2012年3月31日土曜日

金色のガッシュ!!」雷句誠が小学館を提訴

人気漫画「金色(こんじき)のガッシュ!!」の作者、雷句(らいく)誠氏は2008年6月6日、原画を紛失されたとして、小学館に330万円の損害賠償を求めて東京地裁に提訴した。公開された雷句氏側の主張・立証内容には裁判を進める上で有益な点が見られる。

「金色のガッシュ!!」は小学館発行の漫画雑誌「週刊少年サンデー」に連載された漫画である。連載終了後に雷句氏が原画の返却を求めたところ、カラー原稿5点の紛失が判明した。紛失原画に対する賠償金額の交渉が折り合わず、提訴に至った。雷句氏は提訴日に自己のブログ「雷句誠の今日このごろ。」において訴状と陳述書(甲第13号証)を公表した(参照「雷句誠の今日このごろ。」)。

http://88552772.at.webry.info/200806/article_2.html

訴状では原画紛失に対する損害の賠償を裁判の争点として明確化した。一方で雷句氏自らが執筆した陳述書には提訴に至るまでの理由がまとめられている。この中には原画紛失とは直接結びつかない出来事も書かれている。訴状では法的主張に絞り、陳述書では紛争の背景を広汎に説明する二本立ての構えである。

記者は購入したマンションの売買契約を取り消し、売買代金返還を求めて東急不動産を提訴し、東京地裁で勝訴判決を得た(参照「東急不動産の遅過ぎたお詫び」)。

この裁判で記者が採った戦術も二本立ての構えであった。即ち、訴状や準備書面では法的主張(消費者契約法第4条第2項に基づき売買契約が有効に取り消されたこと)に特化し、陳述書では東急不動産や販売代理の東急リバブルの不誠実さをアピールした。奇しくも雷句氏と類似したことになるが、この方法は裁判において有益であると考える。

提訴の動機は尊厳の回復

雷句氏自らが執筆した陳述書は提訴に踏み切るまでの理由を綴ったものである。編集部員の非協力的で喧嘩腰の態度や社会人としてのマナーの無さに始まり、様々な出来事が述べられている。一貫しているのは「小学館と、その編集者が漫画家を見下している」という雷句氏の憤りである。これが提訴の根本的な動機であることが理解できる。

裁判の一義的な目的は法的紛争の解決である。しかし、一般に人は権利侵害があったというだけで訴えを起こそうとはしない。記者が東急不動産を提訴した動機も、一生に一度あるかないかの大きな買い物で、売ったら売りっぱなしで客を客とも思わない態度をとる東急不動産及び販売代理の東急リバブルへの怒りが大きな割合を占めていた。だから雷句氏の憤りは痛いほど理解できる。

記者の裁判は問題物件を売り逃げした東急リバブル・東急不動産に対する消費者としての尊厳を回復するためのものであった。同様に雷句氏の訴訟も漫画家としての尊厳を回復するためのものと言える。これは記者の推測になるが、一般の人が裁判を起こす場合はむしろ、このような背景がある場合の方が多いように感じられる。

提訴に至った憤りについて陳述書という形にすることは非常に重要である。前述の通り、裁判の一義的な目的は法的紛争の解決である。従って裁判による解決は権利義務の明確化という形にしかならない。このため、憤りを抱く当事者にとって容認し難いことであり、支持するつもりは毛頭ないが、裁判が権利義務の交渉・取引の場になってしまう場合があることは否めない。

もし法的紛争の解決という直接的な課題にしか目を向けず、提訴の原点にある憤りを忘れてしまったならば、裁判は裁判官と原告・被告の代理人弁護士の談合の場に堕す危険がある。このような解決では裁判手続きから疎外された当事者には不満が残る。従って、たとえ「争点と直接関係ない出来事を幾ら並べても、有利にならない」と言われたとしても、陳述書を証拠として提出することは意義がある。

記者も裁判では陳述書において「不誠実な対応を繰り返す東急不動産の物件には住んでいられない」と強く主張した。それがあったからこそ、控訴審・東京高裁における和解協議の場では売買契約の白紙撤回、裁判官の言葉では「返品」が前提となった。それ以外の解決策は検討すらされなかった。

また、東京高裁における訴訟上の和解で成立した和解条項には、和解調書の非公開義務や批判の禁止など原告(記者)の請求と無関係な内容が入る余地がなかった。これも感情的な問題が未解決であることを裁判官が認めた上で、訴訟上の和解の目的を純粋な法的紛争の解決のみに絞ったからである。

法的論拠の重要性

これまでは提訴の背景となった思いを明らかにすることの重要性を述べた。以下では法的論拠の重要性を述べたい。繰り返しになるが、裁判の一義的な目的は法的紛争の解決である。

いくら不誠実な対応を重ねられたとしても、それが具体的な権利侵害に結びつかなければ勝訴は困難なのが現状である。このこと自体が良いか悪いかという議論は別として、裁判の現実として押えておく必要がある。不公正な扱いを受け、人間としての尊厳の回復するために提訴する人は多いが、棄却や却下(門前払い)に終わる例が少なくないのも、このためである。

「これだけ酷い扱いを受けたのだから裁判官も同情してくれるよ」という類の甘い期待は危険である。裁判という形式で解決を求める以上、法的主張は法的主張として、しっかり行う必要がある。

雷句氏の裁判では、この点についても考えられている。恐らく雷句氏にとって「小学館は漫画家を尊重せよ」「小学館は反省せよ」というのが一番の要求になると思われる。しかし、それでは裁判上の請求にならない。

訴状では原画紛失に対する損害の賠償と争点を明確化している。記者の裁判においても東急リバブル・東急不動産の不誠実な対応は原告陳述書において様々な観点から糾弾したが、原告の請求としては消費者契約法第4条第2項の不利益事実不告知に基づく契約取消しの結果としてのマンション売買代金の返還請求一本に絞った。
http://hayariki.net/poli/inherit.htm
特に雷句氏の訴状で注目すべき点は原画の価額算定は前例がないため、わざわざ類似のカラー原稿をネットオークションに出品して落札価格を調べた点である。雷句氏側が裁判官を納得させるためのロジック提示の努力を怠っていないことを意味する。

記者も東急不動産と裁判をする前に、仲介業者に物件の売却価格の査定を依頼した。隣地が建て替えられ、日照・眺望が妨げられたことによる資産価値の減少額を把握するためである。この種の活動も勝訴には必要である。

裁判においては提訴の背景になった憤りを明らかにすること、法的請求の根拠を示すことは車の両輪であり、何れも大切なものである。前者を明らかにしなければ提訴の原点を無視した結末になってしまう危険がある。一方、後者がなければ勝訴は難しい。

この意味で、陳述書では紛争の背景を明らかにし、訴状では法的争点を明確化する二本立ての構えは非常にバランスが取れたものである。記者にとって東急不動産との裁判は、問題物件の騙し売りで人生を狂わせる消費者が出ないことを願ってのものでもあった。同様に雷句氏も後進の漫画家の立場を向上させることを使命と陳述書で明らかにしている。裁判にかける雷句氏の強い熱意が感じられる。

サイレント・テロ

サイレント・テロについては御認識に齟齬はありません。確かにテロという言葉は穏やかではありません。私も定着した言葉故に使用したまでで、好きな表現ではありません。テロと位置づけることで、社会に何事かをなさなければならないという類の英雄願望に囚われているように感じます。消極的抵抗が実態に即しています。殊更、高級品を消費したいという欲望もなく、我慢しているという感覚もありません。それ故に自然な反応との御指摘に納得します。
資格については過大評価はしていません。遅刻をしない、割り当てられた仕事を期限までに果たすというような性質の方が、はるかに価値があると思います。
http://hayariki.net/

二子玉川ライズに治安面の不安

再開発組合に義務があるならば、しっかり言いなさい。
風対策の費用負担は全て再開発組合が行っている。世田谷区は支出していない。
二子玉川ライズではビル風のために風が回っているから、通常よりも危険である。風速8メートルになる前から歩行者に注意喚起しなさい。いきなり空襲警報を出しても対応できない。警戒警報が必要。しっかり区長の考えを聞きたい。
指示記録計設置の要望は、私(板垣)の方からも再開発組合に申し入れる。
再開発組合に任せるという世田谷区の常識は我々の非常識。努力しているという人間は努力していない。住民は自らの義務を果たしている。肩透かしやごまかしはしないで欲しい。横綱相撲を期待する。所管は自分達のミスに気付いていない。失敗に学ぶ勇気がない。「一人は万人のために万人は一人のために」の精神で行動を望む。風速計の貸し出しがなければ住民が困る。誠実さが欠けている。やるべきことをやってみせて下さい。計画は日にちを定めてほしい。想定外は最早許されない。まだまだ安心安全について意識が浅い。地域住民は納得できない。
一つでも皆さんが安心できるように頑張っていく。歩みとしては遅いけれども、努力していることは・・・
努力は認めない。
半歩でも踏み出したい。
再開発組合の回答次第で前に進めないというのは困る。六本木ヒルズの回転ドアでは子どもの死亡事故が起きた。森ビルでは負の遺産として社員に見せている。
交通広場で夜間にスケボーやローラースケートをする連中がいて近所迷惑になっている。非常識な連中をどうするか。
※何ら事実の裏付けのない原始的な先入観では狭い道路の木造密集地域よりも再開発された地域の方が治安が良さそうなイメージを勝手に抱く。しかし、それが幻想にすぎず、住民は治安面の不安も抱いていることを示している。
立ち入り禁止の掲示をする。すでに注文しているが、予算の関係で支払いは来年度になる。設置時期は分からない。
注文する時に納期を定めないのか。
電話で担当者に確認したところ、警察署と文案を調整中で、まだ発注していない事実が判明した。お役所仕事の杜撰さを目の当たりにすることになった。
指示記録計を設置し、テロップで歩行者に注意喚起すべき。ハンディタイプの風速計では目的を達成できない。強風時には随時区役所の人が測定に来るのか。先週は養成したが、拒否された。住民は二十四時間生活している。風速はビルの影響を受けていない場所でも測定する必要がある。二子玉川ライズ・オフィスの屋上でも測定してほしい。多摩川からの風が二子玉川ライズ・オフィスに真っ直ぐにぶつかる。ちょうど川が曲がっている場所である。
世田谷区は根本的な対策を何もしていない。何をしても横断歩道を渡る人には風は防げない。排ガスや騒音防止のために道路をシェルターで覆った例がある。世田谷区には根本的な対策を求める。専門家を入れて下さい。
謝罪文は受け取れないので直して下さい。
夜中のビル風の音は酷い。一晩中、ヒューという音がする。工事の騒音も酷かった。
二子玉川ライズ・オフィスの16階は修正すべきであった。角をとれば、風は少しはましになった。あの高さのビルができたためにガレリアは真っ暗である。
省エネと聞いている。
本来ならば自然光で十分な場所で、電気で照明しようという考えがエコに反する。設計から間違っている。世田谷区の水と緑のコンセプトから外れる。二子玉川ライズのイベントは暗いところで行っている。植木の一つも置いておらず、変である。世田谷区の方針に反している。
陽当たりがよい場所は二子玉川ライズ・オフィスの窓際だけだが、事務所では直射日光は望ましくなく、シャッターを降ろしている。賑わいになっていない。
買い物客は多いと聞いている。
平日の午前中は閑散としている。二子玉川ライズには買いたいものがない。高島屋とくらべて格の低さを感じる。
区長は二子玉川ライズの公益性を精査すると言っている。公共性や公益性と言えば教育、福祉、医療、防災対策などのインフラを連想する。
二子玉川ライズは教育とは無関係である。カルチャースクールのような商業ベースのものを公共的な教育とは呼べない。川崎市には子ども文化センターなどの施設がある。二子玉川ライズの商業施設にも子ども達が楽しめるものはない。二子玉川ライズの客層は限られている。かつての犬たま猫たまやナムコ・ワンダーエッグのような魅力はない。

謎解きはディナーの後でスペシャ

謎解きはディナーの後でスペシャル。美大を主席で卒業した大画家が焼死した。主人公は遺体の指輪に気付く。画家は卒業時に贈られた記念の指輪をいつもしていたとする。この指輪が謎解きの鍵になる。
巨匠と祭り上げられた画家の孤独と学生時代に描いていた自由な画風が対比される。安易な理由で大学を中退する落伍者には存在しない大学生活の豊かさが垣間見れる。
定番のやり取りが魅力のドラマであるが、定番の繰り返しに甘んじず、スペシャルでも定番のやり取りを派生させている。ディナーで麗子と影山の回想が並行して進む展開は同じであるが、スペシャルでは影山は香港に出かけ、スケールアップしている。
風祭警部は、いつも以上に暴走し、迷推理を披露する。勘の推理を強弁する点はストロベリーナイトと対比すると面白い。
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魔法の代償上巻

