2013年7月21日日曜日

板橋茶論・原発と倫理

板橋茶論IN世田谷は原発と倫理をテーマとした。一人は原発は被曝労働者の犠牲なしではなりたたないとの反倫理性を指摘した。もう一人は生産の拡大、技術の発展が幸福にするという根本的な思想そのものが問われているとした。共に原発と倫理を考える上で重要な指摘である。押さえるべきところは押さえている。
但し、原発と倫理をめぐる議論そのものは、それほど深まらなかった。一人が指摘していたように福島第一原発事故を目の当たりにして理屈抜きに直感的に脱原発という思いが強いためである。そのような思いを抱えた人々が集まった会ならば議論するまでもなく原発にNOとなる。一方で世の中の全ての人が同じ思いを抱いている訳ではない。原発推進派は原発は安全という建前である。原発と倫理というテーマは社会的に重要である。
板橋区での核燃料輸送に対する取り組みが説明された。また、これは板橋区の地域的な取り組みであるが、輸送車は他の地域にも通過しており、事故の危険と隣り合わせという問題をどこも抱えている。江東区も青海埠頭に核燃料物質が陸揚げされていると指摘された。自分達の生活の安全に直結する問題である。一部に現実生活から遊離した傾向も出てきた脱原発運動を生活や地域に密着したものにできるテーマである。
世田谷区の市民団体による福島の子ども達をリフレッシュさせる取り組みも紹介された。懇親会も含めて保坂展人・世田谷区政の市民寄りの姿勢への好意的評価が高かった。私は二子玉川RIZEなど開発問題を契機として世田谷区政に関心を持つ(林田力『二子玉川ライズ反対運動1』Amazonキンドル)。開発問題では「大型開発優先区政からの転換」の公約にも関わらず、実感は乏しい。「裏切り者」などの辛辣な評価も耳にする。そのために評価されているところでは評価されていると認識を新たにした。やはり開発問題は土建国家の利権の総本山であり、これに取り組むことは並大抵のことではない。民主党が「コンクリートから人へ」で正面から斬り込んで腰砕けになってしまったほどの問題ではある。
興味深い指摘としてドイツ緑の党は比較的豊かな層に支持されているとする。貧困層は社会主義政党か極右に流れるという。ドイツに比べると日本の緑の党は盛り上がりに欠けるが、日本では比較的豊かな層への訴求に欠けているように思われる。日本では比較的豊かな層で脱原発を志向する人々は、みんなの党的な電力自由化による脱原発を支持する傾向がある。脱原発運動には極端で教条主義的な主張を掲げて彼らと自分達を区別したがる傾向がある。
ドイツ緑の党が比較的豊かな層に訴求できた思想的要因として欲望の肯定と説明した。従来の左翼運動には禁欲主義的なところがあったとする。
この説明には我が意を得たりである。私も開発問題は自然を破壊してはならないという「べからず」ではなく、自分達の生活を維持するという生活の価値をバックボーンに置くべきと主張した。禁欲的な「べからず」ばかりでは環境保護政党も成り立たない。
また、従来の左翼運動を禁欲主義的と評したことも納得である。特に日本では戦時中を知らない世代にとって左翼運動こそ「欲しがりません勝つまでは」「滅私奉公」を体現した世界に感じられる。昔陸軍、今総評という言葉もあった。これは何故、若年層が右傾化してしまうかの説明にもなる。軍国主義化したら自分達の自由がなくなるのに、と右傾化を不思議に思う人もいるだろう。しかし、むしろ左翼的世界こそ自由のない抑圧的な社会に映っている。
一方で改めて欲望の肯定から論じられなければならないかという思いがある。滅私奉公が否定されるべきは当然である。それは戦後日本の土台になるべきものである。
欲望の肯定というところから論じなければならないところに、大半の学生運動家が社畜になって滅私奉公し、保守政権を支えたという世代的弱点を見出だすことができる。
日本の68世代に未だに欲望を肯定できない傾向があるならば、そこと向き合うことから始めなければならない。その意味で講師の問題意識は正しい。しかし、とうに日本社会では欲望の肯定は受け入れられており、68世代的問題意識は古い。それに社会全体が振り回されるならば他の世代にとって不幸である。
古くから日本共産党も欲望の肯定の側に立っている。中小企業を潤し、庶民の懐を暖めることで景気回復を提言している。資本主義的欲望にどっぷりと浸かっていると見ることもできる。それを堕落と批判することも可能であるが、問題は欲望を肯定するか否かではなく、欲望の質である。経済的繁栄ではなく、社会的に価値あること、善いことをしたいという欲望の充足。それがマッチしたからドイツでは緑の党が比較的豊かな層に支持されたと考える。
日本で民主党が「コンクリートから人へ」を掲げた時は共産党よりも革命的と感じたものである。共産党には「大企業のコンクリートから中小企業のコンクリートへ」というところが感じられるためである。
日本の緑の党は欲望の肯定という点は満たしているようである。祝祭的雰囲気さえある。しかし、欲望の肯定が大麻合法化のような即物的で反社会的な方向に進むことを懸念する。オルタナティブな政治勢力の健全な発展は欲望の肯定の一歩も二歩も進んだところにある。

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