2016年5月3日火曜日

江東区東陽で柄谷行人読書会

悪徳不動産業者は、消費者や住民の嫌悪感を黙殺したり、封じ込めたりすることはできない。

希望のまち東京in東部は江東区東陽の希望のまち東京in東部事務所で柄谷行人『トランスクリティーク』の読書会を開催している。柄谷のマルクス解釈を素材にマルクス主義について突っ込んだ議論がなされた。
興味深い点は戦後日本の所謂マルクス主義者が空間軸や時間軸を考えずに議論しているとの指摘である。この指摘には納得できる。
高等教育で新自由主義に触れた立場としては所謂マルクス主義者と議論しているとギャップを感じることがある。完全競争市場においては政府の規制がなければ効用は最大化するという理論は正しいと考える。それは完全競争市場という前提の下である。現実の市場は完全競争市場ではなく、レモン市場である。だから東急不動産だまし売り裁判のようなことが起きる。現実は規制緩和一辺倒では上手くいかないことがある。規制強化が必要な分野も少なくないだろう。しかし、それは新古典派の理論的な欠陥ではなく、前提を無視したことによる失敗に過ぎない。この違いが教条的なマルクス主義者は理解しない傾向がある。
新古典派の研究が進めば進むほど様々な前提を置いた世界の中で理論を導きだそうとする。それは学問を精緻化することである。これは確かに現実から離れた箱庭のような世界にのみ当てはまる理論である。しかし、それをもって教条的なマルクス主義者が新古典派の学風を現実の役に立たない無意味な頭の体操と否定することは反知性的である。モデルを定義して、その中で考えることは学問の精緻化に貢献している。そこが通俗的なマルクス主義者に中々理解されない。そのギャップにもどかしさを感じていたが、時間軸や空間軸を考えていないとの指摘に得心した。モデルを作って、その中で議論するという知的訓練から最も遠いところに存在するのかもしれない。

0 件のコメント:

コメントを投稿