2013年7月20日土曜日

日本の労働はなぜ違法が

今野晴貴『日本の「労働」はなぜ違法がまかり通るのか』(星海社新書、2013年)はブラック企業の著者による労使関係をテーマとした新書である。ブラック企業はブラック士業と共に現代日本の大きな社会問題である。そのために著者も注目されているが、ブラック企業の見分け方ばかりに関心を寄せられる状況には批判的である。いくら努力しても見分けることには限界がある。「見分けろ」という議論は、「見分けない奴が悪い」とブラック企業の正当化になりかねないためである。14頁。これは東急不動産だまし売り裁判の経験からも納得する(林田力『東急不動産だまし売り裁判こうして勝った』)。消費者や労働者に問題物件や問題企業を見分けさせるというスタンスは被害者の救済にならない。

「争う気概のある人とそうでない人とで、大きな差が出てくる。」84頁。
「「普通の人」でも正義を争えるような社会的なサポート体制が、いま、求められている」87頁。

福祉の貧困と土建国家の関係についての指摘も興味深い。「社会福祉が劣悪である一方で、企業福祉を国民に広く与えるべく、地方への「利益誘導」が図られた。その手法が公共事業である。」200頁。私は開発と福祉がトレードオフと主張してきた。開発予算を増大する政府は福祉予算を削減する傾向がある。本書では福祉が貧困であるために公共事業でばらまき、企業を潤わせ、企業福祉を充実させるという関係が描かれる。
「ワタミの社長も、自分の会社の社員が自殺していても、『労務管理に問題はなかった』と言い張っている。自分の娘だったら、口が裂けても言えないだろう」225頁。
ブラック企業が残酷になれる理由は労働者が商品として「一回雇って、生命力を使い果たして、それで関係を終わりにできてしまう」ためとする。226頁。これを「一見さん」の恐怖と表現する。225頁。これも東急不動産だまし売り裁判と共通する。マンションだまし売りも不動産購入が一生に一度あるかないかの買い物であるために不動産業者はリピーターを気にせず、売ったら売りっぱなしができる側面がある。
本書はゼネラリスト育成という日本型経営の美点とされた特徴にブラック企業を生み出す素地があったと指摘する(213頁)。
本書で驚かされる点は労働者の権利の話でも、日本国憲法への言及がないことである。日本国憲法には労働基本権や生存権、平等権など労働者のバックボーンになりうる規定がある。
本書は国が与えてくれる他力本願な権利意識ではなく、会社との契約関係に基づいて自分自身が実現する権利を重視する。また、社会経済的関係から労使関係を論じている。その意味では日本国憲法からアプリオリに労働者の権利を論じることはそぐわないものではある。
しかし、反貧困運動が生存権を思想的な武器にしていることを踏まえると、日本国憲法に全く触れていないことは大きな驚きである。ブラック企業に問題意識を有する人にとって日本国憲法はあまり意識するものでもないかもしれない。これは現代的な社会問題に対応できていない護憲運動の反省を迫るものである。

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