魔法の代償は架空の王国ヴァルデマールを舞台とした物語である。ヴァルデマール年代記の一冊である。ヴァルデマールは中世ヨーロッパのような社会であるが、特別な素質を持った人々が魔法や超自然的な能力を使える世界である。
詩人ステフェンは類い希なる能力のために治療者達の研究材料になるが、治療者達に自分の能力を示し続けて精力を消耗してしまう。優れた能力者でも有限という点でリアリティがある。友人のアドバイスを受けて治療者の依頼を頭ごなしに断るステファンの演技が魅力的である。155頁。頑張ることを美徳とする特殊日本的精神論とは対照的である。日本で過労死という翻訳不可能な現象が起こる訳である。
この世界では資格を持った魔法使いを魔法使者、それ以外の能力者を使者と呼ぶ。魔法使者と使者は能力の種類の相違による区別であり、ある分野では魔法使者よりも使者が優れているものであるが、魔法使者の方が格上に思われている。職業を貴賤と結び付ける発想である。主人公ヴァニエルは、この固定観念を改めようとする。
ヴァニエルには「共に歩むもの」イファンデスと呼ばれる馬の姿をした超自然的存在がいる。外見は馬なので知らない人が見たら、知性を持っているとは思わない。知っているステフェンでも見かけ通りの存在でないことを自分に言い聞かせなければならなかった。ところが、ヴァニエルの母のトリーサは貴婦人の客人に対するように自然にイファンデスに話しかけた。これを見てステファンは愕然とする。302頁。ここからは差別について考えさせられる。差別はしてはいけないと思うあまり、不自然になることもある。ステフェンの境地にはなるように心がけているが、トリーサの境地は容易ではない。林田力
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東急不動産回答文書の内容

悪徳不動産営業は幽霊のようであった。色の失せた髪の色、骨ばった顔、死人のような顔色。東急不動産の陰気なマンション建設工事現場で、この男に出くわしていたならば幽霊と思ったかもしれない。悪徳不動産営業は、自己中心的で金銭に飢えたろくでなしで、ひとかけらの同情心も持ち合わせておらず、自己の肥大化以外に全く興味のない人間に思えた。東急不動産工作員の頭は完全に常軌を逸していた。日本語が壊れている理由は理性がないためである。
東急不動産回答文書は消費者感情を逆なでするものであった。林田力は開封前に東急不動産回答文書を手に乗せて重みを量り、それがよい知らせなのか悪い知らせなのか知りたいと願った。しかし、そのようなことが分かるわけもなく、開封を遅らせても何の益もなかった。読み終わった林田力は寒さに身震いした。肉体的な寒さではなく、消耗による寒さであった。林田力は世界をこれまで以上によいものにしようとする人々と連帯し、与える代わりに奪おうとする悪徳不動産業者を止めようとした。
ゼロゼロ物件には安物買いの銭失いという警句がついて回る。物事は大抵、警句の通りになる。何故ならば警句には真実が含まれているためである。
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2012年3月30日金曜日

『それでも企業不祥事が起こる理由』『組織の思考が止まるとき』

コンプライアンスをテーマとした書籍『それでも企業不祥事が起こる理由』『組織の思考が止まるとき』は日本社会に蔓延する形式的な法令遵守精神を批判する点で共通する。

國廣正『それでも企業不祥事が起こる理由』(日本経済新聞出版社、2010年)は弁護士による企業不祥事をテーマとした書籍である。「法律は守っている」と考えている企業でも企業不祥事が続発する理由を明らかにする。ここにはコンプライアンスに対する誤解がある。コンプライアンスは「法令遵守」と訳されがちであるが、これが躓きの石である。著者はコンプライアンスを企業に対する社会的要請を正確に把握し、これに応じて行動することと位置づける。

これは重要な指摘である。法の網の目をくぐる悪徳業者はコンプライアンスに反する企業である。たとえばマンション販売業者が不利益な事実を隠して新築マンションを販売したとする。悪徳不動産業者ならば「嘘はついていない」と開き直るだろう(林田力『東急不動産だまし売り裁判 こうして勝った』ロゴス社、13頁)。しかし、不動産という一生に一度あるかないかの大きな買い物をする消費者からの要請を完全に無視している。

そして形式的に法を守りさえすればいいという形式的コンプライアンス精神は犯罪者の思考であり、実際には往々にして法律に違反している。何故ならば消費者の権利を保護するなどの法の目的を無視しているからである。東急不動産だまし売り裁判でも東急リバブル・東急不動産は宅地建物取引業法の重要事項説明義務を免れたつもりになっていたが、消費者契約法違反(不利益事実不告知)で敗訴した。

郷原信郎『組織の思考が止まるとき 「法令遵守」から「ルールの創造」へ』(毎日新聞社、2011年2月26日)は日本の組織のクライシス(危機)の現場を検証した書籍である。扱う事例は検察の証拠改竄事件やトヨタのプリウスリコール問題、原子力発電所の点検漏れなど幅広い。ここでも単に法令の遵守に終始することなく、社会からの要請に応えることこそがコンプライアンスの本旨と主張する。

残念なことに法令を遵守しさえすればいいという誤った形式的なコンプライアンス精神は企業だけの問題ではない。行政にも根強い。行政には法令通りにやっていることを根拠に国民からの疑問の声を封殺する姿勢がある。

たとえば除染による放射性物質の拡散の問題を指摘した市民団体・市民が求め創るマニフェストの会の公開質問状に対し、古川道郎・川俣町長は以下のように答えた。

「除染後の放射性物質の収集については、環境省が発行している『除染関係ガイドライン』および福島県が発行している『除染業務に係る技術指針』に基づき収集します。また、その保管については、前述の『除染関係ガイドライン』に従い川俣町の地勢・地形に適した仮置き場を設置します」(林田力「古川道郎・川俣町長が除染についての公開質問状に回答」PJニュース2012年3月5日)

除染の危険性に対する疑問には答えず、環境省や福島県の基準に従っているから問題ないという姿勢である。この種の姿勢は究極的には「お上が決めたものであるから、臣民は黙って従え」という姿勢につながる。この種の姿勢は新種の公害被害に無力である。「法令がないから被害が出ても仕方がない」という姿勢では憲法が生存権などの人権を保障している意味がない。

その中で二子玉川ライズ住民訴訟を和解的解決で終結した保坂展人・世田谷区長の姿勢は注目に値する。二子玉川では再開発による住環境破壊が大きな問題になっているが、保坂区長は「再開発区域周辺の環境影響に対しましては、区としても環境に十分留意して、法令に基づく環境影響評価の手続きに則った適切な対応はもとより、きめ細やかな対応を事業者に求めてまいります」と陳述した。
http://www.honzuki.jp/book/status/no65971/index.html
ここでは「法令に基づく環境影響評価の手続きに則った適切な対応はもとより」と法令以上の「きめ細やかな対応」を求めることを宣言する(林田力「二子玉川再開発住民訴訟終結で公害行政から一歩踏み出した保坂世田谷区政」PJニュース2012年3月19日)。法令遵守はもとより、それ以上の対応を追及することが実質的なコンプライアンスになる。
林田力,上田清司埼玉県知事は東京電力を罵るよりも不買運動を
http://www.pjnews.net/news/794/20120219_2
林田力,フランス政府のマドモアゼル廃止を歓迎
http://www.pjnews.net/news/794/20120226_1

二子玉川ライズの風害2

貸し出しはしないが、住民と同席の上で測定したい。
測定してくださいと言って出てこなかったでしょう。
二子玉川ライズの高層ビルにより、風環境はどのように変わったのか。風が強くなったのか。風が強い場所で計測しただけでは不十分である。
風速計を買って測定したつもりにならないで下さい。個人でも、やっている。行政でできない訳がない。再開発組合任せにするのか。あなた達が受けて立つことが当然である。
再開発組合が指導に応じないという言い訳で、仕事ができないことを区民に晒さなくてもいい。計画は、いつまでに実施するということを明らかにする。去年の三月から要請していたが、一年経ってもやらない。植栽にどれほどの効果があるのか教えて下さい。長い年月を経て樹木が成長すれば防風林になるケースもあるが、二子玉川ライズの場合は何年経ってもダメである。樹木とビルの位置関係では枝が伸びるとビルにぶつかり、伐採されてしまう。
より良くしたいと考えている。
悪いものを良くすることは、より良くとはならない。
風が強いところもあれば弱いところもある。
客観的な過失があるから、事故が起きた。
道路の管理責任とは段差などを指す。
横断歩道を渡っている人の安全を確保してほしい。それができなければ、責任を果たしてほしい。裁判がどうのこうのは逃げ口上である。
再開発前は風は今ほど強くなかった。玉堤通りも今より狭かったために横断歩道を渡る危険も小さかった。二子玉川ライズによって危険は拡大している。
因果関係を知りたい。事故が起きた時間の風のデータを出せないという。隠蔽である。
ビル風で転倒事故が起きたことを問題視している。段差がないから管理責任を負わないという話は理由にならない。安心安全の街づくりは事業者任せか。
行政と事業者には各々の役割がある。
その主張には二子玉川ライズを世田谷区が推進してきた事実が抜けている。責任の一端は世田谷区にある。組合に指導しています、だけでは済まない。その指導も甘っちょろい。
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2012年3月28日水曜日

安易な大学中退者は青山テルマを見習おう

歌手・青山テルマは上智大学を卒業したことを2012年3月26日に自身のブログ「青山テルマのONE WAY」で報告した。着物に袴姿の写真を掲載した上で「この度、私 5年半もかけて、上智大学を卒業しました」と記述する。単位を落としたために5年半がかりの卒業となったという。安易な大学中退者が多い中で立派である。素直に卒業を祝したい。卒業おめでとう。

テルマはトリニダード・トバゴ人と日本人のクォーターである。2008年1月リリースのセカンドシングル『そばにいるね』がヒットし、女子大生歌姫として注目を集めた。これまでも大学生との対談などで「学校に行った方がいい」と話しており、言行一致、主張の一貫性を示した。ブログには以下のように記載する。

「もしそんな私が学校を辞めてしまったら、私が言った言葉がすべて嘘になってしまうのと同時に、これから私が歌ったり、発信する『言葉』が軽く聞こえてしまう。それが一番嫌だった。それが一番ダサイと思ったの」

何年かかったとしても卒業することは立派である。中退で偉そうにしている人間もいるが、テルマの姿勢を見習ってほしいものである。

大学入学者には卒業することが当然のこととして期待される。その当たり前のことができずに現実から逃げ出す安易な中退者が多い。安易な理由による中退は経済的事情で進学を断念した学生や中退せざるを得ない学生らに失礼である。高等教育という希少なリソースの無駄遣いになる。親に学費を払ってもらいながら学校に行かず、アルバイトをしても服や遊びのためにしか使わなかった中退者は最低である。

大学は入学も容易ではないが、卒業も困難である。難関大学ほど単位認定も厳しく、卒業も難関である。合格時や入学時ばかり話題になるが、卒業して初めて賞賛に値する。たとえ偶然やラッキーや裏口で入学できたとしても、大学のレベルについていくことは難しい。大学での学問は高校までの勉強とは質的に異なる(林田力「大卒から感じた高卒のギャップ」PJニュース2010年11月23日)。
http://www.pjnews.net/news/794/20101122_7

卒業したとしていないでは大違いである。最終学歴に「○○大学中退」と書き、大学中退を高卒よりも立派な肩書と勘違いしている愚か者も多いが、実態は正反対である。中退は大学受験で不合格になることよりも恥ずかしい。受験の不合格は履歴書に書かれないが、中退は、その後の人生にも付きまとう。逃げ出した後悔を抱えて生きていかなければならない。

後で「卒業しておけばよかった」と後悔するよりも、何年かけても大学は卒業した方がいい。その方が悔いは残らない。人生の中で学生生活の時間を長く取れることは見方によっては幸せである。卒業までに身に着けた知識や考え方は将来様々な場面で役に立つことになる。
林田力『東急不動産だまし売り裁判』
http://hayariki.sapolog.com/
林田力 新聞
http://hayariki.net/nikkan.htm

