2011年6月30日木曜日

Fwd: 「区長就任報告会」のお礼と参考情報

【外環道検討委員会、広域の外環ネット、その他関連メーリングリスト、個人の方等に広くBCC配信します。いくらでも転送していただいて結構です、重複着信する場合があります。その際は縁起物に免じてどうか悪しからず】

皆様

 成城の金子秀人です。お暑うございます。25日に「世田谷区長就任報告会」にご参集くださった皆様に厚くお礼申し上げます。そして、至らなかった点をお詫び方々、
若干の補足情報をお送りいたします。

 また、お越しになれなかった方のために、下方に ustreamーtv 中継の録画情報を記しておきます。ぜひご覧いただければ幸いです。(見方がわからない、という方がありましたら、金子までご遠慮なくご連絡下さい 080-1176-0221)

 25日の入場者は結局450名、ということが受付担当スタッフにより明らかになりました。ホール自体は公称定員400名。正確には約300が通常席で、約100が、状況にあわせられる可動式座席でした。
 したがって、当夜は、これらのエキストラ席を全て利用しても座れない方が出てしまいました。
 嬉しさは言うまでもありませんが、お座りになれなかった方には、お疲れのところをまことに申し訳なく思っています。ご来場、重ねてお礼もうしあげます。

 また、座席だけでなく、差し上げる資料も品切れになってしまいました。ご希望があれば個別に手当てさせていただきたいとおもいますので、これもお申し出下さい。

 さて、"世田谷問題"を精力的に取材されているネット・ジャーナリスト(という呼称が良いかどうかはわかりませんが)の林田力さんが、当日のことを記事にして配信して下さいました。
 下記、URLをWクリックしていただければと思います。

〇1
http://www.pjnews.net/news/794/20110626_1

〇2
http://npn.co.jp/article/detail/98903754/


 また前述の ネットTV ustream(ユーストリーム)も、生中継に加えて、同夜の録画をライブラリに加えています。ネットTVですから、画質・音質等は従来のTVとは比較になりませんが、ネットならではの独自の境地を開拓しています。

以下、URLをWクリックすると "hosaka-tv"が表示され、プログラム一覧が現れます。まだ最新のものが、25日分のはずです。冒頭が欠け、始ってすぐの2ヶ月間の報告スライドショーから、閉会まで、省略なく記録されています。

 ご来場いただけなかった方や、参加したしたけれど、"あの感激をいま一度"(笑)と思われる方はぜひ御視聴ください。もちろん、無料です。

ustream 『後半  たがやそう、世田谷〜保坂展人区長就任報告会』(成城ホール)
 ↓
http://www.ustream.tv/recorded/15606790

