2015年10月15日木曜日

司馬遼太郎の歴史観

#書評 #歴史 #レビュー
『司馬遼太郎の歴史観』は『坂の上の雲』に見られる司馬遼太郎の歴史観、韓国観を批判した書籍である。NHKによる『坂の上の雲』 テレビドラマ化への批判でもある。『坂の上の雲』ドラマ化批判の主張は矛盾を内包している。司馬遼太郎の歴史観を否定する一方で、ドラマ化を望まないという司馬遼太郎の発言を援用する。司馬遼太郎の都合に良いところを持ち出す御都合主義に見られかねない。これに対して本書はドラマ化を望まない司馬遼太郎発言が韓国の知識人と交流し、韓国観を深めた後と指摘する。司馬遼太郎の思想の変化から説明しており、論理に一貫性がある。
著者の主張は明快である。明治は輝いていたが、昭和の戦前は狂っていたという歴史観を批判する。明治から昭和の戦前の狂気は始まっていたと指摘する。日清日露戦争は太平洋戦争と比べて綺麗な戦争ではなく、東学党弾圧や旅順虐殺など日本が韓国や中国の人民にしたことを忘れてはならない。
歴史学者が大衆文学作家の歴史観を必死に否定する必要があるのか疑問なしとしないが、問題は司馬遼太郎の歴史観が普及していることである。特に問題は左翼進歩派の側にも司馬遼太郎の歴史観に沿っている人が少なくないことである。それは左翼進歩派の底の浅さを示している。左翼進歩派と言っても権威主義という点では体制派と変わらない体制内批判派との反発を抱かせる。司馬遼太郎の歴史観への反発が司馬遼太郎が否定した戦前の肯定という形で出てくる。戦前の肯定的な再評価がカウンターカルチャーになっている現実がある。故に本書のような批判は価値がある。
今の日本の問題は戦前を肯定する論調が出ていることである。故に戦前を否定する点では司馬遼太郎の歴史観はまともであり、司馬遼太郎の歴史観を否定するよりも、司馬遼太郎の歴史観的な人々ともに戦前を肯定する人々と対峙することが優先課題との考え方があるかもしれない。しかし、明治と戦前を区別する中途半端な欺瞞への反感が戦前肯定の原動力になっているならば司馬遼太郎の歴史観批判には今日的な意義がある。
本書の前半は司馬遼太郎の歴史観を丁寧に説明している。本書の読者は、元々、司馬史観に批判的な立場が多いと予想されるが、そのような人々にとっては分かりきっている記述も多く、じれったく感じるかもしれない。

FJネクスト・ガーラ東麻布新築工事建築紛争
https://www.youtube.com/watch?v=sXonyAcM8IU

0 件のコメント:

コメントを投稿