2012年7月30日月曜日

厳島神社

夏休み期間であったが、東海道新幹線は業務目的の客ばかりであった。新大阪駅を過ぎると業務目的の乗客が減り、旅行目的の乗客が増えて車内の雰囲気が華やいだものになる。
洲本には淡路ごちそう館御食国がある。大正風の赤煉瓦の建物である。淡路牛丼は淡路和牛のバラ肉と淡路玉ねぎを煮込み、その上に極上「焼きしゃぶ」を敷き詰めた牛丼である。サラダバーでサラダは好きなものを選べる。淡路島名産の玉ねぎもある。物品販売所もある。オニオンスープや玉ねぎのポテトチップスが販売されている。
洲本には岩田康郎の像がある。
大浜海水浴場は、南北に海岸線が延びている。砂浜に沿って松の木が植えられている。南側には山が迫り、山頂には洲本城が建っている。北側は少し泳いだだけで背が立たなくなる。泳ぎがいのある海である。南側は比較的遠浅である。クラゲが大量に発生していた。子ども達は手でクラゲを掴んで砂浜に放り投げる遊びをしていた。クラゲも相対的に南側の方が少ない。
洲本港には船が停泊していた。
厳島神社は路地のような参道に商店が並ぶ。風情のある町並みである。厳島神社には狸の像もあった。洲本八狸の武佐衛門という。洲本八狸には芝居好きの狸などユニークな狸が多い。
郡の境界の標石がある。
親鸞の像がある。
東浦近辺の海岸である。
明石海峡大橋から瀬戸内海を望む。

2012年7月28日土曜日

マルコ傳福音書

マルコ傳福音書 第14章
61.されどイエス默して何をも答へ給はず。大祭司ふたたび問ひて言ふ『なんぢは頌むべきものの子キリストなるか』
62.イエス言ひ給ふ『われは夫なり、汝ら、人の子の全能者の右に坐し、天の雲の中にありて來るを見ん』

ヨハネによる福音書 8
12. イエスは、また人々に語ってこう言われた、「わたしは世の光である。わたしに従って来る者は、やみのうちを歩くことがなく、命の光をもつであろう」。

ルカによる福音書 4
40.日が暮れると、いろいろな病気になやむ者をかかえている人々が、皆それをイエスのところに連れてきたので、そのひとりびとりに手を置いて、おいやしになった。
41. 悪霊も「あなたこそ神の子です」と叫びながら多くの人々から出ていった。しかし、イエスは彼らを戒めて、物を言うことをお許しにならなかった。彼らがイエスはキリストだと知っていたからである。
http://hayariki.net/2/27.htm

ヨハネの黙示録 21
8. しかし、おくびょうな者、信じない者、忌むべき者、人殺し、姦淫を行う者、まじないをする者、偶像を拝む者、すべて偽りを言う者には、火と硫黄の燃えている池が、彼らの受くべき報いである。これが第二の死である。

早川和男『居住福祉』v 林田力 wiki記者レビュー

早川和男『居住福祉』(岩波新書、1997年)は福祉の観点から住まいを考える新書である。住まいの貧困が日本社会の人心の荒廃の一因であるとし、居住福祉社会を新しい時代の文化として作り上げていくことを訴える(15頁)。
北欧では「福祉は住居にはじまり住居におわる」と言われるが、日本の住まいに対する意識は低いと「はしがき」で著者は指摘する。著者の嘆きは正しい。住まいは人権という意識の低さがゼロゼロ物件のような貧困ビジネスを横行させている。
『居住福祉』の優れている点は住まいに関する様々な問題を「居住福祉」という観点で網羅していることである。住宅や街づくりは社会保障に密接に関連する分野である。マンションだまし売りの東急不動産だまし売り裁判も、大型開発による住環境破壊の二子玉川ライズも、東急電鉄による東急大井町線高架下住民追い出しも、貧困ビジネスのゼロゼロ物件も居住福祉の貧困が原因である。それらと闘う運動は居住の権利を守る運動である(170頁)。
日本の住宅政策の問題点は、住宅の供給と確保を市場原理に委ねていることである(103頁)。総理府社会保障制度審議会は1962年の「社会保障制度の総合調整に関する基本政策についての答申および社会保障制度の推進に関する勧告」で以下の勧告をした。
「国の住宅政策は比較的収入の多い人の住宅に力を入れているので、自己の負担によって住宅を持つことができず、公営住宅を頼りにするほかない所得階層の者はその利益にあずからない。これでは社会保障にならない。住宅建設は公営住宅を中心とし、負担能力の乏しい所得階層のための低家賃住宅に重点をおくよう改めるべきである。」
しかし実態は正反対の方向に進んだ。「戦後、企業および公共団体は一貫して土地と住宅を利潤追求の手段にし、それゆえに政府も自治体も、居住の権利をタブー化せざるをえなかった。」(171頁)。だからマンションだまし売りの東急不動産だまし売り裁判や貧困ビジネスのゼロゼロ物件など悪徳不動産業者が横行する。
『居住福祉』では転居の弊害も指摘する。「一般に高齢になってからの転居は「精神的卒中」といってよいほど深刻な事態を招きがちで、避けるにこしたことはない。」(110頁)。古くから居住している東京都品川区の東急大井町線高架下住民を追い出す東急電鉄は非道である(林田力『二子玉川ライズ反対運動2』151頁)。
転居の弊害に対する日本人の意識が低い点も住まいが市場原理に委ねられていることが背景である。「日本の不動産業者や仲介業者は買い替え、引っ越しで食っているのだから警告するはずはない。」(113頁)。
ジョン・メージャー(John Major)英国首相は「ホームレスは目障り。観光客や買い物客を繁華街から遠ざける」と発言して世論の猛反発を浴びた。しかし、日本ではホームレス排除が社会の無関心の上に強行されている。
「わが国には、市民の生命や環境の破壊、住民の追い出しなど反社会的行動を恥じない企業が多すぎる」(192頁)。東急リバブル・東急不動産・東急電鉄や宅建業法違反のゼロゼロ物件業者は典型である。
「住宅問題はたいてい、個人の問題として個別にあらわれる。」(197頁)。それ故に『東急不動産だまし売り裁判』という形で公刊されることに意義がある。
再開発の問題への指摘も重い。「町なかの民間借家などに住む住民が、行政の再開発事業とそれにからむ暴力的地上げなどで追い立てられる事態が再びぶり返し、人々を居住不安に陥れている」(8頁)。これは東京都世田谷区の二子玉川ライズや品川区の東急大井町線高架下に該当する(林田力『二子玉川ライズ反対運動2』)。二子玉川では駅前の中小地権者は追い出され、東急電鉄・東急不動産の商業施設「二子玉川ライズ ショッピングセンター」やオフィスビル「二子玉川ライズ オフィス」になってしまった。東急大井町線高架下住民は東急電鉄から一方的な立ち退き要求を受けている。
住居で日照が重要であることを明らかにする。阪神大震災で「隣の家が壊れて空き地になって、自分のアパートに日があたるようになった。今までは日があたらず、湿気も多かった。」という住民は「かぜひかなくなった。咳一つでない。」と語る(38頁)。
別の箇所では「日照・通風・採光の不良は室内を不衛生にし、呼吸系疾患や骨粗鬆症やくる病などの原因となるだけでなく、健康回復への意欲を失わせる。通風の悪さによる夏の暑さは食欲不振などから体力の衰弱をもたらしている。」(66頁)。
これは東急不動産だまし売り裁判でも共通する。東急リバブル東急不動産は隣地建て替えという不利益事実を隠して新築マンションをだまし売りした。隣地建て替えにより、日照・眺望がなくなり、通風も悪化した。消費者契約法によって売買契約を取り消し、売買代金を取り戻した(林田力『東急不動産だまし売り裁判こうして勝った』)。東急不動産だまし売り被害者は東急不動産だまし売りマンションから出ていったことで、以前よりも健康になった。
公園の問題も指摘する。大規模公園を防災公園とする傾向がある。しかし、本書は以下のように批判する。「大規模な公園は、たどり着くまでの距離が遠い、日常的に役立たない、などの欠陥をもっている。日常、市民の居住や生活環境に無関心で、ことさらに防災公園をいうのはまやかしである。」(41頁)。
反対に「長田区内の小さな公園で火が止まった」と住宅地内の小規模公園を評価する(40頁)。二子玉川東地区再開発でも駅前から離れた場所に巨大な防災公園が作られるが、住民のためになっていない。
二子玉川ライズのような再開発そのものが世界的には時代錯誤である。街づくりの先進地域である西ヨーロッパでは都市再開発が中止されている。再開発の弊害が大きいためである。再開発はコミュニティーを破壊する。そのために「既存住宅の修復事業が住宅政策、都市政策の中心になっている。」(114頁)。
開発優先区政からの転換を訴える「新しいせたがやをめざす会」でも、住宅リフォーム助成制度の創設が提言された。新しいせたがやをめざす会の政策案は中小建設業者の振興策として提示されたものであるが、住宅政策からも支持できる。
また、「再開発にともないがちな高層住宅は高齢者や子どもを孤立させることが明らかになるにつれ、高層住宅の建設を中止する国がふえた。既存の高層住宅はこわして三〜六階建て(むろんエレベーターはある)に建て替える。イギリス、フランスなどの都市を訪れると、どこでも高層住宅を次々と爆破して中低層住宅に変えているのに目を見張る。」(114頁以下)。アメリカでは容積率を減らすダウンゾーニングをしている。二子玉川ライズも減築が将来的な目標になる。
http://hayariki.net/0/faqindex.htm

2012年7月26日木曜日

二子玉川ライズ反対運動と居住福祉v林田力Wiki記者

二子玉川ライズは時代錯誤である。街づくりの先進地域である西ヨーロッパでは都市再開発が中止されている。再開発の弊害が大きいためである。再開発はコミュニティを破壊する。そのために「既存住宅の修復事業が住宅政策、都市政策の中心になっている。」『居住福祉』114ページ。
開発優先区政からの転換を訴える「新しいせたがやをめざす会」でも、リフォーム助成の拡充が提言された。新しいせたがやをめざす会での提言は住宅政策を念頭に置いたものではないが、住宅政策からも支持できる。
また、「再開発にともないがちな高層住宅は高齢者や子どもを孤立させることが明らかになるにつれ、高層住宅の建設を中止する国がふえた。既存の高層住宅はこわして三〜六階建て(むろんエレベーターはある)に建て替える。イギリス、フランスなどの都市を訪れると、どこでも高層住宅を次々と爆破して中低層住宅に変えているのに目を見張る。」『居住福祉』114ページ以下。アメリカでは容積率を減らすダウンゾーニングをしている。二子玉川ライズも減築が将来的な目標になる。
再開発などで「小売り商店をなくすことは、まちを壊し、住みにくくすることである。」126ページ。
「日本ほど周辺環境と関係なく建物を建てられる国は他の先進国には見当たらない。」142ページ。二子玉川ライズは国際感覚から逸脱する。
「住民の希望や意見に基づくまちづくりを実現することが、市民のための再開発であり自治体の果たすべき役割である。」157ページ。
「市民主体のまちづくりは人権を守る大切な要素」163ページ。
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2012年7月25日水曜日

放射脳とカルトv林田力Wiki記者

なんでもかんでも放射能のせいにし、放射能の危険性デマを撒き散らす放射脳はカルトであると指摘される。放射脳とカルトの共通性は盲信という点に負っているが、もう一つの共通点もある。それは悪徳商法である。カルトの多くは霊感商法など金儲けと結び付いている。これは放射脳も同じである。
放射脳は放射能危険デマで不安を煽り、安物のガイガーカウンターを売り付ける。安物のガイガーカウンターでは正確な測定ができないと国民生活センターが注意喚起している。
より悪質な事例もある。貧困ビジネスのゼロゼロ物件業者が福島県民などの不安を煽って自主避難を勧め、劣悪なゼロゼロ物件に住まわせようとしている。もともとゼロゼロ物件業者は非正規労働者などをカモにしていたが、社会問題となり、ゼロゼロ物件の悪質性は知れ渡った。宅建業法違反で業務停止処分を受けたゼロゼロ物件業者もいる。そこで東日本大震災をビジネスチャンスとし、自主避難者を新たなカモにしている。林田力
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2012年7月24日火曜日

