界の世論は主人公に厳しくなるだろうか。住宅地でバーベキューをした人が殺された事件があったが、ネット世論はバーベキュー公害に苦しむ犯人に同情的であった。
一方で主人公は半グレ・ヤンキー的な生活をしていた。この点で、あまり同情しにくい。そこからの脱却は良いことである。
本書は被害者遺族の置かれた悲惨な状況が描かれる。焼け野原から経済大国にしてしまう前に進むことしかできない姿勢を美徳とするような風潮は苦しめるだけである。日本は被害者の権利が認識されるようになったと言っても、被害者に道徳的な高次の振る舞いを要求する傾向はある。

2018年11月2日金曜日

ワンピース3巻

尾田栄一郎・ワンピース3巻は道化のバギーとの対決の続きである。サブタイトルは「偽れぬもの」。ナミの優れた航海術と、偉大なる航路の海図を手に入れるため、バギーと対決する。
バギーは破壊力のある大砲を持っている。自分の力だけではなく、道具を使う。アクション漫画には自分の力が全てという傾向があるが、バギーは現実社会の感覚に近い。自分の力だけに頼らない点は、後の海賊派遣組織バギーズデリバリーとも重なる。
後半はウソップが登場する。バギーは、あからさまな侵略者であった。これに対してクロは騙す存在である。マンションだまし売り被害者としては、こちらの方が許せない(林田力『東急不動産だまし売り裁判こうして勝った』ロゴス社)。

ワンピース2巻

ワンピース2巻は道化のバギーの一味との対決である。人が大切にしているものをあっさりと奪い、壊す海賊への怒りが共感できる。これは現実社会の半グレ・ヤンキー、貧困ビジネス、危険ドラッグ売人などと重ね合わせることができる。卑劣な行為を許せないという感情が高ぶる。
ナミは海賊を激しく憎んでいる。後の話を読むとナミの憎しみが良く理解できる。
バギーは後の話ではユーモラスな存在に成り下がったが、ここでは非道極まりない悪役である。

懐石道具は訴状に添付されている。
遺産を占有している人物が聞かれていないからという理由で遺産を出さないことが不誠実であり、権利濫用を裏付ける事実である。相続人は相続財産を出す義務がある。隠匿してはならない。皆のものを預かっている立場である。
二重訴訟の禁止を言わなくなった。
直線の方がゆるやかである。踊り場があることは休める。
教室運営の視点しか書かれていないが、茶道は道である。教室運営の視点でしか説明できない点が茶道への無理解を示している。
経済的に苦しかったから、妻の実家に住んでいたのではないか。

2018年11月1日木曜日

プラザウエスト多目的ホール

さいたま市桜区道場のプラザウエスト多目的ホールは二階にあります。桜区役所の反射光が入ってきて眩しくなり、カーテンを閉めることが多いです。デフォルトは机と椅子が並べられていますが、立食パーティーにも使われます。給湯スペースにはレストランから食事を運ぶエレベーターがあります。

数字で押さえることが大切です。参加を強要するような日本の集団主義的圧力は問題です。

図書館はニーズの高い公共施設です。人気のある施設です。開館時間のニーズがあります。
様々な図書館のあり方があります。絵画を喫茶店に貸し出す図書館があります。商業施設と同居する図書館があります。但し、商業施設の床は高いです。
読書は健康寿命にも効果的です。頭を使うこと、手を使うこと、息をすることが健康につながるとされます。

2018年10月31日水曜日

さいたま市議会議員は何者

さいたま市議会議員は何者でしょうか。市議会議員は、さいたま市政のチェック役です。税金の無駄遣いはないかチェックする役回りです。多くの有権者にとって市議会議員を選ぶ根拠は地域です。
役所の出す文書は不親切なものが多いです。決算書だけを読んでも分かりません。印刷製本費とあっても、何を印刷したかは分かりません。単価も分かりません。
事務事業評価シートを作りましょう。前年度と比較するだけでも色々なことが見えてきます。大きく数字が変わるものには何か理由があるでしょう。事務事業評価シートは目標と達成度合いが分かります。特に公共施設は調べる価値があります。
お祭りに顔を出すことが地域のことを考えている訳ではありません。会合に遅刻して早く帰ることは、実は悪く言われます。はしごをまめと評価する人は意外と少ないです。

2018年10月30日火曜日

ガンダムビルドファイターズの利点

『ガンダムビルドファイターズ』。ガンプラバトルは一対一の対決になる点で、戦争よりも描きやすい。地球連邦のような腐敗した組織のために戦う矛盾を描かなくて済む。戦車の戦いを競技にしたガルパンと通じるものがある。
また、戦争は物量の側面がある。主人公を際立たせようとするならば、また、戦争に影響を与えるようにするならば一機で何機も撃墜する無双を描くことになる。あまりにこれが露骨になると非現実的になる。現実に『機動戦士ガンダムSEEDディスティニー』では、あまりの無双ぶりを揶揄する声があった。
ガンプラバトルは部隊の指揮を描かず、個人の活躍を描くことに特化できるメリットがある。戦争は部隊を動かすものであるが、ガンダム世界ではモビルスーツ隊の指揮官クラスも個人の戦いに没頭し、指揮官らしいことをあまりしていない。典型はシャア・アズナブルである。部隊の損耗率は異様に高いが、本人だけは生き残る指揮官としてはブラックである。ガルパンでさえ、もっと指揮している。ガンダムは個人の戦いが華である。ガンプラバトルは、それを中心に描くことができる巧みな設定である。

ガンダムビルドファイターズ

『ガンダムビルドファイターズ』はガンダムのプラモデルで対決するアニメである。機動戦士ガンダムシリーズの作品であるが、戦争を描かず、子ども達がガンダムのプラモデルを操作して対決する点が異色である。ガンプラバトルは競技である。物理的なプラモデルを動かすことは架空の技術がなければできないが、全てを電子データとすれば、eスポーツで実現可能である。
競技のために、勝つために手段を選ばない卑怯者は作品の価値観で否定される。楽しむ競技という価値観である。精神論根性論の支配する昭和的な日本のスポーツのアンチテーゼになる。
敵のボスは世界や人類をどうこうするという壮大な思想を持っていない。利権の維持を企む卑称な人物である。無能公務員のような存在が社会悪に映る現代日本を反映している。
往年のガンダムファンからすると低年齢の子ども向け作品と言いたくなるかもしれない。プラモデルを販売したいスポンサーの下心が露骨な作品と言いたくなるかもしれない。しかし、ガンダム作品の行き着く先として意味がある。
過去のガンダム作品のように戦争を描くとなると主人公は何らかの軍に所属することになる。そこの現実感を追求すると、組織人となり、子ども達が憧れるヒーローとは離れた姿になる。特に宇宙世紀ガンダム作品は主人公が地球連邦という腐敗した組織のために戦うものが多かった。

2018年10月29日月曜日

悪意の夜

『悪意の夜』は1955年発表のアメリカのミステリー小説である。名探偵ウィリング博士シリーズの一冊である。日本で最後に翻訳された書籍になる。
ウィリング博士が探偵役である。独特の存在感を醸し出している。真相究明のために重要な謎を解く。但し、一般の探偵小説の探偵役のような華々しい活躍はない。前半は全く登場しない。事件の謎解きの大半は手紙が明らかにする。正統派の探偵物と比べてキャラが立ちにくい役であるが、それでも印象に残る。作家の筆力のなせる技である。
英米のミステリーを読んで感心することは被疑者被告人の人権についての意識の高さである。親子の会話でも「この国の法律には有罪が立証されるまでは無罪と見なすという大原則がある」という台詞が出てくる(60頁)。本書は半世紀前の話であるが、現代日本よりも進んでいる。当時のアメリカには赤狩りがあり、決して人権保障の理想郷ではないが、何気ない会話に日本との差を感じる。
本書ではアメリカとメキシコの国境が取り上げられる。中南米はアメリカの裏庭と称されるが、それでも国境管理には緊張がある。

2018年10月28日日曜日

何者

江戸川乱歩「何者」は短編推理小説である。宴の興も醒めやらぬ夏の宵、陸軍少将邸に時ならぬ銃声が轟く。惣領息子が被弾し、書斎が荒らされた。
江戸川乱歩は日本を代表する推理作家である。『名探偵コナン』で工藤新一が咄嗟に江戸川コナンと名乗ったほどである。コナンはシャーロック・ホームズを生んだコナン・ドイルである。コナン・ドイルと並ぶ存在になっている。
しかし、江戸川乱歩の作品は純粋な推理小説というよりも、ダークファンタジーやホラー色が強い。その中で本作品は純粋な推理小説の雰囲気を出している。但し、推理小説のお約束は裏切られる。意外な結末が待っている。
日本の警察は思い込みの捜査で誤認逮捕や冤罪を産み出すと批判される。刑事本人の思い込みで突っ走るケースもあれば、一方当事者の主張を鵜呑みするケースもある。被害者と加害者が逆転してしまうこともある。本書から、そのような怖さを感じた。

林田力は何者

林田力は何者か。さいたま市桜区をもっと楽しく面白くします。マンションだまし売り被害者として、だまし売りのない世界を目指します。
自由を大切にします。人には外部からの押し付けに反抗する性質があります。電子さえも量子力学の世界では機械的な物理法則に従っていません。
お役所的な礼儀や慣習を民間感覚から改革します。自分の右手に自分の左手が何をやっているか気づかせまいとする公務員の世界を改めます。市民に対する容赦ない冷酷さや嘲笑を改善します。公務員的対応ほど気の滅入るものはありません。計略や対抗策、憎しみや恐怖が赤裸々に渦巻いています。
危険ドラッグ販売に注意換気します。薬物依存は自暴自棄の最たるものです。

2018年10月26日金曜日

さいたま市議会ブルジョア発言

さいたま市議会でまた問題発言がありました。吉田一郎市議会議員が「ブルジョア障害者」と発言しました。この発言は障害者を侮蔑するように聞こえます。障害者にも高額所得者がいるとの文脈での発言でしたが、本人も品がない発言だったと反省しています。
私は飛び地のウェブサイトは好きで読んでいました。このサイトはジオシティーにあります。ジオシティーはサービス終了が発表されましたが、別の場所に移行して欲しいくらいです。
吉田市議は過去に「首つって死ね」との問題発言がなされました。自殺をなくすことが社会課題になる中で問題発言です。一方で、これは好意的に見れば、実のない公務員答弁に腹を立てたという同情の余地が皆無ではないと言えます。
吉田市議は北区選出です。さいたま市北区は前回の市議会議員選挙では北区は無投票でした。流石に次回は無風ではなくなるのではないかと思います。

2018年10月23日火曜日

のぼうの城

和田竜『のぼうの城』は忍城攻めを描く歴史小説である。野村萬斎主演で映画化された。
長束正家が腹立たしい。現代日本の高慢な小役人と同じである。現代日本の高慢な小役人は往々にして納期意識に欠けた無能公務員でもあり、それ故に民間感覚による行政改革が期待される。ところが、本書の長束正家は土手作りでは有能であり、後の五奉行として重用される要素はある。
豊臣政権における加藤清正や福島正則と石田三成の対立は有名であるが、武人ならば、むしろ長束正家のような性格の方が許せないと感じるのではないか。田中芳樹『銀河英雄伝説』でミッターマイヤーがオーベルシュタインは兎も角、卑称な小役人タイプのラングだけは除かなければならないと感じたように。それとも石高の少ない長束正家は大名にとって脅威ではなかったのか。
本書はリーダーのあり方について考えさせられる。忍城は城代が、でくのぼうのような人物であるから、侍大将が能力を発揮した。官僚的な管理主義は組織をダメにする。日本大学で問題になったボス支配も組織をダメにする。結束して皆で頑張る話であるが、特殊日本的集団主義を正当化するものではない。

御家人斬九郎

柴田錬三郎『御家人斬九郎』(新潮文庫、1984年)は江戸時代後期の貧乏御家人が表沙汰にできない罪人の介錯を副業とする時代小説である。著者は三田文学出身であり、慶應義塾大学卒の私には親近感がある。武士の物語であるが、江戸城にもほとんど行ったことのない下級武士であり、忠義や立身出世という要素はない。公務員臭さはない。民間感覚を大事にした慶應義塾大学の学風を感じさせる。
反骨精神は前老中が出す料理にも発揮される。第四話「柳生但馬守に見せてやりてえ」では小粒な高級料理をこき下ろす。「料亭の名だけで、もったいめかした、子猫の餌ほどの小鯛二尾、それも一向に味らしい味もせぬ」(40頁)。高い値段の料理を高い値段ということでありがたがる愚かさはない。価格と品質が比例するという浅ましい拝金主義ではなく、健全な消費者感覚がある。
本書は一話完結のオムニバス形式である。この一話一話が非常に短い。想像力を働かされる。文字数や原稿用紙の枚数が報酬の単位となる作家としては贅沢な作品である。

2018年10月21日日曜日

キン肉マン

ゆでたまご『キン肉マン』は超人達によるバトル漫画である。週刊少年ジャンプ黄金期の前期を彩る作品である。
キン肉マン消しゴム(略してキンケシ)は私の小学生の頃に流行った。高学年になるとSDガンダムのガンケシに移行した。消しゴムと言っても塩ビである。
この『キン肉マン』の第1巻は、その後のストーリーとは様相が異なる。キン肉マンは宇宙怪獣から日本を守るウルトラマンらの同業者である。そのヒーロー中では落ちこぼれの存在であった。
キン肉マンは赤ん坊の頃に親に豚と間違えられて捨てられるという悲惨な過去がある。心に傷を負いそうな話であるが、ギャグテイストで語られる。80年代的な無神経さである。現代の作品ならば、もっと心理的葛藤を描くだろう。貴種の生まれながら孤独な生い立ちの主人公を描いた作品に『ナルト』がある。ナルトは前向きな主人公であるが、孤独の描写は深い。心理描写の深まりは21世紀のエンタメ作品の進歩だろう。

こうして店は潰れた

小林久『こうして店は潰れた 地域土着スーパー「やまと」の教訓』(商業界、2018年)は山梨県の老舗スーパーの三代目社長が経営改善や破産を描くノンフィクションである。このスーパーやまとはマイバッグ無料配布や貧困家庭への食料品支援、障がい者雇用など社会的な活動を色々としている。
そのために経済合理性優先を批判し、古きよき昭和を懐かしむトーンかと先入観を持ってしまったが、誤りである。逆に社長になってからは癒着や馴れ合いのあった取引先や従業員を切り、赤字店舗を閉鎖するなど経営改善を進めた。テレビドラマなどではリストラを進める側が悪玉で主人公サイドは人情で対抗しがちであるが、本書では著者の経営によって公正で公平な職場環境を実現し、従業員のモチベーションも上がった。合理的な経営を進めることと不合理を許さず、社会活動を行うことは同じ方向にある。今の日本の問題は日本大学や相撲協会のような不合理なドン支配だろう。
著者は癖のある人も含めて多くの人を雇ってきたが、採用時に必ず「変な薬とかやってませんよね」と質問するという(86頁以下)。依存性薬物は人間を蝕むものである。
社会的活動をする中では行政とのやり取りが発生する。責任を回避する行政の体質にはうんざりさせられる。ごみ袋有料化では甲府市がレジ袋のゴミ出しを禁止して指定ゴミ袋の販売を開始したとする(79頁)。消費者に負担とコストを押し付ける環境対策である。
やまとは安くてボリュームのあるコスパの高い弁当を販売した。著者は「これを食べるべきだ」と売る側が強いることを嫌い、腹いっぱいになる幸せを共有することを目指す(123頁)。価格と品質が比例するという浅ましい拝金主義とは異なる健全な商人精神がある。
やまとはプロサッカーチームのヴァンフォーレ甲府応援企画として対戦相手の本拠地の特産品を使ったドンブリを販売した。私の地元の浦和レッズと対戦する場合が気になるが、「浦和ならキムチで赤くすれば格好はつく」とする(129頁)。浦和の料理の認知が低いことを再確認した。実は市民団体oneさいたまの会のアンケートでも「さいたまは食文化で有名なものがないような気がする」と指摘された。
著者は山梨県の教育委員に就任した。そこでは委員報酬を削減したり、委員会の傍聴席を増やしたりした。教育委員会は教育の政治的中立性を確保するために独立性の高い機関になっている。その目的は正しいが、独立性を逆手にとって、主権者住民の目の届かない事務局官僚の牙城となってしまいがちである。お手盛りの報酬や密室の決定になりがちである。報酬を民間感覚に近づけることや情報公開は立派な教育委員会改革になる。

ドラえもん魔法事典

『ドラえもん』37巻には「魔法事典」が収録されている。
のび太は魔法少女のアニメに夢中になる。ジャイアンやスネ夫からは女の子の観る番組と馬鹿にされるが、自分が面白いものを面白いと感じる、のび太は立派である。セーラームーンやプリキュアの普及した現代から見れば、のび太は先進的である。
ジャイアンやスネ夫にいじめられた、のび太は魔法を使いたがる。ドラえもんは「魔法事典」を出す。そこには何も書かれていないが、自分で好きなように書き込むと、それが魔法になる。この魔法事典があれば、映画『のび太の魔界大冒険』で、もしもボックスを使って魔法が使える世界にする必要はなかった。もしもボックスで魔法が使える世界にしても、魔法は訓練や高価な道具がなければ使えなかった。しかも人間界を滅ぼそうとする魔界まで作られてしまった。魔法事典ならば、これらの問題は起きない。
一方で、のび太は魔法事典を使っても失敗する。魔法が使えればうまくいくとならないところは、魔界大冒険と共通するコンセプトである。
この魔法事典はアニメで放送された。

2018年10月20日土曜日

ダイの大冒険3

堀井雄二監修、三条陸原作、稲田浩司作画『ダイの大冒険』3巻(集英社)はパプニカで不死騎団を率いるヒュンケルと対決する。一方でハドラーは軍団長を召集し、魔王軍の六軍団長が全て登場する。
六軍団は百獣魔団、妖魔士団、不死騎団、氷炎魔団、魔影軍団、超竜軍団である。この六軍団は連載当時はモンスターを組織化する仕組みとして新しさを感じた。しかし、改めて読むと、同種のモンスターばかりを集めた組織は役所の縦割り組織と同じ弱さがある。同質性の高い組織は危機に弱い。
勇者のパーティーのように、攻撃力の高いモンスターや攻撃魔法に長けたモンスター、回復魔法に長けたモンスターなど異なる特性を持ったモンスターでチームを組む方が強力だろう。多様性が強みになる。『ナルト』で綱手が医療忍者を小隊に加えたことは画期的であった。
パーティーはドラゴンクエスト3から登場した仕組みである。皆が同じことをするのではなく、異なる職種がチームを組んで効果を発揮させる。前世紀の頃から、このような仕組みを考えていたとはドラゴンクエストは先進的なゲームである。

ダイの大冒険2

堀井雄二監修、三条陸原作、稲田浩司作画『ダイの大冒険』2巻(集英社)は獣王クロコダインとの戦いが中心である。クロコダインは一度目ダイ達に敗れ、二度目はザボエラに唆されて卑怯な手段をとる。後にヒュンケルがザボエラの口車に乗ったから負けたと述べた通り、これが失敗だった。卑怯な手段をとる必要はない。一度目の戦いは敗れたが、朝日が目に入ったという不運があった。実力で敗れたとは思わないだろう。必殺技の獣王痛恨撃も出していない。実力でリベンジできると考える方が自然ではないか。ザボエラの詐欺師トーク力が高かったのではないか。
この巻ではマアムが登場する。マアムはヒロイン的な存在であるが、改めて読むとヒロインらしくない。ジェンダーを飛び越えた作品である。逆に『るろうに剣心』の神谷薫は連載当時に思っていた以上に恋する乙女になっていた。

2018年10月19日金曜日

ダイの大冒険

堀井雄二監修、三条陸原作、稲田浩司作画『ダイの大冒険』(集英社)は人気ゲーム『ドラゴンクエスト』を基にした漫画である。週刊少年ジャンプ黄金期を支えた作品の一つである。アバンストラッシュは少年時代に真似したくなる必殺技であった。
ドラゴンクエストに基づきながら独自の世界観を持っている。連載前の読み切り作品では、モンスターは平和に暮らしており、人間が悪者になっている。魔王軍との闘いになる連載後も、魔王軍が六大軍団に組織化されているところは当時としては新しかった。
ダイの師のアバンの不真面目そうなキャラクターは面白い。真面目に努力して這い上がる少年漫画のステレオタイプは後の時代に批判され、克服の対象になったが、黄金期の作品も真面目一辺倒ではなかった。鳥山明『ドラゴンボール』の亀仙人もそうである。努力と根性一辺倒でない点があることが支持され、黄金時代を作った要因であろう。
本作品はキャラクターが予想外の成長を遂げた。ポップが頼りになるキャラクターになり、ハドラーが主人公と心を通わせる強敵になった。冒頭からは考えられない展開になった。

2018年10月18日木曜日

新自由主義

ハイエクを読まれるとのこと素晴らしいです。
議論が根源的なところに言ってしまいましたが、そもそもの論点は新自由主義が正しいか否かではありません。SDGSや自殺0に取り組むことが新自由主義から外れるような指摘に対して違和感を覚えました。もし新自由主義が福祉的な主張を一切しないと位置付けられているならば、あまりに偏狭と思います。福祉を否定しているのではなく、中央集権的な画一的配分による個々のニーズの無視や無能公務員による非効率や無駄、利用者と非利用者の不平等などを問題視しています。福祉制度も需要と供給を考慮し、モラルハザードやフリーライダーを回避する仕組みを考えます。
このため、新自由主義の認識を改められた方が良いと思いますが、逆にSDGSや自殺0の取り組みを新自由主義からの転進と評されるならば、その中の新自由主義的要素はどのように評価されるのでしょうか?逆に新自由主義的な要素があっても、新自由主義と打ち出さなければOKということになりますでしょうか?

