2015年12月20日日曜日

FJネクスト境界スレスレ

#FJネクスト不買運動 #FJネクスト迷惑電話 #FJネクト反対運動
FJネクストはマンション投資の迷惑電話で評判が悪い。赤羽橋のガーラ・プレシャス東麻布や江東区東陽のガーラ木場は境界スレスレに建築する非常識な計画である。消費者や住民がFJネクストに質問する際に求めるものは真実である。自社正当化のための虚偽ではない。

光が反射して写真が見にくい。もう少し低い位置に設置してもいいかも。ライトを変更して改善した。
文字が小さくて読みにくい。
パレスチナ自治政府に対する風刺画の写真について、このようなモチーフに気付くことが素晴らしい。

吉野健太郎は危険ドラッグ薬事法違反で有罪判決を受けた。危険ドラッグ犯罪は社会にとって普通の犯罪以上に重大である。

サッカーの黒人死ねツイートが批判されることは当然であるが、人種差別問題を強調する視点には違和感がある。贔屓のチームが負けた場合、その原因となった対戦相手チームの活躍した選手にマイナス感情を覚えるファンが存在することは否めない。誰々選手死ねなどの呟きも残念な現実として存在する。それがたまたま黒人選手だったから、黒人死ねになっただけである。相手チームの選手の活躍を称えず、悪口を言う精神をスポーツのファン精神に反すると批判することは正しい。しかし、普段サッカーに興味ないにも関わらず、黒人差別に敏感な人が取り上げることには違和感がある。
誰も黒人差別問題を関心事の最優先にして生きている訳ではない。黒人差別問題を最優先にしなければならないという社会的コンセンサスは存在しない。仮に公民権運動がリアルタイムの青春時代であった世代には黒人差別問題に深い思い入れを持つ方がいるかもしれないが、それを他の世代に押し付けることはできない。公民権運動が知っておくべき一つの歴史であることは否定しないが、たとえば『風とともに去りぬ』を読んで南軍に歴史ロマンを感じることも否定できない。反人種差別のイデオロギーで全てを説明づけるならば興醒めである。
冷戦後の世界では、黒人も白人も同じテーブルに座るという公民権運動の夢が理想としても色褪せている現実がある。人種の坩堝という概念が批判され、人種のサラダボールと言われるようになった。一つのコミュニティーに包含されるよりも、それぞれのコミュニティーが共存する形が理想ではないか。それが旧ユーゴスラビアなどの解決法になっている。
反黒人差別論者は日本人の中にも無意識的な黒人差別意識があり、それは白人思想を無批判に真似しているだけであり、克服されなければならないと主張しがちである。しかし、それは国民感覚とはギャップがある。日本の占領は米軍の善意が強調されることが多いが、進駐軍による乱暴狼藉は存在した。乱暴狼藉の主体であった黒人兵への反感は社会の深層意識に存在する。それは現在の沖縄などの反米軍基地意識にもつながっている。
確かに紳士的で優しい進駐軍将校というイメージも決して稀な特殊事例ではない。当時は黒人部隊というように人種別に分かれていた。乱暴な黒人兵、紳士的な白人将校という感覚は人種的偏見以上の実感として成り立つ。
左翼のイデオロギーにとって黒人と白人の区別は意味がなく、敵はアメリカ帝国主義となるが、それは一つのイデオロギーであって唯一絶対の回答にはならない。

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