代々木ゼロゼロ物件問題v林田力W iki=?iso-2022-jp?B?GyRCNS08VBsoQg==?=

東京都渋谷区代々木などでゼロゼロ物件の問題を調査した。代々木のゼロゼロ物件業者は内見をさせないなどと市民団体から批判された。重要事項説明義務違反や賃貸借契約書に記載なく退室立ち会い費なる趣旨の不明確な金銭を徴収したとして宅建業法違反で業務停止処分を受けた。
この代々木のゼロゼロ物件業者はマンションの13階の一室にある。かなり入りづらい部屋と指摘されているが、その通りであった。マンションは内廊下の形式で外が見えず、閉じ込められた感覚になる。竣工当初はホテルライクな内廊下として高級感を売りにしたと予想されるが、薄暗くて汚れが目立つ内廊下では幽霊屋敷である。
普通の不動産業者は一階に入居する。壁をガラス張りにしており、物件情報を多数掲載している。それによって、どのような物件を扱う業者かを確認した上で入店できる。ところが、代々木のゼロゼロ物件業者には、それがない。入店したくない不動産業者である。
このゼロゼロ物件業者の問題は名前を変えていることである。宅建業法違反で業務停止処分を受けた当時とは別の名前になっている。不動産業者の行政処分歴は不動産業者選びの重要な要素である。業者名を変えることは消費者を欺く商法である。
もう一つの問題は不動産ポータルサイトに物件広告を出していることである。不動産ポータルサイトは多数の不動産業者の物件を好みの条件で検索できるために便利である。一方で優良業者の物件も悪質業者の物件も同じように表示されてしまう点が難点である。マンションの中の入りづらい一室の不動産業者に好んで問い合わせする消費者は多くない。しかし、不動産ポータルサイトの検索結果で表示されたならば不動産業者の実像は見えず、問い合わせへのハードルが下がる。その結果、貧困ビジネスに巻き込まれる消費者も出てくる。
代々木を北上すると新宿区に入る。新宿の北は新大久保である。コリアンタウン化しており、魅力的な店が並ぶ。ここにも別のゼロゼロ物件業者によるゼロゼロ物件がある。このゼロゼロ物件業者も社会の批判を集め、名前を変えて営業する点が共通する。ゼロゼロ物件は姑息である。
ゼロゼロ物件はカラフルであった。代々木のゼロゼロ物件業者の物件は水漏れなどの欠陥が指摘され、「貸し物件ではなく、瑕疵物件」と揶揄される。それに比べると新大久保のゼロゼロ物件は洗練されている。
また、代々木のゼロゼロ物件業者は事務所は都心にありながら、扱う物件は多摩や埼玉、神奈川ばかりである。東京の土地勘のない上京者相手の商売とも批判されている。それに比べれは新大久保のゼロゼロ物件は利便性はある。
一方で外観が洗練されているとの評価は物件単独で見た場合である。街並みとして見るならばケバケバしくて周囲の景観から浮いている。景観破壊のゼロゼロ物件である。賃借人を食い物にする貧困ビジネスを批判する住まいの貧困と闘う運動と街づくりを考えるマンション建設反対運動はゼロゼロ物件撲滅で共闘できる。林田力
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2012年7月23日月曜日

この声が届く先v林田力Wiki記者レビュー

『この声が届く先』は私立探偵を主人公としたシリーズ物の一作である。冒頭から主人公ビル・スミスはピンチに陥る。相棒のリディア・チンを誘拐したと電話で告げられた。犯人が自分に恨みを抱いていることは分かるが、逆恨みされる可能性は複数存在し、犯人の正体を特定できない。これは林田力にも思い当たる。林田力もインターネットで誹謗中傷を受けたが、最初は犯人を見極められなかった。最終的に犯人は宅建業法違反を告発したゼロゼロ物件業者であると判明し、ゼロゼロ物件業者の批判を続けることでゼロゼロ物件業者は廃業した。主人公が犯人の正体に気付いた際に「どうして、いままでわからなかったのだろう。思い当たらなかったのが不思議なくらいだ」と振り返る。136頁。これも林田力も同じであった。
中国系アメリカ人が重要な役回りをする。多民族国家アメリカの実情を反映している。主人公らはGoogleマップやストリートビューを使用して手がかりを得ようとする。30頁。現代的な事情が反映されている。日本の土地共有持分等確認の裁判でも、ストリートビューで取得した被告宅の写真が証拠として提出された。
犯人は十分に嫌悪感を抱かせる人物である。犯人と関係した登場人物は犯人に殺意を覚えるが、それが十分に納得できる描かれ方である。犯人の身勝手さを示す口癖に「相手に合わせたって損はない」というものがある。犯人が身勝手な暴言を吐く。その暴言を向けられた人物は当然のことながら腹を立て、態度を硬化させる。それに対して犯人は上記の口癖を出す。自分に合わせろという身勝手なエゴイズムである。
犯人ほどの人格異常者は現実社会では稀である。逆に大勢いたら大変である。しかし、犯人的な要素は日常でも接することはある。たとえば相手を不快にさせるような乱暴な発言をしておきながら、「興奮して言葉が乱暴になっていますが」とフォローしたつもりになっている輩である。自分の興奮状態を汲み取って、表面的な言葉遣いから態度を硬化させるなという身勝手な要求である。現実離れした異常者を描きながらもリアリティーを失わない背景は、その片鱗を現実の不快な人物に重ね合わせることができる点にある。林田力
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2012年7月22日日曜日

『講義 民事訴訟法』v 林田力 wiki記者レビュー

吉村徳重、谷口安平、竹下守夫『講義 民事訴訟法』(青林書院、2001年)は大学における民事訴訟法の講義用の標準的教科書と位置付けられている。教科書としての位置付けであるために一般的な考え方の紹介が中心になるが、訴訟上の和解について興味深い記述があった。

和解の勧試の進め方を以下のように記載する。「交互面接方式ではなく、両当事者対席のもとで行われるべきである。当事者に相互の陳述内容と和解案についての情報と理解を共有させ、裁判所の片面的心証形成防止をはかり、手続保障の理念をいかすためである。」(307頁)

実務では交互面接方式が主流になっている中で貴重な指摘である。東急不動産だまし売り裁判でも最終的に東急不動産の拒否で決裂した和解協議は交互面接方式であった(林田力『東急不動産だまし売り裁判 こうして勝った』「予定調和の協議決裂」)。

交互面接方式でも話し合いの前提が明確で、方向性が共有できていれば問題ない。東急不動産だまし売り裁判の和解協議が早期に決裂し、無意味な和解期日を費やさずに済んだ理由も、前提に合意できないことを両当事者が共有していたことが一因である。

しかし、一般的に交互面接方式の和解協議は評判が悪い。それは正に「手続保障の理念」がいかされていないためである。表向き「和解で終わらせた方が互いにとってプラスになる」と言っても、判決を書きたくないという自らの怠惰から和解が勧められることもある。そのために何が何でも権利主張を諦めさせるような当事者無視の和解手続きも皆無ではない(林田力『二子玉川ライズ反対運動2』93頁)。

密室の書記官室で裁判官が「この裁判は負けですから、和解に応じなさい」という類の和解の脅迫や強要の話もある。医療過誤訴訟の被害者が裁判官から和解を強要されて焼身自殺した事件もある。まさか裁判官が「終わりよければ全てよし」というナイーブな考えは抱いていないと思うが、和解協議では適正手続きが軽視されがちである。それは当事者にとっては大きな不満の種になる。

和解協議についても「手続保障の理念」を持ち出す『講義 民事訴訟法』は慧眼である。和解協議は両当事者対席のもとで公正に進めるべきである。
http://yaplog.jp/hayariki/archive/649
林田力 東急不動産だまし売り裁判
http://hayariki.bravesites.com/
林田力 東急不動産だまし売り裁判
http://matome.naver.jp/odai/2134244787536307301

いじめ問題と右派と左派

これまで私は左派にシンパシーを抱くことが多かった。日本には実際に苦しんでいる人々の受け皿になりうるものは左派系の団体や運動ばかりという現実があるためである(林田力「主権回復を目指す会が在特会を批判」PJニュース2010年8月21日)。
それは年越し派遣村が象徴している。派遣村に集った左派系団体の一部には憲法改正阻止など貧困問題とは関係の薄いイデオロギー主張に利用しただけとの批判がある。それでも何もしないより、はるかに素晴らしいものと評価する。東急不動産だまし売り被害者が左派にシンパシーを抱くようになることは当然の帰結である。
これに対して右派には苦しむ人や困っている人を自己責任論で切り捨てる新自由主義の冷酷さを感じていた。これは私が社会意識を深めた時期が小泉純一郎政権期からという点に負っている。日本では権利を行使できずに泣き寝入りしてしまう人が多いが、自己責任論が元凶である。
このような私であるために、左派との接点の方が多くなる。しかし、彼らの独善に辟易することも少なくない。左派が苦しむ人々のために立ち上がることは素晴らしいことであるが、全ての問題に立ち上がる訳ではない。リソースの問題から当然であるものの、選別の恣意性を感じることもある。「その問題は脇に置いて、こちらの問題に取り組んで」などと言われたこともある。
いじめ問題は右派と左派に対する印象を逆転させた問題の一つである。ブログなどで共感できる記事の作者アイコンに日の丸が掲載されているということも少なくない。しかも、いじめ問題では、いじめ加害者だけでなく、教育委員会や司法などの権力批判に広がっている。この動きに注目したい。
北本市中1女子いじめ自殺訴訟判決
http://blogs.yahoo.co.jp/ijime_saiban

2012年7月21日土曜日

『トリコ 19』『トリコ 20』v 林田力 wiki記者レビュー

島袋光年『トリコ』は『週刊少年ジャンプ』連載のグルメ・アクション漫画である。美食が価値の中心となったグルメ時代において、未知の食材を探求する美食屋トリコの冒険を描く。

『トリコ』の大きな特徴はグルメとバトルの二本立てになっていることである。未知の食材を探求するトリコの前には凶暴な生物や敵対勢力が立ち塞がり、激しいバトルになることが多い。バトルは少年漫画の王道である。一方でバトル中心はワンパターン化の弊害に陥りやすい。「こいつを倒したら、次はあれを倒す」の繰り返しになるためである。トリコではグルメという軸を別に設けることで物語に深みを増している(林田力「『トリコ』第12巻、グルメとバトルの二本立て」リアルライブ2011年1月7日)。

『トリコ 19』(集英社、2012年)ではグルメカジノでの戦いであるメテオガーリック編が完結する。今回の戦いは神経衰弱的なゲームの対決で、頭脳戦や心理戦の要素もある。このメテオガーリック編が『週刊少年ジャンプ』で連載されていた当時、西尾維新『めだかボックス』でも神経衰弱的なゲーム対決が繰り広げられていた。

また、キメラアントとの死闘が終わった冨樫義博『HUNTER×HUNTER』ではアルカの能力の謎解きという頭を使う内容になった。少年マンガの王道はバトルであり、トリコは間違いなく王道作品であるが、他のジャンプ連載作品と重なって頭脳戦を展開したことは興味深い。

『トリコ 19』の敵キャラクターは、いかにも悪役という外観である。ところが、戦いの後は、あっさりと「昨日の敵は今日の友」状態になり、物足りない。「昨日の敵は今日の友」は、かつての少年漫画では定番の展開であった。攘夷を叫んだ幕末の志士が文明開化を主導し、鬼畜と罵った米国を戦後は世界で最も強固な同盟国と呼ぶ無節操で歴史性に欠ける日本人のメンタリティには合っている。

しかし、過酷なイジメなどの現実と直面する現代の子ども達にとって「昨日の敵は今日の友」展開はリアリティに欠ける(林田力「【コミック】過去の敵への態度に注目『ONE PIECE 第51巻』」ツカサネット新聞2008年9月17日)。実際、圧倒的な人気を誇る尾田栄一郎『ONE PIECE』では敵キャラクターと仲間になるキャラクターでは最初から役回りが異なっている。ニコ・ロビンのように敵陣営に属していた仲間もいるが、本気で主人公達とは戦っていない。

その意味で、メテオガーリック編のラストは安直さを否定できない。一方で料理人の才能への感動を改心の理由としており、グルメに価値をおく作品としては納得できる内容になっている。
http://hayariki.net/5/26.htm
『トリコ 20』はグルメ界へ単独乗り込んだIGO会長・一龍と美食會の対面というシリアスなシーンから始まる。美食會の幹部の前で一龍は圧倒的な力を見せる。典型的なバトル漫画では一龍は美食会に敗れ、パワーアップした主人公が倒すという筋書きが予想される。仮に予想通りであったとしても一龍の十分な強さを描いており、まだまだ主人公は追いつけそうにない。

美食會との絡みは序盤のみで後は修行的な短編が続く。その中で仲間とは同じテーブルを囲んで食事ができる者という台詞が登場する。友情が少年ジャンプの三本柱の一つに数えられているように、仲間は少年漫画で重要な要素である。グルメ作品らしい仲間の哲学を示している。(林田力)

都市型集中豪雨v林田力Wiki記者

三上岳彦『都市型集中豪雨はなぜ起こる?』(技術評論社1998年)は都市型集中豪雨について解説した書籍である。気象庁の雨の強さと降り方の指針も掲載されている。20頁。それによると強い雨は時間雨量20ミリ、激しい雨は30ミリからである。
東京では湾岸沿いの超高層ビルが東京湾からの海風を遮って都内のヒートアイランドを強めている。一方で湾岸地域や荒川沿いの地域は夏季日中は都内の他の地域よりも低温であるという。海や川からの風のためである。70頁。
これを踏まえるならば東京都世田谷区玉川に超高層ビルを建設する二子玉川RIZEは都市環境を悪化させる。多摩川からの風を遮ることになるためである。
熊本県で集中豪雨が起きたばかりであるが、1957年の諫早豪雨でも熊本県は死者行方不明者160人以上を出したという。76頁。九州では北九州市の暴力的なガレキ受け入れ拒否や熊本県宇城市では公共施設の海のピラミッドが脱原発派に私物化されるなど脱原発運動の歪みが見られる。開発がもたらした水害という身近な災害への対応で運動の健全性が量られる。林田力
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報道弾圧v林田力Wiki記者レビュー

