2016年10月24日月曜日

真田丸、味方

織田有楽斎は徳川家康が三河の田舎大名で天下人の器ではないと言っていました。これは同時代の尾張人に共通の感覚かもしれません。加藤清正や福島正則が徳川家康を担いだことは、後の歴史から見ると豊臣家の滅亡につながったと批判されます。しかし、それは後世の評価であって、石田三成が毛利輝元を総大将に担いだように、担ぎやすい御輿を担いだ感覚だったかもしれません。

激辛で刺激が強い食品を食べ続けると、食道や胃腸を悪くする。味が分からないほど辛くすることは愚かである。

映画『しえんしゃたちのみなまた』を東京都江東区東陽の希望のまち東京in東部事務所で上映した。支援者に焦点をあてた作品である。支援者をクローズアップしたところが新鮮である。支援者へのインタビューで構成される。
今回の試写の意見を踏まえて映画を完成させる予定である。
冒頭では水俣病裁判の判決が論評される。水俣病患者に厳しい判決であった。判決を言い渡した裁判官は靖国裁判では進歩的な立場だったという。映画では靖国裁判で進歩的な意見を書いたために叩かれて、水俣裁判で反動的になったのどはないかと指摘された。しかし、あらゆる分野に当てはまる進歩的か反動的かの対立軸にはならないのではないか。ある分野で進歩的な人が別の分野で反動的な考えを持つことは十分に考えられる。憲法問題では進歩的でも環境問題では反動的でも不思議ではない。
印象的なインタビューは魚屋さんの話である。水俣の魚を扱っている。水俣の魚は危険だから食べるなと言う方が楽である。水俣の魚に関わりたいというのが正直な気持ちである。主義主張ではない。
環境団体の中では少数派である。水俣の魚は危険だから食べるなは普通の住民の生活の中では受け入れられていない。
この問題は福島原発事故や豊洲市場問題とも重なる。福島原発事故や豊洲市場問題でも地域を差別する言動がある。福島原発事故では放射脳カルトが批判された(林田力『放射脳カルトと貧困ビジネス』)。
汚染魚を埋め立てた土地に記録のために看板を立てさせた人のインタビューも印象的であった。人間が汚染した魚である。魚に失礼である。
水俣病の自覚についての話も深刻であった。誰もが水俣病である。寝たきりの人だけが水俣病ではない。手足が時々しびれる人は普通にいるが、水俣病と自覚していない。被害を受けていても自覚していない。偏見差別でねじくれている。
水俣病の解決についてのインタビューも印象的であった。亡くなっている人がいる。解決ということはない。償いはされるべきであるが、解決はない。
立ち止まって水俣病と向かい合う。

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