2015年9月26日土曜日

山本太郎議員が陳謝

葬式ごっこの山本太郎参議院議員が参議院議長から厳重注意を受け、陳謝した。天皇直訴事件と同じ流れであるが、この男には信念がないのか。私は山本太郎議員の葬式ごっこをイジメに重なるとして批判する立場である。しかし、あえて葬式ごっこをするからには、それなりの覚悟をもって行った筈である。簡単に陳謝することは理解できない。
必死に擁護していた山本太郎シンパが滑稽である。自民党の葬式ではなく、民主主義・立憲主義の葬式であると無理な主張で正当化する主張さえあった。山本太郎を悪く言うことは冒涜的であるという雰囲気さえ漂わせている。
山本太郎議員の葬式ごっこはイジメと重なる。自民党の葬式ごっこは公党への侮辱である。これに対して民主主義の葬式と解釈するならば、これらの批判に当てはまらなくなる。自民党の葬式を痛快と評する下劣な感性よりも、はるかに洗練されている。しかし、山本太郎議員本人が自民党の葬式であると述べている。従って民主主義の葬式論は山本太郎擁護論としては無理がある。
戦争法反対派が山本太郎議員を批判することを利敵行為とする主張は根本的な誤りである。戦争法反対派が全て山本太郎の支持者ではない。戦争法反対派は山本太郎議員を擁護し、励まさなければならないと考えているならば思い上がりも甚だしい。
今日の安保法反対運動が過去の安保闘争とは質的に異なる広がりがある背景は保守陣営に属する人々からも反対の声が出ていることである。55年体制のイデオロギー対立から自由になり、良いものは良い、悪いものは悪いと言えるようになった。これは総資本対総労働で総労働の側に立つものは総資本を批判することだけを考えればいいという古いイデオロギーの真逆の姿勢である。もし左翼側が総資本対総労働的な古いイデオロギーに固執するならば幅広い共同にはなりたたない。脱原発には賛成であるが、共産主義革命の一里塚として脱原発運動を位置付ける人々とは究極的な目的が異なるため、共同できないという話になる。

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