青山テルマの大学卒業を祝う

女子大生歌姫として知られる青山テルマが大学を卒業したと発表した。五年半かけての卒業となったが、安易に中退する学生も多い中で立派である。素直に卒業を祝したい。卒業おめでとう。
大学は入ることも容易ではないが、卒業も決して楽ではない。日本には入学時ばかりもてはやされる愚かしい傾向があるが、卒業することの方が大きな価値がある。
http://hayariki.net/

2012年3月25日日曜日

賃借人の戦い

有楽町ガード下が何故勢いがあるかと質問されました。有楽町ガード下の強みは、借地借家人組合が存在することと思います。悪徳不動産業者が賃借人個別に交渉や裁判に持ち込もうとするように、賃借人の団結を恐れています。賃貸の問題などに取り組む団体・住まいの貧困に取り組むネットワークではゼロゼロ物件という悪質な不動産業者の宅建業法違反を東京都 に告発し、東京都は業務停止処分としました。
http://hayariki.net/

「終わりよければ全てよし」の虚偽

「終わりよければ全てよし」という言葉には虚偽がある。最後だけハッピーエンドでも途中経過が悪ければ、それを誇りに思うことはできない。「終わり良ければ、全て善し」の信奉者は過去を振り返ることができない浅はかな愚か者である。
http://hayariki.webnode.com/
林田力『東急不動産だまし売り裁判 こうして勝った』[本]
http://hayariki.net/index2.html
東急電鉄が大井町線高架下住民に立ち退きを迫る
http://hayariki.net/tokyu/ohimachi.html

二子玉川ライズの風害問題

二子玉川ライズではビル風による歩行者の危険だけでなく、夜間のビル風による騒音や交通広場でスケボーやローラースケートが行われる騒音などの被害も出ている。
風害による事故が分かっている範囲で三件も起きている。風速などデータを出す、いつでも出すという話であった。それが12月になって出せなくなった。
データの開示を求めたところ、再開発組合は「訴訟の関係で差し控えたい」と拒絶した。急にデータを出せなくなったことに行政は責任を感じていないのか。
区長は安心安全の街づくりを約束している。それが東急に丸投げだったとは。
今日は再開発組合の話を聞きにきたのではない。世田谷区としてデータを把握して対応すべき。ペテンである。
以前提示された情報はポイントが絞られたもの。全部見なければ分からない。
地域の方に丁寧に対応する。
一年以上経ても機器を買わない。これはどういうことか。
世田谷区と住民の議論はかみ合ったとは言えない。再開発組合の建設した高層ビルが住民被害の元凶である点は双方の前提である。しかし、住民側は二子玉川ライズによって安心して生活できなくなった現状を区民の安全のために世田谷区が責任を持って対処することを求める。たとえばビル風によって玉堤通りの横断歩道の通過が困難になっている。区道管理者の世田谷区がビル風を起こした訳ではない。世田谷区にとっても二子玉川ライズのビル風は迷惑な話である。しかし、道路管理者として世田谷区は安全な道路を提供する義務がある。区の道路上でビル風が安全な通行を阻害しているならば対応する義務がある。その疑いがあるならば事故を防ぐために調査する義務がある。
原因が二子玉川ライズ側にあるとして再開発組合側に対策させることは一案である。しかし、再開発組合に指導したが、断られたので何もできませんという言い訳を住民側に押しつけることは許されない。
ところが、世田谷区側は再開発組合への指導に終始し、データの開示拒否など指導に応じない場合も、そのままにした。林田力
http://hayariki.net/

2012年3月24日土曜日

『ハングリー!』ハングリー精神で大団円:林田力

フジテレビ系ドラマ『ハングリー!』が、2012年3月20日放送の「空腹が人を幸せにする! 俺の料理を食ってくれ」で最終回を迎えた。ドラマの序盤からの一貫性を保ったハングリー精神で大団円を迎えた。

麻生時男(稲垣吾郎)の甘い言葉に乗っかってハラペコキッチンを廃業した山手英介(向井理)らであったが、現実は甘くなかった。藤沢剛(川畑要)は先輩からのパワハラのストレスで酒浸りになった。住吉賢太(塚本高史)は同性の先輩からセクハラを受ける。実は麻生も一ヶ月ももたないと予想しており、仲間の切り捨ては織り込み済みという醜い資本の論理が提示される。

現実に二子玉川東地区再開発地域や東急大井町線高架下にあった自営業者は立ち退きによって苦境に陥っている。「立ち退かされたが、みんなで頑張って危機を乗り越えた」的なナイーブなハッピーエンドにしない点でリアリティがある。

焼け野原から経済大国にしてしまうような前に進むことしかできない愚かな日本社会では心機一転という言葉に前向きなイメージが強いが、それは社会の不合理に甘んじるだけの奴隷根性である(林田力「日本社会の非歴史性が問題だ」PJニュース2010年6月26日)。

英介は店を潰した敵である麻生の言葉に流されただけである。それでも一流シェフとなって自分の料理を世界に伝えることに価値を見出す考えも根強いが、その種の心機一転幻想を宝飾デザイナーの金沢亜矢子(矢田亜希子)が打ち破る。彼女の心機一転は会社を解散し、離婚し、レストランを立ち退かせて賃貸マンションを建設するという破壊と逃げでしかない。

英介は世界に通用する一流シェフになることよりも大切なことに気づく。地元の子ども達は「ハラペコキッチンがなくなって寂しい」「父さんの給料日にハラペコキッチン」に来ることが楽しみであったと語る。麻生の申し出を毅然として拒否する英介が決まっている。

「俺らを待ってくれている客がいる限り、ここでレストランをやりたい」

「日本で、あの倉庫で、あの店を続けたい。世界に味を届けるよりも、そばにいる腹が減っている奴らにうまいものを出す。(麻生のような)立派な三十歳になるより、俺にはそれが合っている」

怒った麻生に「あんな店を潰してやる」と言われるが、むしろ英介は「ハングリー精神をかき立てられる」と意気盛んである。ドレスコードのあるフランス料理店を出た途端に英介はネクタイを緩める。社蓄的文化の対極に位置するカジュアルなロックのテイストを体現している。

大楠千絵(瀧本美織)は「英介さんの料理はここだから美味しい。かしこまったら味が出ない」と本質を突いた指摘をする。これに対して、外から覗いていた麻生は「馬鹿だな。芸術は徹底的に完成されているから価値がある」と呟く。

ドラマでは大団円にするために最後は悪役も善人にしてしまうことがある。それは「終わり良ければすべて良し」的な浅はかさと幼稚な筋書きである。「le petit chou」の経営権を奪い、山手太朗(大杉漣)以外は真相を知らないが、ハラペコキッチンも潰した麻生が主人公の導き手となることは白々しい。麻生は悪いだけの人間ではないが、英介とは相いれない価値観の持ち主として、悪役ながらキャラクターに一貫性を持たせた。

『ハングリー!』は英介と橘まりあ(国仲涼子)と千絵の三角関係も魅力である。ドラマでは決着がつかないが、敗者が出ない点で後味がいい。序盤では、レストラン経営に懐疑的なまりあよりも英介の料理に感激する千絵を応援したくなる。しかし、まりあと英介の出会いのエピソードを知ってからは複雑になる。ラストは、まりあが年上女性として余裕を見せて温かい。(林田力)
林田力『こうして勝った』FriendFeed
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林田力:二子玉川ライズ問題
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ハングリー最終回

麻生コーポレーションの甘い言葉に乗っかってハラペコキッチンを廃業した主人公達であったが、現実は甘くなかった。先輩からのパワハラのストレスで酒浸りになった。同性の先輩からセクハラを受ける。麻生も一ヶ月ももたないと予想しており、仲間の切り捨ては織り込み済みであり、醜い資本の論理が明らかになる。
焼け野原から経済大国にしてしまうような前に進むことしかできない愚かな日本社会では心機一転という言葉に前向きなイメージが強いが、それは社会の不合理に甘んじるだけの奴隷根性である。英介達も麻生の言葉に乗っかっただけである。会社を解散し、離婚し、レストランを立ち退かせて賃貸マンションを建てようとするデザイナーも典型である。
レストランがなくなって寂しい、父さんの給料日の楽しみであった、という地元の子ども達の声がある。
「俺らを待ってくれてる客がいる限り、ここでレストランをやりたい。」「日本で、あの倉庫で、あの店を続けたい。世界に味をとどけるよりも、そばにいる腹がへってる奴らにうまいものを出す。立派な三十になるより、俺はそれがあっている。」あんな店をつぶしてやるといわれると、ハングリー精神をかき立てられる。
店を出た途端にネクタイを緩める英介。
英介さんの料理はここだから美味しい。かしこまったら味が出ない。
麻生。馬鹿だな。芸術は徹底的に完成されているから価値がある。
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エアギア

エアギアには空を飛ぶ靴で疾走するという、空を飛ぶことへの憧れと、暴走族的な幼稚な衝動を具現化した要素がある。ヤンキー文化は日本の大衆文化の一要素になっているが、クールジャパンを損なう恥ずかしい要素である。エアギアの最新刊では、その種の恥ずかしい粗暴さに対抗する価値を提示した。
最新刊の前半は眠りの森と空との戦いである。悪役は空である。ひたすら高く飛ぶことを目指す空に対して、眠りの森は森という地に足ついた存在として対抗する。
後半は主人公イッキと空の戦いである。これは軌道エレベーターの最上階から地上へ速く降りる競争である。空高く上ることではなく、地上に到達することに価値があることを暗示している。
昔から「馬鹿と煙は高いところに昇る」と言われるが、残念なことに世の中にはバカが多く、エンタメ作品は馬鹿を相手に成り立っている面がある。そのために空を飛ぶことを魅力的に描く作品も少なくない。しかし、馬鹿の価値観に迎合するだけでは芸がない。空を飛ぶことに価値があるように見せながら、実は上空よりも大地に価値を見出す作品には宮崎駿の天空の城ラピュタがある。ヒーローのパズー天空に浮かぶ島ラピュタに憧れる少年である。彼は空への憧れというナイーブな人々を代表する。しかし、ヒロインのシータは「どんなに優れた科学を持っていても、人は土から離れては生きていけない」と叫び、パズーもシータの決断に同調する。
林田力は東急不動産だまし売り裁判で不動産業者と戦い、景観や住環境を破壊する超高層マンション建設反対運動に共感する。そのような立場にとってエアギアやラピュタに見られる作品に隠された上空よりも大地に価値を見出す思想には大いに勇気付けられる。
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2012年3月23日金曜日

エグザムライ戦国G第一巻

エグザムライ戦国Gはタイトルを一新しているが、エグザムライ戦国の続編である。エグザムライは14人となり、EXILEのメンバー増加に対応する。エグザムライには短銃や大砲で武装した異国の兵士もおり、より何でもありの要素が強まった。林田力
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ジャーナリスト講座DVD林田力

東急不動産だまし売り裁判著者の林田力も出演した「ジャーナリスト講座・すべてを疑え」のDVDが発売中です。真相ジャパンと目覚めるラジオ主催のものです。防衛省・自衛隊・警察・天皇制・自治体・司法・弁護士・労働組合など、あらゆるタブーに切り込みました。
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東急不動産だまし売りの爪痕

読者が東急不動産だまし売り裁判の中の一つの文章にでも、頷いてもらえる部分があれば、それだけで大成功である。東急リバブル東急不動産がマンションだまし売り被害者・林田力に与えた心の傷跡は深い。東急不動産らは二子玉川ライズ反対運動など住民無視の開発に伴う問題が続出している根元に思いを馳せる必要がある。
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2012年3月22日木曜日

エンジェルハート第3巻

エンジェルハート・セカンドシーズンの第3巻である。ハードボイルドなアクションは乏しく、人情色が濃厚である。前半は香に化けたカメレオンの話の続きである。コメディ回と思いきや人情味ある話にまとめた。新宿の住民の香の命日のしのび方がユニークである。日本には嫌な過去を忘れて前を見て生きることを是とする非歴史的な傾向が根強い。その種の前向き圧力が苦しむ人々をますます苦しめ、日本を生きづらい社会にする大きな要因である。これに対して、新宿の住民達は香を決して忘れることなく、楽しく生きている。過去を振り返らないことが、前向きで未来志向という特殊日本的精神論へのアンチテーゼになっている。
この巻で明らかになった香の好きな場所も趣がある。高層ビル街の新宿らしからぬ木々で覆われた小路である。これも二子玉川ライズのような高層ビル主体のバブル経済的再開発へのアンチテーゼになる。
東急不動産だまし売り裁判で不動産会社と戦い、マンション建設反対運動に共感する身には嬉しくなる。エンジェルハートは過去に地上げ屋との戦いも描いており、同じく地上げ屋に苦しめられてきた東急不動産だまし売り被害者と波長が合っている。
前半では香と接点のあった人々の暖かさを描いたが、後半は街の闇を描く。ほのぼのしたコメディ調から人情話になり、急転直下して悲劇になる。話運びは見事である。林田力
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2012年3月20日火曜日