防御力を落として素早さを上げるという主張は一つの考え方です。しかし、航空参謀は、そのような立場から防御力向上を却下した訳ではありません。努力と根性で何とかしろと個人に負担を押し付けました。その点を本書は指摘しています。その点が醜悪な特殊日本的精神主義に陥っていると私は評しています。

2018年10月16日火曜日

銀河英雄伝説11

田中芳樹原作、藤崎竜漫画『銀河英雄伝説11』(集英社)はリップシュタット戦役が描かれる。キフォイザー会戦がほぼ決着する。正義派諸侯軍の総司令官はメルカッツである。メルカッツが総司令官になった背景が分かりにくい。はしょりすぎている。メルカッツは後にヤンファミリーになる重要キャラクターである。本作品の扱いには不満がある。
ヒルダがラインハルトに味方する意思を表明する。この会見の場所は異なるが、やり取りは石黒版アニメ通りである。ヒルダにはアンネローゼへの友情とキルヒアイスへの強い恩義がある点が本作品の特徴であるが、ここでは違いが見えない。初登場時に人の気持ちが分かる優しさがヒルダの特徴と説明されていたが、ここでは知謀を示している。ラインハルトに味方する貴族の扱いについては石黒版アニメ以上に冷酷な発言をしている。新たなヒルダ像を描くのか、原作をなぞるのか。
貴族の私兵艦隊の軍艦は装飾が派手である。古代中国の軍船を連想した。銀河英雄伝説は三国志を出発点としているとされるが、意外なところで古代中国風になった。
オフレッサーは野蛮人である。薬物使用者の危なさも出ている。ラインハルトは、シュトライトのように敵対者でも才能がある人を認めていたが、オフレッサーは最初から除外していた。
ザビーネ・フォン・リッテンハイムはラインハルトを苦しめる強敵になるかと思われたが、門閥貴族のゲスの思考に染まっている存在であった。ベーネミュンデ侯爵夫人のように初登場時は大物っぽく登場したが、その後は尻すぼみになるか。
本作品ではキルヒアイスがムキムキのキャラクターに描かれている。私は違和感を抱いていたが、この巻の農作業の手伝いのエピソードには合っている。

2018年10月15日月曜日

古見さんはコミュ症です。3

『古見さんはコミュ症です。3』はプールや夏祭りなど古見さんが同級生と経験する話が中心である。高校生活は夏休みに入った。
古見さんは極度のコミュ症美少女である。周囲からは綺麗だけど近寄りがたい人と思われがちである。コミュ症でいっぱいいっぱいになっている時の古見さんのデフォルメされた絵が可愛い。目が大きくなっている。
察し上手な只野くんと友達になり、少しずつ友達ができた。個性的な友達と夏休みを遊ぶ。只野くんは古見さんがコミュ症であることを分かっており、普通のやり取りでは新鮮味がなくなっている。プールや夏祭りという非日常的な経験を描くことにで新鮮な驚きが生じさせた。
第1巻のリア充グループはうざかったが、すっかり古見さんを中心とした世界に組み込まれてしまった。
古見さんの家族の話もある。あの母親から娘がコミュ症になることは想像しにくかったが、父親譲りであった。
古見さんのようなコミュ症のキャラクターには、田中芳樹『銀河英雄伝説』の沈黙提督アイゼナッハがいる。コミュ症という概念のない時代にアイゼナッハのようなキャラクターを登場させた『銀河英雄伝説』は深い作品である。

古見さんはコミュ症です。2

『古見さんはコミュ症です。2』。コミュ症を取り上げた点で画期的な漫画であるが、第2巻は古見さん自身の話よりも奇人変人図鑑のようになった。奇人変人が集まる「異端」高校という設定のために作者の予定通りの展開だろうが、コミュ症ということで注目した向きにはあまり面白くない。早くも第2巻でネタ切れかと思ってしまう向きもあるだろう。
奇人変人とのやり取りよりも、後半の美容室の話のように普通の人が古見さんのコミュ症を知らずに驚いてしまうパターンが笑えた。それは第1巻では只野くんの役割であったが、只野くんは既に古見さんがコミュ症であることを知っているので、新鮮な驚きにならない。
古見さんは話すことは苦手であるが、意志疎通はできる。たとえば「ありがとう」と言いたい時に「ありがとう」と言いたいという気持ちはあるが、声に出ないだけである。むしろメールやラインならば普通にコミュニケーションできるだろう。コールセンターに勤めることはできないが、メールやチャット回答のサポートセンターならば有能だろう。『スケットダンス』のスイッチのように音声を出すコンピューターを使えば会話も普通にできるだろう。
もっと深刻なコミュ症は「ありがとう」と言いたいという思いが出てこないことである。対人関係だけ人とはテンポが異なる人もいる。

2018年10月14日日曜日

三度目の殺人

『三度目の殺人』は映画である。ミステリー風であるが、日本の司法制度の問題や限界を描くことに重きを置いている。裁判官は判決の数をこなすことばかりを考えている。真実の追求を軽視する日本の司法の現実が描かれる。
被告人役の役所広司と弁護士役の福山雅治の頭脳戦が展開される。検察官役はシンゴジラやアンナチュラルに出た市川実日子である。シンゴジラと本作品では感情を出さない女優になるが、アンナチュラルでは人間味があった。
福山雅治の弁護士は被告人の言葉を鵜呑みにせず、自分で調査する。自白偏重の日本の警察や検察と対照的である。
一方で真実よりも依頼人の利益を重視する割り切ったところがある。ドラマ『刑事専門弁護士』の深山弁護士は真実を追求することで冤罪から守った。改めて凄い存在と感じた。
器と言えば、機動戦士ガンダムUCのフルフロンタルを連想する。人間の心理描写でアニメが実写映画の先を行く。

2018年10月13日土曜日

しょてんじんのはんせい

『しょてんじんのはんせい』は本の魅力を語る書籍である。著者は埼玉県浦和市(現さいたま市)で生まれ、埼玉県に住み続けている書店人である。
本書はエンターテイメントとしての読書を語る。難しい本を読めという話ではない。映画やビートルズ、プロレスの蘊蓄を語っており、文字通りエンターテイメントである。むしろ読書というよりも昭和の戦後文化を語っているように感じられた。
本書は現代人がスマホばかりで読書しなくなったことに問題意識を持っている。しかし、本書の述べるようなエンターテイメントならば、スマホと両立する。スマホで電子書籍を読むことができるし、「小説家になろう」などの投稿サイトで小説を読むこともできる。アニメがゲームもラノベを読むきっかけになる。さらにfateのゲーマーがアーサー王の伝承やクーフーリンのケルト神話を読んでみようという気になるかもしれない。
戦後のエンターテイメントとは異なるが、今の世代は今の世代のエンターテイメントを享受している。著者が自分の経験した文化を語ることは当然であるが、他の世代には他の世代の文化があり、読書がある。
一方で人とダベっていないと気が済まない、一人で楽しめないヤンキー的な習俗は読書と縁遠い。読書離れの要因はスマホとは別のところにあるのではないか。
本書には社会的な主張もある。役人の意識の低さが複数箇所で指摘される。

2018年10月12日金曜日

銀河英雄伝説10

田中芳樹原作、藤崎竜漫画『銀河英雄伝説10』はアムリッツア会戦から、皇帝崩御、リップシュタット盟約が描かれる。新皇帝エルウィン・ヨーゼフ2世の危なさに驚かされる。これの亡命を受け入れ、亡命政権を樹立させたトリューニヒトへの嫌悪が深まる仕掛けである。原作ではヤンがトリューニヒトを過剰に嫌っていたようにも見えたが、ヤンの嫌悪感に共感しやすくなる。
ラインハルトは最初から新皇帝の擁立に関わっていない。後からリヒテンラーデ侯爵と手を組んだ。この方が新皇帝切り捨ての道義的責任は軽くなる。
ブラウンシュバイクの娘エリザベートやリッテンハイムの娘ザビーネは原作や石黒版アニメではほとんど描かれなかったが、本作品ではキャラクターが描かれる。活躍が描かれるか注目である。
一方で華々しく登場したベーネミュンデ夫人は出番がないまま皇帝崩御まで生存していた。キルヒアイスが屋敷の使用人に警護できる人材を配置した上にマリーンドルフ伯爵家ともつながりを持ったために手出しできなくなったのだろうか。
原作のアントン・フェルナーのふてぶてしさは好きなシーンであったが、本作品は暗殺未遂自体がカットされている。そのため貴族連合側は欠けることなく終結した。原作よりも兵力を減らせなかった不利をどうするか。

2018年10月9日火曜日

原発マフィア

船瀬俊介『原発マフィア』(花伝社)は原子力発電利権の問題を明らかにし、自然エネルギーへの転換を主張する書籍である。原発マフィアは都合の悪い事実を隠して原発を推進し、利益を得る連中を指す。
原発利権は多くの書籍が指摘するが、そこに秘密警察が関わっていたとする点が本書は詳しい。日本の原発推進者は「逮捕状なしでの逮捕、拷問などなんでもあり」の特高警察出身であった(29頁)。それが戦後はCIAの犬になり、原発を推進する。
ソ連のチェルノブイリ原発事故もKGBが真相を隠蔽したとする(70頁)。チェルノブイリ原発事故は作業員のミスや構造的な問題が原因であり、日本では起こり得ないと説明されがちであるが、本書は地震が原因とする。福島第一原発事故と重なる。
各国の秘密警察が原発を支えていることから、原発利権は巨大な警察利権と言えるのではないか。上が腐っているから、下も交通違反取り締まりノルマや交通安全協会利権、パチンコ利権が出てくるのだろう。
本書は福島第一原発事故での情報隠しを批判する。情報を出さない。質問に答えない。これも警察不祥事と共通する。

2018年10月8日月曜日

詐欺師のトーク

さいたま市桜区の住民の不安に詐欺商法があります。マンションだまし売り被害者として詐欺師のトークの特徴を説明します。人脈をひけらかしますが、具体的な決定事項は何も言いません。曖昧なことしか言わず、コミットしません。
詐欺師トークを判定する方法として、相手の質問に対してイエスかノーかで答えられる質問をします。詐欺師は直接答えず、誤魔化し、自分の説明を繰り返します。自分の言いたいことを相手に理解しようとするだけで、こちらの論点は無視します。相互主義がありません。こちらの質問に答えないということは真面目に向き合う気がない、相手を尊重する気がないということであり、詐欺師の確率が高まります。
上記に該当しながら詐欺師でないとしたら、それはそれで問題です。騙すという悪意はないとしても、こちらの期待には応えられない人物です。こちらが相手を理解することはできても、その逆が成り立たなければ相互主義になりません。振り回されて失望を味わうことになります。

2018年10月7日日曜日

銀河英雄伝説9巻

藤崎竜・銀河英雄伝説9巻は帝国領侵攻作戦からアムリッツア会戦直前までである。原作を全て終わらせるまで漫画家の一生をかけても無理ではないかと思っていたが、テンポよく進んでいる。ラインハルトはヤンをかなり意識している。
ロイエンタールは奇をてらった陣形でビュコックに挑む。本作品のロイエンタールは芝居かかっている。原作ではバランスの取れた王道的な手法を採る存在と位置付けられていた。ユリアンからはラインハルト以上に保守的と評された。原作ではプライドが高かったことが破滅の理由であったが、本作品のように人生を芝居のように楽しむ性格があるならば反乱せずに済むのではないか。
ウランフの猛戦に敬意を示すビッテルフェルトはカッコいい。このようなところがケンプやレンネンカンプと異なり、最後まで生き残れた要素ではないか。
ラインハルト元帥府の提督達が登場する。石黒版アニメと異なり、ワーレンとルッツのビジュアルは大きく異なる。ワーレンは『貧乏神が』の変態執事を連想してしまう。
フィッシャーはアニメでは英国紳士風であったが、本作品では頑固親父の職人的である。艦隊運用の名人には合っているか。
ドワイト・グリーンヒルは無益な戦争を進めた自由惑星同盟の衆愚政治に疑問を抱く。後の彼の行動につながりそうである。

2018年10月6日土曜日

瑠璃色の一室

『瑠璃色の一室』は現代日本を舞台としたミステリーである。帯にはホワット・ダニットと書かれているため、何が起きたかが問題と思いながら読み進めるが、それも著者の仕掛けかもしれない。実はフー・ダニットの要素がある。
本書には3人の視点人物がいる。章毎に視点人物が変わり、それが繰り返される。視点人物の一人は刑事である。刑事の捜査の進め方が分かるが、これでは冤罪が生まれると感じた。基本的に一人で進めており、上位のマネジメントが見えない。ねじ曲げた捜査をしようと思えばできてしまう。海外の警察物はもっと会議のシーンが多い。テレビドラマ『踊る大捜査線』の「事件は会議室で起きていない」は官僚的な形式的な無駄な会議を批判したものであるが、内部統制の観点で悪影響を与えているかもしれない。
本書の刑事には鋭い閃きがあり、冤罪を生まずに踏みとどまった。しかし、並の刑事ならば思い込みで突っ走り誤認逮捕になりそうである。また、若い女性に対する態度も外部から見れば問題である。性犯罪の警察不祥事が多いことが理解できる。
当初の事件は偶発的なものであり、それほど頁をめくる手が速まらなかった。ミステリーの犯人は『金田一少年の事件簿』が典型であるが、壮絶な過去を抱えていないと物語は成り立ちにくいと感じた。

2018年10月4日木曜日

恋する力

藤本ひとみ『恋する力』は現代日本の就職氷河期世代の女性を主人公とした恋愛小説である。いかにも恋愛小説風のタイトルであるが、朝から晩まで恋愛ばかりの話ではない。むしろ労働が自己実現にならない就職氷河期世代の生き辛さが描かれている。
少女漫画のような甘さはない。桶川ストーカー殺人事件を彷彿とさせる危ない人物も登場する。不倫の話もあるが、それほどドロドロしていない。
主人公はパラリーガルである。債務整理中心の法律事務所で味気ない仕事をした経験がある。パラリーガルを搾取するブラック弁護士法人も現実に存在しており、主人公の満たされない気持ちは共感できる。
私にとって著者の作品と言えばフランス歴史小説である。本書は現代日本が舞台であるが、ナポレオンの話が随所に出てくる。フランス歴史小説を書いている著者らしさがある。

2018年10月1日月曜日

双亡亭壊すべし

『双亡亭壊すべし』(小学館)はホラー漫画。週刊少年サンデー連載作品。双亡亭という古くからある屋敷を壊すことを目指す。この屋敷は古くからあり、人を寄せ付けない。中に入った人は出てこれなくなる。警察官も入っているが、失敗している。
破壊を目指す物語であるが、むしろ簡単に破壊されないことを期待する。日本の建築不動産業界は安直にスクラップアンドビルドを繰り返してきた。暴力的な地上げも行われてきた。それ故に屋敷を破壊しようとする連中が返り討ちにあう展開を期待する。
同じ週刊少年サンデーでは『GS美神極楽大作戦』という連載作品があった。バブル経済の残り香を感じる作品で、不動産業者らの依頼を受け、開発の妨げになる不動産にとりついた霊を祓っていた。霊を祓う側が主人公側という構図は同じであるが、『極楽大作戦』では簡単に倒される敵であったものが、本作品では強敵である。開発至上主義が批判され、開発に対する感覚が変わってきていることを感じさせる。

2018年9月29日土曜日

ヒカルの碁

『ヒカルの碁』(集英社)は囲碁の少年漫画である。週刊少年ジャンプ連載作品である。アニメ化された。囲碁という少年漫画の読者層に馴染みの薄いゲームをテーマにしながら、人気漫画にしたことは驚くべきことである。囲碁を広めた功績は大きい。アメリカでも本作品の影響で碁が人気となったという。
本作品には人気漫画になるだけの工夫がある。第1巻は高度な囲碁の戦いという要素は乏しい。囲碁に全く興味がなくても楽しめる内容である。過去の人物が現代に甦る逆タイムスリップの要素がある。そのドタバタが笑える。
霊にとりつかれた状態では、霊にとりついた人を害する気持ちがなくても、霊が悲しい気持ちになると、とりつかれた人は気分が悪くなる。このような説明は、あまり心霊物では聞かないが、納得感がある。
藤原は生前に卑怯者に陥れられた過去がある。その悔しさや腹立たしさは共感できる。

2018年9月28日金曜日

聖闘士星矢2巻

車田正美『聖闘士星矢』2巻(集英社)は黄金聖衣を賭けて青銅聖闘士達が闘う、銀河戦争が始まる。トーナメント形式の闘いである。ペガサスとドラゴン紫龍の闘いは熱い。闘いの後に友情が生まれる王道的な少年漫画である。
後に判明する女神の目的からすれば、自分を守る青銅聖闘士を互いに闘わせて潰していくことが賢明とは思えない。互いに競わせて残ったものだけを評価する組織体質はブラック企業的である。
そもそも百人の孤児に聖衣を求めて旅出させたことも効率的な方策ではない。ゲームのドラゴンクエストでも国王が自称勇者に僅かなゴールドを与えて竜王を倒してくれることを期待するが、人的資源の無駄遣いである。
これまで作者は熱い男の闘いを描く劇画的な作風であった。これに対して本作品はギリシア神話を背景とし、バトルも超自然的な内容になっている。そのファンタジー性が当時の少年達から支持され、作者の読者層を広げた。それでも、よく読んでみると十分暑苦しい。その暑苦しさは一歩間違えればブラック企業体質と重なりかねないものである。

2018年9月27日木曜日

双星の陰陽師

『双星の陰陽師』は陰陽師の漫画である。双星とあるように二人の陰陽師が主要キャラクターである。普段は相性の良くない二人がタッグを組む展開は同じ著者の『貧乏神が』終盤と重なる。
私は『貧乏神が』序盤のドタバタギャグが好きであった。それに比べると本作品は少年漫画の売れ線を狙っているように感じる。主人公は根は前向きで熱血の王道的なヒーローである。
眠そうな目をしているが、有能という清玄が登場してから面白さを感じた。真面目な頑張ります精神とは対極にある、やる気のなさそうなキャラクターである。
主人公達にとってまだまだ遠い敵キャラクターが登場する。
主人公の熱血も第5巻では共感が持てる。息子の世代が苦しまないように自分達の世代で解決しておくために自分が闘うと主張する。日本人は西郷隆盛の「美田を買わず」を自分達の世代が資産を食い潰す口実として使いがちである。これは世代感不公平を被った就職氷河期世代としては強く感じる。故に問題を後の世代に先送りしない主人公の決意に共感する。

さぶ

山本周五郎『さぶ』は江戸時代の江戸で、理不尽に虐げられる貧しい人々を描いた時代小説である。さぶがタイトルであるが、栄二の物語である。栄二は見に覚えのない冤罪で奉公先を追い出され、真実を確認しようとすると半殺しの目に遭い、石川島の人足寄場に送られた。栄二は復讐を誓う。江戸時代版モンテ・クリスト伯と期待したが、違っていた。
本書の言いたいことは復讐心に囚われるなということである。しかし、理不尽や非合理は厳然として存在する。それらをそのままにすることが良いかという問題がある。むしろ、本書から感じた怖さは真実を知らないと間違った人に疑念を抱き、恨むことになりかねないことである。これはどちらも不幸である。自分に関する情報の知る権利が大切であると感じた。

2018年9月25日火曜日

ゴールデンカムイ2巻

ゴールデンカムイ2巻は主人公が味噌を推す。ここは私も日本人として共感できる。私は味噌汁を飲むとホッとする。
主人公はアイヌの村に滞在する。ここでアイヌ文化が紹介される。本作品は和人とアイヌの物語であるが、ヒロインは実際のアイヌのジェンダーから逸脱した存在であり、ヒロイン一人だけではアイヌを物語に都合よく使っていると批判されかねない。ヒロイン以外のアイヌを登場させることは公正である。このような場面があることが、本作品が北海道振興に使われる理由だろう。
後半は和人の話である。アイヌの話とは対照的に陰惨である。主人公と敵対する和人グループは犯罪者集団であるが、彼らを反抗させる日本政府が正義ではない。むしろ、彼らの行動が許されなくても、日本政府への怒りには共感できる。人間を幸福にしない日本というシステムとはよく言ったものである。

聖闘士星矢

車田正美『聖闘士星矢』(集英社)は週刊少年ジャンプ黄金期を彩る漫画の一つである。本作品のタイトルは「セイントセイヤ」と読む。このタイトルを読めるか否かは世代によって偏りがあるほど特定の時期に流行った作品である。
本作品はアニメ化された。『聖闘士星矢 THE LOST CANVAS 冥王神話』など様々な派生作品も存在する。
黄道十二星座に対応する黄金聖闘士は特別な存在である。自分の星座と黄金聖闘士を比較した人は少なくないだろう。私は自分の決めたことや美学に忠実で、悪く言えば頑固な性格が似ていると感じた。目的のために手段を選ばない卑怯さはない。
第1巻は導入である。まだ本作品の枠組みが出ていない。この時点ではユニコーンが主人公のライバルにもならない存在であるとは思わなかった。『ドラゴンボール』のヤムチャ以上に可哀想なキャラクターである。ペガサスとユニコーンは共に架空の馬であり、ライバルになりそうなものである。同じ青銅聖闘士の中で主人公と一緒に活躍する聖闘士と、そうでない聖闘士が出たのは何故だろうか。

イノサン・ルージュ

坂本眞一『イノサン・ルージュ』はフランス革命直前のパリの処刑人一族を描く漫画である。処刑人一族の娘マリーが主人公であるが、一族の各々にスポットライトをあてている。
貴族の傲慢さが描かれる。こちらが歴史から似せたのだろうが、『銀河英雄伝説』の門閥貴族のような傲慢さである。貴族は自らの血筋によって平民への傲慢さを正当化する。しかし、貴族の権力は宮廷から与えられたものに過ぎず、独立領主としての力はない。国家権力の威を借りる狐である。その意味では問題は門閥ではない。むしろ現代日本の公務員天国のような状況と重なる。身内に甘い警察不祥事と重なる問題である。
歴史を単線的な発展と見る歴史観が流行らなくなり、最近ではフランス革命の負の面が直視される傾向がある。逆に貴族主義にロマンを感じることもある。それも貴族が自己の力で立っていればこそである。国家権力を私的に行使するアンシャン・レジームの実態を踏まえれば、フランス革命は良かったことと言える。

とある魔術の禁書目録

『とある魔術の禁書目録』はライトノベル。盛りだくさんの設定の物語である。主人公が魔術という世に知られていない超自然の力を持つ人々に巻き込まれる。このような設定は珍しくない。本書では科学が発展した学園都市を舞台にする。その発展した科学によって超能力が開発されている世界である。設定盛り込み過ぎで、それだけで終わってしまう危険もありそうである。実際、科学サイドに絞ったスピンオフ『とある科学の超電磁砲』の方が広まった。
本書の主人公は落ちこぼれで、やる気のないタイプである。しかし、インデックスのことになると、熱血になる。このヒロインへの熱血は後のライトノベルのリゼロとも共通する。リゼロの主人公の熱血は空回りすることが少なくないが、本書は、それで物語が進む。この点では王道的な要素がある。

2018年9月24日月曜日

さいたま市が人口130万

さいたま市が人口130万人を突破しました。さいたま市の人口が18日現在で130万40人となり、同市誕生から17年で130万人を超えました。
報道では鉄道網の充実が後押ししたと分析されています。この点では桜区は取り残された感があります。みんなの未来(あした)を守る会では武蔵野線大宮支線の活用や西浦和駅と北朝霞駅の間の新駅などを提言しています。提言の有用性を再確認しました。
武蔵野線大宮支線に旅客車両を増やすことで大宮方面から武蔵野線に乗り換えなしで直結できます。西浦和駅と北朝霞駅の間は長いです。
人口130万人と言えばエストニアと同じくらい人口です。エストニアは世界最先端の電子政府であり、情報公開を徹底しています。さいたま市もエストニアのような電子政府になれば、わざわざ役所に行く手間が減り、生活が便利になります。情報公開の徹底で民間感覚の風通しの良い行政になります。

2018年9月23日日曜日

プレミアムフライデーは非常識

プレミアムフライデーは、今や有害かつ非常識なものになった。民間に通用しない公務員感覚の押し付けは不幸を生む。わざわざ月末の忙しい時期に休めると考える公務員感覚が非常識である。プレミアムフライデーが流行らないことは当然である。数知れない公務員感覚が積み重なって腐ったごみ溜めのような臭いを放っている。
プレミアムフライデーは最終週の金曜日という設定であったが、最終営業日になることもある。この日に早く帰るようにすることは嫌がらせ以外の何物でもない。さらに9月28日は四半期の〆日である。四半期の毎の情報開示は、より短期的な視点で経営実態を把握することに役立つ。日本企業が国際競争力を持ち、海外の投資家から選ばれるために必要である。この四半期決算の視点は民間感覚を持たない公務員の抜けている要素だろう。
そもそも皆で早く帰るというプレミアムフライデーの発想は、個人の自由で多様な働き方を目指す働き方改革に逆行する。帰りたい時に帰ることが自由である。早く帰ることを強制されることは苦痛である。