以上、とりいそぎお知らせまで。

恐々謹言
金子秀人

2011年6月28日火曜日

幸せになろうよ最終回

八代。幸せにしてもらおうとは思っていない。
高倉純平。幸せにするではダメと分かった。幸せになりたいんだ。君と二人で。

2011年6月27日月曜日

住宅政策の貧困を訴える住まいは人権デー市民集会=林田力

東日本大震災から3か月後の2011年6月11日には日本各地で反原発デモが盛り上がったが、被災者の住まいの人権を求める集会・デモも行われた。東京都渋谷区の千駄ヶ谷区民会館で開催した「大震災から3ヵ月 今こそ住宅・居住支援を!〜『住まいは人権デー』市民集会〜」である。日本住宅会議、住まいの貧困に取り組むネットワーク、国民の住まいを守る全国連絡会、住まいの貧困に取り組むネットワークが主催した。
主催3団体は東日本大震災の2週間後の3月25日に「大震災の住宅・居住支援についての緊急要請書」を内閣と国土交通大臣に提出した。ここでは「現状では一命を取り留めた被災者の生命が脅かされる事態が続き、避難所の緊急的な改善実施とともに、住宅の確保と居住の安定が何にもまして重要」と主張している。しかし、被災者の住宅・居住支援は多くの分野で不十分なものにとどまっている。
これまで住宅関連団体は6月14日を「住まいは人権デー」とし、様々な活動を行ってきた。これを今回は大震災から3ヶ月後の6月11日に移した。市民集会は「住まいは人権」の視点から、被災地の現状と実態を明らかにするとともに、住まいの貧困の状況を告発し、住宅・居住支援の抜本的強化を国と自治体に求めることを目的とする。
集会はデモも含めて三部構成である。第一部は「大震災3ヵ月、被災地の現状と住まいの問題」と題して、被災地や被災者、避難所の状況が報告された。震災から3か月経過しても、被災者の住宅の確保が進まない深刻な実態が明らかになった。
http://www.pjnews.net/news/794/20110615_1
講演者と講演タイトルは以下の通りである。
山下千佳(住まいと環境改善ネットワーク)「映像から見る被災地の現状—まちと住まいは」
大関輝一(NPO自立生活サポートセンター・もやい)「被災地の全体的な状況と私たちがなすべきこと」
小武海三郎(福島県南相馬市原町借地借家組合・前組合長)「被災地の現状—福島原発から避難して」
丹羽雅代(女性の安全と健康のための支援教育センター)「被災者の現状と支援—声が上げにくい人たちとともに」
杭迫隆太(東京災害支援ネット・とすねっと)「首都圏の避難所の実態と住まいの問題」
第二部は「住宅・居住支援の実際と抜本的な拡充をめざして」と題するパネルディスカッションである。パネリストは新井信幸・東北工業大学工学部建築学科講師、稲葉剛・住まいの貧困に取り組むネットワーク世話人、映画監督の早川由美子氏、坂庭国晴・住まい連代表幹事である。
稲葉氏は住宅政策の貧困を批判した上で、日本国憲法第25条の定める生存権に基づく住宅支援を訴えた。早川氏はドキュメンタリー映画「さよならUR」で取り上げた問題を紹介した。独立行政法人都市再生機構(UR都市機構)が建物の耐震性を理由に団地の取り壊しを一方的に決定し、住民を追い出す問題である。早川氏はインターネット上の表現規制の動きにも警鐘を鳴らした。
第三部は「"住まいは人権"デモンストレーション」と題し、デモ行進を実施した。「なくそうハウジングプア」などと書かれた垂れ幕が掲げられ、シュプレヒコールが行われた。過去に悪質な不動産業者をターゲットとしたデモ「シンエイエステート弾劾デモ」を敢行した「住まいの貧困に取り組むネットワーク」が主催団体の一つになっているだけあって、士気の高いデモになった。
「シンエイエステート弾劾デモ」は2009年9月12日に東京都立川市で行ったデモで、賃貸借契約書に記載のない退室立会費の徴収などシンエイエステート(佐々木哲也代表)の宅地建物取引業法違反を弾劾した。住まいの貧困に取り組むネットワークの活動が実り、シンエイエステートと同社の物件を仲介していたグリーンウッド新宿店(吉野敏和代表)は2010年6月に東京都から宅建業法違反で業務停止処分を受けた(林田力「都知事選出馬の渡辺美樹・ワタミ会長の経営の評価」PJニュース2011年2月21日)。
http://www.pjnews.net/news/794/20110219_3
脱原発デモでは音楽や川柳などの文化要素が活用され、お祭り的な雰囲気の下に大盛り上がりとなっている。これは従来型の左派市民運動的なデモに抵抗感のある幅広い市民層の参加を促す上で大きな意義がある。一方でデモが盛り上がったことを成功と評価する傾向があることを批判する声もある。デモを盛り上げることが目的化されるならば、原発の廃止や福島第一原発事故の終息、放射能汚染・被曝の防止などの課題解決に結びつかない。
既に日本は民衆運動がお祭り化したことによる失敗を経験している。幕末の「ええじゃないか」である。行き詰った封建社会を打破する民衆運動になるものが、浮かれ騒ぐだけでエネルギーを発散してしまった。その結果が徳川幕府から薩長藩閥に権力が移行しただけの明治維新であった。この点で住まいの問題を人権と構成する「住まいは人権デー」は地に足ついた活動として参考になる。

利休切腹姫たちの戦国

織田信長。あのものの茶の前では刀や鉄砲も役には立たん。
利休。縛られ命じられて茶を点てたことはいっぺんもない。
殿下に殺して頂きますかな。
お二人には以前のような親しさがない。
三成は利休を妬んでいるのではないか。
私は胸騒ぎがしてなりませぬ。
秀勝。女のかんは当たる。
茶々。三成に何か言われて動く殿下ではない。これはお二人の間のことじゃ。殿下と利休様のな。
千利休。秀吉が面白いから茶頭になった。好きな人のために茶を点てたい。あなた様のために茶を点てるのが嫌になりましたんや。
秀吉。ならば望み通りにしてやろう。切腹を申し付ける。
江。私が止める。