吉竹幸則『報道弾圧』は長良川河口堰を丹念に取材した朝日新聞元記者のノンフィクションである。著者は建設省が長良川河口堰の必要性として喧伝する洪水の危険性が嘘であることを暴く。不等流計算を行った結果、計画高水量の出水でも大半の地点で計画高水位を下回り、僅かに上回るところでも最大23センチメートルのオーバーで、河口堰を作る必要はないとする。しかし、紙面への掲載は認められなかった。著者は粘り強く掲載を求めるが、1993年にようやく掲載されたが、続報は出なかった。著者は記者を外されて窓際に追いやられるが、コンプライアンス委員会に申し立てるなど闘い続けた。定年退職後に報道実現権侵害、名誉毀損などを理由に朝日新聞社を提訴した。裁判を最高裁まで争った。
日本企業がダメになった理由。労務総務系の連中が内向きの派閥を作る。それが日本企業を悪くした。長良川河口堰のような無駄な公共事業を進めたことが現代の大増税をもたらしている。
東京都世田谷区の二子玉川南地区でも住民から不要と批判される多摩川の堤防建設が強行された。本当に水害が必要であるか、総点検する必要がある。

二子玉川ライズ公共施設入居反対論

二子玉川ライズ二期事業にターミナル図書館などの公共施設を入居させる構想がある。これに管見は反対である。これは個人の意見である。
二子玉川ライズ反対運動は一貫して再開発に公共性がないことを指摘した。二子玉川ライズへの公共施設入居構想は、反対運動からの公共性欠如批判への回答にはならない。確かに反対運動は二子玉川ライズが商業施設や賃貸オフィス、分譲マンションなどの営利事業であることを批判してきた。しかし、再開発ビルに公共施設が入居したとしても、賃貸オフィスの枠組みで世田谷区が借りるならば、賃貸オフィスそのものである。再開発ビルへの公共施設入居は失敗再開発の税金による尻拭いの典型である。二子玉川の環境を守る会のニュースでも「有償はとんでもない」との意見を紹介する。
無償で借りるとしても、超高層マンションの提供公園のように全体の中の一部であり、事業全体としての営利性を否定するものにはならない。反対に公共施設が二子玉川ライズ二期事業のセールスポイントになるような重みを持つならば、世田谷区が特定事業者の開発案件に過度に肩入れすることになり、不公正である。
賃貸オフィスは供給過剰である。空室になるよりは無償でも公共施設に入居してもらえば東急にとってメリットである。公共施設があることで人が集まれば商業施設に金が落ちる。二子玉川ライズはバスターミナルを駅前から離して商業施設を通り抜けなければ行けないようにするという姑息な手段まで採用して商業施設に人を集めようとしている。既に二子玉川ライズでは平日の日中は閑散としているとの近隣住民の指摘がある。
二子玉川ライズ二期ビルの性格からも公共施設入居は反対である。二子玉川ライズは再開発地域の8割以上を東急が占めている。これ権利関係が細分化した地域で多数の地権者が集まって組合を結成するという再開発法の想定した前提と異なる。
二子玉川ライズ二期事業は一期事業以上に東急グループの割合が高い。しかも、ホテルが東急ホテルズというようにシネコンもスポーツジムも東急グループで占められている。このような東急のビルに公共施設を入居させることは行政の中立性を損なう。
二子玉川ライズへの補助金投入は東急グループの開発事業への税金を使った支援と批判されている。二子玉川ライズへの公共施設入居は、それ以上の問題である。何故ならば補助金は市街地再開発事業に交付されるもので、殊更東急を優遇するものではないとの形式論が成り立つ(当然のことながら、住民は実態に即して二子玉川ライズへの補助金投入を批判する)。これに対して公共施設の入居は全ての市街地再開発事業に適用されるものではない。二子玉川ライズに対する特別扱いになる。
世田谷区の財政状況で公共施設を新設することの是非も問われる。世田谷区は財政が危機的状況であると主張している。財政危機という事実認識に対しては有力な批判がされているが、世田谷区は財政危機との前提に基づいて住民サービスを低下させようとしている。その中で二子玉川ライズに公共施設を新設することは矛盾である。世田谷区政において二子玉川ライズが聖域となっているとの批判を強化させる。
ターミナル図書館自体の必要性も疑問である。書籍の検索や予約はインターネット上でも可能であり、施設を作る必要性は乏しい。これもハコモノ行政の発想である。
インターネットを利用しない層への配慮は必要であるが、端末のみのターミナル図書館がインターネットを利用しない層に利便性があるとは言えない。移動図書館の方が読書文化の普及になる。
世田谷区玉川にターミナル図書館や集会場が求められるとしても二子玉川ライズ二期ビルの立地が最適化という問題がある。二子玉川ライズ二期ビルは再開発地域の中央に位置し、一期事業の高層ビル(二子玉川ライズオフィスや二子玉川ライズタワーレジデンス)に囲まれている。周辺住民にとって行きやすい場所ではない。
もともと二子玉川ライズは人工地盤など周辺地域との調和ではなく、周辺地域を拒絶するデザインになっている。しかも高層ビルによるビル風やビルの日陰、照り返しという問題を抱えており、二子玉川ライズ二期ビルまで行くことは住民にとって苦行である。このような場所に公共施設を立地させるべきではない。
玉川に公共施設が少なく、公共施設を求める声があることは事実である。しかし、だから二子玉川ライズに入居させるとの結論は短絡的である。世田谷区には公共施設の入居先として適切な場所がある。空き家である。増え続ける空き家の活用は世田谷区の重要課題である。玉川住民の求める公共施設を玉川の空き家に入居させれば、空き家活用と一石二鳥になる。地域内の空き家に立地すれば住民にとって行きやすい。空き家が活用されるために防犯などのコミュニティーの不安も解消する。
元々は個人の住居であった空き家では大規模な施設は期待できない。しかし、大型の施設よりも地域のニーズに合った小規模な施設を各地に配置することが望まれる。それこそが大型開発からの転換である。
二子玉川ライズへの公共施設の入居は賃貸借ならば当然のこと、無償の使用貸借であったとしても備品購入や維持管理の費用が必要である。出費するならば空き家の借り上げに使用した方が地域コミュニティーに貢献する。
元々、予定がなかった公共施設が二子玉川ライズ二期ビルに入居するということは、その分だけ民間のオフィス需要がなかったということを意味する。それならば公共施設が占めるフロア分を減少させて建築すべきである。二子玉川ライズ問題のシンポジウムでは減築というキーワードが登場している。二子玉川ライズ反対運動は二子玉川ライズが竣工すれば終わりではない。林田力
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2012年7月20日金曜日

二子玉川ライズ差し止め訴訟最高裁判決に抗議声明

二子玉川ライズ差し止め訴訟の原告団と弁護団は最高裁判決への抗議声明を発表した。東京都世田谷区玉川の二子玉川東地区第一種市街地再開発事業の差し止めを求めた訴訟である。再開発組合に対する民事訴訟で再開発の是非が争われるユニークな裁判である。
声明では最高裁が実質的な審理を行わずに上告及び上告受理申し立てを棄却したことを抗議する。これまで原告団と弁護団は最高裁に慎重な審理を求める要請を行っていた。
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埼玉県北本市いじめ自殺裁判の判決

ご無沙汰しております。以前、お会いした際に週刊誌の記事のコピーをいただきました。裁判所の判決が市民感覚とずれた非常識なものであると批判する記事でした。一方当事者の明らかな嘘や誤魔化し、情報隠しを見破ることもできていないと批判するものでした。
その一例となる判決がありましたので紹介します。埼玉県北本市で自殺した中学一年生の御両親が損害賠償を求めて提訴した裁判です。靴を隠され、悪口を言われるなどの事実が存在するにも関わらず、東京地裁民事第31部判決は「継続的ではない」などとして、いじめによる自殺と認めませんでした。当然のことながら、この判決には大きな批判が寄せられています。

二子玉川ライズ取消訴訟判決に抗議声明

二子玉川ライズ二期事業の再開発組合(二子玉川東第二地区市街地再開発組合)設立認可取消を求めた裁判の原告団と弁護団が抗議声明を発表した。東京都世田谷区玉川の二子玉川ライズが住環境を破壊し、公共性がないなどの理由で取り消しを求めていた。裁判所は原告適格について中間判決を出すとしたが、理由も告げずに判決言い渡し日が数回延期されていた。7月12日に言い渡された判決は原告全員に原告適格がないために却下する終局判決で、騙し討ち的な内容であった。声明では原告の主張立証の機会を奪うものと批判する。声明では控訴を表明する。

エアギア37巻v=?iso-2022-jp?B?GyRCTlNFRE5PGyhC?=W iki=?iso-2022-jp?B?GyRCNS08VCVsJVMlZSE8GyhC?=

『エアギア37巻』は最終巻である。イッキとリンゴ、竹内空と野々村リカの対決が決着する。ラスボスのメッキがはがれて、主人公サイドに余裕が出てきた。それでも逆転の予測も成り立つ演出になっている。林田力
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2012年7月19日木曜日

いじめ自殺問題への連帯を

いじめ自殺問題への連帯を訴える。いじめ問題で世論が加熱している。滋賀県大津市のいじめ自殺がきっかけであるが、埼玉県北本市の中一いじめ自殺裁判の東京地裁民事第31部判決も市民の怒りを増大させている。
いじめ問題に対して覚めた目で見たくなる人々の気持ちも理解できないものではない。放射能汚染という住民いじめ、消費税増税という庶民いじめを無視して、いじめ自殺ばかり取り上げることはどうか、という考えである。これは一つの価値観であるが、あくまで一つの価値観である。これを突き詰めると脱原発など自分の運動だけが価値があるという独善に陥る。実際、いじめに憤る側からは、脱原発集会に集う教職員組合はいじめ問題について考えているのかという批判が出されている。
いじめが非道であることは言うまでもない。日本社会には、もっと不正や悪があるという事実は、いじめの悪を免責することにはならない。そして好むと好まざるとに関わらず、多くの国民が、いじめに対して憤っていることも事実である。これに応えることも意義がある。逆に、いじめ問題に冷たい態度を採るならば、市民感覚から離れ、市民的基盤を失ってしまう。
いじめ問題の加熱から距離を起きたくなる理由として、いじめ防止を名目とした管理教育の一層の推進というシナリオへの警戒感もある。この点で埼玉県北本市立中学校で自殺した中一女子生徒の裁判は意味がある。学校のいじめ防止義務違反とともに文部科学省の成果主義などの政策の問題も追及するものだからである。
悪口を言われ、下駄箱に靴を隠されるなどの事実がありながら、東京地裁判決は、いじめを自殺の原因ではないとした。この判決への問題意識を広げたい。
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2012年7月18日水曜日

銀の匙4巻v林田力Wiki記者レビュー

『銀の匙4巻』は自分が愛情を込めて育てた家畜の肉を食べるという畜産に携わる者にとって避けては通れないテーマの続きである。本人がとさつする訳ではないために衝撃は少ない。しかし、通常ならば出荷して終わりのところを、わざわざ問題に向き合おうとしている主人公の姿勢に感銘を受ける。新たに育てることになった家畜への主人公の姿勢も微笑ましい。
中盤は男子エゾノー生が惹かれるモノの謎に迫るギャグ短編である。この話に限らず、この巻ではギャグか冴えている。作者がノリに乗っている印象を受ける。
後半は同級生の秘密が登場する。主人公自身は自分の問題を克服していく中で、同級生の抱える問題が話を膨らませる。林田力
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東急電鉄株主総会抗議行動が報道

二子玉川住民と東急大井町線高架下住民による東急電鉄株主総会抗議行動が報道された。二子玉川住民は二子玉川RIZEの環境破壊や税金の無駄遣いを訴える。大井町線高架下住民は東急電鉄による強制立ち退きの非道を訴える。東急不動産だまし売り裁判著者の林田力も抗議行動に参加した。
報道では住民からビラを受け取った株主から「東急はひどい」などの反応があったと紹介される。また、株主である住民は株主総会にも出席した。二子玉川住民は二子玉川RIZEのビル風の問題について発言した。大井町線高架下住民も発言しようとしたが、打ち切られたという。
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2012年7月17日火曜日