二子玉川ライズ住民訴訟が終結

先にアナウンスした二子玉川ライズ住民訴訟の口頭弁論のレポートを「はやりきドットネット」に掲載しました。住民訴訟は終結しましたが、二子玉川ライズ反対の住民運動を広げる出発点になるものです。
世田谷区長側の陳述には見るべきものがあります。除染に対する公開質問状への福島県内自治体首長の定型的な回答と比べて、一歩踏み出しています。この違いは小さなものですが、これまでの行政の姿勢を踏まえると革新的です。「さすが、保坂展人区長」と政治家としてのセンスを評価します。
末尾の方で先に批判した内ゲバ体質に関して重なる内容を書いています。結構世間は狭いですね。名前が出ている方々と同席したことがあります。
事前にお話することはできませんでしたが、傍聴にお誘いした理由の一つには、訴えの取り下げが話題になった点があります。御承知の通り、取り下げには相手方の同意が必要です。それ故に取り下げをするためにも相手方への根回しが必要です。年末に唐突に訴えの取り下げを申し出た企業の不誠実さが改めて浮き彫りになります。
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憤怒の王国

憤怒の王国は韓国の小説である。ドラマ化され、天皇明仁の即位式で明仁を狙撃するシーンが話題になった。日本政府が放送自粛を要求するなど外交問題になったが、作品は日本の植民地支配に端を発する韓国社会の貧困や苦しみを丁寧に描いている。帝国主義支配の象徴である天皇に怒りが向かうことが納得できる。日本政府にとって自国の象徴が狙撃されるシーンは面白くないが、過去の植民地支配を踏まえれば日本政府の自粛要求は一方的であり、自国の立場にのみ固執したものである。
憤怒の王国はセンセーショナルな作品ではなく、むしろ序盤や中盤はストーリーの方向性が見えずにもどかしいくらいである。そして、辛辣な批判は自民族に対しても向けられている。この点で歴史を歪曲してまでも日本を美化しようとする日本のネット右翼の幼稚さとは対照的である。深い含蓄のある作品をセンセーショナルに反日作品と脊髄反射する傾向は「ムクゲノハナガサキマシタ」に対する反応とも共通する。日本社会の未成熟さを示すものである。林田力
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2012年3月18日日曜日

美味しんぼで東日本大震災特集

「美味しんぼ」最新刊は東日本大震災の被災地を回る「めげない人々」である。生産者との結び付きを大切にする「美味しんぼ」らしい企画であるが、「めげない人々」というサブタイトルは頑張ることを強制する特殊日本的な精神論と重なる。あれだけの大きな災害の後である。めげることが自然である。「頑張れ」ではなく、「休んでください」が優しさである。
尖った社会批判が魅力の「美味しんぼ」だけに、社会の空気と合致したガンバリズム礼賛は物足りない。被災地の現状は個人の頑張りで解決する問題ではない。除染や漁業特区など復興を名目にした利権も動いており、各自が頑張ろうでは済まない問題である。
「美味しんぼ」の批判精神の浅さはパソコンの議論でも見られた。過去に「美味しんぼ」ではウィンドウズを扱き下ろし、Macintoshを持ち上げた。確かにウィンドウズの寡占への反感はある。しかし、オープンの世界でデファクトスタンダードを打ち立てたマイクロソフトよりも、ハードからソフトまで自社で囲い込むアップルの方が消費者に開かれていると考えることは幻想である。現実にアップルは下請け工場での労働者搾取が告発され、企業体質が批判されている。「美味しんぼ」が持ち上げたくなるような企業とは実像が乖離している。この巻では福島第一原発事故の放射能汚染に強く触れないなど遠慮が感じられるが、「美味しんぼ」には骨太の社会批判を期待したい。林田力
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失われたミカドの秘紋

「失われたミカドの秘紋」は陰謀論的な歴史観に立って歴史の新説を提示する小説である。歴史に対する見解や主張は登場人物のセリフとして語られており、著者の思想そのものとはワンクッション置いている。
本書中の思想には容認できないものもある。中国をチャイナと呼んでいる。中華思想に否定的な立場からのものであるが、相手国を無視した呼び方である。これでは現代日本が倭と呼ばれても文句を言えない。
また、偽満州国民であった満州族の人物を登場させ、偽満州国を肯定的に評価させている。その種の考えは偽満州国の特権階級が抱くことはあり得るが、満州族に一般化することは歴史の歪曲・美化になる。さらには漢族がアフリカ発祥の現人類とは異なる北京原人の子孫という悪質なレイシズム思想もある。
救いは日本民族に対しても同じように相対化していることである。中国を貶めて自民族の優位性を主張するネット右翼とは相違する。
そして、問題を差し引いても本書は魅力的な思想を提示する。天皇崇拝者が登場するが、天皇の自由を奪い、自らは天皇の権威に隠れて特権をむさぼる宮内庁を強く批判する。これは日本の官僚機構の国民無視の特権意識に通じる。官僚が国民の声を無視して自らに都合のよいことを行える背景には天皇につながっているという意識がある。それを明快に説明する。
さらに中華人民共和国が天皇制で利益を得ているという嫌中右翼が目を白黒させそうな話も登場する。中国は南京大虐殺や靖国神社参拝では日本を非難するが、天皇制という根本問題では沈黙する。それは中国政府にとって天皇制が利益があるからという。現実に天安門事件での西側世界の非難がうやむやになった契機が天皇訪中であった。天皇制の下で天皇の権威に隠れて官僚が甘い汁を吸っている限り、日本は中国の脅威ではない。逆に日本が共和制になり、国益を考える政治家が登場する方が脅威とする。右翼には国益重視の立場が多いが、国益を害しているものは何か見直す必要がある。林田力
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最高の人生の終り方最終回

ドラマ最高の人生の終り方が最終回を迎えた。広げた物語を上手にまとめた形である。
葬儀屋を主人公とし、タブーとされがちな死生観に迫る好企画であるが、警察に対する描写は甘く、亜流の刑事ドラマの趣もあった点は残念である。警察御用達の葬儀屋が警察官にビール券を贈る。刑事が犯人憎しの思いから犯人拘束後に暴力を振るう。家庭裁判所の検認を経ずに遺言書と思われたものを開封させるなど脚本の粗が目立った。
それでも現役刑事の犯罪を暴く最終回によってバランスをとった。現実の日本の警察ならば事件そのものをウヤムヤにしてしまうだろう。逮捕するとしても、少しでも罪を軽くするために自首という形にするだろう。逃亡の恐れがないなどと身内に甘い理由を付けて、身軽拘束をしないこともある。それを踏まえれば喫茶店という人目に付く場所で手錠をかける演出は爽快である。
お清めについても最後は「お清めは受け取らない主義だから」と公務員倫理に配慮した。
主人公とヒロインの距離が一ミリも進展しない点で異色のドラマであったが、最終回で進展し、上手に話をまとめた。林田力
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『ハングリー!』夢や生活を破壊する立ち退き:林田力

フジテレビ系ドラマ『ハングリー!』が、2012年3月13日に第10話「最後の客を最高の仲間と料理で」を放送した。最終回を前にして急展開になる。東急不動産だまし売り裁判のような不動産トラブルに苦しむ人々にとっては残念な展開になった。

ハラペコキッチンに解散の危機が迫る。麻生時男(稲垣吾郎)の誘惑には動じなかった山手英介(向井理)らであったが、意外なところに問題があった。大家・金沢亜矢子(矢田亜希子)からの立ち退き要求である。

この大家は味覚音痴という点で料理をテーマにしたドラマの価値の対極にある。立ち退きを迫る人物にネガティブなイメージを与える効果的な演出である。物件を管理する不動産業者の名前は阿久徳不動産であり、悪徳不動産と同じ響きという遊び心もある。

英介らは別の場所で営業を続けようと物件探しを始めるが、家賃や開店費用の問題で思うようにいかない。立ち退きによって商店主の夢や生活が潰れてしまうことも、立ち退かされた後に心機一転できないことも日本社会の現実を反映したリアリティがある。

東京都世田谷区では東急電鉄・東急不動産らの進める二子玉川ライズによって数多くの商店主が閉店を余儀なくされた(林田力『二子玉川ライズ反対運動』)。品川区の大井町の東急大井町線高架下の店舗は東急電鉄から立ち退きを迫られ、路頭に迷わせられようとしている(林田力「東急電鉄が大井町線高架下住民に立ち退きを迫る」)。

社会性のある展開であるが、提示された解決策には社会性もリアリティもない。店を潰すために画策した麻生の筋書き通りで終わってしまう。事前の宣伝で「ハラペコキッチンに解散の危機」と煽っておいて、本当に解散してしまうならば芸がない。

もともとフランス料理の格式を無視したロッカーのフランス料理というミスマッチがドラマの魅力である。フレンチの格式を無視している点は麻生から酷評され、それに乗せられて英介も高級店志向に走って仲間との関係にひびが入った(第7話「覆面調査員は見た!友情と恋亀裂!店は分裂」)。

しかし、英介は考えを改め、自分達の原点に立ち戻ることで危機を乗り越えた。ハラペコキッチンはフレンチの格式を求めず、ロックテイストのフランス料理店であると再確認された。それにも関わらず、最後で麻生の計画に乗って本格的なフレンチ・シェフを目指すならばドラマで提示された価値の論理矛盾になる。

麻生の立ち位置は主人公の厳しい導き手よりも、主人公を潰しにかかる本人は大真面目な道化役がふさわしい。麻生の渾身のプロポーズも主人公が歯牙にもかけないから笑いになるのであって、主人公が受けてしまったら二人して気持ち悪い精神世界に突入することになる。それを周囲の登場人物も応援するならば、カルト的な自己啓発の世界になってしまう。

大楠千絵(瀧本美織)の最後の食事のシーンは心温まる感動的な展開になったが、それは英介の経営するカジュアルな店だから成立する。麻生コーポレーションの経営する店では無理である。金持ち相手に高級料理を提供することが、これまでドラマが志向してきた料理人の価値ではない。庶民的な食いしん坊の千絵を喜ばせることは料理人の価値である。

麻生の計画に乗ってハラペコキッチンを閉めることは、もっともらしい言い訳で取り繕っても、自分達の提供した価値を失う敗北である。救いは閉店後に主人公が悔し涙を流したことである。焼け野原から経済大国にしてしまう前に進むだけの愚かなガンバリズムに囚われていない。タイトルにあるハングリー精神を貫けるか最終回の展開が注目される。
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2012年3月17日土曜日

ハングリー十話の立ち退きの残念

ハンガリー十話は最終回を前にして急展開になる。東急不動産だまし売り裁判のような不動産トラブルに苦しむ人々にとって残念な展開になってしまった。
ハラペコキッチンに解散の危機が迫る。危機の要因は麻生(稲垣吾郎)の誘惑ではなく、大家の立ち退き要求であった。この大家は味覚音痴という点で料理をテーマにしたドラマの価値の対極にある。立ち退きを迫る人物にネガティブなイメージを与える効果的な演出である。
主人公(向井理)達は別の場所で営業を続けようと物件探しを続けるが、家賃や開店費用の問題で思うようにいかない。立ち退きによって営業者の夢や生活が潰れてしまうことも、立ち退かされた後に心機一転できないことも日本社会の現実を反映したリアリティがある。
東京都世田谷区では東急電鉄・東急不動産らの進める二子玉川ライズによって数多くの商店主が閉店を余儀なくされた。品川区の大井町の東急大井町線高架下の店舗が東急電鉄が立ち退きを迫られ、路頭に迷わせられようとしている。
しかし、ドラマのストーリーにはリアリティはない。店を潰すために画策した麻生の筋書き通りで終わってしまう。もともとフランス料理の格式を無視したロッカーのフランス料理という点がドラマの魅力であった。フレンチの形式無視は中盤の麻生との食事対決で酷評され、それに主人公も心を動かされて仲間との関係にひびが入ったが、自分達の原点に立ち戻ることで危機を乗り越えた。それにも関わらず、最後で麻生の計画に乗るならばドラマの論理矛盾になる。麻生の立ち位置は主人公の厳しい導き手よりも、主人公を潰しにかかる本人は大真面目な道化役がふさわしい。麻生の渾身のプロポーズも主人公が歯牙にもかけないから笑いになるのであって、主人公が受けてしまったら二人して気持ち悪い精神世界に突入することになる。それを周囲の登場人物も応援するならば、カルト的な自己啓発の世界になる。
チエの最後の食事のシーンは心温まる感動的な展開になったが、それは主人公の営業するカジュアルな店だから成立する。麻生コーポレーションの経営する店では無理である。金持ち相手に高級料理を提供することが料理人の価値ではない。庶民的な食いしん坊のチエを喜ばせることは料理人の価値である。麻生の計画に乗ってハラペコキッチンを閉めることは、もっともらしい言い訳で取り繕っても、自分達の提供した価値を失う敗北である。救いは閉店後に主人公が悔し涙を流したことである。焼け野原から経済大国にしてしまう前に進むだけの愚かなガンバリズムに囚われていない。林田力
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『平清盛』佐藤義清の出家で二極分化