2011年6月25日土曜日

林田力さん川柳

2011年06月18日現在の「林田力さん」
今日の必殺技 : 早食いダイエット
記事を書く気力 : 頑張っても無駄な気がする
マイミクへの気持ち : たまには一緒に踊りたい 
今日の「林田力さん川柳」
警察署 昆虫集めた 午後のお茶
※この川柳は、今日の林田力さんの為に鑑定システムが勝手に詠った川柳であり、林田力さん作の川柳ではありません。
http://astore.amazon.co.jp/hayariki-22/detail/B003NVDMZ8
今日林田力が流される確率 7%
今日林田力が友達に居留守を使われる確率 71%
今日林田力が知ったかぶりする確率 4%
今日林田力が舌打ちされる確率 38%
今日林田力が贔屓される確率 96%

機動戦士Vガンダム DVDメモリアルボックス
http://astore.amazon.co.jp/hayariki-22/detail/B0000BX86T
林田力「『幸せになろうよ』第9話、クールな黒木メイサが感情表現を豊かに」リアルライブ2011年6月15日
http://npn.co.jp/article/detail/08775589/
林田力「『リバウンド』第8話、鬼編集長ぶりが様になる若村麻由美」リアルライブ2011年6月17日
http://npn.co.jp/article/detail/47890611/
林田力「制服向上委員会が反原発ソング『ダッ!ダッ!脱・原発の歌』を発表」リアルライブ2011年6月18日
http://npn.co.jp/article/detail/22341413/

「犯罪者/記者」の公式サイトは

「犯罪者/記者」の公式サイトは、本編に負けず劣らず重厚な内容である。その企画意図、スタッフ、登場人物、あらすじ、トピックス、よくある質問といったメニューが並ぶ。特に登場人物では、人物相関図が明快にまとめられており、頭の整理に便利である。各人物名をクリックすると、その人物の人となりが写真入で解説されるという優れもの。スタッフの手による日記では、こぼれ話が楽しい。
http://www.hayariki.net/mani/greenw.html
林田力「『STEEL BALL RUN』第24巻、主人公とラスボスの立ち位置が逆転」リアルライブ2011年6月11日
http://npn.co.jp/article/detail/27068591/
林田力「『江〜姫たちの戦国〜』第22回、向井理が意思の強い徳川秀忠に」リアルライブ2011年6月13日
http://npn.co.jp/article/detail/35356674/
林田力「『JIN-仁-完結編』第9話、熱血教師を脱却した陰のある佐藤隆太」リアルライブ2011年6月14日
http://npn.co.jp/article/detail/25610161/

リバウンド。検索野郎の豹変

上質なラブコメは誰と誰が結ばれるか最後まで予想がつかない話である。リバウンドは信子と太一がベストカップルである。しょうもない口喧嘩もするが、ケーキ作りでは息のあったところを見せている。しかし、二人は別れたままで最終回に突入する。信子と研作、太一と瞳という終わらせ方も、あり得るのではないかと思わせる展開になった。
研作は主人公に思いを寄せる存在で、恋愛ドラマでは定番の主人公カップルの障害である。しかし、研作はギャグキャラと化している。自分の意見に自信がなく、何でも検索しなければ気が済まない。ケータイ世代を戯画化したキャラクターである。
主人公カップルを破壊される心配がない。むしろ彼に対して太一が必要以上に対抗意識を燃やしており、彼の登場は主人公カップルの促進材料になるという珍しい恋敵になっている。
序盤ではリバウンドしたら別れると公言する太一との比較から、太ってもいいと言う研作の方が信子にお似合いという意見もあった。しかし、その気は信子には皆無である。つきあっていた頃に太っていた信子と手をつなごうとしなかったという身勝手さも明らかになる。そして今回、信子が「そうでちゅか」と研作にぶちぎれる。

