2012年11月9日金曜日

宇都宮健児(宇都宮けんじ)

宇都宮健児(宇都宮けんじ)氏は多重債務問題をはじめとして、弁護士として貧困問題に長く関わってきた反貧困の運動家である。
宇都宮氏は1946年に愛媛県東宇和郡(現西予市)明浜町田之浜といぅ小さな漁村で誕生した。小学3年生の時に家族で大分県の国東半島へ開拓農家として移り住む。熊本で中学(西山中学)、高狡(熊本高校)を過ごす。野球と卓球が得意であった。東京大学でも卓球部に所属する。
学生時代に東上高恙『わたしゃそれでも生きてきた』と、芝竹夫『小さな胸は燃えている』を読み、衝撃を受ける。豊かとは言えない自分の家よりもずっと貧しい人たちの存在を知り、社会のために働こうと弁護士を志した。
弁護士時代は他の弁護士の事務所に居候して働く「イソ弁」生活が計12年と長くしかも事務所を二度クビになった。「落ちこぼれ弁護士」を自称する。そのイソ弁生活の中で多くのサラ金 ヤミ金被害者達と出会い、その被害救済に尽力した。法律そのものの改正にも取り組み、2006年には「グレーゾーン」金利を撤廃させる画期的な貸金業法改正の成立に尽力した。
反貧困ネットワーク代表であり、宮部みゆき『火車』に登場する弁護士のモデルにもなった。リーマンショックのあった2008年暮れから翌年の「年越し派遣村」では名誉村長を務めた。
2010年には完全無派閥の弁護士としては初めて日弁連会長に当選した(林田力「宇都宮健児氏、日弁連会長選挙当選の要因」JANJAN 2010年3月11日)。「市民のための日弁連」を掲げた宇都宮氏の改革姿勢が当選要因である(林田力「宇都宮健児日弁連新会長の課題はモンスター弁護士の排除」PJニュース2010年3月27日)。
日弁連会長としては人権擁護活動や東日本大震災と原発事故の被災者・被害者支援などに積極的に取り組んできた。宇都宮会長時代の日弁連は積極的に政策提言も行った。「希望社会の実現のため、社会保障のグランドデザイン策定を求める決議」では「住宅保障を社会保障に位置付け、国の責任において、多様な低家賃の公的住宅を確保・提供するとともに、家賃補助(住宅手当)や公的保証制度を創設すること」などを求めている(林田力「日弁連理事会で貧困問題を提言」PJニュース2011年7月20日)。
http://hayariki.net/8/faqindex.htm

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