埼玉県北本市 中1女子いじめ自殺訴訟判決への反応

詩人・中園直樹「今日は埼玉のいじめ自殺裁判の判決が出ましたが、ため息しか出ません。」
「北本市のイジメの判決も信じられないよね。東京地裁の人は血が通ってないの?自分が同じ目にあってみたら?大人だって充分につらい事をこの女の子はされてたじゃん。」
「北本の自殺訴訟の判決は裁判官が頭おかしいか何らかの利権が絡んでいるとしか考えられんような内容だな。そしてやはりいじめという曖昧なキーワードはあかんとしか思えない」
「大津市のイジメに対する対応もひどいが、北本市のイジメ裁判の判決もひどすぎないか、これではイジメはなくならない!」
「北本の判決もねぇ…小さいいじめでも、毎日チクチクずーっとやられたら心折れるんだよ。他の理由も遺書にあったからって、一因なのには間違いないのに。想像力無いのか。」
「北本の判決もねぇ…小さいいじめでも、毎日チクチクずーっとやられたら心折れるんだよ。他の理由も遺書にあったからって、一因なのには間違いないのに。想像力無いのか。」
「子を持つ親の立場からすると、今回の判決には納得いかないね…。」
「北本のいじめ事件の判決。裁判長の判断がどう考えてもいじめられた子の精神状態について理解が及んでいない。やっぱり司法の無力を感じる。」
「大津のいじめの記事読んだり、北本市の判決とかみるとさ、なんかね。悲しくなるよね。」
「大津市だけじゃなく北本市のいじめの判決もほんとひどいよね、非道い」
「TVも新聞もない環境で生活してたから今更知ったけど『北本市・大津市の いじめ自殺問題』で自殺者側全面敗訴とかありえない話だ。当時12歳の内向的な少女が書いた遺書を鵜呑みにして、真意を推し量らずに判決するとか何考えてるんだ!? 法に関わる検事や裁判官まで腐ってるとは思いませんでした」
「司法の人間達が学生時代に一度でもいじめが原因で自殺を考えた過去があるなら北本市の判決は違ったはず。事件の起きた2005年から昨日までの遺族の気持ちとか考えた事あるのか」
「判決は「遺書から自殺の具体的な原因は特定できず、小中学校で自殺につながるようないじめはなかった」と。 この裁判長、人の、然も中1生の心も法律文章の如く常に理路整然と分かたれているとでも思っているのだろうか。」
「大津の件といい、今回の判決といい、何かがおかしいと思う。虐められても泣き寝入りしろってことか」
「いじめを助長するかのような判決結果なんて考えられない。」
「いじめた側の罪を償う機会も奪うことになる!当事者が誰も救われない最低の判決!得をしたのは誰?体裁や金に群がるお役人?」
「この学校も東京地裁も「ことなかれ主義」なんだろうね。この国の将来を考えれるならば、この判決は間違ってると思うよ。こういう裁判官がいる限りお先真っ暗さ。」
「数年分の日記にいじめがあったことを明記してあるにもかかわらず『認定しない』とは、どんだけ不当なんだこの判決!」
http://space.geocities.jp/ijime_saiban/
「裁判所も、今は権力の支配下なのか?そんな印象を強く受けました。」
「自殺の原因となるようないじめとはどんないじめなのか聞きたいわ。いじめに対しての忍耐力も人それぞれ違うだろう。」「杓子定規で物事を進めていては何の解決にもならないし進歩もない。法はそこに血が通ってこそ法となる。融通の利かない人間が裁くなら最初から裁かないほうがましでっせ!」
http://space.geocities.yahoo.co.jp/gl/ijime_saiban

『トリコ 19』『トリコ 20』v 林田力 wiki記者レビュー

島袋光年『トリコ』は『週刊少年ジャンプ』連載のグルメ・アクション漫画である。美食が価値の中心となったグルメ時代において、未知の食材を探求する美食屋トリコの冒険を描く。

『トリコ』の大きな特徴はグルメとバトルの二本立てになっていることである。未知の食材を探求するトリコの前には凶暴な生物や敵対勢力が立ち塞がり、激しいバトルになることが多い。バトルは少年漫画の王道である。一方でバトル中心はワンパターン化の弊害に陥りやすい。「こいつを倒したら、次はあれを倒す」の繰り返しになるためである。トリコではグルメという軸を別に設けることで物語に深みを増している(林田力「『トリコ』第12巻、グルメとバトルの二本立て」リアルライブ2011年1月7日)。

『トリコ 19』(集英社、2012年)ではグルメカジノでの戦いであるメテオガーリック編が完結する。今回の戦いは神経衰弱的なゲームの対決で、頭脳戦や心理戦の要素もある。このメテオガーリック編が『週刊少年ジャンプ』で連載されていた当時、西尾維新『めだかボックス』でも神経衰弱的なゲーム対決が繰り広げられていた。

また、キメラアントとの死闘が終わった冨樫義博『HUNTER×HUNTER』ではアルカの能力の謎解きという頭を使う内容になった。少年マンガの王道はバトルであり、トリコは間違いなく王道作品であるが、他のジャンプ連載作品と重なって頭脳戦を展開したことは興味深い。

『トリコ 19』の敵キャラクターは、いかにも悪役という外観である。ところが、戦いの後は、あっさりと「昨日の敵は今日の友」状態になり、物足りない。「昨日の敵は今日の友」は、かつての少年漫画では定番の展開であった。攘夷を叫んだ幕末の志士が文明開化を主導し、鬼畜と罵った米国を戦後は世界で最も強固な同盟国と呼ぶ無節操で歴史性に欠ける日本人のメンタリティには合っている。

しかし、過酷なイジメなどの現実と直面する現代の子ども達にとって「昨日の敵は今日の友」展開はリアリティに欠ける(林田力「【コミック】過去の敵への態度に注目『ONE PIECE 第51巻』」ツカサネット新聞2008年9月17日)。実際、圧倒的な人気を誇る尾田栄一郎『ONE PIECE』では敵キャラクターと仲間になるキャラクターでは最初から役回りが異なっている。ニコ・ロビンのように敵陣営に属していた仲間もいるが、本気で主人公達とは戦っていない。
http://hayariki.net/5/26.htm
その意味で、メテオガーリック編のラストは安直さを否定できない。一方で料理人の才能への感動を改心の理由としており、グルメに価値をおく作品としては納得できる内容になっている。

『トリコ 20』はグルメ界へ単独乗り込んだIGO会長・一龍と美食會の対面というシリアスなシーンから始まる。美食會の幹部の前で一龍は圧倒的な力を見せる。典型的なバトル漫画では一龍は美食会に敗れ、パワーアップした主人公が倒すという筋書きが予想される。仮に予想通りであったとしても一龍の十分な強さを描いており、まだまだ主人公は追いつけそうにない。

美食會との絡みは序盤のみで後は修行的な短編が続く。その中で仲間とは同じテーブルを囲んで食事ができる者という台詞が登場する。友情が少年ジャンプの三本柱の一つに数えられているように、仲間は少年漫画で重要な要素である。グルメ作品らしい仲間の哲学を示している。(林田力)

北本中学校いじめ東京地裁判決に批判

北本中学校いじめ自殺裁判の東京地方裁判所判決に批判が殺到している。担任との日記など、いじめを裏付ける証拠が提出されたにも関わらず、判決では、いじめと自殺の因果関係を認めなかったためである。裁判官が原告側の主張や証拠を真面目に読んで理解していないのではないかとの声も出ている。このような声が出る背景は直前に裁判官が交代したばかりであったためである。証人尋問では担任教師が答えに窮する緊迫シーンもあったが、交代した裁判官は証人尋問を経験していない。
大津市のいじめ自殺が大きな社会問題になっている中で社会意識からかけ離れた判決内容に批判が高まっている。裁判所への抗議の呼び掛けもなされている。

2012年7月16日月曜日

サマーウォーズv林田力Wiki記者レビュー

『サマーウォーズ』は男子高校生を主人公としたアニメ映画である。昔ながらの大家族とインターネットの仮想空間という対照的な取り合わせが描かれる。リアルとネットは対比的に論じられることが多いが、ネットの背後にも生身の人間がいる。実際、住民や消費者への不誠実な対応によって東急グループはリアルでもネットでもバッシングされた。リアルでは東急沿線で住民反対運動が頻発している。ネットでは東急不動産だまし売り裁判を契機として東急不買運動が拡大した。
この意味でリアルの触れ合いと仮想空間の動きを両立させる筋書きは巧みである。また、敵キャラクターの設定も、ネットの背後に生身の人間がいるとの立場からも、誰もが憎める存在になっている。林田力
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『子どもの貧困連鎖』v 林田力 wiki記者レビュー

湯浅誠『貧困襲来』(山吹書店、2007年)は日本社会に広がる貧困問題を取り上げた書籍である。著者は貧困者を食い物にする「貧困ビジネス」を告発するなど反貧困の分野で精力的に活動している人物である。『貧困襲来』から貧困問題が社会的・政治的に解決されなければならない問題であることが理解できる。

保坂渉・池谷孝司『ルポ 子どもの貧困連鎖 教育現場のSOSを追って』(光文社、2012年)は子どもの貧困問題を取り上げたルポタージュである。現代日本において貧困は大きな問題である。貧困問題の大きな弊害は親の貧困が子どもにも連鎖することである。

『ルポ 子どもの貧困連鎖』から貧困の要因として日本の福祉の貧困が浮かび上がる。駅前のトイレで寝泊まりする女子高生、車上生活を強いられる保育園児、朝食を求めて保健室に行列する小学生などが紹介されている。未だに中流幻想にしがみつく無関心な市民は見ようとしないだけで、貧困と格差は厳然と存在する。

日本の福祉は申請主義になっている。つまり困窮者が自動的に助けられる仕組みになっていない。お笑い芸人の母親の生活保護受給がバッシングされたが、「本当に必要な人に生活保護が受給されていない」という本質的批判は乏しい。反対に「生活保護受給は甘え」という類の時代錯誤の特殊日本的精神論からのバッシングが中心である。むしろ、大阪府東大阪市の職員約30人の親族が生活保護を受給していたことの方が恣意的な生活保護受給の問題を物語っている。

公的福祉(福祉政策)の貧困によって生まれるものはゼロゼロ物件などの貧困ビジネスである。貧困問題を抱える現代日本のガンはゼロゼロ物件などの貧困ビジネスである。貧困ビジネスは社会的な弱者を食いものにする。貧困ビジネスは貧困を拡大再生産することで利益を上げている。貧しい人から搾取する貧困ビジネスは格差を拡大する要因になっている。

貧困ビジネスは福祉が機能していないところに生まれる。貧困ビジネスは行政が手を出さなくなった領域で収益を上げている。それ故にゼロゼロ物件などの住まいの貧困の解決策として公営住宅を拡充することは正論である(林田力「マンション建設反対と公営住宅」)。

貧困ビジネスを野放しにすれば貧困層は搾取され続ける。貧困ビジネスは規制しなければならない。現実に反貧困の市民運動の活動により、ゼロゼロ物件業者を宅建業法違反で業務停止処分に追い込んだ例がある(林田力「住宅政策の貧困を訴える住まいは人権デー市民集会=東京・渋谷」PJニュース2011年6月15日)。

厄介なことに貧困ビジネスは公的なセーフティネットが機能不全になる中で社会資源の一つとして認知されつつある。そのために目の前の現実論として貧困ビジネスがなくなると貧困層は益々困ることになるという類の議論すら生じる。『ルポ 子どもの貧困連鎖』でも家がない家族が取り上げられるが、そのような家族にとってゼロゼロ物件は必要悪と言う論法である。
http://hayariki.net/0/14.htm
この種の欺瞞的な議論は労働者派遣法でもなされている。「年越し派遣村」に象徴される正規から非正規への置き換えは格差社会の要因であるが、労働者派遣を規制強化すると派遣労働者の働き口が減るとの議論である。ゼロゼロ物件などの住まいの貧困と非正規やワーキング・プアの問題は密接に関係している。

実際は住宅に困っている人々にゼロゼロ物件を紹介することは、金に困っている人にサラ金を紹介するようなものである。ゼロゼロ物件は悪であって、必要悪では決してない。その意味で教育現場から貧困問題のサポートを志向する『ルポ 子どもの貧困連鎖』は貧困ビジネスによる二次被害を防ぐ上でも重要である。

『白竜LEGEND 23』東急建設の暴力団利用が下敷き

天王寺大原作、渡辺みちお画『白竜LEGEND』は独立系暴力団・黒須組の若頭・白竜こと白川竜也を主人公とした作品である。話の中心は暴力団のシノギである。稲川会による東京急行電鉄株買占め事件など現実に起きた事件を下敷きにすることが多く、劇画的な意味でのリアリティがある。

『白竜LEGEND 22』は前巻から引き続き、「野獣空港」編である。「野獣空港」編は稀に見る長編となった。敵はゼネコン、都知事、暴力団、主人公サイドも白竜と下請け建設会社というように複数のアクターが各々の思惑で動いている点が物語を複雑にしている。単行本では複数のエピソードが収録されることが多いが、この巻では丸々「野獣空港」編である。しかも完結していない。次の『白竜LEGEND 23』で完結する。

「野獣空港」編では大手ゼネコンとヤクザの癒着をあからさまに描く。『白竜』では暴力団の東急電鉄株式買い占めなど現実の黒社会の事件を下敷きにしたストーリーが多い(林田力「『白竜LEGEND』第19巻、愚連隊は敵役としても力不足」リアルライブ2011年10月27日)。野獣空港編のゼネコンと暴力団の癒着も東急建設が暴力団系企業を下請けに使っていた事実を連想させる。

東急建設と暴力団の癒着を踏まえると「野獣空港」編はタイムリーなテーマであるが、『白竜LEGEND 22』では一歩踏み込む。建設会社が暴力団と癒着することについて、建設会社側は暴力団からの嫌がらせを避けるためと言い訳することが多い。

実際、東急建設も警視庁組織犯罪対策3課に「暴力団を懐柔しないと暴力団の嫌がらせを受ける」と釈明したという(「暴排通告企業脅す 道仁会系社長を逮捕」産経新聞2011年10月18日)。この種の言い訳によって暴力団と癒着した建設会社は自分達にも被害者的な側面があると自己正当化を図ることができる。

しかし、これは我が身かわいさの言い訳に過ぎない。「野獣空港」編のゼネコンはマスメディアに真実を話そうとする下請け建設会社を黙らせるために暴力団を利用した。暴力団と癒着する建設会社も市民社会の敵である。建設業界と暴力団の癒着の闇の深さを浮き彫りにする。