大河ドラマ『平清盛』の人気が二極分化している。視聴率はふるわないものの、マニアックな人気が高い。知名度は低いが、悪左府・藤原頼長(山本耕史)や後の信西である高階通憲(阿部サダヲ)ら魅力的なキャラクターを魅力的に描いている。源義朝(玉木宏)の関東下向など本筋と直結しない話にも目を配り、後に源頼朝(岡田将生)が関東で大勢力を築くことができた背景が理解できるようになっている。

高階通憲の登場シーンは平清盛(松山ケンイチ)が掘った落とし穴に落ちたというものである。これは単なるドタバタギャグに見えるが、平治の乱で穴の中に隠れていたエピソードを知っている歴史ファンには面白さが倍増である。一方で、このような演出は一般の視聴者を置き忘れてしまう危険がある。

後の西行である佐藤義清(藤木直人)の出家シーンも同じである。出家する義清が娘を蹴っ飛ばすエピソードは有名である。普通は義清が出家を宣言し、それを思いとどませようとした娘を振り切るために蹴っ飛ばす。ところが、3月12日放送の第10回「義清散る」では脈略なく義清が娘を蹴っ飛ばした。蹴っ飛ばした理由は描写されない。これでは単なるドメスティック・バイオレンスである。この演出の評価も二極分化している。

もともと義清が娘を蹴っ飛ばすエピソードは俗世の縁を断ち切ろうとする強い意思の表れと解釈されている。歴史ファンからすれば最初から俗世を捨てるという出家者の価値観に立っており、蹴っ飛ばすことに問題は感じない。むしろ義清の娘が登場した時から「この娘を蹴っ飛ばすのか」と期待しながら観ている。

それ故に唐突に蹴っ飛ばしたとしても驚きは少ない。既に歴史エピソードとして理解しているためである。むしろ、鎌倉時代に熊谷直実が領地をめぐる訴訟が思うように進まずに激情して出家したことを踏まえれば、義清の突発的行動にもリアリティが出てくる。

しかし、歴史エピソードのコンテキスト抜きでドラマだけを見るならば説明不足である。児童虐待に育児放棄にしか見えない。子どもを亡くした親も多い東日本大震災から1年後の翌日に放送する内容としては大胆である。

過去のエピソードを現代的価値観で一刀両断することは野暮との考えも一理あるが、一方で『平清盛』は純粋に過去の話というだけでなく、現代の世相にマッチしている点も魅力である。朝廷政治の行き詰まりは現代の政治に重なる。

第5回「海賊討伐」では高階通憲が海賊の正体を「為政者に虐げられた、か弱き民」とし、「己のことしか考えぬ者達が政治をしていることが元凶」と批判する。海賊をテロリストと言い換えれば、対テロ戦争を進める側への批判そのものである。天皇家の性の乱れとドロドロした関係を描くことは菊タブーへの挑戦にもなっている。「過去の価値観は現代と違う」で逃げることなく、現代社会に問題提起するドラマを期待する。(林田力)
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平清盛の人気の二極化

大河ドラマ平清盛の人気が2極分化している。視聴率はふるわないものの、マニアックな人気が高い。知名度の低い時代ながら、悪左府や信西ら魅力的なキャラクターを魅力的に描いている。源義朝の関東下向など本筋と直結しない話にも目を配り、後に源頼朝が関東で大勢力を築くことができた背景が理解できるようになっている。
信西の登場シーンでは穴にはまっている。これは単なるドタバタギャグに見えるが、平治の乱で穴の中に隠れていたエピソードを知っている歴史ファンには面白さが倍増である。一方で、このような演出は一般の視聴者を置いてけぼりにしてしまう危険がある。
西行の出家も同じである。出家する西行が娘を蹴っ飛ばすエピソードは有名である。出家を宣言した西行を思いとどまらせようとした娘を振り切るために蹴っ飛ばすという展開が定番である。ところが、ドラマでは脈略なく西行が娘を蹴っ飛ばした。これでは単なるドメスティック・バイオレンス、児童虐待である。
西行のエピソードを知っている視聴者は娘が登場した時から「この娘を蹴っ飛ばすのか」と期待しながら観ている。それ故に唐突に蹴っ飛ばしたとしても驚きは少ない。コンテキストは既に歴史エピソードとして理解しているためである。しかし、エピソードを知らない視聴者には脈略のない意味不明な行動になる。
平清盛は朝廷政治の腐敗から武士の時代の到来を肯定的に描き、天皇家のドロドロを直視するなど菊タブーに挑戦する大胆な歴史観を提示している。このために二極化せずに幅広い視聴を期待したい。林田力
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銀魂の月詠の格好良さ

将軍家討ち入りというスケールの大きな話になった。ボケ役が多い中で月詠のシリアスさが際立つ 。吉原炎上編で強烈な存在感を放ち、キャラクター人気投票の上位に輝き、すっかりレギュラーの一員になった月詠。しかし、吉原炎上編のインパクトは弱まり、キャラの立ち位置が分かりにくくなった。月詠をフィーチャーした紅蜘蛛編も今一つであった。酒乱や純情というギャグパート用に無理に付けたような属性も、しっくりこない。その中で将軍家討ち入りでの月詠は格好良さを見せている。やはり月詠は他人のために戦うところに魅力がある。林田力
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東急不動産だまし売り裁判の嵐

東急不動産だまし売り裁判は時には嵐のように、時には静かな水の流れのように語られている。東急不動産だまし売り裁判を読むと体が小刻みに震えてしまう。全身を戦慄が走る。東急不動産だまし売り裁判は歴史の悲劇である。遠い昔の歴史ではなく、最近の生きた歴史である。
あれほど東急不動産に辱められながら堂々と立っていた林田力の心情を考えると、一体どれほどの力が林田力にあれほどの忍耐力を与えたのか不思議である。東急不動産は独断的で利己的で、恥知らずであった。東急不動産がのさばって、ひもじい人間が飢えて死んでいく日本では希望がない。
不買運動家の出してくれた茶の温かさが林田力の全身を柔らかく包んだ。それだけで東急リバブル東急不動産の不誠実に触れて凍てついた全身が溶けていくようであった。
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覇SOUL

異色の三国志である。劉備が倭国の大軍を率い、中華を女王卑弥呼に服属させようとする。実際のところは当時の倭国は中国から鏡をもらってキャッキャと喜んでいたレベルであり、現実味には欠ける。他にも趙雲が女性で、呉がキリスト教を信奉するなどユニークな設定が目白押しである。関羽と張飛が劉備から離反するなど史実として伝えられている内容からも大きく逸脱している。劉備が倭人、呉がローマの剣闘士奴隷を率いており、国際色豊かである。漢民族中心の中華思想の歴史観とは異なるフィクションを提示する。林田力
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らぶきょん完結

「らぶきょん」は韓国ドラマ宮の原作となった韓国のマンガである。最終巻の日本語版が出版された。
現代の韓国に皇室が存続していたら、という架空設定でイマドキの女子高生が皇太子妃になるというシンデレラ・ストーリーである。ドラマが日本でも放映されると、冬のソナタなど中高年中心であった韓流ブームを少女にまで広げることになった。韓流を世代を超えた国民的ブームにした立役者とも言うべき作品である。
日本では原作以上にドラマで知られている作品であるが、原作には原作の味がある。ドラマはラブコメを基調にしながらも、シリアスなシーンではシリアスに徹し、視聴者を泣かせた。これに対して漫画はシリアスなシーンでもギャグや作者の突っ込みが入り、シリアスに徹していない。ドラマに感動した向きには残念な演出になるが、お涙頂戴で安易な人気取りを目指さない作品の芯の強さが存在する。
ストーリーはドラマ以上に深刻である。皇太子夫妻は完全に破局し、離婚する。一般人に戻ったチェギョンには新しい彼氏もできる。この状態から最終巻は開始する。愛する二人をもってしても、皇室という制度の壁は高い障壁となっている。
ドラマでは渋い父親になっている皇帝であるが、漫画ではアイドル好きの若作りである。チェギョンとシン王子、ユル王子、ヒョリンと若者の物語であったドラマに対し、漫画では皇帝が義姉との愛憎入り混じる戦いや皇后との愛に主体的に関わっている。
ドラマでは最後に改心して身を引くというステレオタイプな悪役のユル王子母子であったが、マンガでは過去の罪を直視しながらも、ふてぶてしさを保っている。このポジションは珍しい存在である。過去を反省せずに悪事を繰り返す悪人か、罪を認めて主人公の信奉者に豹変する節操なしに二極化する傾向がある。ドラマではシン王子派とユル王子派に人気を二分したものの、ユル王子派からすればユル王子が可哀想すぎて救われない展開であった。マンガのユル王子のラストも自意識過剰すぎて別の意味で可哀想であるが、その自信と明るさは救いである。林田力
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2012年3月15日木曜日

平清盛の画面の汚さの理由

平清盛の画面の汚さは日本社会の後進性を象徴する。画面の汚さは時代状況を再現する意図が込められているとされる。これに観光地としての魅力をアピールしたい兵庫県知事が食いついた形である。自動車の排気ガスも視界を妨げる高層ビルもない平安時代が現代よりも暗く汚いとは一概に言えない。
暗く汚い画面は当時の環境の再現よりも、朝廷政治が行き詰まった世相を演出するためのものである。この点で幕末の封建社会の行き詰まりを出発点とした龍馬伝が暗く汚い画面であったことと共通する。
暗く汚い画面は社会の反映である。社会の閉塞感を打ち破る主人公の明るさを際立たせる効果がある。そのような主人公として坂本龍馬はうってつけのキャラクターであった。暗く汚い画面にも関わらず、福山雅治演じる龍馬は同時期に放送された仁の龍馬よりも綺麗過ぎると言われたほどである。
これに対して平清盛は松山ケンイチ演じる主人公が汚い。これは不幸な生い立ちを知って無頼となった清盛の心象風景を反映するが、問題は清盛の無頼に共感できないことである。
第1回は清盛の父親の平忠盛が主人公であった。朝廷の番犬である武士の虚しさ、白拍子の舞子との心温まる交流、白河法皇への命がけの訴え、白河法皇の非情な命令が描かれ、大いに感情移入できた。
それに対して成長した清盛は衝撃的な生い立ちを知ったショックがあるとは言え、父親の気持ちを知らない親不孝者にしか見えない。清盛の無頼はグレたヤンキーと同レベルで、大河ドラマの主人公にふさわしくない。これでは人気がでなくても仕方がない。
清盛は海賊征伐で清盛に出生の秘密を教えた兎丸と再会し、鬱屈した怒りをぶつける。これによって無頼から卒業できたが、その後の「光らない君」でも依然として清盛は汚い。雅な朝廷と粗野な武家という対比を狙っているが、貴族化した武家という平家のイメージに合わない。源氏への敗北によって平家の貴族化は弱体化というマイナスイメージがあるが、平家の公達は伝統的な公家以上に雅で宮中の人気を誇った。平家は武力だけでなく、洗練さでも公家を圧倒した。
姫君は未だに王朝文化の世界にいる姫たちは汚い風景や主人公を対比させる筈であるが、汚さを払拭するまでには至っていない。誰も彼も第一印象は最悪であるが、惹かれていくというステレオタイプで恋愛物としては底が浅い。
汚い画面の中で輝いているものは当時の先進国・宋からの輸入品である。密貿易で入手した宋の文物を都で売る兎丸達を信西は庶民に先進文化を触れさせると高く評価する。ここには当時の日本は後進国であり、中国の文明に学ばなければならないが、守旧的な支配層によって妨げられているという視点がある。
この視点は物議を醸している王家の用語使用に積極的な解を与えるものである。実は王家という言葉が時代考証的に正しいかという点は議論の本質ではない。当時の天皇家を指して王家という言葉が使用されていたという史料が提示されたとしても、批判派は納得しない。皇帝よりも格下の王という表現を選択した意図が問われているためである。林田力
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薄板(うすいた)

