2012年6月7日木曜日

『BLEACH—ブリーチ— 54』v 林田力 記者wiki

久保帯人『BLEACH—ブリーチ— 54』で死神代行消失篇が完結した。長かった展開の割にラストはハイテンポでまとめている。長引く展開が人気低迷をもたらしたことを踏まえれば妥当である(林田力「週刊少年ジャンプ巻頭カラーで『BLEACH』巻き返しなるか」リアルライブ2011 年8月23日)。

過去の戦いと比べると敵の小物感は否めず、バトルは問題にならない。主人公に迷いがなければ敵を圧倒できるという、努力よりも信念重視の良くも悪くも現代的な作品の傾向を踏襲した。バトル物では主人公側に都合のよい論理や正義が振りかざされることが少なくない。これに対して死神代行消失篇の黒崎一護は護廷十三隊の仕打ちに怒りをぶつけるだけの資格がある。しかし、それをせずに護る側に立った。

さらに戦う敵に対しても、奇麗事の正義論をぶつけるのではなく、相手の論理を理解した上で対峙している。自分の考えを唯一絶対とし、相手の話を聞く能力もなく、頭ごなしに遮ることで議論に勝ったと勘違いする低級な連中とは異なる。黒崎一護は魅力的なヒーロー像を提示している。

護廷十三隊に怒って当然のところで怒らず、迷うことなく受け入れる展開は読者の意表を突くもので話運びとして秀でている。ラスボスが第一印象の胡散臭さを裏切らない悪役であったという「やっぱり」な展開であったために、ここで意表を突いたことは新鮮な心証を残した。
http://hayariki.jakou.com/5/16.htm

しかし、一護の言動は護廷十三隊という体制側に実に都合のよいものである。体制側は個人を信用せずに監視するが、個人は体制の立場を好意的に解釈する。現代日本に当てはめれば盗聴などを無制約に行いたい警察権力が大歓迎する発想である。体制や権力に不信感を抱く現代人のヒーロー像からは時代遅れである。

『BLEACH』が最も輝いていた時期は尸魂界篇であった。それは朽木ルキアの死刑という非合理な決定への反抗が現代的なヒーロー像に合致していたためである。また、『NARUTO-ナルト-』では主人公が疎外されている不満から他人に嫌がらせするなど負の感情を丁寧に描いた。それがあるから、サスケとの対比で優等生的な思想を出しても、現代的なヒーローとして感情移入できる。これらに比べると護廷十三隊の処置を受け入れる一護は盲従的であり、ヒーローとして物足りない。(林田力)

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