2018年9月22日土曜日

虚空遍歴下巻

山本周五郎『虚空遍歴』下巻に入ると主人公のダメさが目につく。酒に酔うことは毒である。本書では酒であるが、依存性薬物も同じである。創作に根を詰めすぎることが大変であることは理解できる。逃避することは必要だろう。しかし、酒やドラッグはクリエイティブな仕事をする人の選択肢ではない。それが二十世紀になっても作家の逃避行動になっていたことにゾッとする。ゲームのし過ぎで休載している漫画家の方が健全である。現代は小説でも漫画でもアニメでも逃避できるものは幾らでもある。酔っぱらってくだをまくのが文人というステレオタイプは昭和で終わって欲しい。
主人公は自力で成し遂げようとする。それは結構なことであるが、ロビンソンクルーソーのように全て独力は不可能である。主人公は自力で成し遂げようとして逆に他人の面倒を増やしてしまう。何を自力で進め、何に他人の力を借りるか選択と集中が必要である。何でもかんでも自前主義の昭和的体質の日本企業が国際競争力を持たないことと重なる。

2018年9月20日木曜日

ムヒョとロージーの魔法律相談事務所

西義之『ムヒョとロージーの魔法律相談事務所』(集英社)はオカルト漫画。週刊少年ジャンプ連載作品。ムヒョが所長で、ロージーが助手。欧米風の名前であるが、ニックネームに過ぎない。現代日本を舞台とした日本人の物語である。
ストーリーは依頼によって徐霊する一話完結型が基本である。但し、第1巻の時点でムヒョに因縁の相手がいることを匂わせており、大きな話もありそうである。
依頼により徐霊する点は『ゴーストスイーパー美神極楽大作戦』と共通する。魔「法律事務所」とあるようにリーガル物の雰囲気を出している点が特徴である。魔法律という条文を読み上げて徐霊を執行する。第1巻では魔法律の条文を読み上げれば決着がつくため、バトル物にありがちな必殺技の出しあいのような展開はない。
魔法律の世界では執行者が裁判官の上位になっている。ここは現実の司法と比べて興味深い設定である。現実の司法では執行者の暴走をチェックする機関の考慮が不可欠である。

警察不祥事

千葉県警の警察官が栃木県の露天風呂のぞき容疑で事情聴取を受けている。民間人ならば逮捕されている案件ではないか。身内に甘い体質は警察不祥事が続発する一つの理由である。
埼玉県警巡査部長は迷惑防止条例違反容疑で逮捕された。埼玉県警蕨警察署の巡査部長(43)は東京のプールで盗撮した容疑がある。岐阜県警の警察官は大阪府のプールで痴漢した容疑がある。警察不祥事は他所の都道府県で行うようにしているのか。それとも所属する都道府県の警察不祥事は隠蔽されるため、他所の都道府県で起こした警察不祥事が報道される傾向になるのか。

民間には通用しない公務員感覚にプレミアムフライデーがある。わざわざ月末の忙しい時期に休めると考える公務員感覚が非常識である。

警察不祥事や不当逮捕や家宅捜索など警察の捜査権濫用による人権侵害、冤罪などを扱う。
【書名】警察不祥事/ケイサツフショウジ/Police Scandals
【著者】林田力/ハヤシダリキ/Hayashida Riki
【出版社】江東住まい研究所/コウトウスマイケンキュウジョ/Koto House Laboratory

『不当逮捕レビュー』
『不当逮捕と報道』
『不当逮捕サスペンス』
新宿署痴漢冤罪裁判
警視庁の名誉毀損捜査に不当捜査批判
マンション建設反対運動の不当逮捕に無罪確定
家宅捜索の不当を大成建設抗議
リニア談合は不当逮捕か
リニア談合に人質司法批判
埼玉県警巡査が乳児揺さぶりで死なせる
埼玉県警巡査部長が迷惑防止条例違反容疑で逮捕
さいたま市桜区道場でネズミ捕り
群馬県警の警部補を強盗事件で指名手配
長野県警は淫行、岐阜県警はストーカー
高知県警の巡査がセクハラを繰り返す
神奈川県警Twitterがセクハラ発言で炎上
神奈川県警パワハラ拳銃自殺裁判
彦根署交番で巡査が同僚警察官を射殺
千葉県警巡査長が児童買春に証拠品廃棄
大分県警の捜査資料がFacebookに流出
群馬県警高崎署でセクハラ
岩手県警元警部補を傷害容疑で書類送検
山梨県警笛吹署が健康ランドから無料温泉券を受領
『99.9-刑事専門弁護士』
『99.9 -刑事専門弁護士-SEASON II』
『白日の鴉』貧困ビジネスと冤罪
『ポチの告白』
「ポチの告白」寺澤有氏が語る
『警察庁出入り禁止』
『報道されない警察とマスコミの腐敗』警察と報道に共通する問題
『不当逮捕 築地警察交通取締りの罠』
『日本の公安警察』
『国策捜査 暴走する特捜検察と餌食にされた人たち』
『司法官僚 裁判所の権力者たち』
『あたりまえの組合活動があぶない』
盗聴法拡大・司法取引導入に反対する法律家と市民のデモ
『止めよう!市民監視(アベノリスク)五本の矢』
共謀罪の現実と行動
共謀罪(テロ等準備罪)と著作権法
共謀罪か、テロ等準備罪か
組織犯罪処罰法
組織犯罪処罰法改正案
二次創作
非親告罪化
自白
Dickerson事件
『無実の人々とともに—松川救援から国民救援会へ』
『決断 謀略・鹿地事件とわたし そして国民救援会』
『一社会運動家の回想』
『広場の証言 メーデー裁判20年と私』
失敗の本質
太平洋戦争陸戦概史
太平洋海戦史
福井の子犬工場の不起訴に失望
危険ドラッグ事件が続発
東京都が危険ドラッグを製造販売禁止薬物に指定
大阪府の脱法ハーブ規制条例
脱法ハーブ事件簿

2018年9月19日水曜日

パワハラ

林田力『パワハラ』(江東住まい研究所)はパワーハラスメント(パワハラ)やセクハラ、過労死、過労自殺、雇用、労働問題を取り上げる。パワハラは陰惨な暗さと、悪どい貪欲と狡猾さで、人の気持ちを打ち砕く。人間が屈辱を忍ぶことにも限度がある。ブラック企業には人間の弱点を利用して儲ける不潔なからくりや無道な手段を弄する悪臭がある。
パワハラは昭和の日本型組織の悪癖である。警察組織のパワハラが目につく。目の前を火を消すことに思考停止して、特定人に負担を押し付けることを正当化する無能公務員体質がパワハラを生む。これは警察不祥事とも重なる。責任を避けようとするために大事なものを見失う愚かさを責めなければならない。
パワハラは過労死や自殺の原因になる。東急ハンズ過労死の背後には長時間労働やサービス残業強要に加え、パワハラが存在した。過労死した心斎橋店員はマネージャーから罵倒されていた。
パワハラは殺人になる。死に至るようなパワハラ事件に対して、パワハラと書くと「パワハラじゃなくて殺人」との反論が出そうである。殺人との評価を否定するつもりはないが、「パワハラではない」とする論理にはパワハラを軽いものとする発想が感じられる。パワハラという表現を避けるべきではなく、「パワハラかつ殺人」と表現できる。パワハラを直視することが命を守ることになる。
【書名】パワハラ/パワハラ/Power Harassment
【著者】林田力/ハヤシダリキ/Hayashida Riki
【出版社】江東住まい研究所/コウトウスマイケンキュウジョ/Koto House Laboratory

過労自殺とパワハラ
埼玉県警で繰り返し水に沈めて溺死
神奈川県警パワハラ拳銃自殺裁判
大阪府警のパワハラ自殺に公務災害
彦根署交番で巡査が同僚警察官を射殺
神奈川県警Twitterがセクハラ発言で炎上
高知県警の巡査がセクハラを繰り返す
群馬県警高崎署でセクハラ
懇ろセクハラ野次は九州と言い訳
はあちゅう氏が電通時代のセクハラ・パワハラを告発
質屋銀蔵セクハラ事件が東京高裁で原告逆転勝訴
ステーキのくいしんぼ過労自殺訴訟
オリンパス制裁人事第2次訴訟
オリンパス制裁人事第2次訴訟第4回口頭弁論
立正佼成会附属佼成病院過労自殺裁判
矢田部過労死裁判
矢田部過労死裁判上申書
東急一時金請求裁判控訴審
新運転・事故防ピンハネ返せ訴訟決起集会
新運転、事故防ピンハネ返せ不当判決糾弾
大和ハウス工業が残業代不払いで是正勧告
専修大学解雇撤回訴訟控訴審判決
杉並区立図書館雇い止め裁判上申書
農協のサービス残業
農協で金銭着服相次ぐ
大東建託の内幕
名ばかり管理職
ここにも世代間格差『名ばかり管理職』
働く、働かない、働けば
老人たちの裏社会
七時間半
退職代行サービス
自己管理への期待
転職と過労死
キャリアデザイン
ベーシックインカム

2018年9月18日火曜日

虚空遍歴

山本周五郎『虚空遍歴』(新潮文庫)は長編時代小説である。文庫本上下巻である。
旗本の次男が侍の身分を捨てて浄瑠璃の世界に生きようとする。自分を殺して忠義に生きるステレオタイプな時代小説の対極にある作品である。明治や昭和から見た封建社会とは異なり、21世紀の現代人に響く内容がある。著者の長編小説では『樅ノ木は残った』が有名であるが、忠義に生きることだけが著者の小説ではない。私が国語の教科書で初めて著者の作品に接した。それは武士を否定する作品であった。そのために本作品の方に著者らしさを感じる。
本書には心中物の芝居に対する批評が登場する。そこでは「「人間が死のう」と決意することくらい絶望的なものはないのに、この浄瑠璃には二人ののっぴきならぬ気持や絶望感よりも、その死を「美化する」ことにかかっているようだ」と手厳しく批判する(129頁)。現代人の感覚から心中物に感じる拒否感と重なるところがある。芝居の世界の中々食べていけないところも現代と重なる。
公認の遊郭とは別に出会い茶屋のようなものがある。違法であるが、与力が副業で経営している(166頁)。現代において警察官が密かに風俗店を経営するようなものである。
本書は、さいたま市立桜図書館で借りたものであるが、登場人物の一人の実家は浦和であった(182頁)。
主人公は大阪に行く。大阪は商人の街である。今日では関西弁はお笑いのイメージがある。これに対して、主人公は上方を暗くて陰険と感じる(391頁)。この感覚は新鮮である。儲けを追求すること自体は悪くないが、他人を出し抜いて自分が浮かび上がろうという卑怯さを感じるためだろう。

2018年9月15日土曜日

大東建託の内幕

『大東建託の内幕』は賃貸アパート経営の大東建託の問題を明らかにした書籍である。消費者には安定した家賃収入を謳った詐欺的商法、従業員にはパワハラ体質と真っ黒である。
根本的には不動産投資、賃貸経営というビジネスモデルに欠陥があると感じた。真っ当なビジネスは売り手が何らかの価値を提供し、買い手は対価を払う。ところが、不動産投資勧誘会社が提供するものは賃貸住宅であるが、買い手は賃貸住宅を求めていない。家賃収入という言葉に惹かれただけである。賃貸住宅は賃借人に価値を提供するものであるが、この取引では賃借人は出てこない。需要に応じた価値ではない。
賃借人を考えない賃貸住宅が賃借人から選ばれ続けることはあり得ず、家賃収入は行き詰まる。不動産投資勧誘会社の口車に乗って不動産投資をすると借金ばかり残ることになる。不動産投資勧誘会社が価値を提供せず、オーナーにリスクとコストを押し付けている。
個人的な経験になるが、このリスクとコストを相手に押し付ける体質は私にも思い当たるところがある。私はある政治塾で大東建託出身の都議会議員選挙への立候補希望者に会ったことがある。意気投合した後で彼女は私に供託金を出すことを求めてきた。供託金分の金額の借用を求めるどころか、私自身が供託に行くことを求めた。自分は全くリスクを負わず、相手に押し付けるだけであった。
著者はジャーナリストであり、埼玉県警の機動隊員溺死事件なども取り上げている。私は著者と一緒にジャーナリスト講座の動画に出演したことがある。

2018年9月14日金曜日

中野相続裁判さいたま地裁

中野相続裁判さいたま地裁の第4回口頭弁論は11月30日10時半から開かれます。傍聴をお願いします。
第3回口頭弁論が開かれました。長女側は準備書面などを陳述し、陳述書などの証拠を提出しました。長男夫婦がリフォームによって母親の部屋を納戸にしたなど長男夫婦が母親を大切にしていなかった事実を主張立証しました。長男夫婦に相続人や受贈者を主張する資格があるか訴えました。
裁判長は共有物分割の対象と割合について意見の対立があると指摘しました。長男が対象にしていない物は審理の対象にならないとして、長女側で考えるように求めました。最後に裁判長は公正に分割したいとまとめました。
次回も口頭弁論になります。長男夫婦の代理人は非公開の弁論準備手続きを期待していましたが、裁判の公開原則を何と考えているのでしょうか。長女は弁論準備手続になるとしても、公開法廷に近い形と要望を述べました。長男夫婦は相手の住所地ではなく自分達の住所地の東京地裁で提訴するなど身勝手が目に余ります。
弁論後に長女の支持者が集まり、報告集会を開催しました。そこでは遺言書が仏壇の戸袋から出たという話が不自然と指摘されたました。遺言作成者が戸袋に隠すことは考えられません。それが2年間見つからないままであることはあり得ません。作為があると誰でも分かると。腑に落ちないことを腑に落ちないまま忘れることはできません。

ドラゴンボール超

『ドラゴンボール超』は大人気漫画『ドラゴンボール』の続編である。破壊神ビルスが来襲する。映画作品を下敷きにしている。
バトル物の漫画はバトルの連続になってしまうという落とし穴がある。『ドラゴンボール』の連載終了には、その要素があった。本作品もバトル中心であるが、孫悟空の理解力の低さなどの笑いがある。また、破壊神ビルスなどの新キャラクターは単に倒すべき敵ではない。別次元の存在であり、物語の奥行きを広げる。巨大なドラゴンボールという謎も出てきた。タイトルの『ドラゴンボール超』も続編として超を付けたという以上の意味を持つ。
後半は天下一武道会のような展開である。『ドラゴンボール』は、本来はドラゴンボールを探す冒険漫画であり、天下一武道会は幕間と言ってもよいものであった。しかし、読者にはドラゴンボールと言えば天下一武道会と言えるほど印象が強い。ピッコロ大魔王との決着を天下一武道会で行うなど重要な舞台になっている。天下一武道会風の展開は『ドラゴンボール』の精神を継承している。

2018年9月13日木曜日

地理9月号

地理9月号は「都市×若者×観光」を特集する。直近では台風21号と北海道地震という大ニュースがあるが、本書には反映されていない。日本社会には全員総出で目の前の火を消すことに注力するような近視眼的な傾向がある。本誌の月刊誌という時間軸は落ち着きを与えてくれる。
金延景「若者の新たな観光・レジャー空間としてのエスニックタウン」は大久保コリアタウンを取り上げる。近年は海外旅行離れが指摘されるが、異文化への関心が薄れている訳ではなく、コリアタウンのような身近な消費意欲は旺盛である。マイルドな辛さが人気のチーズタッカルビのように日本人の嗜好に合わせたというメリットもある(37頁)。スポットを回るだけの海外旅行以上に地に足着いた体験になる可能性がある。
磯野巧「若者によるインバウンド需要への対応」は渋谷駅周辺の外国人観光客向け街頭ボランティアガイドを紹介する。外国人観光客にとってハチ公像やスクランブル交差点は撮影スポットであるが、多くの観光客は撮影したら別の場所に行き、渋谷の消費に結び付かない。そのためにボランティアガイドの意義は大きいが、渋谷駅の案内が多い(53頁)。渋谷再開発によって渋谷駅は日本人でもうんざりするほど複雑になり、不便になった。その尻拭いをボランティアがしているならば、ボランティアの活発化を喜べない。ボランティアに成り立っていること自体がシステムの欠陥を示すことになる。

2018年9月11日火曜日

僕のヒーローアカデミア

『僕のヒーローアカデミア』は個性と呼ばれる特殊能力を持つことが一般化した未来でヒーローを目指す少年漫画である。週刊少年ジャンプ連載作品。アニメ化された。略称はヒロアカ。
個性を持たないというディスアドバンテージを持った少年が熱意と努力で突き進む。昭和の王道的な少年漫画に近い。効率的に任務を目的を達成することよりも人を助けることを評価する。その行動が他人を動かす。師匠ポジションのオールマイトも今風の漫画ならばイケメンになりそうであるが、そうではない。
21世紀では昭和の王道は古いと、やる気のない主人公のように、そこから外れた作品が目立つが、本作品は直球である。本作品が人気であることは少年の嗜好が先祖帰りしたのだろうか。
主人公は物語開始時点では中学3年生である。ヒーロー育成のエリート高校入学を目指す。これは形を変えた偏差値輪切り教育ではないか。頑張って上を目指すという昭和の立身出世主義を感じる。漫画の世界では偏差値輪切りのアンチテーゼを提示して欲しい気がする。それとも、ゆとり教育が普及して今の少年には逆に偏差値輪切り教育に価値を見出だすようになっているのだろうか。
この高校の食堂はシェフのヒーローによって最上の食事を提供するが、あれこれ料理を考えても結局、白米に落ち着くという。ここは共感した。その気持ちは理解できる。

2018年9月10日月曜日

老人たちの裏社会

『老人たちの裏社会』は暴走老人を取り上げた書籍である。人間は誰しも年を取るが、こうはなりたくないものである。その点で何故、暴走老人になってしまうかという観点から読み進めた。
私が感じた大きな原因は孤独である。但し、孤独が悪い訳ではない。むしろ、暴走老人のトラブルは人間関係の中から生じているものが多い。孤独への耐性が乏しいことが原因である。これは昭和の集団主義で走ってきた日本社会の問題である。今はゲームでもレジャーでも「おひとりさま」で十分に楽しめるのに勿体無い話である。この点は個人主義が高まった私のようなロスジェネ世代は安心である。逆にロスジェネ世代よりも下の世代の方がコミュニケーション至上主義があり、昭和の集団主義を懐かしむ感覚もあり、危うさを覚える。
第二にバブル時代の成功体験から抜け出せず、その時の感覚のままの言動になってしまうという原因がある。これもロスジェネ世代には無縁である。むしろバブル経済の無駄遣いで資産を食い潰したから自分達が就職氷河期で苦しんだという恨みさえある。
第三にパワハラやセクハラ、モラハラに敏感になるなど受け手の意識の向上もある。この点では暴走老人は最近増えているというよりも、昔からいたが我慢させられていたとの見方も成り立つ。

2018年9月9日日曜日

るろうに剣心7巻

『るろうに剣心』7巻は京都篇が幕を開ける。幕を開けると言っても京都に着いていない。東京を出発するまでで丸々1巻が費やされる。しかし、単なる導入部と侮るなかれ。幕末明治を駆け抜けた歴史上の人物が登場し、歴史上の事件が描かれる。
剣心が戦わなければ物語は成り立たないが、京都篇は明治政府の尻拭いのための戦いである。周りのキャラクターの言う通り、剣心が戦う必要はない。目の前の問題を解決するという名目で特定人に負担を押し付ける。特殊日本的集団主義は現代日本に通じる問題である。本書に描かれた明治政府の腐敗、傲慢、身勝手も現代日本の官僚制に通じる。
本書は大久保利通を議会開設論者と描いている。これは興味深い。一般にはプロシア風の外見的立憲主義を進めた伊藤博文が大久保の継承者と見られる。しかし、伊藤は大久保の専制的な面の継承者で、伊藤と大隈重信の両方が継承者と言えるかもしれない。大久保が生きていたら、明治政府がもう少し民主的になったかもとの妄想も全く成り立たないものではないだろう。

月は無慈悲な夜の女王

ハインライン『月は無慈悲な夜の女王』はSF小説の古典である。人類が月に移民し、月生まれ、月育ちの世代もいる未来が舞台である。月は地球連邦の植民地として収奪されていた。その月が独立を目指し、地球連邦と戦う。アメリカ独立戦争を連想させる。無料の昼飯はないとのスローガンは自由を求める人の覚悟を示している。
一方で宇宙開発が夢や希望ばかりの世界ではないことを本書は教えてくれた。月に暮らすと体が低重力に慣れてしまい、地球に帰れなくなる。これは恐ろしいことである。
また、月からの地球への攻撃は、地球に暮らす人間としては恐ろしい。物語は大団円となったが、地球側としては月を徹底的に破壊しなければ安心できないのではないか。むしろ宇宙移民は地球に暮らす人とは違うという感覚を抱かせてしまう。そこを思い止まらせ、月に感情移入させる要素が地球連邦の強権である。
宇宙移民による地球への一方的な攻撃と地球連邦の腐敗は機動戦士ガンダムとも重なる。ガンダムでは主人公は連邦側であるが、連邦の救い難い腐敗が描かれ、ジオンの人気が高い。

2018年9月7日金曜日

小説響

小説響は人気漫画『響』の映画版のノベライズである。人気先行、話題先行のキャスティングと思ったが、想像以上に原作キャラクターの雰囲気を出している。
自分を曲げない主人公が人気になった。但し、すぐに暴力に走ることは、文学作品を生み出す存在としてどうなのかという感覚がある。主人公のような憤懣を抱えた人物の作品とならば怒りを反映した作品になり、一般受けしにくいのではないだろうか。
また、漫画ではすぐに手を出す女性が意外感があって面白くても、それをそのまま実写では粗暴なだけの人物に映ってしまう危険がある。実際、実写映画の『銀魂』の志村妙は漫画の奥ゆかしさを感じにくかった。また子も漫画では紅桜の危険性を指摘するなど洞察力を示したが、実写では粗暴なだけになってしまった。
天才少女を主人公とした話であるが、ラストでは売れない作家と交錯させる。天才ではない人へのフォローもある作品である。
一方でパトカーに大人しく乗せられる結末は、らしくない。妥協しないキャラクターならば警察官相手に暴れてもおかしくない。警察官に暴れるのはヤバイと計算して行動するキャラクターだとしたら面白くない。相手の人格を尊重しない警察官の言動に怒ることがあっても良い。

