2016年5月21日土曜日

与力と寄親・寄子

与力と寄親・寄子
与力は寄騎とも書きました。戦国時代には寄親・寄子という制度がありました。勢力拡大中の戦国大名は家臣が増え続けます。戦争は部隊で行うものです。全ての家臣が主君と家臣という一対一の関係だけでは戦争を行えません。そこで譜代の家臣を寄親、新参の家臣を寄子として新参の家臣を譜代の家臣の家臣に組み入れました。徳川家康が武田家家臣を徳川四天王の井伊直政配下に組み入れて井伊の赤備えを作らせたことが有名です。
但し、寄親・寄子制度は家臣を強大化させます。下克上される危険性を君主自らが増大させることになりかねません。そこで織田信長は与力という形を採りました。前田利家や佐々成政は織田信長の直臣ですが、北陸攻めでは柴田勝家の与力として柴田勝家の指揮命令に従いました。柴田勝家は織田信長の権威の下では与力大名を指揮できますが、それを離れると与力大名は柴田勝家に従う義務はなくなります。与力は封建的な主従関係と比べると現代の上司と部下に近い、より近代的な関係です。

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