2012年4月11日水曜日

『茶道をめぐる歴史散歩』茶室は結界

井上辰雄『茶道をめぐる歴史散歩』(遊子館、2009年)は日本史の研究者による茶道をめぐるエッセーである。見開き2頁で一つのテーマを語っており、読みやすい。茶道は室町時代以降の文化という印象が強いが、古代史の研究者らしく古代中国から説明を始めている。

当然のことながら茶道に対する含蓄のある言葉も多い。以下の文章は高価な茶道具がオールマイティではないという、茶道具の奥深さを示している。

「一つひとつの茶器が茶の湯の趣向にぴったりとあてはまり、しかもそれぞれが、有機的に生かされていなければならない」(58頁)

また、茶室という空間の特殊性を指摘する。「茶室には、自ら理想とする自然の景を茶庭に構成し、そのなかに我が身は包摂されることを願う」(47頁)

躙り口については「二尺二寸ぐらいの狭い出入口を、身をかがめてくぐる緊張感は、わたしたちの心をわななかすといってよい」(174頁)と語る。

さらに一休宗純の歌「有漏路(うろじ)より  無漏路(むろじ)へ帰る 一休み 雨降らば降れ 風吹かば吹け」を引用した上で、露地を「有漏路より無漏路に入る結界」と説明する(177頁)。

この茶室理解は妥当である。侘び茶の大成者・千利休は茶室を現世における清浄無垢な仏土を実現する場と位置付けた。その清浄なる空間に入るに際しては心を入れ替えることが求められる。浮世の雑念を捨てて茶室に入るための仕掛けが露地(茶室に付随する庭園)である。

茶室は最小の空間に豊かな広がりを与える世界に誇る日本の伝統建築である。茶室が豊かな広がりを有する理由は、露地とつながっている点に求められる。つまり、茶の湯の空間は、茶室だけでなく、外界(露地)と一体に仕組まれている。茶道も桂離宮などと同じく庭屋一如の精神を継承している。
http://hayariki.net/hayariki3.htm#16
「或る対象は、それが置かれるべき場所に置かれることによって、はじめてその真価を発揮する。花は花瓶に生けられ、花瓶は床の間に置かれ、床の間は茶室の中にあり、茶室は風雅な庭園の一隅にしつらえられている」(尾高朝雄『自由論』ロゴス社、2006年、45頁)。

利休が露地に高い精神性を付与していたことは以下の言葉が示している。

「露地はただ浮世の外の道なるに心の塵をなどちらすらん」

「露地は草庵寂寞の境をすべたる名なり、法華譬論品に長者の諸子三界の火宅を出て露地に坐すると説き、また露地の白きと云ひ、白露地共いへり。一身清浄の無一物底也。」(「南方録」)

心理学者も露地の心理効果を以下のように説明する。
http://yaplog.jp/hayariki/archive/601

「露地とは、この浮世の外にある地上の天国、いや極楽の超ミニ版への超ミニ参道で、進行につれて刻々と清浄感や鎮静効果が深まる」(安西二郎『新版 茶道の心理学』淡交社、1995年、33頁)。

現代では茶室を独立の建物として構えることは稀で、住宅内の一室を茶室とするケースも多い。その場合でも茶室の隣でザワザワ、ガヤガヤと話し声が聞こえるような場所では茶室の静寂さはなくなってしまう。露地が無理としても、茶室を聖域とする工夫が求められる(林田力「茶室における露地の効用」PJニュース2010年10月4日)。

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