2012年4月7日土曜日

静かなるドン102巻

第二の主役というほどフィーチャーされていた白藤龍馬であったが、この巻では凋落が著しい。シチリア・マフィアに追われるように本拠地を捨て、名古屋や静岡の古参組織にも離反され、傘下の企業舎弟にも協力を渋られる。ジリ貧状態である。
龍馬の凋落にはキャラクターの一貫性のなさがある。本来ならば世界を操る世界皇帝への憎しみは読者にとって共感できるものである。ボンボン育ちで社会への問題意識に乏しく、戦おうとしない近藤静也以上に理解しやすいキャラクターである。龍馬も父に坂本健・鬼州組四代目、祖父に獅子王総裁を持つ点で親の存在によって子どもの人生が決まる格差社会の申し子であるが、前半では社会の不合理を強く味わっている。静也自身が認めるようにボンボン育ちの静也とは異なる。この点でも読者は感情移入しやすい。
しかし、龍馬の問題はぶれまくっており、一貫性がないことである。世界皇帝をテロという弱者の戦法で暗殺した。ところが、世界皇帝が差し向けたマフィアにはロシアン・ルーレットというリスキーな勝負に身を晒し、自らを神と宣言する。その後は志ある政治家を後援することで日本の政治改革を目指す。
過去の日本社会では過去を水に流してしまう非歴史性が横行しており、問題とされにくかった。それどころか、過ちを改めるにはばかることなかれ、と無節操さを美化する傾向があった。終わりよければすべてよしというナイーブな発想もある。しかし、過去を直視する傾向が出てきた現代は、ブレは、それだけで非難に値する。ブレている龍馬にはキャラクターとして魅力がない。実際、かつての龍馬は人を惹き付ける魅力のあった。しかし、今の龍馬は孤独である。
これに対して、静也にはブレがない。この巻でも鬼州組七代目を弟分にすること以上に下着デザイナーを続けることに心を動かされている。ヤクザとして名を上げる実力を持ちながら、それをしない静也はヤクザ漫画において理解しにくいキャラクターであるが、キャラクターに一貫性があることは確かである。さすが主人公である。この巻も龍馬の物語のようになってはいるが、やはり静かなるドンは静也が主人公の作品であると再認識させられる。林田力
http://hayariki.net/

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