2012年1月5日木曜日

Re: 除染か避難の問題

「厳しく批判しなければならないことはあります」については、その通りと思います。
私が社会性を深めた原点は『東急不動産だまし売り裁判』ですが、その思いで東急リバブル東急不動産を告発してきました。先のメールで共感という言葉を使用した理由は「共感」を重視する意見を表明された論者に対するものだからでした。
この考え方に立つ場合、避難の権利が保障されず、未だに放射能汚染下で生活する人が存在することが許せないという立場から、「あのような場所に住むことが信じられない」と警鐘を鳴らすことは非常に適切な発言になります。

避難の権利という考え方はバランスのとれたものであると考えます。以下では避難の権利の対象を象徴的に福島と呼びます。実際の福島県は広く、浜通りと会津では事情が異なり、福島県民と同一視することは正しくありません。会津の西端よりも福島県外の方が危険性が高い場所もあります。あくまで福島という言葉は象徴的なものです。
第一に権利と位置付けることで、行使するかしないかの選択を本人に委ねています。有無を言わさずに強権的に避難させる考えとは一線を画しています。
第二に社会権的な人権と位置づけている点です。福島にとどまっている多くの人々も可能ならば避難したいと考えています。特に生活の見通しもなく自主避難すれば、放射能よりも先に避難先の劣悪な環境で健康を害するという面も全く否定できないものではありません。
現実に自主避難者が悪質なゼロゼロ物件業者の餌食になるというケースもあります。ゼロゼロ物件被害は大きく報道され、社会問題と位置付けられたために、ゼロゼロ物件業者がターゲットとしていたフリーターらからは忌避されるようになりました。しかし、東日本大震災や福島原発事故の避難需要で儲けているという悲しい現実があります。貧困ビジネスのターゲットは被災者にも向かっています。
単に「逃げろ、逃げろ」というだけでは、葛藤を抱えている福島県民の助けにはなりません。
中には放射能の害悪を楽観的に考えることで福島にとどまる住民もいます。彼らに放射能の害や除染の無意味さをアピールすることは意味があります。一方で避難のための経済的な後押しを求めている人がいることがいることも事実です。避難の権利を社会権的に保障することは実効的な対策になります。
最後に社会運動において人権をベースとすることは、自己責任論などの切り捨て論に対する論理的な強みを発揮します。これについてはマンション建設運動に関して論じました(林田力「マンション建設反対運動は人権論で再構築を」PJニュース2011年6月17日)。
http://www.pjnews.net/news/794/20110617_1

林田力『東急不動産だまし売り裁判 こうして勝った』
http://hayariki.net/
http://hayariki.zero-yen.com/

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