2011年6月20日月曜日

人質秀忠

旭姫の臨終の場で、未来の夫に初対面。秀忠は父親に人質に出されたと屈折している。家康への屈折した感情は次男の秀康に描写させることが多いが、秀忠で描くことはユニークである。
秀忠。今度は庇うのですか。ボロクソに言っていたのに。私の父も同じようなもの。
もうお会いすることもないでしょうが。
江。私も、そう願っております。
侍女。姫様のいつもの調子が出なかった。
http://hayariki.net/
秀忠。どこにでも顔を出すのですね。

2011年6月19日日曜日

23日拡大幹事会に保坂展人区長も参加します

新しいせたがやをめざす会からの案内です。
6月区議会は連日傍聴席に多くの方が詰めかけています。今後も区議会から目が離せませんね。
さて、先日お知らせいたしました拡大幹事会が近くなりましたので、再度メールさせていただきます。
冒頭30分程度、保坂区長も参加され、お話いただけるということです。ぜひ皆さまお出かけください。
新しいせたがやをめざす会拡大幹事会
「新しい区政への胎動」
◆日時=6月23日(木)午後6時半〜8時半
◆会場=東京土建世田谷支部会館会議室
◆議題=経過報告と今後の活動について
http://hayariki.net/setagaya/

2011年6月17日金曜日

在日1世と家族の肖像写真展

■「在日1世と家族の肖像写真展−地域社会を映す在日朝鮮・在日韓国人1世の姿」
日 時:6月18日(土)13:00〜20:00
      19日(日)10:00〜17:00【入場無料】
場 所:町田市民ホール4階 第2ギャラリー
     (小田急線町田駅徒歩7分、JR横浜線町田駅徒歩10分)
主 催:チマチョゴリ友の会
http://www.hayariki.net/tokyu/senpuku.htm

2011年6月15日水曜日

機動戦士vガンダム

機動戦士vガンダムで印象的なキャラクターは、カテジナです。ガンダム・シリーズは主人公が巻き込まれ型である点が特徴である。これがvガンダムでは主人公だけでなく、ラスボスも巻き込まれ型になった。
http://hayariki.net/

都知事選出馬の渡辺美樹・ワタミ会長の経営の評価:林田力

渡辺美樹・ワタミ会長が2011年4月10日に投開票される東京都知事選挙への立候補を表明した。渡辺氏は「東京を経営する」をキャッチコピーとしており、有権者は渡辺氏の経営の内容を冷静に評価する必要がある。
カリスマ経営者ともてはやされる渡辺氏であるが、雑誌『週刊金曜日』上で痛烈に批判されたばかりである(村上力「居酒屋ワタミが事故を隠蔽工作」『週刊金曜日』2010年11月5日号)。東京都世田谷区の居酒屋「語らい処 坐・和民」三軒茶屋駅前店では2010年9月に20名の発症者を出すノロウイルス食中毒事故を起こして営業停止処分を受けた。しかし、一時閉店を知らせる店頭の張り紙は「設備改修および店内清掃」を理由とし、食中毒の事実に触れなかった。
記事はワタミの隠蔽工作を批判した上で、従業員に渡辺氏の個人崇拝を行っているなどとワタミの企業体質に踏み込む。渡辺氏は「何があってもウソはつかない。それは利益よりも大切だ」と語っていた(「社長の腐敗 「安易な道」を選ぶから不祥事が起こる」日経ベンチャー2007年12月1日)。そのカリスマ経営者の矛盾を暴露した力作記事であり、都知事選候補者の判断材料としても有益である。
http://www.pjnews.net/news/794/20110219_3
記事はカリスマ経営者の率いる企業の隠蔽工作ということで話題になったが、行政処分などの都合の悪い事実を隠す体質は日本企業でありふれたものである。
たとえば賃貸仲介不動産業者・グリーンウッド(吉野敏和代表)の事例がある。グリーンウッドは賃貸借契約書に記載なく退室立会費を受領したなどとして宅地建物取引業法違反で東京都から業務停止処分を受けた(東京都都市整備局「宅地建物取引業者に対する行政処分について」2010年6月8日)。業務停止処分期間中はウェブサイト上での物件紹介も禁止される。ところが「住まいの貧困に取り組むネットワーク」によると、グリーンウッドは自社ウェブに以下の表示をしたという。
「只今 ホームページ調整中です。物件リストを6月19日には掲載いたしますので、今しばらくお待ち下さい。」
これに対して同ネットワークは「ふざけた記載」と怒りを顕わにする(住まいの貧困に取り組むネットワーク ブログ「シンエイエステートとグリーンウッドに対して東京都が行政処分」2010年6月8日)。
http://housingpoor.blog53.fc2.com/blog-entry-106.html
東京都の報道発表資料によると、グリーンウッドは資本金0円で、東証1部のワタミとは比較にならない。それでも行政処分隠しという点で同レベルの活動をしていることは興味深い。ワタミの隠蔽工作をカリスマ経営故の異常性を捉えるならば視点を誤ることになる。実際、ワタミでは給料未払いなど労働紛争も起きており、ブラック企業とする指摘もある。革新的な経営者というよりも、日本企業の醜い点を巧妙に活用したというイメージが近い。
この視点は都知事選の候補者評価としては非常に重要である。石原慎太郎都知事が欠点の多い政治家であることは、石原氏の支持者も否定できない事実である。それでも過去に石原氏が当選した理由は欠点を認めながらも、それを上回るカリスマ性を感じる有権者が多かったためである。
既に食中毒の隠蔽工作などに基づく渡辺氏の批判が始まっているが、カリスマ経営者故の異常性と位置付けてしまうならば、型破りの候補者を求める有権者に逆に魅力的に映ってしまう。これは石原氏の当選と同じ道である。反対に隠蔽体質の日本企業と変わらないと位置付けることで、つまらない保守系候補の一人としてカリスマ性を奪うことができる。
http://www.hayariki.net/poli/koto.html

