2012年9月19日水曜日

清掃工場の被災地ガレキ焼却

都内の清掃工場では被災地のガレキが焼却されている。北九州市などと異なり、大きな反応は見られない。それには理由がある。
元々、住宅地に近接した清掃工場に対して住民から反対の声があった。瓦礫焼却以前の問題として、ゴミの焼却によって生じる化学物質が健康被害を及ぼすと反対していた。行政の論理は個々の物質は安全基準を満たしているというものである。これに対しては、大気中に放出された様々な化学物質が化学反応を起こして有害な物質になる点を無視していると批判する。これはゴミの焼却だけでなく、自動車の排気ガスとも合わさって被害を増大させる。東京では練馬と世田谷の外環道の着工が住民の反対を押し切ってされたが、排気ガスの増大と清掃工場の焼却時のガスを合わせて問題視する声もある。これは世田谷区のタウンミーティングで問題提起された。
従来からの反対運動の立場では、被災地ガレキ焼却は特別に騒ぐ理由にはならない。被災地ガレキ焼却反対派が、放射能を特別視するならば従来からの反対運動の反対理由を軽視するものと反発を受けるだろう。
また、北九州市の暴力的なガレキ受け入れ阻止活動自体が、住民反対運動側に拒絶感を与えている。住民運動は地域に根差した運動である。「関東地方は人が住めない放射能汚染地域」的な放射脳のデマに反感を抱くことは自然である。北九州市のガレキ受け入れ阻止活動はエゴイズムと保守派から格好の攻撃材料となった。その保守派も包摂する運動が住民運動である。現実に世田谷区で重層長屋に取り組む住民運動のシンポジウムでは放射能汚染も扱われたが、低線量の健康被害は確認されていないという公式見解に沿ったものであった。
脱原発派が被災地のガレキ焼却への問題を広めたいと考えるならば住民運動への理解と放射脳との決別が求められる。林田力
http://hayariki.net/

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