薄板(うすいた)は花入を畳敷の床に置く時に下に敷く板である。薄板には「矢筈板(やはずいた)」「蛤端(はまぐりば)」「丸香台(まるこうだい)」の三種があり、花入により使い分ける。それぞれ真・行・草の格となる。
「矢筈板」が最も格が高く、真の格式をもつ。 真塗で板の木口が矢筈(弦につがえるために凹字がたになった矢の頭部)形で、上側の寸法が下側より一分大きく、広い方を上にし、古銅・青磁など「真」の花入に用いる。寸法は一尺四寸三分×九寸三分五厘(約43cm×約28cm)で厚さが二分五厘である。
「蛤端」は、木口が蛤貝を合わせたような形で、砂張・施釉の国焼など「行」の花入に用いる。溜塗が典型であるが、真塗や掻合せ塗もある。木地の蛤端は草の扱いとなる。寸法は一尺三寸四分×九寸五分五厘(約40cm×約29cm)、厚さが二分五厘である。
「丸香台」は円形で縁も丸みを帯びている。掻合せ塗で、伊賀・竹の花入などの「草」の花入に用いる。寸法は直径一尺五分と一尺の2種類あって、厚さは三分五厘である。
薄板を用いない場合として、板床の場合と籠の花入の場合がある。籠の花入に薄板を用いない理由は籠自体が中の花入の薄板の役割を果たすためである。歴史的には『茶話指月集』のエピソードに由来する。「古織(古田織部)、籠の花入を薄板なしに置かれたるを、休(利休)称(賞)して、古人うす板にのせ来たれども、おもわしからず。是はお弟子に罷り成るとて、それよりじきに置く也」。例外として名物唐物籠には薄板を敷くこともある。
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2012年3月14日水曜日

二子玉川ライズ住民訴訟会見

東京高裁に係属中の二子玉川ライズ住民訴訟が3月13日の口頭弁論で和解的解決で終結した。住民訴訟が和解的な解決で決着することは極めて異例である。住民と行政が話し合える関係に入れたことが今回の解決の背景にあり、その成果が今後は注目される。
口頭弁論では最初に住民側から陳述がなされた。続いて世田谷区長側から陳述がなされた。これを受けて住民側から訴えの取り下げが提起され、世田谷区長側が取り下げに同意した。さらに住民から意見陳述がなされた。最後に裁判所から、紛争を予防・解決し、街の発展のために双方が努力することを期待するとの発言がなされた。
形式的には住民側の訴えの取り下げによる終結であるが、裁判所の働きかけを受け、世田谷区長側から住民参加などの発言を引き出した上でのものであり、和解的解決と評価できるものである。もともと住民訴訟は私権の回復を求める通常の民事訴訟とは異なる。行政に再開発の問題点や住民参加の必要性を認めさせたことは住民運動にとっては勝利と評してよい。
一方で住民側と世田谷区長側には依然としてギャップがあることも否めない。
第一に風害など二子玉川ライズの被害について、住民側は世田谷区が主体的に解決すべき街づくりの問題と位置付ける。これに対して世田谷区は一義的には事業者の問題で、自らは事業者に解決を働きかける存在としている。再開発組合には行政任せの無責任な姿勢があり、住民にとっては、たらい回しの無責任体制になりかねない。
第二に公共性についてである。二子玉川ライズは分譲マンションや賃貸オフィス、ショッピングセンターと公共性と無縁な営利目的の再開発である。そこに膨大な税金が投入されることへの批判も強い。これに対して世田谷区長側は図書館などの公共スペース拡大に言及する。しかし、住民側は低層住宅地や公園予定地の都市計画を開発目的のために変更し、超高層ビルを建設できるようにしたことを公共性に反する街づくりと主張する。超高層ビルに公共施設が入ったとしても、住民の問題意識の回答にはならない。税金の使い方の観点では公共施設が再開発ビルを賃貸することは税金の無駄遣い、税金による再開発の尻拭いになる。
二子玉川ライズ住民訴訟は判決によらない解決をしただけでも異例であるが、内容にも注目すべき点がある。
第一に裁判官が最後に今後の両当事者の努力に期待する発言をしたことである。裁判の終結で終わりでないことを宣言している。住民訴訟でこそ和解は珍しいが、反対に民事訴訟で裁判所は和解に熱心である。そこには当事者の利益よりも、上訴させずに紛争を現在の裁判限りで終わらせてしまおうという発想がある。これは判決を書きたくないとか仕事を少なくしたいという怠け者の公務員根性があるが、法学の世界では紛争の一回的解決や訴訟経済なる用語でもっともらしく正当化されている。重要なことは表向き「和解で終わらせた方が互いにとっていいですよ」と言ったところで、当事者の利益以外の動機で和解が勧められることである。そのために当事者を脅迫するような形で説得し、何が何でも権利主張を諦めさせるような当事者無視の進め方も横行している。これに対し、二子玉川ライズ住民訴訟では裁判所が訴訟後も当事者間での話し合いによる継続的な努力を求めている。さっさと紛争を終わらせてしまおうという悪しき和解推進論とは対極にある。
第二に住民側の陳述と世田谷区長側の陳述を並べて口頭弁論長所に記録したことである。前述のように住民側と世田谷区長側の陳述にはギャップがある。その違いをそのまま認めて記録する。何らかの合意なり妥協を強制するのではなく、ギャップを今後の双方の話し合いの出発点にする。これは二子玉川ライズ反対運動の成熟を示すものである。
自分の考えだけが唯一絶対であり、相違を認めない偏狭な発想は、日本の行政にも市民運動にも見られる悪癖である。往々にして市民運動は権力の独善に苦しめられているが、残念なことに市民運動家の中にも、この種の偏狭さが見られる。その種の人々は最後には同じような人々の僅かな差異を取り上げて攻撃する内ゲバを展開し、破壊しか残らない。権力側にとっては矛先がそれて万々歳となる。
二子玉川ライズ二期事業の取り消し訴訟で中間判決がでる予定。
二子玉川ライズで支出された税金は合計425億円。世田谷区は二子玉川ライズ補助金の圧縮を目指すと表明。
住民訴訟は財務会計行為ということで、再開発の問題を提訴できるか。都市計画における公共性とは何かを追及した。世田谷区民に広く訴える。区議会でも党派を超えて問題意識を高める。
二子玉川ライズオフィスに入るデジタルコンテンツ事業の失敗。補助金行政の弊害を明らかにした。今後も関連する問題が動いている。現地は風害が酷く、危険な街になっている。
原告団次長・志村。二子玉川ライズは六本木ヒルズに比べても、桁外れの補助金が投入されている。スーパー堤防、外環道、デジコン集積という国策開発が重なる。勝手に二子玉川にデジコン産業を集積すると決められた。引き続き、世論や議会に訴える。住民主体の街づくりに変える。原子力村や建築村から脱却する。
今からでも間に合う。代替案を作って提案する。様々な地域の団体と一緒に手をつないで活動する。パブリックコメントでは再開発賛成意見は皆無。環境を破壊する再開発はおかしいという意見が圧倒的であった。新しい一歩を踏み出すことが今日と考えている。
住民参加について。飯岡。既に区長と会って話す。職員も態度が変わっている。質問に答える。住民と行政が話し合うシステムを作った方がいいと課長の方から発言している。風害に苦しむ住民が話し合いをしている。話し合いは既に行われている。
志村。民主主義のあらゆるルートを使って訴える。世田谷区議会で最も議論が集中したテーマは二子玉川である。木下議員は見積もりが杜撰であったとして補助金カットを主張。全会派と懇談して、二子玉川ライズに問題があることにはコンセンサスが得られている。あらゆる民主主義の場で追及する足掛かりができた。簡単ではないが、状況はできている。林田力
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ストロベリーナイトソウルケイジ

ストロベリーナイトのソウルケイジで「中林建設に殺されたようなものですね。」という台詞があった。中林建設のマンション建設の地上げ被害を受けて心労で亡くなった住民を指した言葉である。店に猫の死骸を放り投げられるなどの嫌がらせを受けた。
現実では同じように「東急不動産に殺されたようなものですね」との台詞が当てはまる住民も多いだろう。東急不動産だまし売り裁判では東急不動産のために働いた地上げブローカーが証人尋問でマンション建設地を地上げしたと証言した。林田力「東急不動産だまし売り裁判」にまとめられている。
渋谷区桜丘町では暴力団員が地上げしたビルを東急不動産が購入している。
世田谷区の二子玉川ライズ周辺では超高層ビル建設などの環境激変により、体調を壊し、亡くなる住民が出ている。まさに東急不動産により殺されたようなものである。
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2012年3月11日日曜日

『ストロベリーナイト』ソウルケイジ、地上げ屋に殺されたようなもの

フジテレビ系ドラマ『ストロベリーナイト』が第9話「ソウルケイジ前編」を3月6日に放送した。ここでは「奥さんは中林建設に殺されたようなもの」という台詞が登場する。中林建設のマンション建設の地上げ被害を受けて亡くなった住民を指した言葉である。高岡賢一(石黒賢)の実家にあるマンションは中林建設が建てた。中林建設の関連企業「中林ハウジング」が暴力的な地上げをした。高岡賢一の母親は店に猫の死骸を放り投げられるなどの酷い嫌がらせを受けて亡くなっていた。

現実では同じように「東急不動産に殺されたようなものですね」との台詞が当てはまる住民も多い。東急不動産だまし売り裁判では東急不動産のために働いた地上げブローカーが証人尋問でマンション建設地を地上げしたと証言した(林田力『東急不動産だまし売り裁判 こうして勝った』ロゴス社、57頁)。

渋谷駅桜丘口地区市街地再開発の対象地域の渋谷区桜丘町では暴力団員による賃借人への暴力的な地上げが行われた雑居ビルを東急不動産が地上げ会社から購入した。賃借人は東急不動産に抗議した(山岡俊介「本紙既報の東京・渋谷再開発地区違法地上げ(最終とりまとめは東証1部大手不動産会社?)で、暴力団組員など逮捕に」アクセスジャーナル2008/07/18)。

東急電鉄・東急不動産が主体となって進める世田谷区の再開発・二子玉川ライズ周辺では超高層ビル建設などの環境激変により、体調を壊し、亡くなる住民が出ている(林田力『二子玉川ライズ反対運動』マイブックル)。まさに東急不動産により殺されたようなものである。
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相棒

ドラマ相棒には環境エヌピーオー日本丸が登場するが、日本が豊かで美しい国にするという右翼チックな組織が登場する。日の丸をイメージしたシンボルマークで、オフィスに日の丸を掲げ、富士山の写真を事務所に飾る。金が目当ての団体と指摘される。三島由紀夫の盾の会のような制服を着ている。
特捜トリオも独自に同じ日本丸にたどり着く。最近は特命係の引き立て役ばかりであったトリオの見せ場である。林田力
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不見当は卑怯な裁判用語

不見当は卑怯な裁判用語である。相手方から文書や物件の提出を求められた当事者が「見当たらない」という意味で使われる。自分にとって不利な証拠を出したくないが、そのような物は存在しないと回答したら、公開法廷で嘘をつくことになる。そこで不見当と、ごまかす。このように回答すれば、後で物の存在が発覚した時も嘘は付いていないと、言い訳することができる。
この不見当は主に弁護人から証拠となる物件の提出を求められた検察官の回答に使われる。たとえば冤罪事件の布川事件でも検察官が不見当と回答した。痴漢冤罪を取り上げた映画「それでも僕はやってない」にも不見当は登場する。弁護団から不誠実な回答として批判されている不見当を民事訴訟で嬉々として使用するところに被告代理人の弁護士としての社会性の欠如を物語る。腐っているどころか、液状化している外道ぶりである。
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『白竜LEGEND 21』東急建設の暴力団下請け発注を連想

天王寺大原作、渡辺みちお画『白竜LEGEND 21』(日本文芸社、2011年)は『週刊漫画ゴラク』に連載中のヤクザ漫画の単行本である。黒須組の若頭・白竜こと白川竜也を主人公とした作品である。話の中心は暴力団のシノギである。