2018年9月5日水曜日

ワンピース90巻

尾田栄一郎『ワンピース90巻』(集英社、2018年)はホールケーキアイランド篇が終結する。世界会議が描かれ、ワノ国篇が始まる。
前巻でルフィの強敵にふさわしい存在感を示したカタクリとブリュレのエピソードが良い。前巻の卑怯な妹とは大違いである。ビッグマムの子ども達の中でブリュレは麦わらの一味の最大の被害者であり、良いところがなかったが、最後に株を上げた。
ルフィ達は非常に有名になった。これまではクロコダイルの野望阻止などの実績が隠蔽される傾向にあったが、今回は城の崩壊も計画とされるなど実績以上に評価されている。虚名が付いている。
世界会議では懐かしいキャラクターが集合する。ここでは支配体制の横暴が描かれる。世界政府の体制を打ち砕かなければ物語はおさまらないだろう。
ワノ国は不思議な世界である。前近代の日本をモチーフにしただけでは描けない世界である。空島が登場した時に、これを超える不思議な世界は無理ではないかと思ったものだが、作者の想像力は潤沢である。

2018年9月4日火曜日

シューリマン旅行記清国・日本

シューリマン『シューリマン旅行記、清国・日本』は西洋人による19世紀後半の清国と日本の旅行記である。清国では万里の長城を訪れた。日本は幕末である。
清の否定的評価の後に日本の肯定的評価がなされるため、日本人の民族的自尊心を高める書籍である。しかし、清の社会の堕落にはイギリスが売りさばいた阿片があることを考慮しなければ公正ではない。
この点は現代の日中を比べると不安になる。現代では依存性薬物の刑罰は日本よりも中華人民共和国の方がはるかに厳しい。日本では有害な依存性薬物を合法ドラッグと称して販売するようなモラルに欠けた状況であった。その危険ドラッグの原料の多くは中国から輸入されている。中国で厳罰に処せられるものが日本で販売されるという逆転現象が起きている。
日本の美点として物の少ないシンプルな生活が挙げられる。これも現代の消費を煽る傾向とは異なる。
著者は日本では少ない生活費で生活できると驚嘆する。
シューリマンが幕末の日本を評価したからといって、現代日本人があぐらをかくことはできない。

2018年9月3日月曜日

邪馬台国は朱の王国だった

『邪馬台国は朱の王国だった』は朱の観点から邪馬台国と大和朝廷に迫る書籍である。本書は産業史の観点で述べる。神話も産業史の観点で読む。人間ドラマが好きな向きには厳しいかもしれない。これは誉め言葉になるか微妙であるが、本当の意味で唯物史観と言えるかもしれない。唯物史観による英雄史観批判は一つの学問的進歩であったと思うが、世の唯物史観の信奉者達を見ると経済観念が乏しく、政治談義が大好きとの印象を受ける。資本主義を批判したくて仕方ない、経済を管理したくて仕方ないというイデオロギーが歴史認識を歪めているのではないか。それに比べると、本書は本当の意味で下部構造を語っている。
邪馬台国や大和朝廷の時代は農業社会とのイメージがあるが、本書では想像以上に交易が活発であったことになる。古代の歴史を交易中心で考えることはフェニキア人など世界史とも重なる。
本書が提示した古代日本は鉱物資源の輸出で潤った金満国家である。現代の中東産油国のイメージである。オイルダラーに相当する潤沢な資金で建造されたものが世界でもユニークな巨大古墳である。鉱物資源が枯渇すると古墳は建造されなくなった。
この話を聞くとバブル経済時代の無駄遣いを連想した。

温水器点検の勧誘電話

さいたま市桜区民の生活の中での困り事として迷惑勧誘電話は大きいです。マンション投資と電話インターネット回線が迷惑勧誘電話の双璧です。
マンション投資の迷惑勧誘電話は勤務先にかけられるものが悪名高いですが、自宅固定電話にも来ます。マンション投資の迷惑勧誘電話は土地勘のない東京都内のワンルームマンションを勧めてきます。他所の地域は地価の相場が分からないため、割高の物件を売り付けられるという魂胆です。迷惑勧誘電話が多いため、固定電話を持ちたくないとの声もあります。
迷惑勧誘電話には温水器の点検もあります。定期的に受けなければならない点検のような様子で電話してきます。消費者側で勝手に善意に解釈することは危険です。「東京電力からの話ですか」「定期的にしなければならない点検ですか」と質問して下さい。質問してようやく自社のキャンペーンであると答えます。「東京電力と関係あるのですか」と確認することは意味があります。東京電力を騙ったならば、東京電力との関係で問題になるためです。

2018年9月1日土曜日

銀河英雄伝説3巻

藤崎竜『銀河英雄伝説』3巻はイゼルローン要塞の攻略戦である。ヤン・ウェンリーの同期で秀才の誉れ高いマルコム・ワイドボーンが登場する。原作のワイドボーンは傲慢なキャラクターであった。本作品では過信はない。士官学校のシミュレーションでヤン・ウェンリーに敗北した際は何故、負けたのか自省している。さらにラインハルトの天才を見抜いている。
原作ではラインハルトとヤンの二人の天才を際立たせるために他のキャラクターをどうしようもなく無能に描いているのではないかと思うことがある。しかし、それではランキングやヤンは相対的にまともというだけで天才にはならない。むしろ、ワイドボーンの有能さを描き、ラインハルトを舐めずに全力で対峙し、それでも敗北したと描く方がラインハルトの天才が際立つ。原作で軽視されていたキャラクターを再構成する。二次小説を読むような面白さがある。
表紙はキルヒアイスである。本作品のキルヒアイスはムキムキである。スマートな印象があり、そこは違和感がある。
ビッテンフェルトも豪放磊落なイメージではない。

2018年8月30日木曜日

銀河英雄伝説2巻

藤崎竜『銀河英雄伝説』2巻はカプチェランカの戦いである。原作の本編はアスターテの戦い以後を描き、それ以前の話は外伝で描いた。本作品は時系列に沿って描くようである。
第1巻では先を見通した小悪魔的なところがあったラインハルトであったが、ここでは帝国の腐敗に怒る激情家である。ラインハルトは決して聖人君子ではない。激情家にラインハルトらしさを感じる。
帝国の腐敗の描き方は石黒版アニメと異なる。石黒版アニメは権力と暴力が弱者を虐げる明確な横暴が描かれた。対するラインハルトやキルヒアイスは無法には無法に対抗した。ところが、本書は心ならずも不正に手を染める組織人の事情やラインハルトが言動によって組織人を感化させる様相を描く。自己の無能やミスを組織の事情で言い訳し、相手に負担を押し付ける日本の公務員が喜びそうな展開である。これはラインハルトらしくないと感じる。ラインハルトは組織人の言い訳に同情するよりも、そのような組織人に負担を押し付けられた側に同情するだろう。服従は承認と同じという厳しさを持った存在ではないか。

2018年8月29日水曜日

戦国の秘話

『戦国の秘話』は戦国武将を一章一人の形で取り上げ、その秘話を語る小説である。取り上げた武将は毛利元就や徳川家康のような成功者だけではない。足利義昭や織田信雄のように評価の低い人物もいる。加藤清正は評価の高い人物であるが、あまり自慢にならないエピソードを取り上げている。越前の朝倉義景は単純な無能に描かれがちであるが、そのようになった理由を本書は描いている。
松永弾正は意思の強い人物のイメージがある。平蜘蛛の茶釜を抱えて自爆したエピソードは彼の意地を示している。ところが、本書では、そのエピソードは語られない。代わりに家臣に流されて信長を裏切っている。
明智光秀が本能寺の変を起こした動機を領地を取り上げられたこととする。親方日の丸の公務員として安定を求めるのではなく、一城の主として領地を経営したい武士の意識を示している。明智光秀の悲劇は信長の配下の武将に共通したものだった。本書の滝川一益も重なる。松永弾正も一般には上手に立ち回った人物と見られるが、本書では信長にこき使われ、利用されるだけ利用されたと自己評価している。信長を裏切らなければやっていけないところだろう。

住環境を破壊するマンション建設工事は自分達に欠けているものを騒音と不協和音で補おうとしているようでした。

2018年8月27日月曜日

GS美神極楽大作戦2巻

椎名高志『GS美神極楽大作戦!! (2)』は六道冥子とドクター・カオスが登場する。小笠原エミよりも二人の方が先に登場していたことは意外だった。ライバルキャラを先に出しそうなものである。
本作品は美神令子の唯我独尊の振る舞いによって周囲が不幸になるパターンが基本である。ドクター・カオスの話も同じである。ところが、六道が登場すると、美神が六道に振り回されて不幸になる。これは新パターンである。
1話完結の話が多いが、時間を遡る話は中編である。毒を食べた横島を美神が普通に心配して対処法を伝えていることが意外であった。思っていたよりは優しい。

中野相続裁判

茶道具はバラで販売され、取引されている。
母の夢、母の意思に反したリフォーム、危険になったリフォームの順にする。妥協の産物ではない。
相続は亡くなった時点の財産評価になる。
私には遺言書を強制的に書かせたようにしか思えません。そうであったのではないかとの疑問が溶けません。
弟子から聞きました。軽々しく話す人ではありません。これを先に出す。入院中の母が言っていたことは、このことだったのかと理解しました。
所有権移転登記の申請書類の筆跡の違い。贈与契約書の不存在。
長男は母を利用するだけ利用した。

迷惑勧誘電話

さいたま市桜区民の生活の中の困り事として迷惑勧誘電話の話を聞きました。自宅固定電話には電話・インターネット回線の迷惑勧誘電話がかかってきます。勤務先にはマンション投資の迷惑勧誘電話がかかってきます。電話・インターネット回線とマンション投資が迷惑勧誘電話の双璧です。どちらも勧誘であることを最初に言わない点で悪質です。また、どちらも相手を知らずに電話番号だけでかけています。電話を続けることで消費者から個人情報を引き出していきます。それ故に住所などの情報を話してはいけません。
消費者センターなどに相談することは有効です。会社名や担当社名を聞き出して下さい。NTTやauなど大手通信会社を騙ることがあります。代理店ではないか確認して下さい。
相談すると動かない場合でも、事例として蓄積されます。Google裁判では消費者センターに事例があることで、詐欺との検索結果が相当程度真実であるとされました。

GS美神極楽大作戦

GS美神極楽大作戦はゴーストスイーパーの活躍を描く漫画である。週刊少年サンデー連載作品。アニメ化された。
バブル経済の残り香が感じられる作品である。悪霊が開発の妨げになっており、それをゴーストスイーパーが除霊する。
長期連載作品には共通するが、第1巻のキャラクターの絵は、その後とは異なっている。美神も横島も何か違う。キャラクターが乗っていないという感じである。第1話の、おキヌちゃんは怖い性格である。
第1巻では小笠原エミや六道冥子らレギュラーキャラクターが出てこない。第2話、第3話とレギュラーキャラクターの紹介話になっている漫画もあることと比べると息が長い。
巻末に読み切りプロトタイプ作品が掲載されている。これは完成度が高い。横島の裏切り、それを折り込み済みの美神、裏切りが露見した際の横島の態度が盛り込まれている。

2018年8月26日日曜日

軍靴のバルツァー5巻

中島三千恒『軍靴のバルツァー』5巻は退却戦が描かれる。安全なはずの駐屯地に敵のホルベック軍が奇襲。止むなく撤退を決意したバルツァー達に容赦なく精鋭騎兵部隊が襲いかかる。
この時代よりも前の時代に軍隊が進出した農村は悲惨であった。三十年戦争が代表的である。略奪暴行が当然の如く行われていた。それに比べると、この時代は遥かにましである。本書では条約で保護されていると説明されている。
これを時代が進むと人間が理性的になる進歩主義的な歴史認識で説明することはできない。第二次世界大戦の占領下の民衆は悲惨であった。略奪暴行が当然になっていた。悲惨な時代に挟まれた珍しい時代と言えるだろう。日清戦争における旅順虐殺のような事件もあり、近代の戦争が良心的とは言えないが、後の時代の戦争が大量殺戮となり、精神が荒んでいくことを予感させる結末になっている。
主人公が実践した戦術は第一次世界大戦の陣地の戦いを先取りしたものである。塹壕戦についても質問で言及されており、今後登場しそうである。戦争に華々しさを求める中世の騎兵が拒否感を持つことは当然として、主人公も変化におののいていた。

2018年8月25日土曜日

勁草の人戦後日本を築いた財界人

『勁草の人 戦後日本を築いた財界人』。戦後の重大な経済事件が描かれる。そのため、戦後経済史に関心のある向きには面白い。
しかし、人脈が全てで、需要と供給やコストなど経済人らしい話は乏しい。20世紀の話であって21世紀には通用しないだろう。それでも重厚長大産業に融資していた日本興業銀行を東京ディズニーランドに融資させるなど経済のサービス化、ソフト化を見越した先見性はある。
冒頭から総理大臣との関わりが描かれるように政治家や官僚との関わりが濃い。中山が関わった訳ではないが、ロッキード事件やリクルート事件など政治と金の問題も登場する。昭和の官僚主導経済の中で活躍したとの印象を強くする。山一証券を日本銀行に救済させたことが手柄話のようになっているが、その後の破綻を知っている現在から振り返ると護送船団方式のドグマに囚われていないか。
本書を読む前に同じ著者の『不撓不屈』を読んでいた。国家権力の弾圧と断固戦った税理士の物語である。普段から公務員と付き合わなかった彼の清廉な印象が残っているため、落差を感じる。
中山は頭取を退任後は相談役や特別顧問になった。本書は頭取退任後の話が中心である。地位ではなく、人物に人が集まると見れば美しい。しかし、悪いケースでは老害のドン支配、ボス支配となる。少し前の都議会自民党や最近の日本大学のようなドン支配の弊害が大きな問題となっている。

2018年8月23日木曜日

軍靴のバルツァー

中島三千恒『軍靴のバルツァー』は19世紀の統一前のドイツ風の架空の世界を舞台をした戦争漫画である。主人公はプロシア(プロイセン)をモデルとした軍事国家ヴァイセンの若手将校である。同盟国バーゼルラントに士官学校教官として赴任する。赴任先の国はヴァイセンと比べると軍事的には後進国で、ヴァイセンは併合の野心を隠し持っている。この設定だけではバーゼルラントに感情移入したくなるが、この国の士官学校は旧日本軍的な奴隷兵士を作る軍隊教育を行っていた。それは軍国主義的な筈のヴァイセンの将校でも眉をひそめたくなるものであった。ヴァイセンの将校の方が、はるかに合理主義であった。
私はプロシア風の官僚主義を嫌悪している。これは明治日本が手本としたもので、個人を抑圧する日本の官僚制の原点となっているためである。しかし、日本大学に見られるようなドン支配の日本的集団主義はヴァイセンよりもバーゼルラントに近い。外部の目に晒されていない小集団は偏狭になりやすい。やはり情報公開が改革の一丁目一番地になると感じた。

治療院ウェブ集客の成功法則

杉原智之『新規&リピーターがどんどん増える 治療院「ウェブ集客」の成功 法則』はWebを中心に整体院を繁盛させる秘訣をまとめた書籍である。著者は母親の整体院のホームページ作成を手がけ、そこから他の整体院のコンサルもするようになった。その経験に基づく書籍であり、説得力がある。
本書は一般的な宣伝文句よりも、例えば腰痛などに特化して、狭い分野でもナンバーワンを目指すことが良いとする。選択と集中である。本書は整体院や接骨院を念頭に置いているが、他の業種も学ぶ価値がある。
また、本書はWeb戦略が中心であるが、ビジネス全般の指針も提示する。借金をしない、固定費をかけないことは基本である。
本書はリピート客を重視する。これはビジネスの基本中の基本である。一生に一度あるかないかの買い物でリピート客を期待しにくい不動産取引でサービス業精神に欠けた問題業者が出やすいことは筋が通る。
本書は以下の指摘もしている。「販売側がセールスをすればするほど、今の時代はお客様が逃げてしまうリスクもあります」(210頁)。これはマンション投資などの迷惑勧誘電話に聞かせたい言葉である。

2018年8月22日水曜日

はたらく細胞

赤血球や白血球にはモラトリアムの子ども時代があるが、血小板は子どもの頃から働いている。血小板は大変である。
細胞を擬人化するというコンセプトから、赤血球や白血球のビジュアルは想定可能であるが、血小板やマクロファージはユニークである。

2018年8月19日日曜日

北海道暮らしと産業のいま

雑誌『地理』2018年8月号は「北海道暮らしと産業のいま」を特集する。
五十嵐和也「グローバル」ではグローバルな課題を生徒にとって実感のある題材や地域にまで落とし込んだ授業を目指す(115頁)。消費者の多くは輸入農作物よりも国産農作物を好むが、国産農作物が外国人実習生の労働に依存している実態はあまり知られていない(118頁)。
スペインのコルドバを紹介した記事ではイスラムをギリシア・ローマ文化を現代に伝える架け橋と評価する(田中總太郎「コルドバの歴史地区」95頁)。アニメfateZeroではアレキサンダー大王をイスラム風のイスカンダルと称している。単にイスカンダルの響きの新鮮さから採用されたものと思うが、イスラムがギリシア文化を伝えたと考えれば意義深い。
巻頭のカラーページでは大阪北部地震の報告がある(池田碩「大阪北部地震の被災地を歩く」)。西日本豪雨災害が直後に起きたために忘れられがちであるが、ブロック塀の倒壊など重要な教訓がある。タイムリーにアップデートできない月刊誌だから逆に目の前の事象に流されずに取り組める。
津波防災の記事が興味深い(橋本雄一「津波防災と自治体・住民の対応」)。北海道を対象とした研究であるが、内容に普遍性がある。津波対策として津波避難ビルが注目されている。しかし、シミュレーションの結果、避難ビルの階段入口で15分から30分程度滞留し、津波到達予想時間である地震発生後30分以内に多くの住民が避難ビル内の安全圏まで到達できない可能性があると指摘された(67頁)。住環境を破壊する超高層マンション建設に対して、津波避難ビルになると正当化する主張があるが、本当に近隣住民の役に立つのか吟味を要する。

約束のネバーランド2巻

『約束のネバーランド』2巻は脱出に向けた準備を進める。ただ脱出を目指すだけでなく、脱出後のことも考えている。一方で子ども達の中にママへの内通者がいるとの疑いも生じる。
舞台は「グレイスフィールドハウス」と呼ばれる孤児院。そこはイザベラというママがいて、子ども達が幸せに過ごす孤児院だった。しかし、子ども達は「幸せな家庭」に「養子に出される」という嘘の説明で凶悪な鬼に食べ物として出荷されていた。

作品によっては2巻で中だるみし、失速するものもあるが、本作品は緊迫感が高まる。味方と敵がスパッと分かれないところが深い。一致団結して目の前の課題を解決するという特殊日本的集団主義に陥っていない。一番の味方になる筈の存在とも駆け引きしなければならないことは疲れるが、作品としては面白い。
主人公だけでは知識が不足している。情報の提供者がいなければ難しいが、無理矢理お助けマンを登場させると御都合主義に陥ってしまう。この巻の内通者のような立ち位置は面白い。

2018年8月18日土曜日

不撓不屈

高杉良『不撓不屈』は国家権力と断固闘った飯塚毅・税理士の物語である。官僚の横暴や傲慢がこれでもかと描かれる。自分達の面子しか考えない公務員のいやらしさが描かれる。
公務員が作文した虚偽内容の文書に捺印を強要するなど弾圧の手口が描かれる。勾留中の被告人の取り調べでは弁護士の悪口の悪口を言い、弁護士と被告人の離間を図る(221頁)。
渡辺美智雄代議士の国会質問では公務員の手口が批判された。「交通事故だって警察官は道路に立ってないで、わざわざ電信柱の陰にみな隠れていて、あれは踏切で一時停止しなかった。あれは何だ、件数は何件あがった」(294頁)
戦後昭和の官僚主導経済を成功モデルのように見る向きもいるが、官僚に潰された人々もいただろう。その意味で昭和は良かったとはとても言えない。むしろ官僚主導経済を批判する新自由主義に個人の解放につながる要素がある。飯塚も外資をクライアントとしていた。公務員を監視し、公務員倫理の徹底に努めなければならない。
飯塚は論語の里仁編の「悪衣悪食を恥じる者は、ともにはかるにたらざるなり」を好む(123頁)。この悪は悪いという意味ではなく、粗末なという意味である。価格と品質が比例すると考える浅ましい拝金主義の対極にある。

2018年8月14日火曜日

ランクA病院の愉悦

『ランクA病院の愉悦』は『ガンコロリン』を改題した文庫本である。「ランクA病院の愉悦」は医療格差が進む近未来の日本を描く。病院はランクA、ランクB、ランクCと料金によって分けられる。ランクC病院は人工知能による診断しかしない。この人工知能も近年話題の機械学習のレベルではなく、if文で実装する単純なレベルである。
低所得者は、このランクC病院しか事実上受診できない。格差社会のディストピアを描く作品と想像したが、良い意味で裏切られた。価格と品質が比例するというような浅ましい拝金主義への批判になっていた。ただ価格が高いだけのサービスには意味がない。

後書きで以下のように書いている。「いいものをいじり回してダメにしてしまうのは官僚の習い性だ。官僚の意識には、病で苦しむ患者を救おうという、一番大切な気持ちがすっぽり欠けているように思えてならない」(237頁)

デュー・ブレーカー

エドヴィージ・ダンティカ著、山本伸訳『デュー・ブレーカー』(五月書房新社、2018年)はハイチ系アメリカ人によるオムニバス的な小説である。独裁政権がもたらした傷を描く。タイトルのデュー・ブレーカーは秘密警察の拷問執行人である。独裁政権下のハイチではデュー・ブレーカーが任意に市民を逮捕、連行し、拷問を加えることが横行していた。
国家権力の横暴から人身の自由を保障することがマグナ・カルタ以来の人権思想の肝であると再確認した。法の適正手続きを意味する言葉にデュー・プロセスがある。デュー・ブレーカーと似ているが、落差がある。
警察の手口はどこも似ている。「最初不愉快にさせておいて、あとで優しくする。そうすれば男は感謝され、いい人だと思ってもらえる」(235頁)
被害者の苦しみ、怒り、絶望は大きい。そこは大いに共感できる。一方で本書の特徴は拷問執行者側の心の傷も描き、被害者側の加害者への思いも憎しみや恨みだけではないことである。特に後者は憎まれて当然、恨まれて当然であり、その不思議さは読者を混乱・困惑させる。悪いのは独裁者の大統領と単純化できる話ではない。拷問執行人は私的利益を追及し、腐敗していた。

2018年8月13日月曜日

桶川ストーカー殺人事件・遺言

清水潔『桶川ストーカー殺人事件・遺言』は桶川ストーカー殺人事件を取り上げた犯罪ノンフィクションである。一人の週刊誌記者が、殺人犯を捜し当て、警察の腐敗を暴く。
桶川ストーカー殺人事件は1999年にJR高崎線桶川駅で発生した女子大生刺殺事件である。警察の杜撰な対応や嘘によって被害者や家族が心痛に苦しむことになる。真実を歪めて調書を作成する実態も指摘する。市民にとって悪魔は遠くまで探しに行く必要はないものであった。
埼玉県警察の不祥事であり、全国的に警察批判が起きた事件である。そのために本書は埼玉県さいたま市浦和区の須原屋でポップ広告でプッシュされていた。埼玉県警の不祥事であり、埼玉県民ならば読むべしと。読んでいて埼玉県警の傲慢さや責任逃れ体質に腹が立って仕方がない書籍である。精神衛生上良くないが、埼玉県民は知る必要がある。
この事件はストーカー規制法成立の端緒となったことで知られている。しかし、典型的な個人によるストーカー犯罪とは様相が異なる。集団的な嫌がらせ、攻撃である。後に社会問題になる半グレ集団の犯罪に重なる。