野獣空港編の面白さは下請け建設会社という弱い立場の存在が主人公サイドのアクターになっていることである。白竜という何事にも動じないチート的な存在が主人公である通常の展開とは異なる魅力がある。下請け建設会社には白竜のような知恵も力もない。普通ならばゼネコンに利用され、泣き寝入りさせられる存在である。

それが白竜に煽られてゼネコンと対決姿勢を示した結果、ゼネコン側の反撃で一層窮地に追い込まれてしまう。白竜に一杯食わされたとぼやきたくなるところである。実際、下請け建設会社社長は、それに近い発言をしている。

しかし、それで終わらないところが、下請け建設会社の偉いところである。泣き寝入りをしたところで、それにゼネコンが恩義を感じることはなく、潰されるだけだと分析する。故にゼネコンとの対決姿勢は正しかったと結論づける。

残念ながら、ここまでの考えに到達できる人は現代日本では少ない。大企業などはアメとムチで消費者や労働者、下請け企業など立場の弱い人々に迫る。アメが本当にアメならば一応は取引として成り立つが、往々にして悪徳企業はアメの期待を持たせるだけで何らのコミットもしない。用が済めば弱者の期待は裏切られる。
http://hayariki.net/5/76.htm
ところが日本では甘い期待から戦うことを放棄し、すりよってしまう愚か者も少なくない(林田力「ネット右翼は東京都青少年健全育成 条例で目を覚ませ」PJニュース2010年12月20日)。下請け建設会社社長のような腹をくくった人が多ければ閉塞感漂う日本社会も、もっとましなものになるだろう。

野獣空港編では腐敗の背後に開発推進で甘い汁を吸う東京都知事が描かれる。現実の石原慎太郎都知事は歯に衣着せぬ言動の数々から漫画でパロディー化されることも少なくない。石原知事に批判的な立場からも暴言やタカ派的な政治姿勢が揶揄される。

しかし、暴言を強調することは石原都政の問題の本質を明らかにする上で必ずしも有効ではない。石原都政の本質は構造改革路線の先取りであり、開発優先であるためである。ユニークなタカ的言動は冷酷な新自由主義のカモフラージュになる(林田力「反石原慎太郎の多義性と曖昧性」PJニュース2011年5月10日)。その点で単なる利権政治家として都知事を描く『白竜』は意外にも都政の本質を突いている。

北本中学校・いじめ自殺裁判 東京地裁判決出る!

【転載】三上英次「北本中学校・いじめ自殺裁判 東京地裁判決出る!」
 「不当判決です!」——判決を言い終えた裁判長が退廷し、傍聴人らも席を立ち始めた時に、提訴以来5年にわたり原告・中井夫妻とともに裁判を闘って来た児玉勇二弁護士は、傍聴席に向かって怒りの声をあげた。

 「原告の請求を棄却する。裁判費用は原告の負担とする」

 これだけを言って姿を消した舘内比佐志裁判長(他に杉本宏之、後藤隆大、両裁判官)に、児玉弁護士が怒りを向けるのも無理はない。小学校時代、繰り返されるいじめを担任との「交換日記」につづり、2005年10月11日に飛び降り自殺した中井佑美さん(当時中学1年生)のために、弁護団は丹念に証拠を整理し、証人尋問では学校や教育委員会のウソを裁判所に示して来たのである。

 弁護団によれば、判決文は96ページ、その大半が原告と被告、それぞれの主張の紹介に費やされ、裁判所の判断が示されているのはたかだか15ページほどである。原告の訴えである(1)小中学校でのいじめについて(2)学校の調査報告義務について(3)国(文部科学省)の責任について、の3つの争点のうち、(2)は2ページほど(3)についてはわずか1ページ程度の言及ということだ。

 舘内裁判長は、佑美さんの残した遺書について、自殺の理由についてはっきりと書いていないことから、それだけでは不十分とする。そして、複数の佑美さんに対する行為、たとえば「『中井くん』と呼ばれていたこと」「靴かくし」「うちまたを指摘されたこと」「入塾強要の手紙」「美術部の『ホンネ大会』」といったことについても、佑美さんが「思い悩み、気持ちがゆれ動いていたこと」は認めつつも、「自殺するほどのいじめがあったとは認められない」という論法で、原告の主張を退けた。

 佑美さんは「思い悩み、気持ちがゆれ動いていた」かもしれない、しかし、それが自殺を決意するほどのものであったかはわからない、佑美さん自身が「いじめ」と認識するようなできごとがあったとしても、そうしたことが継続的に行なわれ自殺を決意するに至ったとは認定できない。そして、そのような視点に立てば、北本中学校のいじめ調査についても、注意義務違反は認められない——簡単に言えば、裁判所の論法は、このようなものだ。

 佑美さんは小学6年生の時に、担任教師と交換日記を交わしており、そこにはいじめの事実が書かれていた。児玉弁護士が「小学校時代のいじめだけでもきちんと認定すべきだ」、「それだけのいじめを受けていたのだから、調査報告義務違反も認めて当然だ」と憤るのも、むしろ当たり前だろう。

 それを「本人が"いじめ"と考えるような相応のできごとはあった」「その"いじめ"が継続的なものであったとは言えない」「自殺を決意するほどの"いじめ"を受けていたとは認定できない」と、「いじめ」をかっこ付きで表記して、学校や市の責任を一切免責するようなことは、〈詭弁〉以外のなにものでもない。

 児玉弁護士は「決して負ける裁判ではなかった」「結論ありきだ」と地裁判決を批判したが、会場からも「何もこちらの提出した証拠を読んでいないのではないか」「ひどい」と声があがった。

 記者がひとつ不可解に思うのは、直前の裁判長の交代だ。裁判は提訴から27回(2012年4月9日に結審)を数えたが、本来はその前の1月(26回目)に結審の予定であった。それが裁判長の交代によって、4月に期日がもう1回設けられ、今回の判決を迎えた。当然のことながら、舘内比佐志裁判長は、一連の証人尋問に立ち会っていない。まったく直前に、本裁判を引き継いだわけである。

 証人尋問では、当時の担任や教育委員会関係者が法廷に立ち、弁護団からの質問には答えに窮し、苦しまぎれの嘘を繰り返し、矛盾を突かれその場でしばしば沈黙した。法廷でそれらを実際に見聞していれば、今回のような判決文はとうてい書けなかったはずだ。

 「いじめの防止と調査報告について、適正な判決を求める要請書」は総計で7400筆を超える署名が集まっている。この裁判で「意見書」を書いた専門家も「裁判長は本当に(意見書)読んだのか?」と報告会では首をかしげるばかりであった。中井夫妻は、このあと控訴の予定だ。

 報告会の最後に、佑美さんの母親は参加者らに「このような判決でせっかく支援してくださったのに申し訳ありませんでした」と深々と頭を下げた。しかし、本当に、このような判決で土下座すべきは、舘内比佐志裁判長らではないだろうか。
http://www.janjanblog.com/archives/76324

2012年7月15日日曜日

バクマン。20巻v=?iso-2022-jp?B?GyRCTlNFRE5PGyhC?=W iki=?iso-2022-jp?B?GyRCJWwlUyVlITwbKEI=?=

『バクマン。20巻』は完結編である。終わるべくして終わるという、予定調和の最終回になった。当初の構想通りに漫画を終わらせたい漫画家の思いと人気のあるうちは引き延ばしたい出版社の営業的な思惑が衝突する。『バクマン』の作者の前作は『デスノート』であるが、『デスノート』がL死後も続いた展開は実は作者にとって不本意であったのではないだろうか、と思わせて興味深い。林田力
http://hayariki.net/

『美男<イケメン>ラーメン店』

『美男<イケメン>ラーメン店』はイ・チョンア主演の韓国ドラマである。イケメン揃いのラーメン店を舞台にしたラブコメディーである。一人の女性のために普段はクールなイケメン達が嫉妬し、ドギマギし、ペースを乱す点は大ヒット韓国ドラマ『美男ですね』と共通する。しかし、舞台を庶民的なラーメン店にすることで生活感溢れる作品に仕上がった。

中心的な恋愛は冴えない教育実習生と財閥の御曹司の格差カップルである。一方が金持ちで他方が庶民という組み合わせで、金持ちは傲慢であったが、庶民的な生活を送る中で人間性を回復するという筋書きは韓国ドラマの定番である。

ここでも再開発が登場人物の幸せの障害になる。再開発は再開発地域で居住している人々の生活を破壊する。現実に東京都世田谷区の二子玉川ライズ(二子玉川東地区第一種市街地再開発事業)では住環境が破壊されている(林田力『二子玉川ライズ反対運動』)。
http://hayariki.net/6/5.htm
第15話「何もなかった」でのチス(チョン・イル)の質問「再開発が行われたらどうなるか」に対するガンヒョク(イ・ギウ)の答えが素敵である。ガンヒョクは子ども向けの答えと大人向けの答えがあると言う。子ども向けの答えは「再開発をするとキレイになる」である。大人向けの答えも「再開発をするとキレイになる」であるが、「一つ残らず、全てを壊してしまうから」と付け加える。

住民の生活を破壊する再開発の実態を説明する。再開発が街をキレイにするというナイーブな幻想は居住者を無視した欺瞞である。再開発を街の発展と捉えて歓迎する人々は精神的には幼稚な未成年者である。

トリコ20=?iso-2022-jp?B?GyRCNCwbKEI=?=v林田力Wikiレビュー

『トリコ20巻』は会長と美食会の対面というシリアスなシーンから始まる。会長が圧倒的な力を見せる。典型的なバトル漫画の展開では会長が美食会を倒すことができず、それをパワーアップした主人公が倒すという筋書きが予想される。仮に予想通りであったとしても十分な強さを描いている。
美食会との絡みは序盤のみで後は修行的な短編が続く。その中で仲間とは同じテーブルを囲んで食事ができる者という台詞が登場する。友情が少年ジャンプの三本柱の一つに数えられているように、仲間は少年漫画で重要な要素である。グルメ作品らしい仲間の哲学を示している。林田力
http://hayariki.net/

白竜23=?iso-2022-jp?B?GyRCNCwbKEI=?=v林田力Wiki記者レビュー

『白竜23巻』では稀に見る長編となった野獣空港編が完結する。暴力団による東京急行電鉄株買い占めなど現実のブラック事件を下敷きにすることが多い『白竜』であるが、野獣空港編で描かれたゼネコンと暴力団の癒着も東急建設が暴力団を利用していた事実を連想させる。
野獣空港編では腐敗の背後に開発推進で甘い汁を吸う東京都知事が描かれる。現実の石原慎太郎都知事は歯に暴言の数々から漫画でパロディー化されることも多い。しかし、暴言を強調することは石原都政の問題の本質を明らかにする上で必ずしも有効ではなく、反対に隠蔽する危険もある。石原都政の本質は構造改革路線の先取りであり、開発優先であるためである。ユニークなタカ的言動は冷酷な新自由主義のカモフラージュになる。その点で単なる利権政治家として都知事を描く白竜は以外と本質を突いている。林田力
http://hayariki.net/

2012年7月14日土曜日

美男ラーメン店v林田力Wikiレビュー

『美男イケメンラーメン店』は韓国ドラマ。イケメン揃いのラーメン店を舞台にしたラブコメディーである。教育実習生と財閥の御曹司との格差カップルという一方が金持ちで他方が庶民、金持ちは傲慢であったが、庶民的な生活を送る中で、人間性を回復するという韓国ドラマの定番設定である。ここでも再開発が登場人物の幸せの障害になる。再開発は再開発地域で居住している人々の生活を破壊する。現実に東京都世田谷区の二子玉川RIZEでは住環境が破壊されている(林田力『二子玉川ライズ反対運動』)。
再開発について子ども向けの答えと大人向けの答えが素敵である。子ども向けの答えは、再開発をするとキレイになる。大人向けの答えも、再開発をするとキレイになる。一つ残らず、全てを壊してしまうからだ。
再開発が街をキレイにするというナイーブな幻想の欺瞞を見事に表現している。再開発を発展と捉えて歓迎する連中は幼稚な未成年者である。
http://hayariki.net/

台風

よって、虚偽主張・立証に加えて、詐称を懲戒事由に追加する。
東京都中野区新井に住む被告らが中野区弥生町の病院に行ったかが問題
この日は台風が来なかったのであり、
実際には台風が来なかったのに、「気象庁の過去の天気のデータによって台風が直撃した日である」と虚偽を記載した。その上、「顕著な事実」とまで書き加えて自らの虚偽を正当化しようとした悪意がある。
実際、この日に請求者は埼玉県さいたま市より埼京線で中野区の病院へ行った。風が強ければ埼京線は止まり、病院へは行かれない。病院の面会時間は14時からである。14時頃に病院に着くように12時過ぎに家を出る。

2012年7月13日金曜日

OSPPSVC.exe

Office 2010へのアップグレード後にOSPPSVC.exeがCPUを占有するようになった。これはMicrosoft Office Software Protection Platform Serviceである。レジストリを編集し、以下の値を追加する。
Key: HKEY_LOCAL_MACHINE\SOFTWARE\Microsoft\OfficeSoftwareProtectionPlatform
ValueName: InactivityShutdownDelay
ValueType: DWORD
値にはOffice Software Protection Platformが稼働し続ける秒数を指定する。デフォルト値は300である。
https://sites.google.com/site/hayariki9/

