2017年1月18日水曜日

豊臣政権と徳川幕府

先の希望のまち東京in東部読書会ではロジスティックスの重要性が指摘されました。その前の読書会では中央集権的な豊臣政権と分権的な徳川幕府の違いが議論されました。この違いはロジスティックスの面からも説明できます。
豊臣秀吉も徳川家康も天下人として諸大名に号令して戦を行いました。しかし、その実態には相違がありました。秀吉の場合、兵三百を出せと言われたら、基本的に兵三百だけを出せば良かったものです。ロジスティックスは石田三成ら奉行衆が手配しました。その代わり米をどこどこに送れ、材木をどこどこに送れと命じられた大名もいました。この成功例は小田原征伐です。しかし、朝鮮出兵では破綻に近付いてきました。石田三成への反感も、性格的に合わないだけでなく、ロジスティックスが回らなかったことへの現場の武将の怒りがあります。
ここからは十万もの大軍のロジスティックスを統一的に回すことには無理があるとの教訓を引き出すことが自然です。そのために徳川家康は上杉征伐に際してはロジスティックスを各大名が行うようにしました。これは真っ当な方針です。同時代のヨーロッパでは連隊レベルでロジスティックスを回しました。ナポレオンによって師団が生まれ、ロジスティックスは師団レベルで回すようになり、現代に至っています。中央集権的な全体最適よりも部分最適の方が効率的な資源の配分になります。
一方で官僚には方針の失敗を認めたくないという醜い習性があります。奉行衆からすれば朝鮮出兵のロジスティックスの破綻が統一的なロジスティックスに無理があったからではないと理屈をこねることも可能です。唐入りは秀吉本人が陣頭指揮する計画でしたが、諸事情で渡海はなされませんでした。現地最高指揮官不在で物事を進めなければならないため、統一的なロジスティックスが上手くいかないことは当然です。また、制海権も朝鮮に奪われている状況では計画通りの輸送になりません。

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