2016年5月30日月曜日

裁判官の独立

司法の問題は非常に根深いものです。私も問題意識があります。この問題は原発や安保関連の違憲訴訟など左派左翼のメインストリームの関心事の案件だけで済むような話ではありません。観念的に司法権の独立を唱えていれば解決する話ではありません。問題は司法の独立よりも裁判官の独立でしょう。司法の独立は古く大津事件で確立されていますし、今の政府も最高裁判決は尊重しています。逆説的に言えば独立した官僚機構となった司法が裁判官の独立の障害になっています。市民から独立してしまっているような司法官僚を弱めることが必要と考えます。
この問題について小林節慶應義塾大学名誉教授も語るべきものを持っていると考えます。彼は米国憲法学の影響を受けた研究者です。ここが彼のユニークなところです。改憲論者の彼は憲法学者の中では少数派でしたが、メインストリームの護憲派憲法学者の方がドイツ憲法学の影響が強い点で戦前と一貫しています。
米国の司法制度は官僚制の否定、民主主義の徹底という点で日本とは全く異なります。陪審制、検事公選、法曹一元などです。もし司法制度を構築するならば、根本的な変革になるでしょう。それをするならばドイツ流の法学者との溝を拡大させます。アメリカ流を徹底しないことにも一定の理があります。民主主義の徹底と言えば聞こえはいいですが、地域ボス政治を繁栄させる危険があります。アメリカでも問題はありますが、アメリカよりも人権意識の低い国に持ち込むと腐敗の原因になる可能性は高いでしょう。少数派の人権を擁護することが司法の大切な役割であり、アメリカ以外の社会でアメリカ型を導入することには危険もあります。司法制度改革を詳述しないことは穏当と考えます。
最後に裁判官の独立を政治の重要争点とする場合、それを問題意識とする政治家がいるかという問題があります。特定の政治家に対してだけ問題意識に答えないことを理由に否定しながら、他の政治家に同じハードルを課さないことはダブルスタンダードです。

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