須原屋の隣の、いきなりステーキ浦和店では行列ができていました。

2018年8月12日日曜日

鉄腕バーディー

ゆうきまさみ『鉄腕バーディー』(BIRDY THE MIGHTY)はSF漫画である。OVAにもなった。主人公は巻き込まれ型である。宇宙人が登場するが、動物園仮説の世界観になっている。
第3巻は、悪徳刑事の嫌らしさ、陰湿さが描かれる。悪徳刑事は見込み捜査で犯人扱いし、市民生活を破壊する。著者は『機動警察パトレイバー』で警察の仕事は弱い者いじめと少年に評させただけのことはある。
悪徳刑事の強引さは警察組織の認めたものではなく、内部から批判されているが、押し止めることはできていない。現実の警察不祥事で内部統制が働いていないことと重なる。既に指摘されているように警察を取り締まる機関が必要である。
この悪徳刑事は因果応報の目に遭う。悪徳刑事の人格は因果応報の目に遭うが、もっと嫌らしい存在になる。そのために主人公らの苦しみは続きそうである。

2018年8月9日木曜日

中野相続裁判さいたま地裁

資格を取らせなかった。情景が思い浮かぶように書く。資格を出す。免状を証拠として出す。

茶道教室の営業を引き継いだことが大きな利益である。
電話料金を支払わせていた。

茶室と水屋は変わっていない。ホールが広くなっただけである。
茶室はいじっていない。いじっていないものに、夢がかなったはない。
稽古場という表現は使っていない。
夢は茶室が一階にあり、露地から入れること。
階段は緩やかになっていない。
一階を主に改装した。システムキッチンに250万円をかけた。領収書を出す。

2018年8月8日水曜日

琉球のユウナ

響ワタル『琉球のユウナ』(白泉社)は島津侵攻以前の琉球王国黄金時代を舞台とした歴史ファンタジー漫画である。1482年、琉球・第二尚氏王朝の時代である。
主人公は赤い髪の少女で、不思議な力を持っている。ガール・ミーツ・ボーイの物語である。
島津侵攻以前の琉球王国という点がユニークである。琉球王国を舞台とした作品の多くは『琉球の風』のように島津侵攻や『テンペスト』のような琉球処分の時代が多い。琉球の苦しみに寄り添った作品でも、日本なしでは話が進まないものである。それは日本への従属、日本の一部としての沖縄という与えてしまう。日本の支配のなかった琉球王国黄金時代を描く作品が増えることは琉球のアイデンティティー形成に資するだろう。
一方で本書は今日知られる琉球文化の多くは島津侵攻後の近世琉球で成立したものと指摘する。それ以前の琉球文化はあまり知られておらず、作者も描く上で苦労したという。島津侵攻前こそ琉球王国が輝いていた時代と考えるが、琉球のアイデンティティーについて考えさせられる。

2018年8月7日火曜日

絶滅の人類史の書評

更科功『絶滅の人類史なぜ「私たち」が生き延びたのか』NHK出版新書、2018年
本書は冷徹な現実を指摘する。椅子取りゲームのように人類が増えれば、その分、他の生物の生存圏が減る。その結果、絶滅する種も出てくる(244頁)。このように意図はなくても相手を害してしまうことはある。高層マンションばかりとなり、戸建て住民が物理的に追い出される訳ではなくても、住環境が悪化し、出ていくことと似ている。
本書はアフリカから出た原生人類であるホモ・サピエンスがネアンデルタール人と交雑したとする。そのためにアフリカ人以外のホモ・サピエンスにはネアンデルタール人の遺伝子が含まれている(233頁)。アニメなど日本には白人と黄色人種には差がなく、黒人だけが異質という感覚がある。それはネアンデルタール人遺伝子の有無という観点では正しかった。
このネアンデルタール人遺伝子が入ったことはホモ・サピエンスの寒冷地などへの適応力を高めた(235頁)。純血主義が不利であることは生物学的に説明できる。

2018年8月6日月曜日

絶滅の人類史

『絶滅の人類史』は人類という種の誕生の歴史を明らかにする新書である。
本書の学問スタンスが勉強になる。筋が通った説明というだけではダメであると何度も繰り返される。筋が通った説明は必要条件を満たしても、十分条件を満たすとは限らないためである。
この点は日本の警察の見込み捜査と対照的である。見込み捜査は彼には動機がある、だから犯人であると決めつけ、自白を強要する。日本の警察の見込み捜査は科学的ではないと批判されるが、科学的な姿勢が本書から理解できる。
脳の大きさについての説明も面白い。一般に脳が大きいければ知能が高いことを意味し、良いことと考えられる。しかし、ただ大きいだけで使用していないならば無駄なエネルギーを消費することになる。それは生存競争上、不利になる。従って、そのような生物は絶滅しやすくなる。企業経営のリストラクチャリングに重なる話である。
よく人間ほど残酷な生物はいないと言われる。戦争を念頭に置いている。

2018年8月3日金曜日

悪女イブ

『悪女イブ』は人気作家が娼婦に溺れて破滅していく小説である。映画化された。
上記の説明では展開が容易に頭に浮かぶが、それほどステレオタイプな展開ではない。悪女が主人公を溺れさせるのではなく、主人公が勝手に破滅していくだけである。
イブは悪女と呼ばれるほどのことはしていない。男性を狂わせる魅力を感じさせる描写もない。主人公がイブに執心することが理解できない。正直なところ、イブと関わりたいという気持ちにならない。
本書の特異なキャラクターはイブよりも主人公である。主人公が人気作家となった要因には卑怯な秘密がある。実力が伴わないことは当然である。イブがいなくても破滅は避けられなかっただろう。本書はイブという悪女の物語ではない。

2018年7月31日火曜日

王様の仕立て屋

『王様の仕立て屋』はナポリの日本人の仕立て屋を主人公とした漫画である。一話完結型の作品である。顧客の服を仕立てることで、顧客の抱えていた問題を解決していく。『美味しんぼ』が料理、『ギャラリーフェイク』が美術を通して人の抱えていた問題を解決することに重なる。
『王様の仕立て屋』とのタイトルであるが、王室御用達ではない。そのため、王宮政治的な話はない。消費者が王様ということになるだろうか。それは東急不動産消費者契約法違反訴訟(東急不動産だまし売り裁判)原告として喜ばしい価値観である。
主人公は時代かかった言葉遣いをしている。それが職人らしさを表している。気取ったデザイナーとは別種の存在であることを示している。価格と品質が比例するというような浅ましい拝金主義ではない。
多くの人々にとってレディメイドの服を購入することが当たり前になっているが、オーダーメイドの服の良さが感じられる作品である。しかし、単純に昔は良かったとはならない。主人公の特徴は超特急で仕立てることである。

2018年7月29日日曜日

テイクツー第7巻

テイクツー第7巻では焼きそばソースを発端とするヤクザの抗争事件が勃発する。一方のヤクザの親分が無茶苦茶である。常識外れの主張を押し通す。抗争の泥沼化は必然である。若頭の林田与一には常識がある。常識的な提言をするが、親分には否定される。親分の異常性が際立っている。
ヤクザの論理に親が黒と言えば黒というものがある。本書の菊水会は、その論理通りの組織である。しかし、ヤクザ作品などで登場する真っ当なヤクザは、そこまで親分の理不尽な専横はない。どちらかと言えば、親が黒と言えば黒はダメなヤクザ組織を象徴させている。そして、このような体質はヤクザに限らない。公務員組織など日本の古い体質の組織に広く見られるものである。ヤクザの反社会性ではなく、特殊日本的集団主義の問題である。

2018年7月28日土曜日

市民選挙研究会、住民監査請求

市民選挙研究会が2018年7月に東京都新宿区で開催されました。私も参加しました。原則毎月開催する研究会です。
小金井市の監査請求の話が印象に残りました。報酬が11000円と規定されているのに、小金井市が10000円しか払っていなかった問題です。小金井市のミスは明らかですが、小金井市は、報酬を10000円と規定するところ、11000円と誤記したと主張しています。これが通るならば本来の正しい報酬が10000円で、10000円の報酬を受け取っていた人は損をしていないという言い分が出てきかねません。ルール無視の論理です。
私には似たような経験があります。私が購入したマンションは東急コミュニティーに管理を委託していましたが、東急コミュニティーは契約書に定められた点検回数よりも少ない回数で点検していました。真相発覚後に東急コミュニティーは契約書の記載が誤りで、実際の点検回数が正しいと正当化しました。東急コミュニティーは管理組合からの管理委託費値下げの依頼も拒否しました。管理組合は管理会社を東急コミュニティーから独立系に変更しました(林田力『東急コミュニティー解約記』Amazonキンドル)。
日本では声の大きいものの都合でルールが歪められ、負担や我慢を強いられがちです。小金井市の監査請求でルールを貫徹させたことは喜ばしいことです。

2018年7月26日木曜日

進撃の巨人24

進撃の巨人24巻は引き続きマーレが舞台である。また、ライナーの視点で壁の中への潜入生活が描かれる。最初からトラブルに陥っていた。不確定要素の多い無理な作戦であった。物語の冒頭でエレンらに絶望をもたらした壁の破壊であるが、破壊する側も余裕のない状況であった。
マーレの話では新たにタイバー家という名家が登場する。エレディア人の貴族であったが、マーレに味方してマーレで名家として扱われている。
黒幕として裏から操る一族との設定は、ロスチャイルドやロックフェラーを連想する。裏切った一族が裏切った先で勢力を持つ設定は田中芳樹『タイタニア』と重なる。
このまま壁の中を攻める話が進んでいくかと思われたが、この巻の終わりは意外な展開になる。これはライナーと同じくらい意表を突かれた。度肝を抜かれた。マーレを舞台とした叙述は読者に巨人の謎を説明する以上の物語の展開上の意味を持っていた。
過去の『進撃の巨人』はエレン達の認識した範囲で描かれたため、謎は中々分からなかった。これに対してマーレ編は与えられる情報量は多い。しかし、ここに来てエレン達は何をやっていたのかという謎が出てきた。

2018年7月25日水曜日

中東

中東の歴史を解説した書籍である。米国同時多発テロによってイスラム=過激派テロリストという決めつけがなされることの憂慮がある。本書は歴史を叙述することで、その決めつけを払拭しようとする。これは良いことである。イスラムに好意的な立場には左翼学生運動や日本赤軍の伝統を引きずっているのか、アメリカ帝国主義に対抗する勢力としてイスラムに期待したいという本音が見え隠れするものがある。ソ連の崩壊でソ連型社会主義には誰も見向きをしなくなった。それでもアメリカを認めたくないオールド左翼が代わりの旗印としてイスラムに期待する構図である。しかし、これは逆にイスラム理解の妨げになる。オールド左翼とは異なる人々のイスラムへの偏見を助長しかねない。
イスラム教にはスンナ派とシーア派の対立がある。
イスラム教はムハンマド以来、破竹のように広がったイメージがある。しかし、民衆に根付いたのは、神秘主義が広がったためとする。日本で鎌倉仏教によって仏教が民衆に根付いたことと重なる。時代的にも重なっている。
興味深い点はオスマン帝国をビサンツ帝国の継承者としていることである。イスタンブールとなって国際的な都に戻ったとする。

2018年7月19日木曜日

アッカ監察課

オノ・ナツメ『ACCA13区監察課』は架空の近代国家ドーワー王国を舞台とした漫画である。主人公ジーンは監察課の副課長である。何を考えているか分からないキャラクターである。データ送信時刻の差異から不正を見抜くところは切れ者である。データのチェックが主体の地味な仕事での見せ場になる。
やる気はなさそうであるが、実力はあるキャラクターは新しいタイプのヒーローである。昭和的な前に進むだけの頑張ります精神に魅力を感じにくくなっている時代を反映している。
本作品には、お洒落な雰囲気がある。しかし、実は全くお洒落ではない。ジーンには「もらいたばこのジーン」という大層な異名があるが、たかりであり、本来ならば恥ずかしいことである。公務員的な存在として最も許されないことである。
また、監察課のメンバーはおやつのケーキを楽しみにしている描写ばかりで、仕事をしているように見えない。別に足を棒にして頑張ることを求めるつもりはない。ジーンのようにデータから問題を見抜くならばケーキを食べても良いが、そのような描写はない。民間労働者としては公務員批判をしたくなる。このように実態はお洒落でないのに、お洒落な雰囲気にしてしまう作者の作品世界の構築力は恐るべきところである。

2018年7月17日火曜日

からかい上手の元高木さん

『からかい上手の元高木さん』は、山本崇一朗『からかい上手の高木さん』のスピンオフ漫画である。大人になった高木さんを描く。高木さんは結婚して名字が変わり、娘が産まれた。『からかい上手の高木さん』のその後が幸福な展開になっていることは喜ばしい。
『からかい上手の高木さん』のような強烈な笑いは乏しい。本家あってのスピンオフと感じた。代わりに小さな娘が親を振り回す要素が強い。この点で『よつばと』に重なる。但し、『よつばと』では周囲の大人との交流で話が広がっていくが、『からかい上手の元高木さん』は家族内で完結する傾向がある。
これは『からかい上手の高木さん』からの傾向である。『からかい上手の高木さん』は登場人物が少ないことが特徴である。思春期ならば互いに西片くんや高木さんのことばかり考えていても面白いが、社会人となると現実感が乏しくなる。滅私奉公の仕事中毒は時代遅れであるが、マイホーム主義も昭和の遺物である。個人が見えない点で裏返しの関係にある。

2018年7月16日月曜日

インド変わる大都市圏

地理2018年7月号は「インド変わる大都市圏」を特集する。近代化が進むインドの大都市圏を紹介する。
インドの発展は、社会主義計画経済色のある混合経済をやめてからである。官僚主導経済は個人を抑圧し、停滞をもたらす。これは日本も反省が求められる。高度経済成長の成功体験に囚われている分、日本は発展途上国に追い抜かれつつある。
インドと言えばカースト制度が近代化の障害となっている。20世紀の地理教育では依然としてカースト制度は強固と習った記憶がある。ところが、都市化によって身分と結び付いた伝統的職業がなくなり、弱まっている。それを「住民間の社会関係が分断されたアーバンビレッジでは、増大する地域問題を解決する地域の主体がなくなり、その解決はより困難になった」とマイナス面を評価している(澤宗則「大都市近郊農村からアーバンビレッジへの変容」47頁)。このような評価が出るところにカースト制度が現実に弱まっていることを実感する。何とかしてカースト制度を克服しなければならないとの問題意識からは考えられない評価である。

2018年7月14日土曜日

進撃の巨人23

『進撃の巨人』23巻はマーレの話とエレン達の話が平行する。マーレの話は別個の展開ではなく、エレン達に関係する話であった。
『進撃の巨人』は圧倒的な巨人に食べられる無力な人間という展開が話題であった。ところが、外の世界では科学技術の発達によって巨人の優位性が減少している。昭和のゴジラは過去のものになり、地球なめんなファンタジーというジャンルが登場した社会を反映している。
真相を知った政府首脳部は国民に情報公開を行う。これは素晴らしい。日本政府ではできないことである。これだけでも革命が起きて良かったと言える。
エレンは中二病扱いされる。シリアスな展開の中でシリアスな雰囲気を壊さずにギャグが入る。このような作品は中々ないだろう。
リヴァイとミカサ・アッカーマンは超人的な戦闘力を持っている。

ワンピース89巻

尾田栄一郎『ワンピース89』(集英社)はビッグマム編がほぼ終わる。完全に終わりではない。ルフィとカタクリの死闘に決着がつく。カタクリはルフィの強敵にふさわしい存在である。勝つために手段を選ばない卑怯者は強敵キャラクターとしても相応しくない。日本大学アメリカンフットボール部の違反行為は多くの人々を怒らせ、日本大学のイメージを失墜させた。
カタクリには兄弟姉妹にも隠している秘密があった。これまでは秘密を知られた人を殺してしまうほどであったが、ルフィとの闘いの最終局面ではさらけ出した。カタクリも一皮剥けて、これまでよりも強くなるのではないだろうか。
強敵カタクリとの対決はルフィが独力で進めるが、それ以外の点では多くのキャラクターに助けられている。これを万策尽きると、お助けマンが登場する御都合主義とネガティブに評価する向きもあるだろう。しかし、一人の力が圧倒的で、現実世界のバトルのように数量の優位性が機能しない世界で、仲間や友情の描き方として意味がある。強敵との闘いを直接手助けはできないが、ルフィができないことを行う。仲間を単なる解説者や応援者にしない。

はたらく細胞ブラック

『はたらく細胞ブラック』は体内細胞擬人化漫画『はたらく細胞』をブラック労働に置き換えたスピンオフ漫画である。表紙の赤血球と白血球は『はたらく細胞』と男女が逆パターンである。
ブラック企業は社会問題になっている。ブラック企業の周りにはブラック士業なども蠢いている。『はたらく細胞』では細胞達が自発的に楽しく働いているように見えるが、そのような職場環境ばかりかということは誰しも思うことだろう。その意味で好企画である。
本作品の人体はストレスや喫煙などブラックである。このために細胞の労働環境も過酷である。それでもブラック企業という観点では物足りなさがある。ブラック企業の最もブラック企業らしい特徴はパワハラだろう。東急ハンズ過労死事件は長時間労働としては相対的に少ないものの、高額の損害賠償が命じられた。そこにはパワハラの存在が考えられる(林田力『東急ハンズ問題』アマゾンKindle)。本作品は東急ハンズのパワハラのようなブラック企業らしさが乏しい。大変な状態であるが、皆で頑張って何とかしようという世界である。

2018年7月13日金曜日

ミスタージパング2

椎名高志『MISTERジパング』(小学館)第2巻は蜂須賀小六とのエピソード「蜂須賀村の決闘」の続きである。タイトルが映画作品のタイトルを連想させる点は『ゴーストスイーパー美神極楽大作戦』に重なる。因みに第1話は「天下を狙え」であった。
歴史漫画であるが、現代感覚が随所に出る作品である。この点は同じ週刊少年サンデー連載作品の『虹色とうがらし』と共通する。
織田信長と蜂須賀小六の対立を日吉の知恵で回避しようという展開であるが、無理を感じた。信長は小六と全面対決するつもりはなく、実行者を差し出せば撤収すると考えているが、実行者が小六本人でなかったとしても、無法に乱暴を働いた訳ではない人物を差し出す理不尽を小六が受け入れることはないだろう。信長の考えでは全面対決に至るだろう。
蜂須賀村に圧力をかける織田方が暴走族風である点も信長の浅慮を印象付ける。うつけ者や傾き者を昭和のヤンキーや暴走族に重ねることは安直である。たとえば『花の慶次』で描かれた本物の傾き者はヤンキー暴走族のような自称傾き者を潰す存在であった。ヤンキーが恥ずかしい風俗になった現代ではヒーローを暴走族風にすることはマイナス効果だろう。
続く鷹狩りの話では信長がゲームの枠組みを崩すような戦い方をする。

東急リバブル東急不動産のマンションだまし売りに対しては消費者の怒りの鍋がグツグツと煮えくり返ります。具材が全部溶けて、スープと化してしまうほど煮えたぎります。

2018年7月11日水曜日

ミスタージパング

椎名高志『MISTERジパング』(小学館)は戦国時代を舞台にした歴史漫画である。週刊少年サンデー連載作品。豊臣秀吉の少年時代・日吉が主人公である。天文17年(1548年)の尾張国の森の中で日吉は強盗に遭っていた。そこで織田信長と徳川家康(松平竹千代)に助けられる。そこから信長との接点が生まれる。
信長は常識人から見ればうつけであり、暴君であるが、実は考えているキャラクターと描かれる。破滅的な戦争に突き進んだ第二次世界大戦の日本軍人よりは、はるかに理性的である。
日吉は武力はないが、他の人が思いつかない知恵で解決するキャラクターである。日吉の知恵は相手をだまして利用する悪徳不動産業者のような卑怯なものではない。自分の責任を逃れるために相手に我慢や負担を押し付ける無能公務員のようなものでもない。
竹千代は何故か関西弁を喋る、お調子者である。伝統的な徳川家康イメージからするとキャラクターが崩壊している。
作者は『ゴーストスイーパー美神極楽大作戦』が有名である。日吉と信長の考えは同一ではないが、極楽大作戦からは日吉が信長に利用される展開を連想する。横島は美神が好きで自分から飛び込んだ点が異なるものの、いいように使われてしまう点に類似性を感じる。

寺遊祭にゴミダス出展

寺遊祭にゴミダスを出展します。ゴミダスは伸縮型ゴミステーションです。ゴミ集積所の美化に貢献します。使用しない時は畳むことができます。錆びにくい金属を使用しています。広島県などで実際に設置されています。
さいたま市のゴミ集積所では鳥獣対策に黄色のネットが使われていますが、カラスなどは学習しており、ネットに潜り込んでゴミを漁っています。ゴミダスは鳥獣対策になります。
寺遊祭ではゴミダスをゴミ箱として設置します。ゴミダスを体験してください。

2018年7月9日月曜日

はたらく細胞

『はたらく細胞』は赤血球や白血球などの細胞を擬人化して人体の仕組みを描く漫画である。自分の体がこのような仕組みになっているかと感じていとおしくなる。
面白い点は個々の細胞が各自の意思で行動する市場主義的な世界観になっていることである。一部に指揮命令関係があるが、指導者が全体を指揮する官僚制に陥っていない。それが漫画の世界を明るくしている。
スギ花粉症の話のように個々人が各自の職務を行う部分最適を追求した結果、大きな被害を出すことがある。それでも日本の官僚制のように上の間違った方針に全員が一丸となって邁進して大失敗する弊害を避けられるだけ優れている。
ウイルスが侵入するなどの病気に対して細胞達は自律的に対処している。これが自然治癒力である。発熱や食欲減退のように病気の症状と考えられるものも、病気を治そうとする自然治癒力の働きの結果である。だから少しくらいの熱が出たということで病院に行くよりも、自然治癒力に任せて治すことが良いと感じる。逆に薬が体内に入ると薬は正常な細胞も攻撃して体内は大変なことになる。薬漬け医療の問題点を感じた。

2018年7月8日日曜日

シュトヘル2巻

第2巻はシュトヘルにスドーが入れ替わる前の話である。ユルールとシュトヘルの関係が描かれる。物語の主人公はユルールだろう。ユルールは血筋がなければ弱肉強食の世界で真っ先に殺されそうな印象があるが、その言葉は人の心に響く。復讐の鬼になったシュトヘルも変えていく。
脇役も戦乱によって心を病んでいる。現代のようにトラウマやPTSDなどの分析はないが、過去の人々も同じだろう。
ユルールは目が印象的なヴィジュアルである。

