2016年8月19日金曜日

鳥越俊太郎候補の敗戦の弁

この清々しさと真逆の印象を与えるものが、東京都知事選挙における鳥越俊太郎候補の敗戦の弁である。それなりに昔はまともだったが、今の日本はどうしようもないというものである。しかし、昭和の日本が良かった訳ではない。昭和にはブラック企業という言葉はなかったが、今の基準ではブラック企業に相当する企業は珍しくなかった。パワハラという言葉はなかったが、今の基準でパワハラに相当する行為が横行していた。甲子園の悪習のように21世紀に残る昭和の悪癖を根絶することは社会を変えたいと思う人々の課題である。鳥越候補は有権者から見てピント外れであったが、一番のピント外れは昔と比べて今を否定する姿勢ではないか。甲子園でエースが温存されるように世の中は昭和と変わってきている。それを良い時代になったと感じる身には、鳥越流の「昔は良かった」は悪夢でしかない。鳥越さんのような姿勢こそ言葉通りの反動というイメージがピッタリくる。戦前に戻ろうとすることだけが反動ではない。昭和の戦後に戻ろうとすることも反動である。むしろ、戦
後を直近の一昔前の時代と認識する世代には、逆に戦前は遠いために新鮮さを持ち、昭和の戦後に戻ろうとする方に強い反動イメージを抱きたくなる。
戦前のような全体主義への嫌悪感を共有することは大切である。それに嫌悪感を抱くならば、戦後の集団主義にも嫌悪感を抱かなければならない。戦前はダメだが、戦後は良いでは既得権擁護の守旧派になる。

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