2013年1月5日土曜日

日本人はなぜ中国人、韓国人とこれほどまで違うのか

黄文雄『日本人はなぜ中国人、韓国人とこれほどまで違うのか』は台湾で生まれ育った著者が「日本人と中国人・韓国人は文化的に全く異なる」と主張する書籍である。日本人を高評価し、中国・韓国人の民族的傾向を批判的に指摘する。

民族的偏見には興味はない。本書で指摘されている日本人の良さや中国・韓国人の悪さは民族というくくりでのステレオタイプな分析である。個人レベルに分解すれば日本人も中国人も韓国人も様々であることは言うまでもない。実際、本書では千年に一度という東日本大震災での日本人の冷静な行動を賞賛するが、日本社会の中でも「東日本は放射能汚染されて人が住めない」などのデマを拡散し、不安を煽る放射脳カルトと呼ばれる醜い連中がいる(林田力「山本太郎の立候補に批判」真相JAPAN第134号、2012年12月4日)。

それ故に民族というステレオタイプな分析だけで人を評価することは誤りであるが、社会集団として把握する上ではグルーピングによるステレオタイプな分析も意味がある。そして社会集団として分析するならば、むしろ現代日本社会では著者が賞賛する日本人の良さは急速に失われ、著者が中国・韓国人のものとして批判した否定的性質が目立ちつつある。

例えば本書では中国人が大中華など大きいことに固執する傾向の説明として「美」という漢字の成り立ちを述べる。美は大きい羊という意味である。つまり、「大きいことは美しいこと」との価値観がある(25頁)。東急電鉄や東急不動産らの東急グループが「美しい時代へ」を掲げながら、ちっとも美しくない大型開発を推進して住環境を破壊し、周辺住民に被害をもたらしている(林田力『二子玉川ライズ反対運動4』)。
http://hayariki.net/4/63.htm
また、中国の経済成長は私企業の市場原理によるものではないとする。「国有企業を二束三文で払い下げ、共産党幹部が企業の社長に就任して巨利を得たり、あるいは地方政府と企業が結託し、許認可を意図的に操作したりして富を得る」(32頁以下)。これも日本とは無縁ではない.

郵政民営化の「かんぽの宿」問題では東急リバブルが旧日本郵政公社から評価額1000円で取得した沖縄東風平(こちんだ)レクセンターを学校法人・尚学学園に4900万円で転売した(林田力「【かんぽの宿問題】東急リバブル転売にみる民営化の問題」ツカサネット新聞2009年2月6日)。これは国有財産を二束三文で払い下げて巨利を得ることに重なる。

加えて東急電鉄・東急不動産らが進めた二子玉川東地区第一種市街地再開発(二子玉川ライズ)では東急電鉄と世田谷区の密約(協定)に基づいて都市計画が変更され、風致地区の都市計画公園予定地に超高層ビルの建設が可能になった(林田力『二子玉川ライズ反対運動』)。これも「地方政府と企業が結託し、許認可を意図的に操作」と重なる。

著者が賞賛する日本社会の素晴らしさのベースになるものとして、豊かな自然、社会の安定、教育水準(識字率)の高さが挙げられる。これらは歴史的に築き上げたものであり、維持しなければ失われてしまうものである。

第一に「豊かな森と水に恵まれた日本」である(189頁)。これは地理的な好条件であるが、努力の賜物である。本書は砂漠化が進む中国と対比するが、人間の自然破壊が原因である。インダス文明も森林伐採による砂漠化で滅びたとの説が有力である。日本も他人事ではない。ダム建設やスーパー林道建設などの公共事業で豊かな森林が過去のものになりつつある。

第二に「内戦や内乱、内紛、そして天災、飢饉、疫病の蔓延、苛斂誅求(税金を容赦なく厳しく取り立てる)などが比較的少なく、社会が安定していたこと」である(189頁)。その背景には天皇制による権威と権力の分散、江戸時代のような分権型システムがあった。中国の皇帝専制は一人だけが自由で万民は奴隷になったが、天皇制の一君万民は格差会社解消の論理にも使われた。しかし、現代の1%だけが富み栄え、残りの99%が貧しくなる格差社会は社会の安定の基盤を崩壊させる。日本の良さを守るためには反貧困の運動が重要になる。

第三に教育水準(識字率)の高さである。一般に江戸時代の寺子屋の普及が理由とされるが、本書は「鎌倉時代の日本仏教の民衆への普及で広がった『写経運動』がきっかけ」と述べる(191頁)。鎌倉仏教は仏教という外来宗教を土着化・民衆化する契機であった。仏教を自分達の教えとして咀嚼した点も中国や韓国との大きな相違である。それが教育の原動力となったことは重要である。近代化に教育制度は必須であるが、上からの近代化で教育制度の確立に成功した例は少ない。民衆側が自発的に学ぶニーズが必要であることを示している。

最後に疑問点を一つ指摘する。日本が真似しなかった中国文化の一つに宦官がある。その理由を本書では日本が中国のような「万人が奴隷とされる」皇帝制度ではないためとする(54頁)。しかし、中国よりは女性の政治的社会的発言権が高かったためと考える。日本では後宮や大奥の政治的な役職を女性が占めることに抵抗がないために宦官は不要であった。これも日本の美点である。

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