2012年7月12日木曜日

『ゴルゴ13 165』

『ゴルゴ13 165』は表題作「オリガルヒの報復」と「ダルフールの悪夢」「螺旋」の三話を収録する。「オリガルヒの報復」は独裁化の進むロシアが舞台である。反動的なシロヴィキと自由主義を信奉する実業家の暗闘を描く。ロシア新興財閥のトップである石油会社社長が逮捕され会社は政府の管理下に置かれた。社長はゴルゴに事件の首謀者の抹殺を依頼する。

社会主義崩壊後のロシアが自由主義市場経済ではなく、国家独占資本主義とでも呼ぶべき実態が浮かび上がる。作中の「スターリン資本主義」は言い得て妙である。これは日本も笑えない。日本では小泉構造改革など新自由主義が進められたが、それは「民間にできることは民間に」という新自由主義哲学とは裏腹に国家利権の山分けであった。

たとえば郵政民営化の「かんぽの宿」問題では旧日本郵政公社から評価額1000円で取得した沖縄東風平(こちんだ)レクセンターを学校法人・尚学学園(那覇市)に4900万円で転売した(林田力「【かんぽの宿問題】東急リバブル転売にみる民営化の問題」ツカサネット新聞2009年2月6日)。その意味でロシアの状況は他人事ではない。
http://hayariki.net/5/59.htm
「ダルフールの悪夢」はダルフール紛争がテーマである。日本では知名度の低いスーダンの惨状が説明される。ニューヨークで働くスーダン出身のトレーダーには内戦で父母を惨殺された過去があった。故郷ダルフールでの大量虐殺を防ぐため、資金を集めて復讐を決意した。ダルフールの虐殺は許し難く、ゴルゴの仕事は完璧であるが、ゴルゴとは関係ないところで無実の人間が殺されるために後味の悪さも残る。

「螺旋」は前の二話と異なり、ホットな国際問題を下敷きにはしていない。代わりにプロフェッショナルの仕事を魅せる。現実の日本では東急不動産だまし売り裁判のように売ったら売りっぱなしの職業モラル崩壊が横行している(林田力『東急不動産だまし売り裁判こうして勝った』ロゴス社)。その中で人が死ぬ話ではあるものの、一筋の清涼感がある。

熊本県で記録的大雨v林田力Wiki

7月12日未明より熊本県で記録的な大雨が降っている。市街地を流れる白川が氾濫した。街が水浸しになっており、河川沿いを中心に避難勧告されている。
もともと九州は台風の通り道であり、水害も少なくない。九州は福島第一原発事故の自主避難者も多いが、拙速な自主避難が裏目に出た人もいるかもしれない。水害の劇化はコンクリート化が原因であり、重要な環境問題である。放射能怖い怖いというだけの放射脳ではないか、水害に直面した脱原発運動の姿勢を見極めたい。
管見は除染より避難という考えに立っており、それは今でも不変であるが、九州などでの一部の自主避難者のグループの活動には怒りを覚える。彼らは福島に残っている人々を愚か者呼ばわりし、放射能デマを撒き散らす。中には惨めな生活から逃げる口実として自主避難と言っている輩もいる。自主避難者というよりも夜逃げ者である。
自主避難という自分達の選択が正しいと信じたいために、福島や東北・関東が人の住めない土地にならなければ困るのである。それ故に「福島の子どもに鼻血が出た」などのデマを撒き散らす。
北九州市での暴力的な被災地の瓦礫受け入れ阻止行動には彼らの異常性が現れている。熊本県宇城市では公共施設「海のピラミッド」が脱原発派に私物化されている。これらは保守派に脱原発の運動はエゴイズムであると格好の攻撃材料を与えることになる。
http://hayariki.net/

ゴルゴ13=?iso-2022-jp?B?GyRCJSobKEI=?=リガルヒv林田力Wiki記者レビュー

『ゴルゴ13オリガルヒの復讐』は三話からなる。表題作「オリガルヒの復讐」は反動的なロシアのシロビキによる、自由主義を信奉する新興財閥の弾圧がテーマである。社会主義崩壊後のロシアが自由主義市場経済ではなく、国家独占資本主義とでも呼ぶべき実態が浮かび上がる。作中のスターリン資本主義は言い得て妙である。これは日本も笑えない。日本では小泉構造改革など新自由主義が進められたが、それは「民間にできることは民間に」という新自由主義哲学とは裏腹に国家利権の山分けであった。東急リバブルが郵政民営化で郵政関連施設を転売して儲けた「かんぽの宿」問題が典型である。その意味でロシアの状況は他人事ではない。
二つ目の話はダルフール紛争がテーマである。日本では知名度の低いスーダンの惨状が説明される。三つ目は前の二話と異なり、ホットな国際問題を扱ってはいない。代わりにプロフェッショナルの仕事を魅せる。現実の日本では東急不動産だまし売り裁判のように売ったら売りっぱなしの職業モラル崩壊が横行している(林田力『東急不動産だまし売り裁判こうして勝った』ロゴス社)。その中で人が死ぬ話ではあるものの、一筋の清涼感がある。
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2012年7月10日火曜日

Yahoo!=?iso-2022-jp?B?GyRCSVRGMDs6JEdKKjdvQzUkNxsoQg==?=v 林田力Wiki記者

Yahoo!不動産など不動産のポータルサイトでは複数の物件を検索できるので便利である。しかし、ポータルサイトは情報を提供しているだけなので、ゼロゼロ物件のように問題ある業者の物件が混ざっている危険性がある。そのため、ポータルサイトで気に入った物件を見つけても、すぐに問い合わせすることは止めよう。業社名や免許番号を検索して過去に問題を起こした業者でないか調べよう。宅建業法違反など問題業者の中には企業名や営業名を変え、宅建業の免許を取り直す悪質な事例がある。それでも悪徳不動産業者を継続的に監視しているサイトなどがある。それ故に現在の企業名や免許番号で検索しても、丹念に検索すれば旧悪と結びついた情報が出てくるものである。
また、目当ての物件と事務所の所在地が離れている場合は要注意である。例えば物件が、さいたま市や武蔵野市にあるのに業者の事務所が代々木にあるような場合である。地域密着の業者ではないことが分かる。地域密着ではないと物件についての細かな情報を押さえていないことが多い。その結果、貸し物件ではなく瑕疵物件を借りてしまったということにもなりかねない。
また、事務所と物件所在地が離れていると内見にも不便である。部屋探しは、とにかく内見である。中には事務所と物件所在地が離れていることを口実に内見をさせない悪徳不動産業者もいる。最初から地域密着ではない業者は注意することが賢明である。林田力
http://hayariki.net/

2012年7月8日日曜日

『信長のシェフ 3』v 林田力 wiki記者レビュー

『信長のシェフ 3』は越前・朝倉氏攻めである。料理人として従軍したケンを待ち受けていたのは、信長の義弟・浅井長政の裏切りであった。絶体絶命の「金ヶ崎の退き口」が描かれる。

後から考えればタイムスリッパーならば長政の裏切りを最初から知っていなければならないと突っ込みたくなるところである。しかし、朝倉攻めに至る展開でのケンの活躍に入り込み、読んでいる最中は気にならなかった。お市の方が浅井の裏切りを伝えるエピソードは工夫しており、一般に流布している小豆の伝承ほど分かりやすくはない。料理人の主人公の知恵を示せる展開となっている。

女忍者が登場し、小谷城に潜入する展開はフィクション色が濃くなる。それでも市に信長を語らせることで、織田信長というキャラクターに深みを持たせた。

『信長のシェフ』では浅井長政と信長の行き違いを丁寧に描いている。浅井の離反は浅井久政主導で、長政自身は父親に従っただけと描かれる傾向がある。これに対して『信長のシェフ』では長政の問題としてまとめている。天才・信長を理解しようとして理解できなかった葛藤が浮かび上がる。(林田力)
http://www.tsutaya.co.jp/works/40827652.html
ブクレコ
http://www.bookreco.jp/books/detail/238533

ナポレオンの辞書v林田力Wikiレビュー

ルパン三世「ナポレオンの辞書を奪え」はルパン帝国の財宝のありかが記されたナポレオンの辞書がターゲットである。ルパン一味と多国籍軍が争奪戦を繰り広げる。
勤め人の工作員と自由人のルパン一味が対比される。国家に中世を誓う工作員に対する次元大介の言葉である。
「自分を大切にするから、他人にも優しくなれる。組織を優先して他人にクールになる奴よりはまし」
消費者に冷たい東急リバブルや東急不動産の営業よりは誰だってましである。
任侠映画にはまった石川ゴエモンがいつも以上に芝居かかっている。世界を相手に戦うシーンは爽快である。
http://hayariki.net/

2012年7月7日土曜日

林田力さんの「トヨタVS現代」文体診断

林田力さんの「トヨタVS現代 トヨタがGMになる前に」のレビューを分析しました!
林田力さんの「貧困ビジネス (幻冬舎新書)」のレビューを分析しました!
林田力さんの「ルポ 貧困大国アメリカ II (岩波新書)」のレビューを分析しました!
島崎藤村タイプ
文章にもファンタジーな思いがそのまま出てしまう、ロマンチストなあなた。足元に転がる流れついた椰子の実から何を思いますか? もういっそのことファンタジー系の小説等いかがでしょう? あの頃の純真な思いがよみがえるかも。あなたの初恋の本は何でしたか?

林田力さんのさんの「ハウジング・プア」のレビューを分析しました!
太宰治タイプ
文章からハイソサエティな香りがにじみ出ている? 「恥の多い生涯を送ってきました」だなんて悲観的なことばかりでなく、パロディもいけるあなたはもっとお笑いにも目を向けてみるといいかも。デカダンスは踊れないよ! 走れ走れ女の子! 斜陽(左様)ですかそうですか。
http://www.mybookle.com/indiv/bookle/3079
林田力 東急不動産だまし売り裁判 こうして勝った
http://hayariki.pages.wox.cc/

『ロトの紋章 紋章を継ぐ者達へ (14)』v林田力レビュー

藤原カムイ『ドラゴンクエスト列伝ロトの紋章 紋章を継ぐ者達へ』(スクウェア・エニックス)は「ヤングガンガン」に連載中の漫画である。大人気RPGゲーム「ドラゴンクエスト」の世界を描いた漫画である。

『紋章を継ぐ者達へ』の舞台は同じ作者の『ドラゴンクエスト列伝 ロトの紋章』から20年後の世界である。主人公のアロスは前作で活躍した勇者アランとアステアの息子である。主人公の仲間になるリーは剣王キラと拳王ヤオの息子である。その意味で本作品は「キン肉マンII世」や「暁!男塾」などと同様、二世マンガの一種である。

しかし、『紋章を継ぐ者達へ』は前作ともドラゴンクエストの世界観からも異なる雰囲気を出している。ドラゴンクエストは人間の勇者が、人間を滅ぼそうとする魔王と戦う物語である。人間と魔王の率いるモンスターは対立関係にある。しかし、『紋章を継ぐ者達へ』では魔王に相当する存在は未だ現れていない。しかも、人間の盗賊団が人間の村を襲うなど人間同士が争っている。アロス自身、盗賊団で育っている。善対悪という単純な構図は見えない。

また、『紋章を継ぐ者達へ』ではドラゴンクエストの世界の重要な要素であった呪文が使えなくなった設定になっている。このため、戦闘シーンには華が欠ける。

加えてアロスは感情を表に出すことが少ないため、感情移入しにくいキャラクターである。戦闘でも主体的に戦うよりも傍観していることが多い。それでいて両親が勇者という血統の故か実力はあり、感情が吹っ切れれば強敵も比較的容易に倒してしまう。

明るく前向きな勇者像からすればアロスは異色の存在である。努力して修行して強くなるのではなく、普段は力を発揮しようとしないが、潜在能力を発揮しさえすれば勝てる。この点で『新世紀エヴァンゲリオン』の主人公・碇シンジと似ている。しかも、アロスの強さの根拠は両親が勇者だからという点に帰着する。努力しても報われない格差社会を反映しているようで興味深い。

二世マンガには親と似た主人公が親と同じような言動を繰り返す劣化コピーという陥りやすい罠がある。しかし、本作品は前作の主人公アルスとは対照的なアロスの性格により、この罠から免れられている。

これはアロスが前作の主人公アルスではなく、脇役の子であるという設定にも負う。アランもアステアも、アルスと同じくロトの血を継ぐ勇者であるが、前作での登場シーンはアルスの仲間よりも少なく、読者にとって相対的に新鮮な存在である。この意味で『紋章を継ぐ者達へ』は単なる前編の焼き直しにはなっていない。

戦うべき相手が明確でないまま旅を続けてきた主人公達であるが、『ドラゴンクエスト列伝ロトの紋章 紋章を継ぐ者達へ (7)』がターニングポイントとなる。アロスが過去の事実から目を背けていたことが明らかになる。アロスは不都合な過去を存在しなかったこととし、過去を美化することで、自己正当化する。

日本人は過去に水に流すことを是とする非歴史的な民族と批判される。都合の悪い過去を美化し、歴史を歪曲しているとも非難されている(林田力「日本社会の非歴史性が問題だ」PJニュース2010年6月26日)。