2011年6月14日火曜日

機動戦士Vガンダムと機動戦士ガンダム00

『機動戦士ガンダム00』2ndシーズン放送開始:林田力
TBS系列のテレビアニメ『機動戦士ガンダム00』セカンドシーズンが2008年10月5日の第1話「天使再臨」から放送を開始した。本作品は第1期が2007年10月から2008年3月にかけて放送され、今回が続編になる。

第1期ではユニオン、AEU、人革連の三大勢力が対立する世界で、私設武装組織「ソレスタルビーイング(略称CB)」が戦争根絶のために武力介入する展開であった。CBの武力介入の影響もあり、世界が地球連邦に統一されるところで第1期は終結した。

第2期は、それから4年後である。地球連邦政府は独立治安維持部隊「アロウズ」を設立したが、それは統一を名目に反対勢力への非人道的な弾圧を行う組織であった。繰り返される争いの現状に、刹那・F・セイエイらは再びガンダムに乗って戦うことになる。

ガンダムの世界では地球側の勢力(例:地球連邦)と宇宙側の勢力(例:ジオン公国)の戦争が伝統的な枠組みであった。それぞれに正義と悪を抱えており、単純な勧善懲悪にはならないが、対立軸は明確であった。これに対し、本作品の第1期では三大勢力が互いに争う中で、CBは武力紛争を起こした勢力を攻撃するユニークな設定であった。

CBにとっては戦争することが絶対悪であり、戦いの動機を問題としない。戦争を行う当事者は理由を問わず武力介入の対象になる。CBは「弱気を助け強気を挫く」存在ではない。大国に挑む小国の軍備でも容赦なく攻撃する。一方、CB自身がしていることも武力の行使である。CBは戦争を根絶するために武力介入するという矛盾に満ちた存在である。ガンダム作品の中でも非常に難しい作品になっている。

第2期では第1話を観た限り、CB対アロウズに対立軸は集約されそうである。戦争を根絶させるために統一政府「地球連邦」を樹立したが、その結果、強力な統一組織による圧制と弾圧が生まれるという結果は皮肉である。テロとの戦いを名目に政府の権限が強化されている現実社会への警鐘とも捉えることができる。

アロウズは無差別殺戮を行うなど分かりやすい悪として描かれている。分かりやすい悪を倒すことでハッピーエンドというストーリーは分かりやすいが、戦争根絶という難しいテーマを掲げた作品の結末としては物足りない。分かりやすい悪を倒しただけで戦争が根絶されるほど世の中は単純ではない筈である。

前番組の『コードギアス 反逆のルルーシュ』も第1期と第2期に分けて放送された作品であるが、第1期では日本一国の独立を目指したのに対し、第2期では世界の平和を目指す点でテーマが拡大されている。第1期では戦争根絶という壮大な目標を掲げた本作品が第2期では目の前の巨悪を倒すだけで終わってしまうことはないと思われる。どのような展開が待っているのか、期待したい。