この巻は前巻からの続きである「紛争ダイヤモンド」編が完結する。アフリカの紛争、人道犯罪という壮大なスケールで描いた「紛争ダイヤモンド」編であるが、暴力に翻弄されたホステスの覚悟が光る。

次の「湯けむり極道」は暴力団排除の風潮の中で温泉にも行けなくなったというヤクザの置かれた厳しい状況を背景としつつも、息抜き的な話題になった。強面の敵役であった剛野一成・王道会理事長も、すっかりコミカルな役が板についている。かつて部下の前で若頭・赤石誠を侮辱する暴君であった剛野組長も、今では新たな若頭・柳川の忠告に耳を傾けるという変化を遂げた。

最後の「野獣空港」編は空港建設という超巨額の利権を巡り、表と裏の住人が暗闘を繰り広げる話である。これは建設会社の不正がテーマで、現実の黒社会の事件にリンクしている。手抜き施工で金儲けを企む建設会社が暴力団を使って不正を揉み消させようとする。銀座戦争で登場した赤垣組長が剛野組長に代わって敵役になっている。

東急建設が2002年から暴力団系の建設会社に下請け工事を発注していたことが明らかになったばかりで、タイムリーな話題である。『白竜』では暴力団による東急電鉄株式買い占めを素材にしたエピソードもあった。現実の黒社会の事件を素材にする『白竜』のリアリティーに注目である。
http://hayariki.net/manga.htm#18

2012年3月10日土曜日

バクマン一話完結じゃない

漫画家を主人公とした漫画バクマン17巻で一話完結じゃない一話完結という手法が紹介された。これは漫画家が自己の過去の作品を読み返し、そこで登場した設定を伏線のようにして、新たな話に活かす手法である。
練り込まれた長大な伏線はマンガ作品が人気を集める大きな要因である。ワンピースでは序盤で海賊見習い時代に喧嘩するシャンクスとバギーを殴る人物が登場する。海賊船の船長のようなポジションであるが、何故か船長とは呼ばれていなかった。その人物が中盤に入って副船長だったことが明らかになる。このような練り込まれたストーリーが人気の秘訣である。
伏線とは対照的に恥ずかしいとされるものが後付け設定である。ワンピースは最初から構想された緻密な世界観が魅力であるが、人気作にはアンチも生じる。第一話で、あっさりと自分の片腕を奪われてしまうシャンクスが、物語が進むと四皇の一人という世界最高クラスの海賊になっている。シャンクスを四皇とすることは後付け設定ではないかと批判される。
問題は後付け設定は、それほど恥ずかしいことか、ということである。漫画家や小説家の卵が陥りがちな失敗に設定を細部まで詰めることに注力して、それで終わってしまい、作品を仕上げられないというケースがある。これは後付け設定恐怖症というべき失敗例である。
これに対してバクマンの一話完結じゃない一話完結は最初から後付け設定を目指しているが、それは努力の賜物である。自己の作品を丹念に読み返して使えそうなネタを探し出す。漫画家は後付け設定のために大変な努力をしている。自己の過去の作品を大切にする作者でなければ後付け設定はできない。後付け設定を嘲笑する傾向に対して、バクマンは後付け設定の価値を宣言している。林田力
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無頼伝 涯』独裁権力に対する市民運動家の勇気と重なる

福本伸行『無頼伝 涯』は『週刊少年マガジン』に連載されていた漫画である。冤罪に陥れられた少年・工藤涯の自らの無実の証明と人権無視の更生施設「人間学園」からの脱獄するための闘いを描く。ラストの囚人達への犯行の呼びかけは、独裁権力に対する市民運動家の勇気と重なる。

人間を犬扱いする人間学園の狂気は福本作品ならではの想像力を発揮している。読者がトラウマになるような設定である。『週刊少年マガジン』連載時は人気が出ずに打ち切りとなった作品であるが、このような作品が少年誌に連載されたこと自体がチャレンジャブルである。

作者は『賭博黙示録カイジ』のようにギャンブルや駆け引きを得意とするが、この作品は冤罪を晴らし、社会悪と対決し、自由を獲得するストレートな結末となった。悪人はどこまでも悪人という明快さがある。これは林田力『東急不動産だまし売り裁判 こうして勝った』と同じである。表面的に社会派を気取るならば悪人側にも事情があるというようなことを書きたくなるが、そのような甘さでは社会悪を描けないことも事実である。
http://hayariki.net/manga.htm#8

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久保帯人の漫画ブリーチbleachの死神代行消失編が完結した。長かった展開の割にはラストはハイテンポでまとめている。主人公に迷いがなければ敵を圧倒できるという、努力よりも信念重視の良くも悪くも現代的な作品の傾向を踏襲した。
バトル物では主人公側に都合のよい論理や正義が振りかざされることが少なくない。これに対して死神代行消失編の黒崎一護はソウル・ソサエティの仕打ちに怒りをぶつけるだけの資格がある。しかし、それをせずに護る側に立った。
さらに戦う敵に対しても、奇麗事の正義論をぶつけるのではなく、相手の論理を理解した上で対峙している。自分の考えを唯一絶対とし、相手の話を聞く能力もなく、頭ごなしに遮ることで議論に勝ったと勘違いする低級な連中とは異なる。黒崎一護は魅力的なヒーロー像を提示している。林田力
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二子玉川ライズ住民訴訟口頭弁論

二子玉川ライズ住民訴訟の口頭弁論が3月13日に東京都千代田区の東京高等裁判所808号法廷で開催される。東京都世田谷区の住民が二子玉川東地区市街地再開発・二子玉川ライズへの補助金投入を違法として世田谷区長を提訴した裁判である。住民側は口頭弁論終了後に記者会見も予定している。
東急電鉄と過去の世田谷区長の密約により、都市計画公園予定地が駅から離れた場所に移動され、東急が駅前に高層ビルを建設することが可能になった。これを都市計画法に違反するなどと住民側は主張する。
その後の世田谷区長選挙で大型開発の見直しを掲げる保坂展人氏が当選し、被告である世田谷区長の対応が注目されていた。林田力
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東急不動産だまし売り裁判の真実

東急不動産だまし売り裁判における東急不動産の態度は自らを安っぽく貶めるものであった。東急不動産だまし売り裁判は、不都合な事実を隠そうとする悪徳不動産業者にとっては挫折を与えるものである。ゼロゼロ物件業者と一体化した東急不動産工作員による林田力への脅しが止まないのも東急不動産だまし売り裁判が致命傷になると愚か者が悟っているからである。消費者に有害な点において、東急不動産とゼロゼロ物件業者の違いは足袋と靴下ほどのものである。東急不動産のマンション購入者には悲運と悲劇が渦巻いていた。
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2012年3月8日木曜日

ビリーバット

登場人物達の行動も虚しく、歴史として知られている通りにケネディ大統領が暗殺され、オズワルドの単独犯と判断され、オズワルドも暗殺される。過去を舞台としたSF作品は歴史のイフが醍醐味であるが、その結果として史実から離れすぎると物語が収拾つかなくなる。ケネディ暗殺の顛末をあっさりとまとめたことは物語が現実の一側面らしさを失わない効果を持たせる。
舞台は再び日本に移る。畳にも座り慣れないという日系人ジャッキー・モモチの日本人離れしたスタンスが新鮮な笑いを誘う。外見は日本人と変わらないが、アメリカで生まれ育ったジャッキーにとって日本は異郷でしかない。日本人は日系人ということで勝手に日本人と同じ意識を抱きがちである。かわぐちかいじ「沈黙の艦隊」で最後に「やまと」に立ちふさがった米海軍の空母の艦長は日系人で、自分が日系人であることの意味を問い続ける存在と描かれた。それに比べるとジャッキーは自然体である。
舞台が日本に戻ったことで戦国時代の忍者のエピソードが意味を持ってくる。当初、ビリーバットは下山事件という戦後史の闇に光をあてる作品として注目された。しかし、その後に続いた忍者のエピソードは現代史を楽しみにしていた読者を裏切るものであった。二十世紀少年やモンスターでも過去と現在が同時進行し、長い作品の中で少しずつ繋がっていく手法が採られた。これらは、あくまで同じ登場人物達の過去と現在で一つの物語と理解して読むことができた。これに対してビリーバットはイエス・キリストの磔のエピソードが登場するなど話が飛びすぎ、読者が置いてけぼりにされる傾向があった。この巻で、ようやく戦国時代の巻物が本編に結び付いた。この巻でも戦国時代のエピソードが挿入されるが、どれもコンパクトにまとめられている。スピードアップした展開に期待したい。林田力
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ふたりのはみだし者

王家の、はみ出し者が登場。後の後白河法皇である。鳥羽院の前で両親の醜さを語る。親に問題があるから、子どもがグレるという感じである。清盛は私利私欲で動かされる日本の政治のあり方を批判する。
信西。それがこの国の今じゃ。
後白河法皇はバクチでぼろ負けして身包みはがされる。
清盛。生まれは変えられずとも、生きる道は変えられる。
清盛と後白河法皇は双六勝負で盛り上がる。カイジのようなギャンブル対決である。
後白河法皇。親子の絆は脆い。
清盛。平氏は王家とは違いまする。
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2012年3月7日水曜日

中二病患者から離れられない『平清盛』:林田力

NHK大河ドラマ『平清盛』が、3月4日に第9回「ふたりのはみだし者」を放送した。この回では清盛に立ちはだかることになる後白河法皇の若き日の姿、雅仁親王(松田翔太)が登場する。主人公の平清盛(松山ケンイチ)が無頼から真人間になった途端、新たな中二病患者が登場した。

序盤から低視聴率となった『平清盛』であるが、主人公に感情移入できないことが一因である。第1回「ふたりの父」は清盛の父親の平忠盛(中井貴一)が主人公であった。王家の番犬である武士の虚しさ、白拍子の舞子(吹石一恵)との心温まる交流、白河法皇(伊東四朗)への命がけの訴え、白河法皇の非情な命令が描かれ、大いに感情移入できた。

第2回「無頼の高平太」から松山ケンイチ演じる清盛が登場するが、衝撃的な生い立ちを知ったショックで無頼に走る。しかし、第1回での忠盛の苦労を知る視聴者にとって清盛は父親の気持ちを知らない親不孝者にしか見えない。清盛の無頼はグレたヤンキーと同レベルで、大河ドラマの主人公としては情けない。これでは不人気になっても仕方がない。

これは『平清盛』の失敗を意味しない。大河ドラマの良いところは1年間の長丁場であることである。主人公が間違った方向に走るウンザリする展開も時間をかけて描く余裕がある。第6回「西海の海賊王」で清盛は出生の秘密を教えた兎丸(加藤浩次)と再会し、鬱屈した怒りをぶつける。これによって無頼から卒業した。ここからが本題といったところである。

清盛の反抗期は終了したが、取って代わるように雅仁親王(松田翔太)が登場した。雅仁親王は崇徳天皇(井浦新)の弟であるが、お忍びで外出して博打場に入り浸り、今様が好きという変わり者である。鳥羽上皇(三上博史)の皇子誕生の宴では、父の鳥羽上皇や母の待賢門院璋子(檀れい)、得子(松雪泰子)の本性を暴き、宴をぶち壊しにする。ここでも親に問題があるから、子どもの自分がグレると言わんばかりの態度である。

今回のタイトルは「ふたりのはみだし者」である。はみだし者の一人は冒頭で「王家のはみだし者」と紹介された雅仁親王である。もう一人は清盛になる。二人は双六で対決する。第6回「西海の海賊王」では「海賊王になる」という人気漫画『ONE PIECE』の台詞が飛び出したが、今回はギャンブル漫画の雰囲気がある。

「ふたりのはみだし者」と並べられたものの、今回の清盛は常識人である。息子も生まれて、よき父親になっている。外観が内面を象徴するのか、清盛の外観も小奇麗になった。雅仁親王には「生まれは変えられずとも、生きる道は変えられる」と語り、もはや出生の秘密の衝撃を引きずっていない。さらに王家の乱脈を背景に「親子の絆は脆い」と語る雅仁親王に「平家は王家とは違う」と断言する。

清盛と後白河法皇は晩年の対立者としてのイメージが強いが、一定時期までは協力者であった。『平清盛』では初対面での思想の違いを浮かび上がらせることで、後年の対立を平家の傲慢故に生じたものではなく、必然的な対立として演出することを可能にしている。(林田力)
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2012年3月4日日曜日

