2012年7月1日日曜日

『茶と美』『茶の湯の常識』v 林田力 wikiレビュー

柳宗悦『茶と美』(講談社、1986年)と町田宗心『茶の湯の常識—利休伝書が語る』(光村推古書院、2008年)は茶道について考えさせられる書籍である。両書とも茶道具をめぐる非常識に鋭い。たとえば箱書きで茶道具の価値を判断する似非茶人を批判する。

『茶と美』「蒐集について」は「定見のない人々に限って箱書き等を大切にする」と指摘する(112頁)。また、鑑賞眼の優れていた先人達について「彼らは箱書に頼ったのではない」と指摘する(61頁)。

『茶の湯の常識』でも品物の良さがわからない人は箱書きを決め手にするとして、箱書きで品物の価値を決める人を揶揄している(57頁)。現実に李朝染付の花入れについて「箱がないから貴重な品であるとは思わなかった」と恥ずかしい回答をした人物がいる。

一部の箱書き尊重の風潮への批判は後半にも登場する。「古いものは箱書きがないのが普通であった。箱書きがなくとも、よいものは長く大切に伝えられてきた」(257頁)。さらに柳宗悦『茶と美』「蒐集について」の上述の一節も引用する。

また、『茶と美』では以下のように茶道具を秘蔵する性向を批判する。「真に物を愛する者は必ずや悦びを人々とも分かちたいであろう。見せない態度より、見せたい態度の方が遥かに自然である。また、気持ちとしても明るい」(92頁)

その上で、「徒に秘蔵するのは茶の精神に悖る」とし、「茶人の趣味は変態であってはならぬ」と茶道具を秘蔵したがる趣味を変態と切り捨てる(93頁)。

『茶の湯の常識』では墨跡について茶書『分類草人木』の以下の一節を紹介する。「禅の心もない人が、数奇道具として掛けることは、おかしなことである」として、禅法を納得してこそ、墨跡を掛けて面白いとする(60頁)。

「茶禅一味」の言葉があるように茶道と禅宗は深いつながりがある。掛け物では墨跡が珍重されるが、禅の心を理解していなければ意味がない。最近では参禅する茶人を何も知らない似非茶人が「よくお寺に行ったりして」と批判する例があるが、嘆かわしいことこの上ない。
http://hayariki.net/4/faqindex.htm
『茶の湯の常識』は茶道の作法の意味を成り立ちから解説した書籍である。作法の一つ一つが意味を持って成り立っていることが分かる。作法だから従うという伝統墨守主義ではない。中には間違って伝えられた作法や意味をなさない作法があることも明らかにする。

作法とは客に美味しくお茶を飲んでもらうための気配りである。これはマナー全般に当てはまることである。愚かな人間は形式的なマナー違反を咎められると「ルールなんか存在しない」と開き直る。しかし、相手に不快感を与えている点で失格である。

茶道は日本の伝統文化であるが、『茶の湯の常識』は偏狭な自民族優越主義に陥っていない。たとえば以下のように日本文化を相対化する視点も有している。「正座ほど窮屈な座り方は、世界中にどこにもないといわれる。このような風習は、中国女性の纏足や、インド人やオセアニア人が鼻や耳に穴をあけて宝石を飾る風習などと同様に、世界の珍風景の一つに数えられる」(105頁)。(林田力)

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