2016年1月10日日曜日

日本と原発4年後

映画『日本と原発4年後』を試写会で観た。江東区では3月11日の昼と夜に西大島の総合区民センターで上映会を開催する予定である。
タイトルに4年後とあるが、福島第一原発事故直後の問題も振り返っている。原発推進派の無責任さに対して改めて怒りを覚えた。制御できなくなり、東電は全面撤退を検討したが、菅直人政権は撤退を許さなかったという話は有名である。私は菅直人政権関係者から話を聞いたことがあるため、東電の無責任さを批判する菅直人寄りの視点が強かった。しかし、映画を観ると政府の無責任さにも怒りを覚えた。
現場が求めていたことは撤退条件を定めることであった。踏み留まって対応することで事故が収束できれば良いが、頑張ってもどうしようもないこともある。爆発が不可避の場合に踏み留まることは無駄死であり、現場責任者としては無責任な態度である。現場が撤退条件明示を求めることは別に変な話ではない。ところが、映画によると、官邸は踏み留まって頑張れとしか言わなかった。これは十五年戦争で守備隊に玉砕を命じた日本軍大本営と重なる。まだ玉砕命令には米軍の侵攻を一日でも遅らせるという一応の合理性があった。しかし、原発事故対応は命を捨てて踏み留まることで何か実現できる価値があるのか不明確である。とにかく頑張れ、休むことも逃げることも許さないという特殊日本的精神論でしかない。
不思議なことに、映画でも理由は謎とされるが、その後、福島第一原発では放射線量が低下し、限定的ながら作業できるようになった。これは幸いなことであるが、何だか分からないが、必死に頑張っていたら神風が吹いたという日本的精神論にマッチした結末である。日本的精神論を強化する教訓となってしまうならば不幸である。
映画から感じた、もう一点は原発が反資本主義的であることである。映画では原子力はエネルギーの自給自足を目論んでいると説明される。また、原発推進派は化石燃料購入を国富の流出と批判する。
しかし、今や企業においても全てを自社で賄うことをせず、積極的にアウトソースして競争力を高めている。買い手は必ずしも弱い立場ではない。調達先を多様化することで選ぶ立場に立てる。原発推進の論理は資本主義以前の重商主義的である。
映画の中では原子力ムラという表現がある。しかし、映画の説明を聞くとムラという表現はミスリーディングと感じた。官僚を中心とした国家資本主義的な利権構造である。ムラという一部の人のみの小さな組織でも、原始的な組織でもない。

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