また、アロウズは地球連邦の歪みを反映した強硬派組織という点で『機動戦士Zガンダム』のティターンズを想起される。本作品の一世代前のガンダム作品『機動戦士ガンダムSEED』は遺伝子改良された人種コーディネーターを登場させるなど独自の世界観を投影した作品であった。

しかし、続編の『機動戦士ガンダムSEED DESTINY』ではファーストガンダムの再利用が目立った。『DESTINY』ではモビルスーツにザクやグフ、ドムが登場した上、「ザクとは違うのだよ!ザクとは!」の名台詞やジェットストリームアタックなどが使われている。歴代ガンダムと比べてもユニークな世界観を持っていた『機動戦士ガンダム00』も続編では既存作品の影響を受けることになるのかも見所である。

物語内の時間の流れは第1期から4年経過しており、その間に地球連邦政府の樹立という大きな出来事も生じている。その第1話となると説明で終始してしまいがちになるが、本作品では冒頭から激しい戦闘シーンもあり、映像作品として迫力があった。今後も期待のアニメとして注目していきたい。
http://www.hayariki.net/cul/anime.htm
機動戦士Vガンダム DVDメモリアルボックス
http://astore.amazon.co.jp/hayariki-22/detail/B0000BX86T
富野由悠季総監督作品「機動戦士Vガンダム」TVシリーズが初DVD化! 宇宙世紀0153年、数奇な運命に導かれ、Vガンダムを駆ることになった少年の姿を描く。
G-SELECTION 機動戦士Vガンダム DVD-BOX 【初回限定生産商品】
http://astore.amazon.co.jp/hayariki-22/detail/B003NVDMZ8
宇宙世紀0153年。サイド2に興ったザンスカール帝国は、女王マリアの提唱する"マリア主義"−母なる者への回帰−を揚げて地球圏の新たな秩序を建設せんと決起する。だが、そのやり方はギロチンによる粛清に象徴される恐怖政治その物だった。
 地球に侵攻してきた帝国軍"ベスパ"に、形骸化した連邦に代り立ち向かうレジスタンス組織リガ・ミリティアは、Vガンダムを開発。偶然そのパイロットとなった少年ウッソを待つ運命とは?
林田力「『幸せになろうよ』第8話、仲里依紗のトゲのある演技に爽快感」リアルライブ2011年6月8日
http://npn.co.jp/article/detail/65755193/
林田力「『BLEACH』第50巻、死神代行消失篇に過去の長編設定のアナロジー」リアルライブ2011年6月9日
http://npn.co.jp/article/detail/81253360/
林田力「『リバウンド』第7話、イケメン役でコミカルな速水もこみち」リアルライブ2011年6月10日
http://npn.co.jp/article/detail/30970681/

黒木メイサ幸せになろうよ

黒木メイサ。話聞いてる?ご忠告ありがとう。
http://hayariki.net/

2011年6月12日日曜日

父母の肖像

江。産まれてくる子に災いが降りかかる。罰が当たる。だからと言って人を殺めていいのですか。豊臣秀吉。今は子を待つ父親じゃ。
千利休。黒い茶碗は関白殿下はお嫌い。近いが故にもっとも遠い。
初。親バカここにきわまれりじゃ。