感情を相手に伝えない上、相手には通用しない自分勝手な理屈で正当化するアロスは外国人から見た日本人の気持ち悪さにも通じる。外国を非難するのではなく、自国の過去を直視しなければならないのと同様、『紋章を継ぐ者達へ』でも問題は敵のモンスターにではなく、アロスの内面に存在した。

『紋章を継ぐ者達へ』は暗く鬱々とした雰囲気が漂っていたが、それは過去を直視できない主人公の弱さが影響している。第7巻で主人公は自らの過ちに気付き、過去を直視しようとする。謎を生み出していたのは過去を直視しなかった主人公自身であった。一つ吹っ切れた主人公によって、謎が明らかになっていくことを期待したい(林田力「【コミック】過去の直視が大切『ロトの紋章 紋章を継ぐ者達へ第7巻』」ツカサネット新聞2008年9月29日)。

『ドラゴンクエスト列伝ロトの紋章 紋章を継ぐ者達へ (13)』ではオーブを手に入れるため訪れた地でアロスとアニスが再会する。各々の目的を果たすために二人は対峙し、圧倒的な敵も出現する。

『紋章を継ぐ者達へ』は魔王という明確な敵と戦う物語ではなく、人々が消え、呪文が失われた謎を解明する物語である。バトルよりもミステリー要素が強い作品である。そこにもどかしさを感じる読者も少なくない。これに対して第13巻は転換点である。

これまでの単行本の表紙は青を基調とするが、第13巻は黄色である。過去にも第7巻が赤い表紙になっており、そこでは物語の大きな転換点となった。第13巻も同じである。明確な敵との戦いが発生し、敵の狙いも明らかになった。主人公サイドの人物にも大きな変化が生じる。ストーリーのテンポが早まっている。(林田力)
http://www.hayariki.net/5/faqindex.htm
『ドラゴンクエスト列伝ロトの紋章 紋章を継ぐ者達へ』には勇者の一行に、やる気のなさそうなネガティブな人物がいる。日本には頑張ってチャレンジすることを評価し、無理と即答した人を「挑戦してもいないのに無理と言うな」と非難する特殊日本的精神論が横行している(林田力「『家政婦のミタ』『専業主婦探偵』 ガンバリズム否定の労働者像」リアルライブ2011年12月27日)。その種の特殊日本的ガンバリズムが胡散臭くなった現代において新鮮味のあるキャラクターになっている。

そのキャラクターは第13巻で覚醒し、これから活躍を見せるのではないかと期待させたものの、第14巻では力に飲み込まれるという結果に終わった。ピンチに陥ったところでパワーアップするという安易な展開に進まないところが興味深い。『紋章を継ぐ者達』は前作の息子達が活躍する二世漫画である。二世をヒーローにするところに親の財産で子どもの人生が決まる格差社会の現実が反映されている。二世ではないキャラクターの安易なパワーアップを許さないところも格差社会的である。

これまでの『紋章を継ぐ者達』は人間と魔王に率いられたモンスターの対決というドラゴンクエストの設定から外れていた。この巻で、ようやく魔王的な存在が浮かび上がる。それでも人間は互いに抗争を続けている。現実社会にも重ね合わせたくなる展開である。(林田力)

2012年7月6日金曜日

『銀魂—ぎんたま— 45』v 林田力 wiki記者レビュー

空知英秋『銀魂—ぎんたま— 45』ではシリアス長編「一国傾城」篇が完結する。一国傾城篇は将軍家討ち入りというスケールの大きな話になり、坂田銀時の過去の因縁も明かされた。ここではボケ役が多い中で月詠のシリアスさが際立ち、月詠の魅力を再確認した。

月詠は吉原炎上篇で初登場という『銀魂』の中では遅いデビューながら、強烈な存在感を放ち、すっかりレギュラーの一員になったキャラクターである。月詠は吉原の番人「百華」の頭で、美しい女性ながら顔に傷があり、戦闘は強いクールビューティーである。「わっち」「ぬし」などの廓詞(くるわことば)を使い、ツンツンした性格ながら、過酷な運命にあって日輪を守るという強い思いを抱いている(林田力「【コミック】吉原炎上編に突入『銀魂 第25巻』」ツカサネット新聞2008年9月19日)。

『週刊少年ジャンプ』で行われた第2回キャラクター人気投票で一躍10位に浮上した事実が月詠の人気を示した。しかし、再登場を重ねる毎に吉原炎上篇のインパクトは弱まり、キャラの立ち位置が分かりにくくなった。
http://hayariki.net/5/15.htm
月詠をフィーチャーした紅蜘蛛篇(アニメでは月詠篇)も今一つであった。酒乱や純情というギャグパート用に無理に付けたような属性も、しっくりこない。その中で一国傾城篇での月詠は格好良さを見せている。やはり月詠は使命感を抱き、他人のために戦うところに魅力がある。

『二子玉川ライズ反対運動2』v=?iso-2022-jp?B?GyRCTlNFRE5PGyhC?=W iki

林田力は『二子玉川ライズ反対運動2』をマイブックルから刊行した。『二子玉川ライズ反対運動2』は『二子玉川ライズ反対運動』の続刊である。東京都世田谷区の玉川では東急電鉄や東急不動産ら東急グループ主体の再開発・二子玉川ライズによる住環境破壊が問題になっている。
『二子玉川ライズ2』では二子玉川ライズの住環境破壊の実態や住民反対運動を取り上げる。東京スカイツリーや中野駅周辺再開発と共通する開発の弊害を分析し、世田谷区議会で問題になったデジタルコンテンツ問題を取り上げる。また、東急電鉄による東急大井町線高架下住民の追い出し問題も合わせて収録した。二子玉川住民と大井町住民は同じく東急電鉄に苦しめられている住民同士連携して活動している。林田力
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2012年7月5日木曜日

保坂区政と脱原発と住まいの貧困

脱原発を掲げることで注目された保坂展人区長であったが、直接的な原発批判ではなく、電力入札や独立系発電公社を前面に押し出した。元々、原発の立地自治体でもない世田谷区長が原発を批判したところで何ができるかというシニカルな見方があった。できることを行うという堅実な姿勢は評価できる。
自然エネルギーへの転換よりも電力独占の打破を重視している。これは保坂区長の応援者である宮台教授の考え方に合致する。
保坂氏も就任当初は「世田谷区には屋根がある」など自然エネルギーへの転換一辺倒の傾向が強かった。しかし、宮台教授の言うように現状の体制では自然エネルギーに転換しても独占的な村の利権になるだけである。自然エネルギーで発電した電気を買い上げる買い取り制度では、政治的圧力で買い取り価格を操作することで自然エネルギー利権ができてしまう。自然エネルギーを大々的に打ち上げた孫正義が政商と批判されることには理由がある。しかも自然エネルギー発電の買い取りは電気料金に転嫁される。結局のところ、低所得者が苦しむことになる。自然エネルギー利権は貧困ビジネスと同じである。
政治の場で脱原発を大きくアピールした政治勢力は橋下徹率いる大阪維新の会であった。社会への情報発信力という点で橋下大阪市長が脱原発を訴えた意義は大きい。平和運動などと脱原発運動を重ね合わせたい立場にとって橋下大阪市長の脱原発は認めたくないものである。最終的に大飯原発再稼働に転じた橋下大阪市長を「それ見たことか」と批判することは容易である。しかし、自分達の信奉する脱原発だけが正しい脱原発的な偏狭な発想は有害である。
実際のところ、橋下市長の再稼働容認にも狙いがある。ギリギリの局面で再稼働に応じたとは言え、原発による電力の安定供給が疑問視されたことは間違えない。土壇場で再稼働を容認するということは不安定さを一層増幅する。企業としては自衛のために自家発電に注力せざるを得ない。それは維新の掲げる分散型発電の実現になる。原発がなくなればよい、自然エネルギーに置き換えればよいというナイーブな発想だけでは市場経済以前の電力の利権構造は崩せない。そこを橋下維新は突いている。その点で保坂区長がナイーブな脱原発ではなく、電力の独占打破を志向することは革新の立場からの対抗軸として意義がある。
一方で放射能汚染対策の点では目立たなかった。就任当初は学校給食の問題を取り上げていたこととは対照的である。逆に会場から川場村の問題などが批判されるほどであった。しかし、この点も「放射能怖い怖い」的なナイーブな脱原発と一線を画し、電力独占利権を潰すことを前面に出す効果がある。
私自身は除染をすることで避難を不要とする見解を批判している。また、放射能は、ここまでなら安全という値はなく、避けられるだけ避けるべきと主張している。それでも、あくまで一部であるが、脱原発を唱える人々の中にいかがわしい連中がいることは事実である。上述の通り、自然エネルギー利権を獲得したいための脱原発派もいる。貧困ビジネスのゼロゼロ物件業者が福島県の放射能汚染の不安を煽り、自主避難を勧めて劣悪なゼロゼロ物件に住まわせる例もある。
九州などへの自主避難した人々は被害者であるが、残念なことに軽蔑したくなる言動が見られる。放射能の危険性を過大視し、福島に残っている人々を愚か者呼ばわりする。生活の拠点を捨てるという思いきった決断をした自主避難者は自己の決断が正しいと信じたいものである。それ故に東北や関東が放射能汚染で人が住めない土地にならなければ困るのである。自称自主避難者には自らの惨めな生活からの脱出願望を満たす口実として移転した輩もいる。避難というよりも夜逃げに近い。北九州市の過激な瓦礫搬入阻止行動も、その種の醜い自主避難者が見え隠れする。保守派からエゴイズムを批判されてもやむを得ない。世田谷を良くしたいと考える政治家にとって、この種の人々の支持を集めることにメリットはない。
一部の脱原発のいかがわしさの象徴は山本太郎の姉の覚醒剤使用である。脱原発運動に疲れて大麻を使用したという報道に原子力村の悪意を感じることもできる。しかし、「放射能怖い怖い」という人々の中には何かを盲信しなければ精神的な安定を得られない傾向があることも事実である。
保坂区長の発言では空き家問題にも注目する。増え続ける空き家をワーキングプアの若者などの住居として活用する構想である。空き家と住まいの貧困の解消という一石二鳥の政策である。NHKでは住まいの貧困の特集で、空き家を貧困層向け住居に活用するNPOを取り上げており、タイムリーである。
住まいの貧困問題は開発問題の抑制にもなる。新しいせたがやをめざす会の共同代表に二子玉川や下北沢の開発反対運動関係者が就任することが示すように世田谷区政において開発問題の比重は大きい。大型開発からの転換は保坂区長の公約である。
開発問題は住民追い出しの問題である。二子玉川ライズでは駅前の小規模店舗が追い出され、超高層ビル建設による住環境悪化によって周辺住民が追い出されようとしている。スクラップアンドビルドで存続している開発業者にとっては人も建物もコロコロ入れ替わらなければ成り立たない。また、開発業者の論理では企業に金を落としてくれる人に来てほしいとなる。開発業者の好きにさせるならば住民は追い出される。空き家を低所得者向け住居とすることは、開発業者の追い出しへの対抗軸になる。

会場からの意見では二子玉川ライズ以外にも梅ヶ丘病院跡地問題など個別の問題を抱える人々の切実な声が続出した。これらは選挙前の政策作りの段階から指摘されていた内容である。選挙前と同じ意見が続出したということは厳しい見方をすれば保坂区長就任による前進を実感できていないということになる。これは深刻な問題である。裏切られたと感じた支持者が強固な批判勢力になる例は珍しくない。最近の民主党が好例である。
その意味では、個々の問題を抱える人々を包含し、区長と対話する場を設けた「新しいせたがやをめざす会」の枠組みは貴重である。林田力
http://hayariki.net/

2012年7月4日水曜日

『Hello, Again』

My Little Lover『Hello, Again 〜昔からある場所〜』はマイラバの略称で親しまれるグループの代表曲の一つである。人生に対する深い含蓄を感じる曲である。
「昔からある場所」という副題は新しいものをありがたがる傾向のある流行歌の世界で貴重である。住環境を破壊する二子玉川ライズに反対する住民運動も東急電鉄の立ち退きに抗議する東急大井町線高架下住民の運動も「昔からある場所」を守る運動である(林田力は『二子玉川ライズ反対運動2』)。
そして歌詞の「自分の限界がどこまでかを知るために僕は生きてる訳じゃない」が素晴らしい。若年層に影響力のある歌手が特殊日本的なガンバリズムを否定する歌を歌う意義は大きい。
https://twitter.com/#!/hayachikara/

サバンナゲーム激動v林田力Wikiレビュー

『サバンナゲーム激動』は『サバンナゲーム胎動』の続編である。サバンナゲームの二回戦を描く。『胎動』では日常から殺しあいの非日常への移行を描いた。『激動』では戦いが常態化している。『激動』に『胎動』よりも、のめり込めるかは物語の世界に入り込めるかによる。
『胎動』では主人公はワーキングプアであった。非日常のサバンナゲームに巻き込まれることで、その不合理さに戸惑いながらも脱出願望を満たせることができた。主人公が倒す相手もヤンキー的な存在で、現実世界の悪を駆逐するという爽快感があった。
これに対して二回戦の敵はゲーム的なキャラクターである。戦いの物語用に作られたようなキャラクターである。主人公サイドも歴史上の人物を視点とするエピソードが増え、日常の非日常化よりも、ファンタジー性が増した。
それでも「おじさん」のエピソードなど日常的な感覚を重視している。物語の途中では「おじさん」は主人公を守るために遣わされたスーパーマンではないかという想像も生じたが、普通の人の戦いを魅せた。
さらに敵幹部である。殺害を好む非人間的なキャラクターであったが、回想的なエピソードで彼らも貧困と格差社会の犠牲者であることが分かる。荒唐無稽な展開でありながらも現実に根を下ろしている。林田力

