2012年7月22日日曜日

いじめ問題と右派と左派

これまで私は左派にシンパシーを抱くことが多かった。日本には実際に苦しんでいる人々の受け皿になりうるものは左派系の団体や運動ばかりという現実があるためである(林田力「主権回復を目指す会が在特会を批判」PJニュース2010年8月21日)。
それは年越し派遣村が象徴している。派遣村に集った左派系団体の一部には憲法改正阻止など貧困問題とは関係の薄いイデオロギー主張に利用しただけとの批判がある。それでも何もしないより、はるかに素晴らしいものと評価する。東急不動産だまし売り被害者が左派にシンパシーを抱くようになることは当然の帰結である。
これに対して右派には苦しむ人や困っている人を自己責任論で切り捨てる新自由主義の冷酷さを感じていた。これは私が社会意識を深めた時期が小泉純一郎政権期からという点に負っている。日本では権利を行使できずに泣き寝入りしてしまう人が多いが、自己責任論が元凶である。
このような私であるために、左派との接点の方が多くなる。しかし、彼らの独善に辟易することも少なくない。左派が苦しむ人々のために立ち上がることは素晴らしいことであるが、全ての問題に立ち上がる訳ではない。リソースの問題から当然であるものの、選別の恣意性を感じることもある。「その問題は脇に置いて、こちらの問題に取り組んで」などと言われたこともある。
いじめ問題は右派と左派に対する印象を逆転させた問題の一つである。ブログなどで共感できる記事の作者アイコンに日の丸が掲載されているということも少なくない。しかも、いじめ問題では、いじめ加害者だけでなく、教育委員会や司法などの権力批判に広がっている。この動きに注目したい。
北本市中1女子いじめ自殺訴訟判決
http://blogs.yahoo.co.jp/ijime_saiban

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