2015年6月18日木曜日

江東区議会に教科書採択陳情

江東区議会文教委員会では教科書採択陳情が審議された。日の丸君が代問題のような陳情合戦にはならず、全ての陳情が日本国憲法重視の立場からのものであった。希望のまち東京in東部の陳情のユニークなところは、特定教科書の採択を求める圧力になるような議決や発言を慎むことを求めたことである。これは江東区議会の過去の議論を踏まえたものである。陳情は継続審議となったが、陳情で問題視したような発言や議決はなく、陳情には一定の効果があったと評価できる。実際、過去の議論を前提とすると、今回の議論は拍子抜けするほどであった。
星野委員から「組合の教員は偏っている」との発言がなされたが、「教員としては優秀なのだろうが」との修飾語付きである。一方が他方を偏っていると思っている以上、他方からは相手が偏っていると見えることは当然だろう。インターネット上ではネット左翼による安倍首相の罵詈雑言で溢れているが、それらは「ある分野では安倍首相は優秀なのだろうが」と認めることはない。少なくともネット左翼よりは星野委員の方がフェアである。
陳情の要求は江東区議会宛の陳情という個別具体的なものであり、この要求が普遍性を持ったものと主張するつもりはない。ある教科書を素晴らしいと考え、それを採用するように運動することは市民の活動の在り方として肯定できる。自分達の活動は市民運動であるが、相手の活動はヘイトクライムと否定するならばダブルスタンダードになる。歴史的にも教科書問題と言えば家永裁判であった。特定の教科書を偏向しているとして排除する論理は自分達への制約になることも理解しなければならない。
文教委員会の議論では委員の間の対立構造が鮮明になったが、両者ともに公正な採択を求める点は同じである。何が公正な手続きかが問題になる。星野委員らは教育委員の権限強化を求め、江東区も教育委員会の責任と権限で採択すると答弁した。教育委員会によって、現場の声を無視して粛々と採択されてしまう危険もある。教育の中立性とは教育委員会という聖域を生み出すものではないということを主張しなければならない。ユネスコの勧告を強調する必要があるだろう。
どうも日本の左派は安倍首相や橋下大阪市長など政治の暴走には敏感であるが、官僚支配の問題意識には鈍感さを感じる。それが官から民へ、政治主導を求める市民からは、伝統左派もまとめて守旧派と映ってしまう面がある。たとえば集団的自衛権容認では内閣法制局の抵抗を高く評価する傾向がある。集団的自衛権では結論が都合がいいとしても、公務員の労働権否定など現行の憲法解釈に多くの問題があるとは考えないのだろうか。憲法を暮らしに活かすためには現行の憲法解釈を変える必要があり、それには政治の力が必要ではないか。その場合に内閣法制局など官僚が抵抗勢力になるだろう。それを評価することは官僚の専制を許し、自分達に跳ね返る危険がある。その意味でも区民の声や現場の声に耳を傾けるという点を強調する。

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