2016年11月12日土曜日

ガーラ・グランディ木場不買運動

#FJネクスト不買運動 #FJネクスト迷惑電話 #ガーラ・グランディ木場不買
他人の電話番号を悪用して平然としている神経が信じがたい。普通に話しかけてくる神経が信じがたい。

まさに私の言いたいことでした。私が一般的な百パーセントの幸せを目指すという議論に抵抗を感じるところは、百パーセントの幸せを目指すという論者が本当に百パーセントの幸せを目指しているのか欺瞞を感じていたためです。自分達の幸せ追求を正当化するために百パーセントの幸せと強弁しているのではないか。または自分達を考える幸せが万人にとっても幸せになると傲慢に考えているのではないか。だからメリット・デメリットを考えて、デメリットを受ける人々の納得性を追求する、そのような姿勢を百パーセントの幸せ追求と定義するならば、それは私も賛同します。
問題は欺瞞と傲慢からの百パーセント幸せ追求です。それならば、敵認定したものの不利益によって残りの幸せを図る方が議論としては正直です。敵認定するだけ相手と利害対立することは認めています。この点で現状認識としては正しいです。ところが、百パーセントの幸せという命題を安易に立ててしまうと現実に存在する利害対立が見えてこなくなります。利害対立する相手の存在すら認識していません。こうなると検討の遡上に載せる以前の現実味に欠ける議論になります。
特定の人にデメリットが生じるということを見ない議論には恐ろしさを覚えます。使いきれないほどの資産を持つ一部の富裕層の負担を重くすることは普通の人にはデメリットがないように見えます。しかし、頑張れる人が頑張ることで社会を回していくという考えは、労働の現場に身をおくものとしては普通の人が搾取されます。

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