2018年7月7日土曜日

シュトヘル

伊藤悠『シュトヘル』(小学館)は現代高校生がモンゴル帝国に滅亡寸前の西夏の女戦士に入れ替わるタイムスリップ歴史漫画である。但し、第1巻では入れ替わった主人公の活躍は描かれない。序盤の現代高校生活を除けば、純然たる歴史漫画になっている。
シュトヘルは悪霊の意味である。モンゴル兵から悪霊と恐れられた。しかし、最初はひ弱な女兵士であった。第1巻では悪霊になるまでを描く。
西夏と言えば映画『敦煌』があり、武断的な国とのイメージがある。これに対して本作品では独自の文字を大切にする文明国である。戦争はモンゴルに圧倒され、西夏は破壊される一方である。その中でモンゴル側の人物が西夏文字に憧れを抱く。
漢民族と遊牧民の物語では漢民族の側に中華思想があり、遊牧民を見下しているために遊牧民側に感情移入したくなることもある。これに対して本書には中華思想のような優越感はなく、武に対する文の価値を素直に応援できる。
第2巻はシュトヘルにスドーが入れ替わる前の話である。

2018年7月4日水曜日

毒出しうがい

『毒出しうがい』は歯科医が虫歯や歯周病を予防する方法を紹介した書籍である。歯磨きよりも効果があると主張する。私も毒出しうがいを励行したい。
歯磨き粉に否定的な点は『歯はみがいてはいけない』と共通する。日本の医療が治療重視で予防が軽視されているとの指摘も共通する。
毒出しうがいは歯磨きよりも簡単にできる。水があれば良い。しかし、真面目に行うと、かなり疲れる。歯磨きと異なり、手を使わなくてもできるが、普段使わない口の筋肉を使う。
これまでの歯磨きが惰性でやっていたという面がある。日本は食後の歯磨きの習慣化を推進してきたが、それは形式主義だったと言えるかもしれない。形式的に行わせて満足という公務員体質は日本社会のあちこちに存在する。無駄な作業が増え、日本社会の生産性が低くなる原因である。

2018年7月2日月曜日

極道ピンポン

遠藤徹『極道ピンポン』はヤクザが卓球で対決する小説である。ヤクザの出入りが殺しあいではなく、卓球勝負になっている。何とも馬鹿馬鹿しい設定であるが、卓球の対決の描写も馬鹿馬鹿しいほど細かい。
途中で映画撮影の話になり、メタ作品かと思いきや、並行した物語になっている。最後は予想外の展開になった。思いもしなかった良い話で終わっている。表紙のイラストからは想像できない爽やかな読後感をもたらした。ヤクザは現実世界では反社会的勢力であるが、ヤクザだからこそ人を救えるというフィクション世界のリアリティーがある。
著者は学園小説『七福神戦争』を同時刊行している。これがラノベならば、本書は劇画的である。『七福神戦争』は人間の幸福という骨太のテーマを背景にしながら、最後は不完全燃焼気味で終わった。本書も何かの決着がつくという終わり方ではないものの、物語としては素晴らしい終わり方になった。

東急不動産だまし売り裁判

東急リバブル東急不動産のマンションだまし売りに対しては消費者の怒りの鍋がグツグツと煮えくり返ります。具材が全部溶けて、スープと化してしまうほど煮えたぎります。

2018年6月30日土曜日

花咲かぬリラ

東急リバブル東急不動産は不利益事実を告知せずにマンションをだまし売りした。それで問題にならないと考えていたならば、幼児用プールのように浅い考えである。マンションだまし売りは人間としての尊厳を置き忘れた所業である。

山本周五郎「花咲かぬリラ」は第二次世界大戦後の日本を舞台とする。復員兵が米作一辺倒の日本の農業を批判し、酪農を始めようとする。食を欧米化することが進歩的な発想とする。21世紀に生きる現代人から見たら倒錯である。今や和食は健康的と評価され、日本人の洋食化が生活習慣病を増加させたと批判される。米作は生産性が高いとされ、アジア人が肉食を増やしていることが世界の食料危機を高めている。
本作品は現代小説とされる。作品執筆時を舞台としている点では現代である。しかし、江戸時代を舞台にした小説を読むよりも古さを感じる。時代小説の方が人間の普遍性を感じる。時代は動いている。昭和戦後は一時代前という認識が必要だろう。昭和戦後の価値観と現代に求められているものは大きく異なる。

2018年6月29日金曜日

歯はみがいてはいけない

森昭『歯はみがいてはいけない』(講談社、2016年)は歯科医師による歯の健康の書籍である。食後の歯磨きや歯磨き粉など既存の常識を否定する大胆な書籍である。世界的には歯磨きは起床前と就寝前に行うものとする。歯磨き粉の普及は歯磨き粉メーカーの営業政策によるものに過ぎない。歯磨き粉で口の中が磨かれたような感覚になるが、それは実際に磨かれたかとは別問題とする。
本書の素晴らしいところは歯科衛生士の役割を高く評価していることである。歯科医が別の職種の歯科衛生士を評価することは中々できることではない。下に見る歯科医が多いだろう。同質性の高い日本は相違を相違として受け止めず、上下関係でしか見られない人間が多い。役割が違うだけということが理解できない。
本書の予防重視や薬漬け医療批判は全ての医療分野に当てはまることである。一方で寝たきりや延命治療についての主張には異論がある。日本で寝たきりが多くなる背景には車椅子生活が不便という環境の貧困があるだろう。延命治療をするかしないかは社会的必要性ではなく、自己決定権の問題である。

2018年6月28日木曜日

貧乏神が

『貧乏神が』は貧乏神と貧乏神に憑かれた女子高生の攻防を描くドタバタコメディ漫画である。タイトルは貧乏神の仕打ちに怒った女子高生の「この貧乏神が」という叫び声である。第1巻はドタバタコメディの名に恥じない抱腹絶倒の展開である。一方で巻が進むにつれて女子高生の人間的成長をサポートするという道徳的要素が強まっていく。それを物語の成熟とみるか、面白さの減少とみるかは評価が分かれるだろう。貧乏神が何を考えているか分からないから面白い。実は相手のことを真剣に考えていたとなると無理やり感動話にしようとしている感も出てしまう。笑えて泣ける話を狙っているのかと感じてしまう。それとも、さらなるどんでん返しがあるのだろうか。
とはいえ、現実世界には自己の責任逃れが第一で、相手に負担を押し付け、目の前の問題の解決しか考えない無能公務員的な存在が横行しており、多くの人が無能公務員に虐げられている。その種の無能公務員はコミュニケーションの輪の中に入れることすら嫌悪するのが人情である。相手のことを考える存在でなければ、やり取りする資格すらない。本心を描くことで貧乏神は読者が受け入れられるキャラクターになる。
本作品ではプリクラがあったり、カラオケでモーニング娘。が歌われたりと世紀の変わり目の風俗が描かれる。ロスジェネ世代には懐かしさを覚える。

2018年6月27日水曜日

だだら団兵衛

山本周五郎「だだら団兵衛」は武士が主君の命で移動中に山賊に襲われる展開が「山だち問答」と共通する。主人公の山賊への態度も同じである。「山だち問答」は孤立を怖れない侍のストイックな生き方が前面に出る。明治の立身出世主義や戦後昭和の右肩上がりの経済成長のアンチテーゼとなる思想である。これに対して「だだら団兵衛」は娯楽小説に仕上がっている。それでも立身出世を求めない点で著者の精神が込められている。
「宵闇の義賊」は義賊とされる鼠小僧治郎吉を捕らえる側から描いた作品である。盗んだ金の大半は自己の遊興に使い、一部を貧者にばらまくことで義賊と持て囃される欺瞞を指摘する。一方で鼠小僧治郎吉を捕らえる方法は卑怯である。正面からでは鼠小僧治郎吉に敵わないと言っているようなものである。それでも組織を背景にせず、一人で戦っている点で現代日本の警察権力のような卑怯さはない。
時代小説は江戸時代のものが多いが、「城を守る者」は戦国時代、上杉謙信の家中の話である。後方の重要性を指摘する。

2018年6月25日月曜日

ブラックペアン

ブラックペアンのテレビドラマの良いところは、医療過誤を許さないという正義感を前面に出したことである。原作シリーズは医者が書いており、原因究明に熱心な点は高く評価するが、医者の責任追及に批判的なところもあり、患者サイドとは言えない。失敗した医者に厳しい渡海のスタンスは医療過誤を許さない点で筋が通る。
逆に原作の渡海は、腕は良くても患者への説明に問題があり、そこに学生だった田口公平は反発する。ドラマでは患者への説明という点でも変に気を使って隠さない分、渡海が最も率直である。
治験コーディネーターの描かれ方が現実離れしていると抗議されたが、医療過誤を許さないという思いの共有者として意味があった。病院の部外者が手術を見ることはチェックの点で大きな意味がある。現実は契約を取るために何でもする出入りの業者になりがちで、チェック機能は期待しにくい。そのような現実があるからこそ、現実離れした治験コーディネーターを描く意味がある。

2018年6月22日金曜日

やぶからし

山本周五郎『やぶからし』は江戸時代を中心とした時代小説の短編集である。他の短編集では町人や遊女の物語があるが、本書は武家の物語で構成されている。但し、最後の短編「ばちあたり」は現代が舞台である。
表題作「やぶからし」は「女心のひだの裏側をえぐった」と紹介される。しかし、本書の多くの短編は武士の精神を描いたものである。人情物よりも侍物が好きな読者に向いている。
主人公の侍達は世間的な優等生ではなく、逆に同輩から嘲られもするが、ある種の人物である。時代小説であるが、窮屈な組織に苦しむ現代人に重ね合わせることができる。「山だち問答」では警察の裏金作りのようなことが行われている。山本周五郎は昭和の大衆文学であるが、21世紀人にも響く。
「やぶからし」は、やぶからしのように役に立たない人間と自嘲している。あすなろになぞらえた「あすなろう」と類似する。紹介文には「幸せな家庭や子供を捨ててはしる」とあり、どうしようもない人間の話かと思ったが、紹介文がミスリーディングであった。

2018年6月19日火曜日

失敗の本質

十五年戦争の日本軍の失敗を分析した書籍である。ノモンハン事件やミッドウェー海戦、インパール作戦などを取り上げる。本書の優れた点は個々の戦場の分析に特化していることである。このために、そもそも巨大な米国と戦うことが無理であったという逃げに走らずに済む。たとえ米国に勝つことが無理ゲーであったとしても、個々の戦場で日本軍は明らかに無駄な戦い、稚拙な戦いを展開して兵力を消耗した。その失敗に学ぶことは教訓になる。むしろ戦争目的が正しいか否かという大きな議論以上に日常生活における決断の局面では役に立つだろう。
本書を読んで感じたことは、日本軍の失敗が現代の公務員的な無能と重なることである。失敗を重ねた軍人のメンタリティは、責任逃れを重ねる無能公務員のメンタリティに重なる。現代の日本は戦前の反省を活かせていない。これは恐ろしいことである。
無能公務員的メンタリティの改善策は、情報共有の徹底になる。目の前の火を皆で協力して消すことに邁進する日本的集団主義が個々の失敗を隠蔽することに働く。やはり情報公開が改革の一丁目一番地である。

2018年6月18日月曜日

1型糖尿病をご存知ですか

宮川高一『1型糖尿病をご存知ですか』は1型糖尿病を紹介した書籍である。糖尿病には1型と2型がある。糖分の摂り過ぎなどでなるのは後者である。
1型はウイルス感染などを契機として自己の免疫システムが自己のインスリン分泌細胞を攻撃し、破壊することにより起きる病気である。本人の生活習慣や肥満とは無関係である(16頁)。本書はインスリンを摂取すれば非糖尿病患者と変わらずに生活できるため、1型は一つの個性と主張する。しかし、この点が知られておらず、1型糖尿病患者は社会の偏見などに苦しんでいる。私も本書で1型糖尿病を知った。
本書の特徴は医者の書籍であるが、患者や家族のブログ記事や手記を収録していることである。それによって医者だけの書籍では感じにくい患者や家族の思いを知ることができる。
興味深い患者の取り組みとして、患者をロールプレイングゲームのレベルで呼びあっている。たとえば発症から10年経った患者はレベル10である(144頁)。生き続けようとする意欲が湧いてくる。
本書の対象は1型糖尿病であるが、その患者本位の医療姿勢は全ての医療に適用されるべき普遍性を持つ。実際、「結びにかえて」で日本の医療には古い「知らしむべし、よらしむべからず」という家父長的体質が残存しているとしつつ、一番の変化は患者医療者関係であると指摘する(208頁)。

さいたま市桜区

林田力『さいたま市桜区』(アマゾンKindle)は、さいたま市桜区を中心に、さいたま市の地域情報をまとめた。
Saitama City Sakura Ward is a ward of Saitama City. Saitama City is the capital and the most populous city of Saitama Prefecture, Japan. Its area incorporates the former cities of Urawa, Omiya, Yono and Iwatsuki. Saitama City has ten Wards.
【書名】さいたま市桜区/サイタマシサクラク/Saitama City Sakura Ward
【著者】林田力/ハヤシダリキ/Hayashida Riki
【出版社】江東住まい研究所/コウトウスマイケンキュウジョ/Koto House Laboratory

さいたま市桜区の長閑さを大切に
さいたま市桜区
さいたま市
鴨川堤桜通り公園
さいたま市桜環境センター
しびらきマーケット
田島の獅子舞
田島氷川社
からやま町谷店の極ダレ
道とん堀さいたま道場店
魚悦浦和大久保店どッキン市
浦和卸売市場
浦和うなこちゃん
別所沼公園
与野公園ばらまつり
武蔵野線大宮支線
首都圏対流拠点シンポジウム
六間道路
さいたま市桜区の渋滞交差点
浦和ナンバー
さいたま市桜区の水道
『地下水は語る 見えない資源の危機』
マンモス小学校
さいたま市議会議員選挙
埼玉県の最低賃金
『埼玉 地名の由来を歩く』
埼玉県警巡査が乳児揺さぶりで死なせる
さいたま市桜区道場でネズミ捕り
中野相続裁判さいたま地裁
さいたま地裁に移送
第1回口頭弁論
中野相続裁判さいたま地裁6月22日傍聴・取材のお願い
自己紹介
趣味
どんな子どもだったか
自分の考え方に影響を与えた出来事
起きて半畳寝て一畳
明日の約束
秋ヶ瀬公園スポーツアカデミーパーク構想
情報公開さいたま
さいたま市をエストニアのような電子政府に
これはおかしい、不思議でならないもの

2018年6月15日金曜日

樅ノ木は残った中巻

山本周五郎『樅ノ木は残った』中巻。仙台藩では上級武士達は互いを各々の領地の地名で呼びあっている。
原田甲斐は敵を欺くには味方からを実践している。この原田甲斐の姿勢では味方を失っても仕方がない。甲斐としては自分が犠牲になればよいと覚悟し、多くの人を巻き込みたくないのかもしれない。柿崎のような胡散臭い人物には容易に腹の内を空かさないことは当然である。一方で昔ながらの人物も膝詰めで談判し、自分には腹の内を明かしてくれるだろうという内々の特権意識が感じられる。甲斐には現代的なリーダーの資質であるビジョンの共有や透明性に欠けていると感じたが、周囲もどっちもどっちである。
甲斐と伊達兵部の対決であるが、甲斐の動きは見えにくく、対決そのものではない日常描写もあるため、兵部のターンの方が読み応えがある。さらに甲斐とも兵部とも異なる立場の脇役のターンもあり、これが人情物の要素が色濃い。物語の展開を早く読みたい向きには異論があるだろう。中巻の後半で甲斐と繋がっていく。
話が進むにつれ、藩内の御家騒動という以上の陰謀が見えてくる。江戸幕府と外様大名というスケールの大きな話になる。甲斐の消極性はじれったく感じられるが、藩内に紛争を起こすこと自体が敵の狙いであるならば意味がある。

中野相続裁判さいたま地裁

日本海賊TVで中野相続裁判さいたま地裁を取り上げた。中野相続裁判さいたま地裁第2回口頭弁論が6月22日に埼玉県さいたま市浦和区のさいたま地方裁判所で開かれる。
中野相続裁判は東京都中野区に住んでいた被相続人の相続紛争である。紛争の過程で被相続人の長男が無断で経管栄養の流入速度を速めたり、治療を拒否したりしたことが明らかになった。高齢者虐待につながる社会的意義のある裁判である。
裁判前に長男の弁護士が長女に対して「長女に遺留分はない」と書いてきた。番組では、弁護士としてありえない主張と強く批判された。法廷では通用しない主張であるが、相手が弁護士が書いたものと盲信して騙すことができればラッキーという主張である。相手の無知につけこむ理屈である。まともな弁護士ならば依頼人の無理筋の主張を説得するものではないか。現代ではブラック弁護士が問題になっている。ブラック弁護士の言うがままに印鑑を押してはならない。
長男が経管栄養の流入速度を速めたことは問題である。相続から排除されても不思議ではない。

2018年6月14日木曜日

ユーキューホルダー

不老不死となった少年を描く少年漫画である。第1巻は丸々導入部である。物語の本筋に入っていない。絵柄からイメージしにくいが、根性物の要素がある。
未来の日本の物語である。軌道エレベーターがあり、魔法が使える世界である一方、人口が減少し、過疎化が進んでいる。主人公の暮らしている地域は、のどかな田舎である。
主人公は鈍感なほど前向きという典型的な少年漫画の主人公タイプである。読んでいて恥ずかしくなるくらいである。今時の作品ならば、もう少し影があったり、ひねくれていたりする方が自然である。何故ならば前向きに頑張れば何とかなるという発想こそが個人に負担を押し付け、個人を苦しめる傾向になっているからである。それでも複雑な事情を背負ったキャラクターに対しては、主人公の鈍感な前向きさが救いになっている。
第2巻は物語の本筋に入っていく。主人公達は地上げ屋の手先から住民を守ろうとする。人々の生活を破壊する地上げ屋は敵勢力にふさわしい。
第3巻は本格的な戦闘が展開される。

2018年6月12日火曜日

脳梗塞は油が原因

脳梗塞などは油が原因と主張する書籍である。ストレートなタイトルである。よく塩分が問題視されるが、塩分が原因ではないとする。冤罪(塩罪)と上手いことを言っている。
著者は医者であるが、効果のない薬による治療は否定する。その上で油を使わないなど食生活の改善による健康維持を勧める。唐揚げが好きな私は気を付けなければならない。
恐ろしい点は植物油、ココナッツオイルなど健康に良いと思われているものも摂取しない方が良いとの指摘である。オーガニックやベジタリアンなど健康志向の人で油をとっている人は少なくなさそうである。
また、本書はパン食、特に菓子パンを問題とする。但し、味のついていない食パンは、それほど問題ではないとする。ここでも多くの健康書籍で指摘されるパンよりご飯が当てはまる。
一般に肉よりも魚が健康に良いとされる。それに本書も従うが、魚の脂肪も問題とする。鯖など油の多いものばかり食べると問題である。

2018年6月11日月曜日

樅ノ木は残った

山本周五郎『樅ノ木は残った』は江戸時代前期の伊達騒動を描いた長編時代小説である。新潮文庫で上中下3巻になっている。NHK大河ドラマにもなった。
悪役に位置付けられがちな原田甲斐が主人公である。本書の原田甲斐は真っ当な人物として描かれているが、何を考えているか分からないところがある。そのために読者はじれったく感じることがある。
仙台藩の藩祖の伊達政宗は戦国大名として領土を拡大しながら、新時代に適応できた人物である。しかし、政宗個人に適応力があった分、仙台藩の体制は中世的なままと感じた。家臣が各々領地を持っている。他の藩が藩士をサラリーマン化して一円支配を進めたこととは異なる。伊達政宗は芯から戦国大名だったと感じた。
この家臣が独立領主になっている点は御家騒動が激化する要因と説明されがちであるが、それは結果論である。サラリーマン化して藩内の地位が全ての方が権力闘争が激しくなる。

2018年6月9日土曜日

写真撮影

マンション投資をしていると毎日、自分が汚れていくように思えます。

会議の議題を提起します。
ポスティング。チラシ第一号は印刷済みですので実際に行うだけです。
写真撮影はスキルある人に依頼するとして、コンセプトを決めたいと思います。
何を着るのか。ネクタイをするか。色をどうするか。
表情はどうするか。笑顔にするか、歯を見せるか。
正面から撮影するか、斜めにするか。
ポーズはどうするか。腕組みをするか、人差し指を上に立てるか。
まずスマホでも良いので、撮影して検討することが良いと思います。それが実会議の意味になります。
また、早く撮影する意味は同じ写真を使って統一したイメージを持たせることです。現時点はスマホ画像でも使えると思います。

武蔵野健康ランド

武蔵野健康ランドは埼玉県川口市にありますが、武蔵野線の東浦和駅が最寄りです。南浦和駅からもバスが出ています。24時間営業です。
電気風呂のビリビリは弱めです。強いビリビリが苦手な人も大丈夫です。
薬湯風呂は濃厚です。匂いも濃厚です。私は何故か皮膚がチクチクしたので切り上げました。
露天風呂は大自然の中とはいきませんが、空は広いです。23区の施設のように建物が目に入ることはありません。
食事処で冷やし中華のゴマだれを食べました。
入館すると下足箱に靴を入れて鍵をかけ、鍵を持って受け付けに行きます。手前の下足箱は理容室専用であり、奥の下足箱に入れます。受付に下足箱の鍵を渡し、ロッカーの鍵を受け取ります。この下足箱の鍵の番号とロッカーの鍵の番号は同一です。このため、複数人で入館し、一人がまとめて受付し、バラバラに帰ると靴が違うということになりかねません。

2018年6月8日金曜日

変わる農村と田園回帰

雑誌『地理』2018年6月号は「変わる農村と田園回帰」を特集する。田園回帰と言えば効率優先や文明批判のようなイデオロギー的な文脈で使われることが多い。しかし、本書の論文は、その種のイデオロギーから距離を置いて分析している。若者には地方居住志向があるが、それは情報通信技術の発達で都会と田舎の生活格差が減少したことが一因とする(小島泰雄「田園回帰といかに向き合うか」17頁)。
顕著なものは反都市化の論文である(磯田玄「田園回帰は反都市化のさきがけか?」)。欧米でも田園回帰相当の現象が起きており、反都市化と呼ばれる。この反都市化も文明批判のイデオロギーに使われそうな言葉であるが、都市の人口が増え、住みにくくなったために地方へ移住するという市場原理的に説明される。
田園回帰が市場原理的な平準化ならば、その阻害要因は農村の閉鎖性である。住宅や雇用をオープンに得られるようにすることが解決策になる。イデオロギー的な農村回帰論では農村の濃厚な人間関係を美化する傾向があるが、それは逆効果になりかねない。
一方で記事では市場主義的な反都市化の問題点を指摘する。富裕層の地方移住で地方の住宅価格が上がり、元からの住民が住めなくなるという問題である。これは日本では世田谷区の二子玉川など超高層マンション建設で起きている。

2018年6月7日木曜日

風よ、空へ

『風よ、空へ』は傾きかけている大企業のエンジニアが風力発電に取り組む話である。冒頭は退職強要面接から始まる。主人公は早期退職を求められる。同期の多くは既に早期退職した。何ともやりきれない話であるが、主人公より下の就職氷河期世代(ロスジェネ世代)からすると同情一辺倒にはならない。氷河期世代の方がもっと大変という感覚である。個の自由を望みながら、競争を強いられ、プレカリアスな仕事が増えている。
また、本書には80年代のメードインジャパンが世界を席巻した頃の日本のものづくりを取り戻したいという思いが感じられる。これも20世紀末のインターネットブーム後に社会に出たロスジェネ世代にはピンと来ない。デジタル化の遅れた日本は当たり前であり、遅れているとの自覚を最初から持っている。
しかし、話が進むにつれて、80年代的な日本の誇りの要素は薄くなる。自前主義ではなく、海外企業の技術利用を考えるようになる。海外の技術者も繊細なところを持っており、心は同じとの台詞が登場する。
最後は想定外の展開になった。想定外の事態に救われた形であり、それがなければどうなっていたか。