信長のシェフ3巻v=?iso-2022-jp?B?GyRCTlNFRE5PGyhC?=W iki=?iso-2022-jp?B?GyRCJWwlUyVlITwbKEI=?=

『信長のシェフ』3巻は朝倉攻めである。お市の方が浅井の裏切りを伝えるエピソードは工夫しており、料理人の主人公の知恵を示せる展開となっている。
女忍者が登場し、小谷城に潜入する展開はフィクション色が濃くなる。それでも市に信長を語らせることで、織田信長というキャラクターに深みを持たせている。林田力

2012年7月3日火曜日

Fwd: 林田力『二子玉川ライズ反対運動2』

 林田力『二子玉川ライズ反対運動2』(マイブックル)は二子玉川東地区再開発(二子玉川ライズ)の住環境破壊の実態や反対住民運動を記録したノンフィクションである。2010年に刊行した『二子玉川ライズ反対運動』の続編である。
 第一章では二子玉川ライズがダメな理由を明らかにする。
 第二章では裁判や集会など二子玉川ライズ反対運動の活動を述べる。二子玉川ライズ住民訴訟では実質和解という画期的な解決となった。
 第三章は二子玉川ライズ問題に対する様々な観点からのオピニオンを収録する。二子玉川ライズと東京スカイツリーや中野駅周辺再開発、海のピラミッド(熊本県)などの開発事業と共通する弊害を論じている。
 第四章では二子玉川ライズのビル風問題について住民と世田谷区の緊迫感ある協議内容を収録する。
 第五章は世田谷区議会を揺るがしたスキャンダル「二子玉川デジタル・コンテンツ問題」についてである。
 第六章では二子玉川ライズと同じ東急のトラブルとして、東急電鉄による東急大井町線高架下住民追い出し問題を取り上げる。
http://www.mybookle.com/indiv/bookle/3079
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林田力『東急不動産だまし売り裁判 こうして勝った』
http://hayariki.net/
http://hayariki.zero-yen.com/

静かなるドン103巻v=?iso-2022-jp?B?GyRCTlNFRE5PGyhC?=W iki=?iso-2022-jp?B?GyRCJWwlUyVlITwbKEI=?=

『静かなるドン』103巻は世界皇帝ドレイクの衝撃的な予言が明らかになる。『静かなるドン』はストーリー物の長編漫画である。連載当初から世界皇帝との対決まで構想していたとは考えにくい。それでも物語前半の設定を利用して世界皇帝が絡むことを必然的に描く手法は巧みである。作者が過去の作品を大切にしている証拠である。携帯メールのように、その場その場で書き捨てるような手法では大作は生まれない。
ドレイクがマフィアを憎む理由も明らかになる。その理由は納得できるものである。捉えどころのなかったドレイクが人間的に感じられた。怒りは人間の原動力である。東急不動産だまし売り裁判もマンションだまし売りの東急リバブル東急不動産への怒りが原動力であった(林田力『東急不動産だまし売り裁判こうして勝った』)。
現実世界に世界皇帝に相当する勢力が存在するならば、それはハイエナ資本主義の推進勢力である。血も涙もない市場原理主義で、東急不動産だまし売りやゼロゼロ物件など住まいの貧困を生み出す元凶でもある。それは利益拡大のみの無機的な世界である。これは『静かなるドン』の世界皇帝にも投影されていた。その点が敵キャラクターも個性的に描く『静かなるドン』において、ドレイクが浮いている一因であったが、この巻で身近になった。林田力
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紋章を継ぐ者達14巻v=?iso-2022-jp?B?GyRCTlNFRE5PGyhC?=W iki=?iso-2022-jp?B?GyRCJWwlUyVlITwbKEI=?=

紋章を継ぐ者達14巻。『紋章を継ぐ者達』には勇者の一行に、やる気のなさそうなネガティブな人物がいる。「挑戦してもいないのに無理と言うな」的な特殊日本的なガンバリズムが胡散臭くなった現代において新鮮味のあるキャラクターである。そのキャラクターが前巻で覚醒し、これから活躍を見せるのではないかと期待させたものの、力に飲み込まれるという結果に終わった。ピンチに陥ったところでパワーアップするという安易な展開に進まないところが興味深い。『紋章を継ぐ者達』は前作の息子達が活躍する二世漫画である。二世をヒーローにするところに親の財産で子どもの人生が決まる格差社会の現実が反映されている。二世ではないキャラクターの安易なパワーアップを許さないところも格差社会的である。
これまでの『紋章を継ぐ者達』は人間と魔王に率いられたモンスターの対決というドラゴンクエストの設定から外れていた。この巻で、ようやく魔王的な存在が浮かび上がる。それでも人間は互いに抗争を続けている。現実社会にも重ね合わせたくなる展開である。林田力
http://www.hayariki.net/
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2012年7月2日月曜日

前真之『エコハウスのウソ』v 林田力 wiki記者レビュー

前真之『エコハウスのウソ』(日経BP社、2012年6月)はエコハウスが本当に省エネなのか、一般に流布している俗説を検証している。著者は東京大学大学院の准教授で、建築環境の研究者である。たとえば一般的なエコハウスに採用されがちな吹き抜けを取り上げる。吹き抜けに対する著者の否定的な評価は納得できる。

実際のところは、吹き抜けがある建物は、夏は暑く、冬は寒い不快な空間になる。吹き抜けのある空間では空調が非効率である。家全体を過剰に冷やす、または温めることになり、エネルギーを浪費することになりかねない。公共施設でも熊本県の海のピラミッドが非効率な吹き抜けを持ち、無駄な公共事業の典型である(林田力「二子玉川ライズとCLUB PYRAMIDは公共性の私物化」)。

福島第一原発事故によって改めてエコへの関心が高まっている。それ自体は結構なことであるが、欺瞞的なエコも横行している。東京都世田谷区では自然を破壊した再開発で建てられた商業施設「二子玉川ライズ・ショッピングセンター」が省エネで評価されるという本末転倒の現象がある(林田力「二子玉川ライズ・ショッピングセンターはアンチ省エネ」)。自然採光で済む空間に高層ビルを建設し、昼でも人工照明を使わなければならなくなった空間で省エネしてもアンチ省エネである。
http://www12.atpages.jp/~hayariki/haya/2/25.htm
しかもエコビジネスは消費者の不安心理に付け入る悪徳商法と隣り合わせである。貧困ビジネスのゼロゼロ物件業者がtwitterなどで福島県民の不安を煽って自主避難を勧め、首都圏などの劣悪なゼロゼロ物件に住まわせる例もある。エアコンのない劣悪なゼロゼロ物件をエコハウスと正当化する例もある。エコ詐欺に惑わされないためにも『エコハウスのウソ』のような書籍は有用である。

東急ホテルズ入居の二子玉川RIZE二期事業の閉塞

二子玉川RIZE二期事業の再開発ビルのテナントが東急ホテルズら東急グループ企業で締められている事実が判明した。これは二子玉川RIZEの行き詰まりを示すものである。
東急は他人の褌で相撲をとる企業である。東急は阪急を手本にしたとされるが、阪急の宝塚歌劇団のように自前のコンテンツで勝負することが下手である。反対に強盗慶太の異名のように他社の物を奪って成長してきた。必ずしも褒められたことではないが、全てを自社で賄わず、他社のリソースを利用することが東急の勝ちパターンであった。
東急のお膝元とされる渋谷でさえ西武が進出している。これは東急が西武に出し抜かれたことを意味するが、文化発信力のあるセゾンの進出は渋谷にとってプラスになった。二子玉川も商業施設は非東急の高島屋によって発展している。オール東急で再開発を進めることは東急の勝ちパターンではない。林田力
http://www.hayariki.net/

ウィルの希望のものがたり

『ウィンの希望のものがたり』は交通事故で亡くなった子どもの物語である。日本語と英語の両方で書かれた絵本である。とても悲しい出来事を扱っているが、タイトルのように希望の物語になっている。物語の世界観は大ヒットソング「千の風になって」を連想する。
著者は交通事故被害を減少させるためにスピードを抑制するソフトカーの開発・普及に取り組んでいる。交通事故被害は非常に多いが、東日本大震災のように多数の人々が同時に被害に遭うものではないために当事者限りの苦しみで終わりがちである。同質性の強い日本社会では東日本大震災の被災者には強い同情心を示しても、異なる立場の人々の苦しみへの理解力や共感力が乏しい。
最近ではヤンキーの暴走事故が相次いでいる。腹立たしい限りである。無軌道なヤンキーを糾弾することは正当である。危険な暴走の一因になっている覚醒剤や脱法ドラッグの問題に斬り込むことも正当である。しかし、車は凶器であるとして、車社会に異議を申し立てる時期に来ている。
東京都は木造密集地域の都市計画道路を整備すると発表した。広い道路を作ることが災害時の安全につながるとの立場であるが、車社会の呪縛に囚われている。本書が広まることを期待する。林田力
http://www.hayariki.net/

2012年7月1日日曜日

『茶と美』『茶の湯の常識』v 林田力 wikiレビュー

柳宗悦『茶と美』(講談社、1986年)と町田宗心『茶の湯の常識—利休伝書が語る』(光村推古書院、2008年)は茶道について考えさせられる書籍である。両書とも茶道具をめぐる非常識に鋭い。たとえば箱書きで茶道具の価値を判断する似非茶人を批判する。

『茶と美』「蒐集について」は「定見のない人々に限って箱書き等を大切にする」と指摘する(112頁)。また、鑑賞眼の優れていた先人達について「彼らは箱書に頼ったのではない」と指摘する(61頁)。

『茶の湯の常識』でも品物の良さがわからない人は箱書きを決め手にするとして、箱書きで品物の価値を決める人を揶揄している(57頁)。現実に李朝染付の花入れについて「箱がないから貴重な品であるとは思わなかった」と恥ずかしい回答をした人物がいる。

一部の箱書き尊重の風潮への批判は後半にも登場する。「古いものは箱書きがないのが普通であった。箱書きがなくとも、よいものは長く大切に伝えられてきた」(257頁)。さらに柳宗悦『茶と美』「蒐集について」の上述の一節も引用する。

また、『茶と美』では以下のように茶道具を秘蔵する性向を批判する。「真に物を愛する者は必ずや悦びを人々とも分かちたいであろう。見せない態度より、見せたい態度の方が遥かに自然である。また、気持ちとしても明るい」(92頁)

その上で、「徒に秘蔵するのは茶の精神に悖る」とし、「茶人の趣味は変態であってはならぬ」と茶道具を秘蔵したがる趣味を変態と切り捨てる(93頁)。

『茶の湯の常識』では墨跡について茶書『分類草人木』の以下の一節を紹介する。「禅の心もない人が、数奇道具として掛けることは、おかしなことである」として、禅法を納得してこそ、墨跡を掛けて面白いとする(60頁)。

「茶禅一味」の言葉があるように茶道と禅宗は深いつながりがある。掛け物では墨跡が珍重されるが、禅の心を理解していなければ意味がない。最近では参禅する茶人を何も知らない似非茶人が「よくお寺に行ったりして」と批判する例があるが、嘆かわしいことこの上ない。
http://hayariki.net/4/faqindex.htm
『茶の湯の常識』は茶道の作法の意味を成り立ちから解説した書籍である。作法の一つ一つが意味を持って成り立っていることが分かる。作法だから従うという伝統墨守主義ではない。中には間違って伝えられた作法や意味をなさない作法があることも明らかにする。

作法とは客に美味しくお茶を飲んでもらうための気配りである。これはマナー全般に当てはまることである。愚かな人間は形式的なマナー違反を咎められると「ルールなんか存在しない」と開き直る。しかし、相手に不快感を与えている点で失格である。

茶道は日本の伝統文化であるが、『茶の湯の常識』は偏狭な自民族優越主義に陥っていない。たとえば以下のように日本文化を相対化する視点も有している。「正座ほど窮屈な座り方は、世界中にどこにもないといわれる。このような風習は、中国女性の纏足や、インド人やオセアニア人が鼻や耳に穴をあけて宝石を飾る風習などと同様に、世界の珍風景の一つに数えられる」(105頁)。(林田力)

ゼロゼロ物件と薬物犯罪v林田力Wiki記者

貧困ビジネスのゼロゼロ物件業者に薬物疑惑が持ち上がっている。覚醒剤や脱法ドラッグなど薬物が改めて社会問題としてクローズアップされている。ヤンキーの暴走により多くの死傷者が出た事件でも暴走したヤンキーが薬物を吸引していたと指摘されている。これまで薬物の蔓延について興味本意やファッション感覚などを背景とする分析がなされてきたが、貧困ビジネスのゼロゼロ物件と重ね合わせると深刻な背景が浮かび上がる。薬物乱用者の動機として日雇いなど厳しい肉体労働の疲れを癒すためとの指摘がある。そして、貧困者への薬物の流路として貧困ビジネスの存在が指摘される。貧困ビジネスは賃借人を経済的に搾取するだけでなく、薬物中毒にしてしまう恐ろしい実態が浮かび上がる。林田力
http://hayariki.net/