不合理

不合理であることについては殺意を否認した時から既に各所で指摘され、最高裁判決でも認められています。今更改めて説明を求められる意図が理解できません。
私は東急不動産だまし売り裁判において、被告・東急不動産から窓が採光を目的としていない、北側の窓が塞がれても日照被害がない、隣地が建て替えられてきれいになった方がマンションの資産価値が上がるなどの不合理かつ被害者感情を逆なでする主張を繰り返されました。この経験があるために光市事件の被告人の主張にも問題意識を持っています。
実際のところ、裁判でのトンデモ主張は行政や企業にも見られるもので、裁判そのものが嘘のつき得という嘆かわしい状況にあります。光市事件の弁護団の主張ばかりが取り上げられて批判されることはバランスを失していますが、それは不合理を無視してよいことにはなりません。
光市事件最高裁判決がもたらす厳罰化を支持するつもりはありません。最高裁判決が被告人の不合理な弁解を死刑判断の一因としたことは救いです。これは犯罪への厳罰ではなく、裁判上の不合理な主張への厳罰という論理になるからです。
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花の慶次・雲の彼方に

最低の悪役に描かれた北条武士にも最後は武士の意地を見せた。戦国時代という舞台が映える。東急不動産だまし売り裁判では最後まで悪徳不動産業者は最低である。
槍の又左の異名を持つ猛将であり、徳川家康と張り合える実力を有していた前田利家を徹底的に小物に描いた点も斬新な歴史観の提示であった。林田力
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『QuickJapan』100号、『AKB0048』特集でAKB48の本質論

『QuickJapan(クイック・ジャパン)』(太田出版、2012年02月11日発売)はサブカルチャー系雑誌である。記念すべき第100号は大きく4本の特集を組む。

第一に2012年4月放送開始のアニメ『AKB0048』(エーケービー・ゼロゼロフォーティエイト)の特集である。人気アイドルグループAKB48の派生作品であるが、単なるアイドルの人気便乗作品ではない。近未来の宇宙を舞台とするSF作品である。芸能活動が非合法化された世界で、非合法的に公演を行うアイドルAKB0048の活躍を描く。

AKB48と言えばマスメディアの作出するブームに乗っかったトップアイドルである。握手権などのシステムはAKB商法と批判され、商業主義の権化のように見られている。特に脱原発ソング「ダッ!ダッ!脱・原発の歌」を発表して社会的発言を深めるアイドルグループ・制服向上委員会と対比する形で、体制寄りのメジャーな存在としてAKB48が槍玉に挙げられる。

しかし、そのようなAKB48理解は一面的である。もともとAKB48は秋葉原というローカル劇場で公演を繰り返していたグループである。マスメディアに露出して売るという商業主義的路線の対極に位置する。そのようなAKB48の反メジャー的な精神を『AKB0048』は設定で上手に昇華させている。記事でも『AKB0048』の作り手がAKB48の本質をつかんでいることが理解できる。

当然のことながら、『AKB0048』にはAKB48とは異なる設定がある。記事で注目された相違設定の一つに襲名制がある。前田敦子や大島優子のような現在の人気メンバーの名前が歌舞伎役者の名跡のように襲名されている。たとえば11代目板野友美や8代目小嶋陽菜という形である。

AKB48はモーニング娘。と同じくメンバーが入れ替わるユニットと認識されているが、初期メンバーが全員卒業しているモーニング娘。とは異なり、未だ代替わりをしていない。神7に代表される初期メンバーが現在でも人気の中心である。芸能プロダクション的には個人に依存せずに売れる仕組みを作りたいと考えているだろうが、AKB48は個人の才能に依存している。襲名制という考え方はAKB48の人気持続のヒントになり得る。

第二の特集は「あなたと未来を変えるキーパーソン20」である。入江悠、樋口毅宏、劇団ひとり、綾小路翔の各氏が映画監督、作家、ミュージシャン、芸人について各々5人をピックアップする。選考者も気鋭の存在であり、尖がった選び方がされている。面白かった内容は「入江悠が選ぶあなたと未来を変える映画監督5人」である。家賃を平気で滞納しているという映画監督を、変人ぶりを示すエピソードとして肯定的に評価する(93頁)。

一方で日本では僅か一日の家賃滞納で高額な違約金を請求し、追い出し屋に豹変するゼロゼロ物件業者もいる。入江氏も「賃貸&生活費などの現状維持が厳しくなった」(89頁)と書いているように気鋭のクリエイターを取り巻く経済的状況は厳しい。ゼロゼロ物件などの貧困ビジネスは文化の破壊者でもあると実感する。

第三の特集は「テレビ・オブ・ザ・イヤー2011」である。現役放送作家9名の対談で面白いバラエティ番組を選ぶ。満場一致で大賞を受賞した番組は対決物であるが、敗者へのフォローをしっかりしている点が評価された(64頁)。番組プロデューサーへのインタビューでも「素人ナンバーワン決定戦にしちゃうと、少なからず傷つける人が出てくる」とし、両者のプライドを守ることを重視したとする。勝負は番組が勝手に決めたルールで対戦した結果であり、絶対的な勝敗ではないとの意味が込められている(72頁)。

第四の特集は高城れに(ももいろクローバーZ)へのインタビューである。ももいろクローバーZはアクロバティックなパフォーマンスで通常のアイドルと一線を画した存在として注目されるが、もともと高城さんはモーニング娘。の久住小春に憧れていたという(132頁)。
http://hayariki.net/hayariki3.htm
モーニング娘。もデビュー当時はテレビ東京のオーディション番組の落選組を集めて結成され、B級感漂うグループであった。『LOVEマシーン』などのヒット後もアイドルとして偶像化されるよりも、面白さを持った存在として人気を誇った。そのモー娘。が正統派アイドルとして対比される存在になっていることに時代の移り変わりを実感する。

インタビューでは遅刻をしないことやレッスンに誰よりも早く行くことなど高城さんの努力も語られている(133頁)。このような小さな積み重ねはモーニング娘。やAKB48とも共通する。異色のアイドルとして注目される「ももクロ」であるが、根っこのところではつながっている。

2012年3月3日土曜日

江川達也氏が相続裁判で勝訴

漫画家の江川達也氏が兄を訴えた相続裁判で勝訴した。兄は葬儀費用の相続財産からの控除を主張したが、排斥された。江川達也氏は、まじかるタルルートくんや、東京大学物語などで知られる。林田力
http://hayariki.net/

アニメ『AKB0048』にみるAKB48の反メジャー性

AKB48を題材にしたテレビアニメ『AKB0048』の主要登場人物の声優が3月2日に発表された。現在のAKB48メンバーの襲名者である11代目板野友美役に植田佳奈、5代目高橋みなみ役に白石涼子、8代目小嶋陽菜役に能登麻美子が起用される。アニメは4月29日に放送開始予定である。

『AKB0048』(エーケービー・ゼロゼロフォーティエイト)は人気アイドルグループAKB48の派生作品であるが、単なるアイドルの人気便乗作品ではない。近未来の宇宙を舞台とするSF作品である。芸能活動が非合法化された世界で、危険を顧みずに違法を覚悟で公演し、ファンに夢と希望を届けるアイドルAKB0048の活躍を描く。

AKB48は今や押しも押されもせぬトップアイドルである。マスメディアの作出するブームに乗っかり、握手権などのシステムはAKB商法と批判・揶揄され、商業主義の権化のように見られている(林田力「AKB48プロジェクト義援金にAKB商法への期待高まる」PJニュース2011年3月18日)。

http://www.pjnews.net/news/794/20110317_4

福島第一原発事故後は脱原発ソング『ダッ!ダッ!脱・原発の歌』を発表して社会的発言を深めるアイドルグループ・制服向上委員会と対比する形で、体制寄りのメジャーな存在としてAKB48が槍玉に挙げられることもある。

しかし、そのようなAKB48理解は一面的である。もともとAKB48は秋葉原というローカル劇場で公演を繰り返していたグループである。マスメディアに露出して売るという商業主義的路線の対極に位置する。そのようなAKB48の反メジャー的な精神を『AKB0048』は設定で巧みに昇華させている。

当然のことながら、『AKB0048』にはAKB48とは異なる設定がある。記事で注目された相違設定の一つに襲名制がある。前田敦子や大島優子のような現在の人気メンバーの名前が歌舞伎役者の名跡のように襲名されている。冒頭の11代目板野友美や8代目小嶋陽菜などである。

AKB48はモーニング娘。と同じくメンバーが入れ替わるユニットと認識されているが、初期メンバーが全員卒業しているモーニング娘。とは異なり、未だ代替わりをしていない。神7に代表される初期メンバーが現在でも人気の中心である。芸能プロダクション的には個人に依存せずに売れる仕組みを作りたいと考えているだろうが、AKB48は個人の才能に依存している。襲名制という考え方はAKB48の人気持続の方向性のヒントになり得る。
http://hayariki.net/akb48.html

被害者遺族の権利

被害者遺族の権利は難しい問題です。犯罪の被害者本人と殺された被害者の遺族は言葉としては区別されますが、それほど分けて考えられていません。この被害者・遺族の権利は相反する評価を下すことができます。
まず肯定的評価です。これまで被害者や遺族は刑事司法から疎外されていました。被害者・遺族の権利を保障することは、警察や検察の恣意性や秘密性に風穴を開けることにもなります。
次に否定的評価です。被害者・遺族の権利は厳罰化とセットで主張される傾向があります。厳罰化という政策達成の道具として利用されています。この点では司法への市民参加という肯定できる建前が掲げられた裁判員制度と共通します。
私は被害者と遺族を厳格に区別すべきかについては疑問があります。愛する人を亡くした遺族の痛みは社会として十分に考慮すべきと考えます。逆に被害者本人であっても「目には目を」的なストレートな復讐を肯定してよいかは別に議論すべき問題です。
復讐とは別に痛みを受けた人が加害者を批判し、社会的に発言し、司法を含む様々な制度を利用することは肯定できます。日本社会には私憤を出発点に正義を追及することに否定的な風潮がありますが、正義を追及する側ばかり過度な倫理性を要求することは二重基準です。林田力も社会性を深める契機は東急不動産だまし売り裁判でした。その点で被害者・遺族の権利を肯定的に評価しますが、厳罰化の道具に使われている現在の傾向とは距離を置きます。
光市母子殺害事件被害者遺族の本村さんも最近のインタビューではトーンダウンしています。自分が意図していない方向に利用されることへの戸惑いがあると思います。
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2012年3月2日金曜日

林田小学校で文章力指導

兵庫県姫路市の林田小学校で文章力指導が行われている。活字離れによる書く力の低下を受けてのものである。IT技術は文章を書く機会を増やす面があるものの、携帯メール依存症のような弊害もある。携帯メール依存は文章力の面でも問題がある。携帯メール依存によって、パソコンのメールなど携帯メール以外の場面でも携帯メールの感覚でしか文章を書けなくなるという弊害がある。林田力
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2012年3月1日木曜日

ブレーキの壊れた暴走機関車

マンションをだまし売りする東急リバブル東急不動産はブレーキの壊れた暴走機関車である。問題は東急リバブル東急不動産に消費者との約束を守る意思があるかである。折角縁のあった消費者を片っ端から遠ざけていっているのは東急リバブル東急不動産であった。全く品性の欠片もない。人間の徳性を最初から捨てていた。
東急は足を踏み入れてはならない領域に侵入した。頭の固い東急工作員の迷妄が現実をねじ曲げ、か弱く気高き消費者の存在を貶めている。どのように考えても、それは不合理である。東急不動産だまし売り裁判の文章は深い真理の淵の底から汲み上げてきた泉のようである。
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最高の人生の終り方

ドラマ最高の人生の終り方には脚本の粗さが目立つ。死生観という深いテーマを扱い、俳優も好演しているだけに惜しい。特に前田敦子はハマっている。応援したくなるようなポジションに向いている。
警察御用達の葬儀屋が警察にお清めと称してビール券を贈る。これは公務員倫理上問題である。現実に居酒屋タクシーが問題として報道されている。
ビール券を贈ることの発案者が前田敦子である点は、大人の事情を知り尽くしている世渡り上手というイメージを与え、アイドルへの幻想を壊してしまう。
遺言を家庭裁判所の検認を経ずに開封した。遺言書と思っていたものは、法律的な遺言書の要件を満たしていないために犯罪にはならないが、ただの悪しき結果オーライである。葬儀屋という人の死を扱うドラマで罪深い。
さらに教師が教え子と肉体関係を持っている。教え子側の成長という視点で物語が進み、結果オーライの終わり方になっているが、現実には通用しない。教師としては最低である。いかなる背景があろうと懲戒免職ものである。林田力
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