裸足で歩ける場所を作ります。

2018年6月4日月曜日

白竜7巻

白竜7巻は報道問題の続きである。権力者が破滅するという勧善懲悪のカタルシスは楽しめなかった。代わりに家族の人情話が入った。
次の話は剛野理事長が主人公の話である。白竜はチート的な存在であり、剛野理事長の話の方が白竜以上にヤクザ漫画らしい。そのヤクザ的なヤクザである剛野の口からヘッドハンティングという民間企業の言葉が出た。
話の途中で終わっており、続きが気になる。
剛野は最初、理不尽な暴君のキャラクターであり、若頭にも理不尽な振る舞いを重ねて陰で裏切られた。これに対して次の若頭の柳川は剛野への忠誠心が篤く、剛野も柳川の言うことは聞いている。強固な関係である。

2018年6月3日日曜日

信長のシェフ21巻

『信長のシェフ』21巻は上杉謙信との戦いである。史実では織田軍団が脆くも敗れ去っており、どのように本作品が描くのか興味深い。この巻では手取川の戦いまで進まず、続きが気になる。また、主人公の料理で歴史が動く展開が本作品の定番であったが、この巻では信長が史実では考えられないような方針を出しており、それがどのような結果になるか想像つかない。
手取川の戦いの前には柴田勝家と羽柴秀吉の仲間割れが起きた。本作品の勝家は一般に流布されている横柄イメージではない。羽柴秀吉も勝家との感情的対立ではなく、冷静に計算して別行動をとった。

東急不動産消費者契約法違反訴訟を通して東急不動産の対応はどんどん悪くなり、腐っていくばかりでした。

2018年6月1日金曜日

ながい坂

『ながい坂』は山本周五郎の長編時代小説である。贅沢を否定する主人公の美意識は心地よい。単純な料理でも心がこもっていて人を感嘆させる(539頁)。味と価格が比例するという類の浅ましさはない。
贅沢を否定する美学は庭にも表れている。「自然のままの、少しの気取りもない野末のけしき」を以下のように評している。「どんなに費用をかけ、贅をつくして造った庭も、このけしきには遠く及ばない」(下巻12頁)
主人公は家族との関係は駄目だが、社会では有能である。よく「斉家治国平天下」「慈善は家庭から」と言われるが、主人公には該当しない。そのようなパターンもあるだろう。あれもこれもを目指さなくても良い。
御用商人は藩から独占権を得て、莫大な利益を上げている。独占権には業界の庇護者としての責任があるという名目になっている。「ところがしばしば、その「責任」は「権利」に転用され、業者を庇護するより、かれらを支配し、思うままに操縦する、という結果があらわれるようであった」(540頁)。これは現代日本の公共性の論理と重なる点がある。故に規制緩和が改革として求められる。
「臭いものにはなにもかも蓋をしてしまう、蓋をして押えてしまえば、それで万事がおさまると思っているらしい、だがそうはいかない、湯は沸くものだし、沸騰点に達すればどんなに重い蓋でもはねとばすだろう」(山本周五郎『ながい坂(下)』新潮文庫、1971年、24頁)
「怒りと屈辱感で血をわかし、こんな無条理なことが二度と起こらないような合理的な世の中にしてみせると心に誓った」(76頁)

区長の公募制や住民選挙を研究します。
教育委員会の活動をオープンにします。情報公開を進めます。
木を伐らないで残すことは、鳥獣の田畑や市街地への進出を抑えることになります。

2018年5月30日水曜日

愛国者のトリック

マンションだまし売りやマンション投資には慰めもなければ安らぎもありません。あるものは感情の対立と警戒と敵意のようなわだかまりだけです。マンション投資の迷惑勧誘電話は人間を冒涜し、悪どく嘲笑します。マンション投資は狭い穴の中に閉じ籠るようなことになります。

『ギャラリーフェイク』「愛国者のトリック」は藤田が右翼の大物フィクサーの依頼を受ける。フィクサーは日本の宝である雪舟の水墨画の国外流出を阻止しようとする。志は立派であるが、行っていることはだましである。大物フィクサーの前でも軽口を慎まない藤田の反骨精神は見事である。中でも藤田の相互主義の論理は注目に値する。
フィクサーは日本の美術品の国外流出を阻止することで愛国者を任じている。一方で自分の邸宅で海外の美術品をコレクションしている。これをフィクサーは自国文化を唯一とする偏狭さはなく、海外文化も評価する心の広さと自賛する。これに対して、藤田は海外の愛国者が自国の美術品が日本に流失していることを知ったら何と思うかと皮肉を述べる。
ここに相互主義の精神がある。美術品の海外流出に反対するならば、海外の美術品を自国に持ち込んではならない。この話にはオチがあるが、相互主義の観点から正当な結末である。フィクサーは同情に値しない。

へうげもの3巻

へうげもの3巻は本能寺の変から山崎の合戦までである。作品の面白さはトーンダウンしたと感じた。松永久秀の話を聞かずに平蜘蛛の茶釜に見とれるなど名物狂いが面白かった。ところが、この巻では古田織部が名物にときめかなくなっている。代わりに路傍の草花や縄文土器にときめているが、過去の名物への熱情に比べると弱い。これは室町時代の伝統的価値観から独立した自己の美意識を形成する過程にあることを示すもので、物語としては必要なものである。
山崎の合戦に至る武将達の描き方はユニークである。徳川家康は義に熱い。黒田官兵衛は多くの場合、本能寺の変を天下取りのチャンスと捉え、羽柴秀吉を焚き付けたと描かれる。ところが、本書では羽柴秀長の方が腹黒く、官兵衛は蚊帳の外である。秀長は豊臣政権を支えた人物である。豊臣政権の失策は秀長没後から目立つ。そのために秀長は善人に描かれがちであるが、陰謀家としての裏の顔があったために豊臣政権を支えられたのかもしれない。

2018年5月25日金曜日

つながれつながれいのち

『つながれつながれいのち』は暴走車が起こした交通事故で息子を失った母親の詩集である。息子を失うという理不尽や不条理への怒りを赤裸々に描いている。日本社会は被害者に抑制を求める風潮があるが、これが自然な感覚である。不条理な目に遭ったら泣き寝入りしてはいけない。
終盤には加害者に「精いっぱい生きて」と語りかける詩もある(100頁)。過去を水に流すことを美徳とする日本社会は、この種の和解をもてはやしがちである。そこばかり注目する向きも出そうであるが、それは本書の意図とは異なるだろう。「許すことは出来ない」と書いている(98頁)。
本書にはテロの死者と交通事故の死者を比べる詩がある。テロや自然災害など一つの原因で多数の被害者が生じる場合は同情されやすい。

2018年5月23日水曜日

ブラッドライン

『ブラッドライン』は中央アジアを連想する架空の二国間の紛争地帯を軸に展開される小説である。二国の国境紛争は昔から続いていたものであるが、アメリカが一方に肩入れしたためにテロとの戦争という凄惨なものである。その紛争地帯でスーパースターが亡くなった。
章毎に視点人物と場所が変わる。ロシアや日本など紛争と直接関係ない場所も描かれる。それが戦争のやるせなさを一層強める。
日本の視点人物は全共闘世代のシニアである。これがただただ卑小な人物である。過去のイデオロギーを抱えたまま思考を停止し、自分の思想を相手に押し付けることしかしない。現代の現役世代が抱える様々な問題を理解することもできないだろう。私は現代の社会問題を解決する上で過去の運動経験に学ぶことは意味があると考えていたが、昭和の学生運動は望み薄である。
スーパースターの最後の言葉が分かった人と分からなかった人がいる。子どもは理解して大人が理解しないことは物語として納得性がある。テロ組織のリーダーも理解する側になっていることは意味深い。

2018年5月21日月曜日

命を延ばす食卓

末期ガンになったシェフの食事を紹介した書籍である。著者はシェフの妻である。
フランス料理のシェフであったが、和食中心に転換した。日本人の洋食化がガンなどの病気を増やしていることは今では十分に認識されているが、それをフランス料理のシェフが実践することは勇気がいる。葛藤があっただろう。
肉よりも魚、野菜が良いことも広く知られている。本書も、その傾向に沿っているが、肉を全く食べないというベジタリアン的な厳格さはない。料理自体は様々なものがあり、健康食の単調さはない。食材や調味料、調理法を工夫している。食材は健康を謳う高級食材ではなく、普通に入手できるものを紹介している。
調味料は、やはり化学調味料は良くないとする。外食時に店の調味料を使わず、持参したマイ調味料を使う。テレビドラマ『刑事専門弁護士』の深山弁護士のようである。調味料なしで、素材をそのまま味わえば良いと思うが、そこはソースを大事にするフランス料理のシェフらしい。
本書は和食オンリーではないが、パンは紹介されていない。パンを食べるなという主張がなされることがある。本書はグルテンフリーという言葉は使われていないが、パンの問題を考えてそうである。
本書は明示的に砂糖を問題視する。スイーツは体に悪い。これも広く知られている。

落葉の隣り

天井が高く、壁のトーンは水色です。私はスイミングスクールを連想しました。湯の温度は熱いです。体温を上げるとガン細胞は抑制されます。湯は薪を燃やして温めています。薪の効能でしょうか、風呂から出た後も長時間体がポカポカします。

山本周五郎『落葉の隣り』は時代小説の短編集である。表題作「落葉の隣り」は長屋で育った貧しい子ども達の物語である。現代の子どもの貧困にも通じる貧困家庭の問題が描かれる。やるせない物語である。誰も幸せにならない。相手のダメさを指摘する人も、その指摘は正しそうであるが、自身は酒に溺れている。
終わりに予想外の真相が明らかになるが、それで誰かが変わる訳ではない。これはやるせない。
次の短編「あすなろう」もやるせない。それどころか物語の筋も見えにくい。しかし、最後に話はつながる。ハッピーエンドではないが、それで救われた人は出る。

2018年5月20日日曜日

ダブルフェイス

『ダブルフェイス』は二つの顔を持つ男を主人公とした漫画である。表向きは貸金業者の冴えない平社員である。その正体は貸金業者のオーナーで、手品を使って社会悪を裁いている。平凡そうな人物が法で裁きにくい社会悪を裁く設定は、よくあるパターンである。本作品の特徴は、主人公が貸金業者というステレオタイプな見方では社会悪になりそうな職業である点である。第1巻では借金で破綻に追い込まれる描写はない。逆に主人公は債権や債務があるかないかという点を自分の正義の執行の基準としている。
昭和の日本はマルクス主義の影響が強いためか、社会矛盾の批判に熱心な人々は資本主義批判に走りがちであった。しかし、社会悪は不利益事実を隠したマンションだまし売りのように市場競争のルール違反になるものである(林田力『東急不動産だまし売り裁判こうして勝った』ロゴス社)。仮に百歩譲って資本主義そのものに問題提起したいとしても市場ルールの徹底が先決ではないか。その意味で債権や債務を価値尺度にする主人公は、市場経済の中での正義感を発揮しており、生活感覚に近い。

2018年5月19日土曜日

ハロー、アメリカ

『ハロー、アメリカ』は合衆国が崩壊して1世紀後を描くSF小説である。20世紀末に化石燃料が枯渇し、エネルギー危機が起きたという設定である。現実は本書のようにならなかった。
既存の油田が枯渇すれば従来は採掘が技術面や採算面で難しかった場所で採掘されるようになる。また、シェールガスのような新しい化石燃料も採掘される。さらに自然エネルギーの技術進歩も著しい。需要があれば供給が生じる。市場原理は20世紀後半の研究者が考えた以上に強靭であった。
この意味では本書は市場重視の新自由主義が勃興する以前に書かれたという古さを感じる。世界的なエネルギー危機に対してユーラシア大陸諸国は配給制など国家の経済統制を強めて生き延びた。これに対して、社会主義や官僚制の伝統を有しないアメリカは社会が崩壊し、多数の国民が旧大陸に移民していったとする。しかし、現実には国家統制は現場の需要に応えられず、無駄と非効率を生み出す。それはソ連の崩壊が実証した。本書はモスクワが世界政府の中心地のように描かれている。ソ連崩壊前の20世紀のSFではソ連のような官僚制の管理社会が未来社会と描かれがちであるが、本書にもそのような発想が見られる。
一方で本書はアメリカらしさを適切に指摘する。自立心や搾取者への健全な警戒心である(101頁)。権力の監視や分権的な制度設計はアメリカに大きく見習う価値がある。

ボルト5巻

ボルト5巻は謎の組織、殼との戦いが始まる。とは言うものの、未だ敵の正体も目的も不明なままである。科学忍具の評価は下げて上げるという物語では分かりやすい展開になった。それに利用されたボルトが面の皮である。この巻のボルトは、すっかり科学忍具嫌いになっている。努力や根性を重視して新技術を否定する前時代的な精神論になっている。ボルトはナルトの次の世代の位置付けであるが、ロスジェネ世代(就職氷河期世代)の私から見ると、むしろナルトよりも旧世代の古さを感じる。ナルトは既存の常識を破壊するヒーローであった。実はロスジェネ世代よりも若い世代の方が旧世代と親和性を持つことは不思議ではない。危険な組体操やブラック部活など今の学校を見ると昭和に逆戻りした感覚になる。
ボルトは見知らぬ人とお喋りするコミュ力が高いと評されている。これは仲間外れにされていたナルトとは対照的である。
これも個人主義的なロスジェネ世代と比べると新しい世代の特徴である。ロスジェネ世代が一人で遊ぶドラクエ世代ならば、後の世代は仲間と遊ぶポケモン世代である。コミュニケーション重視は集団主義的になり、この点も旧世代と親和性がある。個人主義的なロスジェネ世代は上からも下からも割りを食うサンドイッチ状態である。

マンション投資は、いさかいと揉め事で明け暮れます。マンション投資をすれば、激しい不安感が頭をもたげます。エフ・ジェー・ネクスト不買運動によって身体中の神経と血管が活気づきます。

2018年5月14日月曜日

ブラックペアン4話

マンションだまし売り営業やマンション投資の迷惑勧誘電話営業は薄汚い悪党です。

ブラックペアン第4話「小さな命を救って!スナイプ完結最終章」が放送された。渡海の台詞「古いやり方にも強みはある。前に進むだけが医療ではない」は名言である。他の分野にも当てはまる。焼け野原から経済大国にすることを誇るような前に進むことしか考えない戦後日本社会にとって重要である。
今回は渡海が佐伯教授の逆鱗に触れて干される。医局員や研修医の渡海の評価も手のひらを返したようになるが、視聴者は第1話から第3話まで渡海の凄さを見せつけられている。どうせ手術で立ち往生すれば渡海を呼ぶのだろうとしか思えない。
「渡海先生は寝てばかり」と馬鹿にするが、いざという時に成果を出すために普段寝ることは重要である。直立不動で待機するような真似は旧日本軍の悪癖である。仕事ができる人は日本的集団主義に馴染まない。
冒頭ではスナイプが実績を重ねていることが描写される。これも視聴者は第3話までスナイプの問題を見せつけられている。むしろスナイプは心臓の手術箇所以外が健康でないと問題が起きるものである。だからスナイプが普及しても神の手や悪魔の手が不要になるとは思えない。医局員のスナイプ株上昇は彼らの底の浅さを示すものである。

2018年5月13日日曜日

ドバイにはなぜお金持ちが集まるのか

福田一郎『ドバイにはなぜお金持ちが集まるのか』(青春出版社、2008年)はドバイの経済的繁栄を解説した書籍である。ドバイは砂漠ばかりで石油も出ない、夏は酷暑で過ごしやすくもないという悪条件が重なっている。立地を重視する日本の不動産業界ではマイナス評価されそうである。ところが、今やドバイは企業や観光客の集まる最先端の国際都市である。
その理由を本書はドバイが平等で誰にでもチャンスを与えてくれるからとする。「ドバイには、外国人だから、外資だから、会社が小さいから、新しい会社だからというような差別は一切ない」(6頁)。
この「開かれた」「平等」は、お金のある人に開かれたというものである。日本のように資金や意欲があっても官僚の裁量や業界横並びの圧力で潰される社会に比べれば公正である。一方で先立つ物を持っていない人々にとって、開かれたと感じることができるかは問題である。
ドバイは君主制で民主主義はないが、良い意味で小さな政府の効果がある。「税金がないので政府による税金のムダ使いもないし、政治家がいないということは腐敗や汚職、無能な政治家も存在しない」(83頁)
税金がなければ無駄遣いもない、政府の権限が少なければ非効率な権限行使も少なくなる。これは良いが、国民の監視なしに権力の腐敗を避けることができるか。現時点のドバイでは上手くいっているとして、日本の公務員マインドでは無理だろう。日本の権力者は、負担を押し付けることは好きだが、相手の選択に委ねることができない。
権力の監視は民主主義的な仕組みに限らない。腐敗した政府の下では外資が逃げるという市場原理に委ねる方法もある。その場合も透明性が不可欠である。しかし、日本の公務員マインドは情報公開の点でも遅れている。

2018年5月12日土曜日

埼玉地名の由来を歩く

谷川彰英『埼玉地名の由来を歩く』(ベスト新書)は埼玉県内の地名の由来を解説した新書である。タイトルに「歩く」とあるように現地を歩いて写真を撮る紀行文の要素もある。
埼玉の県名は行田市にあった埼玉村に由来する。テレビドラマ『ブラックペアン』第3話では行田産さいたま米で卵かけご飯を作っていた。この埼玉の由来を踏まえると浦和市、与野市、大宮市が合併して、さいたま市を名乗ることは地理的には正しくない。足立郡に位置し、埼玉郡ですらなかった。
一方で埼玉は幸いの魂という意味であり、素晴らしい名前である(32頁)。この名前を名乗ることは素晴らしい。
本書から最初に感じたことは埼玉県は広く多様であることである。明治時代の廃藩置県後に埼玉県と入間県に分かれていた。入間県は熊谷県となり、群馬県に編入されたこともある(38頁)。埼玉としての同一性を強調するよりも、多様性を尊重したい。
本書は官僚主義的な都市計画によって歴史的な地名や風景が失われることを残念がっている。川口には善光寺があるが、荒川のスーパー堤防建設によって立ち退きを余儀なくされた(98頁)。
著者は埼玉ではなく、地名の専門家である。その著者は「太陽や月が自分たちの住む土地の名前になることは百パーセントあり得ない」と指摘する。「地名の命名は他の土地との識別を目的とするものであり、その意味で、月や太陽を自分たちの土地だけに占有することは考えられない」(131頁)

封神演義2

『封神演義』2巻では太公望は大きな挫折を味わう。ここで太公望は自分一人では強大な敵を倒すことができず、仲間を集めることが必要との教訓を導き出す。筋の通った展開である。
一方で太公望が生き延びただけでなく、霊獣や宝貝を取り戻す展開は、主人公に都合良過ぎる展開である。最初は弱い主人公が最後に強大な敵を倒す長編バトル漫画では、よくある御都合主義的展開である。これはラスボスの油断や遊び、慢心と説明されることが多い。本作品の敵キャラも油断や遊び、慢心が似合っているが、本作品では意図的に逃がしたのだろう。後の文王を殺さない点にも重なる。
この2巻で歴史の道標との言葉が出てくる。周王朝を興してめでたしめでたしにしない本作品の結末は、この段階で構想されていたのだろう。

2018年5月11日金曜日

怪盗ニック全仕事5

『怪盗ニック全仕事5』は価値のないものだけを盗む怪盗ニック・ヴェルベットの短編集の5冊目である。5冊目ともなると主人公も年をとり、アクションは向かない体になった。作品内でキャラクターが年をとっていく点はアガサ・クリスティのポワロやミス・マープルと共通する。日本のサザエさんやドラえもんとは異なる。
5冊目ともなると依頼に応じて盗むだけではないパターンも出てくる。警察に協力する形になった話は評価が分かれるだろう。アウトローの魅力は警察権力に与しないところにあるからである。依存性薬物を注射して薬物中毒死に見せかける殺人犯を突き止めることは良いだろう。薬物犯罪は反社会性が高いためである。一方で警察官は公正な取引ができる相手ではない。
英米のミステリー作品を読むと感じることは、被疑者の人権が尊重されていることである。本書では被疑者の要望を尊重して、弁護士ではなく、フリーのコンサルタントを名乗る人物が被疑者との接見が認められている(「レオポルド警部のバッジを盗め」117頁)。取り調べは弁護士同席の上、録画されている(「サンタの付けひげを盗め」228頁)。
被疑者の人権尊重は警察が冤罪を作り出すことを自覚しているためである。本書には「警察は罪を負わせる男がすぐに必要なんです」との台詞がある(「サンタの付けひげを盗め」224頁)。

2018年5月8日火曜日

深川安楽亭

「人をぺてんにかけたり、かっぱらいや押し込みをするような人間をあたしは知っているし、そういう人間から煮え湯をのまされたこともある、いまでも忘れやしない、生涯忘れることはできないだろう」(「夜の辛夷」169頁)
「自分が困ってくると、どんな悪企みをするかもしれないわ。そうよ、決して油断はできないわ」(山本周五郎『おさん』新潮文庫、1970年「みずぐるま」113頁)
山本周五郎『深川安楽亭』は時代小説の短編集である。さいたま市立桜図書館で借りて読んだ。表題作「深川安楽亭」は異色の作品である。会話文が多く、物語の流れが見えにくい。
深川や木場など江東区に馴染みの地名が登場する。運河が縦横に走っており、水運の拠点であったことをうかがわせる。
最初の短編「内蔵允留守」は中学校の国語の教科書に掲載されていた。道を究めるということが、戦後の高度経済成長やバブルのような拡大路線とは異なることを教えてくれた作品である。中学生が全てを理解できるものではないとしても、それでも衝撃を与えた作品である。学校の授業は無意味ではないと感じさせる。国語という科目名では無味乾燥としたイメージになるが、文学の授業とすれば豊かになるだろう。
次の短編「蜜柑」は徳川御三家の紀州和歌山藩が舞台である。蜜柑は和歌山の名産であるが、紀州藩が育成した産業であった。
紀州藩は時代劇では幕府転覆を企む悪役として描かれることもあるが、ここでは南海の鎮の面目躍如である。そして内蔵允留守ほどではないが、華々しい活躍よりも地味なところに価値を見出だすものがある。明治時代の追いつき追い越せでも、戦後昭和の経済成長でもない価値観である。

2018年5月7日月曜日

ブラックペアン第3話

渡海は過去二回のスナイプ手術で起きた問題を、これからスナイプ手術を受ける患者に説明した。不利益事実を説明する点で東急不動産だまし売り裁判原告として高く評価する。不都合な事実を隠した騙しには吐き気がするほど怒りがこみ上げる。
患者への説明責任を果たす渡海であるが、同僚への説明は乏しい。もう少し丁寧に説明したら、円滑に進むと思わないこともないが、それも良い。働き方改革で無駄な仕事の撲滅が求められているが、無駄な仕事の多くは会議時間である。逆に働き方改革の抵抗勢力がコミュニケーションを強調して、密なコミュニケーションさえあれば解決すると考える傾向がある。この点でも渡海はCOOLである。
前クールのドラマ『刑事専門弁護士』では様々な料理が登場した。ブラックペアンでは様々な産地の米が登場する。3話では埼玉県産の米であった。料理は卵かけご飯一本槍である。卵かけご飯の消費が増えるのではないか。主人公が三ツ星レストランを有り難がるのではなく、粗食を楽しむタイプであることは清々しい。
今回は第1話と第2話の血がプシューのような心臓に悪いシーンはないもののが、手術シーンは息もつかせぬ展開であった。どぎついシーンがなくても視聴者をドキドキさせる。表現が洗練されている。
渡海は治験コーディネーターから紙袋を貰っていた。ジェネラルルージュのような結末になるのだろうか。

2018年5月6日日曜日

しびらきマーケット

さいたま市桜区の、しびらきファームいちご園で、しびらきマーケットが開催されました。鯉のぼりが飾られていました。いちご園は鴨川堤桜通り公園を歩いていくとあります。途中の田んぼではカエルが鳴いていました。
私は紅ほのかとメロンパン、はちみつバターパンを買いました。もぎたてのイチゴは温かく、甘いです。紅ほのかは、さがほっぺより大粒です。パンは蜂蜜などで甘さを出しており、上品な甘さです。
子ども向けキャラクターグッズでは、アンパンマンが目立ちました。私の子どもの頃は、アンパンマンは絵本の存在であり、エンタメの印象は乏しかったです。今の子どもにアンパンマンが大人気なところを見ると世代を感じます。
アンパンマンのマーチは頭の中でリフレインされる曲です。実は「みんなの未来(あした)を守る会」という団体名を聞いた時にアンパンマンのマーチの「みんなの夢守るため」を連想しました。
私の子どもの頃から変わらないキャラクターと言えば、ドラえもんです。ドラえもんの大きな人形もありました。浦和らしく、サッカーボールを持っているドラえもんもいました。

2018年5月5日土曜日

七時間半

獅子文六『七時間半』は特急列車を舞台としたドタバタ大衆小説である。東海道新幹線ができる前、東京から大阪まで七時間半かかっていた時代である。
乗務員や乗客の恋模様が中心であるが、乗客の総理大臣を狙って全学連トロツキストが爆弾を仕掛けたとの噂が広がる。戦後昭和の風俗を反映した作品である。全学連トロツキストの噂も当時の風俗の反映であるが、作品内での存在感は小さい。存在感はスリ以下である。それは、そのまま当時の人々の感覚になるだろう。
本書の乗客は「日米条約なんて、賛成でも、反対でもないんだ、自分の安全保障の方が、忙しくて、あんな問題、どうでもよかったんだ」と語る(273頁)。これは当時の人々の一つの感覚だろう。学生運動家だったシニア世代の回顧談を聞くだけでは偏ったものになる。
本書には強盗資本が伊豆半島を乱開発しているとの説明がある(145頁)。これは東急不動産だまし売り裁判原告として笑った。強盗資本とは強盗慶太の東急グループだろう。
面白さは時代が変わっても通用するが、21世紀の現代と最もギャップがある点は女性の意識だろう。男を手玉に取ることが楽しみという女性は昭和の男性からの女性観に見える。セクハラであるか否かについて世代によって受け止め方に、絶望的な断絶が生じることは仕方がないのだろうか。
私は男性であり、セクハラ被害者の痛みが本当に分かるかは分からない。しかし、個人に負担や我慢を押し付け、前向きに頑張ることを強要する昭和的なガンバリズムには嫌悪を覚える。

2018年5月3日木曜日

魔法使いの陰謀

『魔法使いの陰謀』は現代ニューヨークを舞台とした魔法ファンタジー小説である。「フェアリーテイル」シリーズ第三弾である。ニューヨークでは妖精の関与が疑われる事件が続発する。魔法使いのジョセフィーンは魔法使いと妖精の対立を煽る。ソフィー達は魔法使いと妖精の戦争の危機を食い止められるか。
本シリーズの魅力はファンタジーと現代ドラマの両方の要素が詰まっていることである。現代ドラマの方は政治的正しさを無視した現代エンタメになっている。「ヒスパニック地区でバレエを観るやつなんかいない」との台詞が出てくる(223頁)。人間であるが、妖精の性質を吸収した存在を「名誉妖精」と呼んでいる(400頁)。アパルトヘイトの名誉白人を連想する表現であるが、悪い意味で使っていない。エンタメ作品が政治的に正しい必要はない。
マイケルは刑事としては柔軟な思考の持ち主である。だからファンタジー作品のレギュラーになれる。一方で本書では市民感覚とはギャップがある警察組織の人間的なところが描かれる。マイケルの見込み捜査的な進め方は、ソフィーに「警察はいつもそんなふうに捜査をするの?まず容疑者を決めて、それから証拠探し?」と呆れられた(153頁)。
不審な妖精をソフィーとマイケルで尋問するシーンではマイケルがソフィーに「いい刑事と悪い刑事のどっちをやりたい?」と尋ねている(163頁)。悪い刑事が脅した後で、いい刑事が優しくして自白させる古典的な手口である。日本ならば人情派刑事が被疑者を落とすパターンであるが、米国ではロールプレイのゲームでしかない。

四日のあやめ

山本周五郎『四日のあやめ』は江戸時代を舞台とした時代小説の短編集である。最初の短編は「ゆだん大敵」である。ここでは武士道を究めるストイックさが描かれる。名人とは、仙人のような存在になる。右肩上がりに拡大する感覚とは正反対である。
ストイックな美しさは料理にも表れている。粗末な食材を使うからこそ美味しい、それこそが食事であるという。食材の価格と味が比例するというような浅ましい拝金主義を否定する。
「貧窮問答」は御家人の屋敷に奉公する臨時雇の中間の話である。だまされる話かと思いきや意外な結末になった。本書の短編には、よくある人情物のように見えながら、意外な結果になる話が他にもある。
表題作の「四日のあやめ」は何が正しい選択なのか考えさせられる。六日のあやめは遅すぎて意味がないという、たとえである。
最善手は私闘を防ぐことだろう。私闘に参加しなかったから良かった、良かったとは本来ならない。上位者ならば私闘が起きたことに対する管理責任が問われる。もっとも、それでは夫婦の物語にならない。
最後の「榎物語」は恋愛物である。愛の力を描く話を予想させたが、シビアな結末になった。

2018年4月30日月曜日

不当逮捕サスペンス

冤罪被害者は皮膚を引き剥がされ、肉を晒された気分になる。取調室の刑事は自信があるならば怒号したり、人を脅すような態度はとらない筈である。彼らは自分達の見込み捜査に口で強調するほど自信を持っていない。相手を追い詰めながら、自分は立場上していると相手に理解させようとする。残酷であるばかりか狡猾である。
説明責任を果たさずに決着を付けようとする。そのために却って無用な紛糾を起こすことになる。

医療紛争の続発は、組織による学習の貧困や欠如を物語る。病院は下痢を放置していた。下痢をすると栄養やカロリーを吸収できないので、血糖が不安定になる。上がったり下がったりする。

2018年4月28日土曜日

三人の卜伝

『三人の卜伝』は塚原卜伝を主人公とした時代小説である。本物の塚原卜伝が主人公であるが、他に塚原卜伝を名乗る人物が登場する。そのために三人の卜伝のタイトルになっている。
塚原卜伝は戦国時代の剣豪である。堺雅人主演でNHK時代劇になったこともある。本書を読むと、卜伝の戦い方は立体的、三次元的である。卜伝は跳躍する。
スペースオペラ『銀河英雄伝説』は宇宙空間の艦隊戦を描くが、平面的、二次元的である。戦国時代の個人の戦いが立体的で、想像力を駆使できるSF作品が平面的になるとは面白い。
卜伝は物語の開始時点から圧倒的に強い存在として描かれる。宮本武蔵のように成長する物語ではない。強敵に明国人が登場し、日本の枠に収まらない。
卜伝は旅の途中で北条氏康、今川義元、織田信長、斎藤道三らの戦国大名と会っている。卜伝の人物評は、武将のその後を物語る。

2018年4月26日木曜日

人生の最終段階医療裁判

『崖っぷちホテル』は第2話で視聴率が急落し、視聴率が崖っぷちと言われてしまった。低迷の要因として、従業員がダメすぎる割に立て直しが従業員に優しく、現実性を感じにくい点があるだろう。ドラマのホテルを立て直すならば、派遣会社と契約してスキルある要員を派遣してもらうことがオーソドックスな手段ではないか。身売りもホテルを再生させる現実的な選択肢である。
従業員の立場に立つと、日曜日の夜にリストラ話は気が滅入るとなる。しかし、主人公の立場に立つと、既存従業員はそのままでホテルを立て直す方が大変だろう。
主人公は客の前で笑顔になれない従業員に「笑顔の練習してくださいね」と言っている。すべきことを指示するならば「お客の前では笑顔でいてくださいね」となる。しかし、笑顔でいることができない従業員に、やれやれ言ってできるものではない。だから笑顔の練習してくださいが適切な指示になる。マネジメントとは、そこまで考えて言葉を選ばなければならないかと思うとリストラ話以上に日曜の夜に観るのは重い気持ちになる。
第2話では従業員が夜通し調査するシーンがある。これはブラック企業的である。トラブルが起きると、社員総出で残業や休日出勤して解決にあたる展開は『下町ロケット』でも描かれた。

日本では高齢者の医療が一部家族や医師の都合で決められ、死ぬがままにされている。それはまるで過去の日本の悪習「姥捨て」のようだ。その一例として立正佼成会付属佼成病院事件を紹介する。厚生労働省は「人生の最終段階における医療・ケアの決定プロセスに関するガイドライン」を2018年3月に改定したが、佼成病院事件はガイドラインと大きくかけ離れている。
高齢女性が2007年6月18日に脳梗塞で倒れ、立正佼成会附属佼成病院に救急搬送されて入院した。患者は順調に回復していき、7月からリハビリを始め、病院から退院を示唆されるまでに回復した。
ところが、患者の長男が入院中の患者の経管栄養の流入速度(注入速度)を勝手に速めた。その日に患者は嘔吐した。佼成病院は患者の経管栄養の開始時刻や終了時刻を記録しておらず、経管栄養の流入速度が速められた異常を検知しなかった。
これは健康を害し得る行為である。経管栄養は医療行為であり、嘔気、嘔吐、腹部膨満や腹痛などの副作用や誤嚥性肺炎の危険もあるため、医師の指示に基づいて行う必要があり、病院では看護師が行うこととされている。
長男は独断で患者の延命につながる治療を全て拒否した。佼成病院は本人や家族全員の意思を確認することなく、患者の意思だけで治療方針(積極的に治療しないこと)を決めてしまった。ロバート・ルイス・バルフォア・スティーヴンソンは「交際の真実」で「もっとも残酷な嘘は、しばしば沈黙のうちに語られる」と書いている。
患者は9月8日に亡くなった。長女は患者の死後にカルテを見て初めて兄の治療拒否を知った。
【書名】人生の最終段階医療裁判/ジンセイノサイシュウダンカイイリョウサイバン/End of Life Care Suit
【著者】林田力/ハヤシダリキ/Hayashida Riki
【出版社】江東住まい研究所/コウトウスマイケンキュウジョ/Koto House Laboratory

人生の最終段階における医療・ケアの決定プロセスに関するガイドライン
立正佼成会附属佼成病院裁判
佼成病院裁判は最高裁第一小法廷に
キーパーソン
厚生労働省ガイドライン
日本老年医学会の立場表明
キーパーソンの要件
選任の適正性
役割遂行の適正性
憲法第14条違反
代行判断の問題
説明義務
継続的な確認の欠如
おわりに
佼成病院裁判が判例時報に掲載
上告結果
佼成病院裁判に再審提起
誤嚥性肺炎の予防
誤嚥性肺炎の対処
終末期医療の誤解
立正佼成会附属佼成病院・高濃度酢酸誤投与で女性死亡
京都市の終末期医療の事前指示書
呼吸器外し不起訴で忘れられた本人の意思
中野相続裁判、さいたま地裁に移送
中野相続裁判さいたま地裁5月11日傍聴・取材のお願い
『姥捨て山戦争』
アンナチュラル

In Japan, medical care of the elderly is decided by the circumstances of some families and doctors, and it is left to die. It is like UBASUTE, literally "abandoning a parent", which is a bad habit of Japan in the past. As an example, I will introduce the incident of Kosei General Hospital affiliated to Rissho Kosei Kai.
My Mother fell down with cerebral infarction on June 18, 2007 and was hospitalized by emergency transportation to Kosei General Hospital. She recovered smoothly, began rehabilitation from July and the hospital suggested that she could leave the hospital.
However, my elder brother quickly accelerated the inflow rate (infusion rate) of her tube feeding nutrition during hospitalization without doctor's permission. She got vomited on that day. Kosei General Hospital did not record the start time and end time of her tube feeding and could not detect an abnormality in which the inflow rate of tube feeding was accelerated.
This is an act that can hurt her health. Tube feeding is a medical practice and there are risks of side effects such as nausea, vomiting, abdominal bloating and abdominal pain and the risk of aspiration pneumonia, so it is necessary to do according to the instructions of the doctor, and you should not do it at the hospital unless you are a nurse.
My brother refused all treatments that will lead to the life expectancy of my mother without consulting with me and my sister. Kosei General Hospital has decided treatment policy (not positively treated) only by my brother's will, without confirming the intention of the principal and all the family members. Robert Louis Balfour Stevenson wrote "The cruelest lies are often told in silence" in Truth of Intercourse.
My mother died on September 8th. I knew my brother's treatment refusal after reading her medical record after her death.

2018年4月25日水曜日

ブラックペアン

『ブラックペアン』は海堂尊原作の同名小説のドラマである。嵐の二宮が渡海役で主演する。渡海は面子にこだわる医者に対して「この患者が死んだら、お前死ね」と言い放つ。医者としての矜持を持っている。渡海は同僚医師から嫌われているが、医療ミスを仲間内でかばいあって隠す仲良しごっこよりも、はるかに素晴らしい。原作イメージの渡海は、二宮よりもワイルドなキャラと感じていたが、これはこれで良い。
手術が上手くいかずに困っている状況の医師に大金を要求する悪徳さも、つべこべ言わずに目の前の火を消すことに駆り出そうとする日本の悪癖のアンチテーゼとして価値がある。緊急性は重要性に優先するという発想が問題を大きくする。終わり良ければ全て良し、結果オーライという発想が日本の無責任体制を作ってきた。
原作は前世紀の話であるが、ドラマではスマホがあるなど現代のようである。原作では阿修羅の異名を持つ高階権太は底が見えている。原作とは別の話と割り切ることが正解だろう。原作では高階が佐伯外科をひっかき回し、対立する思想の持ち主を追い出し、病院長にのしあがった。バチスタシリーズでは主人公側の高階病院長であるが、原作など佐伯外科時代の桜宮サーガを読むと感情移入できなくなる。ドラマでは、もっと感情移入できなくなりそうである。
このドラマは内臓や出血など手術シーンをリアルに映している。これは気持ち悪いと視聴者が離れるかもしれない。前クールの『アンナチュラル』は法医学のドラマであるが、死体をあまり映さなかった。

2018年4月23日月曜日

崖っぷちホテル

『崖っぷちホテル』は、その名の通り経営状態が崖っぷちのホテルを立て直す物語である。ドラマで描かれる顧客志向は、ホテル業だけでなく、サービス業全般に勉強になる。民間感覚とかけ離れた公務員は勉強しなければならない。
経営建て直しと言えばコストカットが基本中の基本である。

2018年4月22日日曜日

帝一の國

古屋兎丸『帝一の國』は学園物の少年漫画である。生徒会物はライトノベルの定番となっているが、本作品はいつの時代かと思わせるような古さが漂う。絵柄も好き嫌いが分かれ、読まず嫌いもいるだろうが、読むとギャグに爆笑させられる。
主人公の赤場帝一が自分が自由に振る舞える国を作るために生徒会長を目指す物語であるが、エネルギーのかける方向性が間違っている気がする。その必死さが読者の笑いになるが、狂った競争社会を否定する大鷹弾の方が現代風の主人公になるのではないか。
大鷹弾が外部入学生と知り、帝一は彼より自分が優れていることを確認するために彼と同じ試験を受ける。自分は自分、他人は他人という感覚を持たないものだろうか。私は慶應義塾大学に大学受験で入学した。学力では外部受験者が秀でているが、校内の勢力は内部進学者が優位である。それぞれ長短があって当然とは考えないものか。
もっとも帝一が弾と同じ試験を受けて勝とうとしたことは殊勝と言えるかもしれない。現代のスクールカーストでは庶民いじめに走る方があり得るためである。
本作品は菅田将暉主演で映画化された。菅田将暉は大河ドラマ『おんな城主直虎』で井伊直政(万千代)を演じた。『おんな城主直虎』では戦国時代の上昇思考を否定する直虎の井伊家を楽しく観ており、終盤の直政の井伊家再興のガンバリズムに暑苦しさを感じた。この映画を観ると、帝一と直政がつながる。

さいたま市桜区と私

私は東京都中野区の病院で生まれ、埼玉県さいたま市で育ちました。当時は浦和市でした。小学生までは南区文蔵に住んでいました。京浜東北線の線路脇の家で、電車の音を聞きながら育ちました。
中学生から桜区道場で暮らしました。水田や堤防を見て育ちました。緑が身近になりました。初夏は蛙の大合唱です。この長閑さは大切にしたいと思います。

仲介手数料は市場競争が機能していない分野です。仲介手数料は法令で上限が決まっています。大まかに言えば物件価格の3パーセントに6万円です。それは宅建業者が暴利を貪らないように、これ以上は許さないという趣旨で定められました。ところが、ほとんどの業者が法令の上限としており、価格競争が起きていません。ようやくインターネットで探すと、仲介手数料を上限の半額とするような業者が現れてきました。

2018年4月21日土曜日

新築か中古か

家を買うとして、新築か中古かで消費者は悩みます。土地を購入して建てる予算と時間のある方は別格です。新築か中古かについて、私は新築マンションのだまし売り被害者ですので、新築に辛口です。今は空き家が増え、住宅が供給過剰になっており、新築住宅は社会経済的にも環境的にも無駄です。中古物件に対して何だか分からない欠陥住宅をつかまされると漠然とした不安を抱かれる人もいますが、それは新築でも同じです。東急不動産だまし売り事件でも欠陥住宅問題はありました。むしろ、それまで人が住んでいた中古の方が安心できます。新築でも中古でも第三者検査を行うという方法があります。
新築と中古のメリット・デメリットで中古は仲介手数料がかかると指摘されることがありますが、正確さに欠けます。仲介手数料は仲介業者に物件を仲介してもらうと発生します。

物件囲い込みが起きる原因は仲介手数料の両手取りです。そもそも仲介業者は物件の売り手又は買い手のエージェントです。一つの仲介業者が売り手と買い手の双方のエージェントになること自体がおかしなことです。海外では禁止している国もあります。弁護士が双方の代理をしたら、弁護士懲戒ものです。日本でも民主党政権ができる時の民主党マニフェストでは両手取り禁止を掲げました。残念ながら口だけで終わりましたが、掲げただけでも前進と評価しなければならないところが日本の政治の現状です。

銭湯

町田忍『銭湯』は銭湯についての書籍である。著者は「大衆・庶民の日常生活のなかで長年培われてきたものほど、後世には残らないことが多いようだ」との問題意識を持っている(1頁)。この問題意識には共感する。伝統文化の保護と言うとどうしても高級なものに偏りがちである。しかし、それらは当時の日常生活においても遠遠いものであった。それらが保護されても生活の中で消費されない。
著者は新世代の経営者によるニュー銭湯を評価する点で守旧派ではない。消費者のニーズに応じて変わっていくものはある。
銭湯が衰退する一方で、温泉は人気である。それは日常と非日常の差である。風呂に入るという日常の需要は住宅に風呂が普及したことで減少した。これに対して温泉やスーパー銭湯の需要は非日常を求めてのものである。

2018年4月20日金曜日

専任媒介か一般媒介か

家を売る時に専属専任媒介契約と専任媒介契約、一般媒介契約の何れが良いか消費者は悩みます。結論を先に申し上げると、物件囲い込みの問題があるため、一般媒介契約をお勧めします。
専属専任媒介契約では、契約した仲介業者を通してしか売却できません。専任媒介契約も基本的に同じですが、自分で見つけた買い手に売却することはできます。これに対して一般媒介契約は複数の仲介業者に頼むことができます。
仲介業者は専属専任媒介や専任媒介を勧める傾向があります。これは業者にとっては競争者がいなくなるためです。消費者にとっても専任とすることで仲介業者が真剣に買い手を探してくれるならばメリットがあります。そのように信頼できる仲介業者ならば専任とすることも一案です。
しかし、専任は競争者がいないということで仲介業者は安心して怠けられるということにもなります。この消費者にとって悪い方向に働く可能性の方が高いと私は見ています。
現実に起きている問題として物件囲い込みの問題があります。仲介業者は物件が売却できれば売り主から仲介手数料を貰えます。物件の買い主も、同じ仲介業者経由で家探ししている人ならば買い主からも仲介手数料を貰えます。売り手と買い手の両方から貰えるので、これを両手取りと言います。仲介業者にとって両手取りが一番美味しいので、悪質な業者は何がなんでも両手取りを目指そうとします。そのために他の仲介業者から物件の内見の申し込みなどがあっても断ってしまいます。
物件囲い込みは東急リバブルなど大手業者も行っており、大手だから安心ということは全くありません。

2018年4月19日木曜日

姥捨て山戦争

『姥捨て山戦争』は世代間対立を描く小説である。シルバーデモクラシーに見られる世代間不公正への不満は十分に理解できるものである。この問題意識を無視して社会問題を論じても説得力はない。その意味で本書はタブーを恐れない勇敢な書籍である。
一方で単純に高齢者を抑圧者と言えるかという問題がある。本書でも強い高齢者と弱い高齢者が描かれる。姥捨て山戦争を生き延びたどころか、若者を返り討ちにして楽しんだ高齢者が描かれるが、その前に多くの非力な高齢者が虐殺されている。
現実に過少医療の問題がある。高齢者であるが故に十分な医療を受けられないという高齢者差別の問題である。
また、本作品ではシルバーデモクラシーの現体制に対する革命が起きるものの、主人公は積極的に革命を起こす側ではなく、傍観者である。むしろ、本作品の主題は人を殺すことの恐ろしさを実体験によって主人公に認識させることと言える。それは主人公も認めるように想像力があれば分かることである。この点で主人公には感情移入しにくい。
さらに世代間不公正の問題提起は理解できるとしても、革命によってヤンキーがのさばる社会になるならば面白くない。また、シルバーデモクラシーを批判する革命政府も政府高官が自分達の親だけは例外扱いするという不公正がある。
そして最後の革命政府の手口は、日本の権力者が好んで行う卑怯さそのものである。日本に絶望したくなる。主人公は自己をアメリカ合衆国のようでありたいと思ったことがあるが、大日本帝国を打ち破るアメリカに快感を抱きたくなる。