家族愛がテーマ『エンジェル・ハート 第27巻』:林田力

本書(北条司『エンジェル・ハート 第27巻』新潮社、2008年9月9日発売)は2010年6月に刊行停止が発表された週刊コミックバンチ連載マンガの単行本である。同じ著者の代表作『シティーハンター』のアナザーワールドにおける続編を描いたハードボイルドである。
『エンジェル・ハート』では冴羽リョウや海坊主(ファルコン)、野上冴子ら『シティーハンター』で馴染みのキャラクターが登場する。一方で海坊主が黒人であるように『シティーハンター』とは全く異なる設定もある。『エンジェル・ハート』でも『シティーハンター』にあるようなコメディーは健在である。しかし、それ以上に交通事故死した槇村香の心臓を移植された香瑩(シャンイン)とリョウを中心とした家族愛が主題になっている。
『エンジェル・ハート』はリョウと香瑩がシティーハンターとして依頼人から請けた仕事を解決していく物語である。数話に渡って一つの事件が展開される。伏線を引き継ぐことはあるものの、基本的に事件毎のオムニバス形式である。
この巻では最初から最後まで一つのエピソードが区切りよく収録されている。前巻までは主人公達自身の戦いという側面が強かったが、この巻では依頼人の事件を解決するという基本構成に即している。今回の依頼人は喫茶店キャッツアイの常連客の老紳士である。
20年前に離れ離れになった家族を思う気持ちが涙を誘う物語になっている。台湾マフィアの正道会の過酷な掟が背景にあるが、関係する人物が皆、本性は善人である。そのため、悲しい話でありながらも、人間に対して希望を持てるような読後感が残る。
『シティーハンター』も本作品も連載当時の現代を舞台にした物語である。『シティーハンター』の連載は主に1980年代である一方、本作品は2000年代である。この時代の開きは作品にも反映している。携帯電話やインターネットなどのIT技術の普及があるが、本作品で特徴的なのは国際色が豊かになっていることである。
主人公の香瑩は台湾人であるし、新宿には日本のヤクザ以上に台湾マフィアが勢力を伸張している設定になっている。この巻の依頼人も正道会のメンバーであり、それ故に異郷である日本で愛した家族への思いが強く感じられる。
http://www.hayariki.net/cul/anime3.htm

2011年6月11日土曜日

茶室における露地の効用:林田力

侘び茶の大成者・千利休は茶室を現世における清浄無垢な仏土を実現する場と位置付けた。その清浄なる空間に入るに際しては心を入れ替えることが求められる。浮世の雑念を捨てて茶室に入るための仕掛けが露地(茶室に付随する庭園)である。
茶室は最小の空間に豊かな広がりを与える世界に誇る日本の伝統建築である。茶室が豊かな広がりを有する理由は、露地とつながっている点に求められる。つまり、茶の湯の空間は、茶室だけでなく、外界(露地)と一体に仕組まれている。茶道も桂離宮などと同じく庭屋一如の精神を継承している。
「或る対象は、それが置かれるべき場所に置かれることによって、はじめてその真価を発揮する。花は花瓶に生けられ、花瓶は床の間に置かれ、床の間は茶室の中にあり、茶室は風雅な庭園の一隅にしつらえられている」(尾高朝雄『自由論』ロゴス社、2006年、45頁)。
利休が露地に高い精神性を付与していたことは以下の言葉が示している。
「露地はただ浮世の外の道なるに心の塵をなどちらすらん」
「露地は草庵寂寞の境をすべたる名なり、法華譬論品に長者の諸子三界の火宅を出て露地に坐すると説き、また露地の白きと云ひ、白露地共いへり。一身清浄の無一物底也。」(「南方録」)
心理学者も露地の心理効果を以下のように説明する。
「露地とは、この浮世の外にある地上の天国、いや極楽の超ミニ版への超ミニ参道で、進行につれて刻々と清浄感や鎮静効果が深まる」(安西二郎『新版 茶道の心理学』淡交社、1995年、33頁)。
現代では茶室を独立の建物として構えることは稀で、住宅内の一室を茶室とするケースも多い。その場合でも茶室の隣でザワザワ、ガヤガヤと話し声が聞こえるような場所では茶室の静寂さはなくなってしまう。露地が無理としても、茶室を聖域とする工夫が求められる。
http://www.hayariki.net/cul/fmw.htm
林田力「『JIN-仁-完結編』第8話、患者本人と向き合う医療ドラマ」リアルライブ2011年6月7日
http://npn.co.jp/article/detail/28233070/
林田力「ジャンプ的なバトル要素のあるCLAMPファンタジー『GATE 7』」リアルライブ2011年6月7日
http://npn.co.jp/article/detail/55014999/

2011年6月10日金曜日

大河ドラマ『龍馬伝』岩崎弥太郎はどこに行く:林田力

NHK大河ドラマ『龍馬伝』は何度も小説やドラマで描かれてきた坂本龍馬(福山雅治)を岩崎弥太郎(香川照之)の目線で語らせるというユニークな試みである。史実では龍馬と弥太郎が正式に接点を持つ時期は清風亭会談以降であるが、2010年10月3日に放送された第40話「清風亭の対決」の弥太郎は精細を欠いていた。
弥太郎は序盤では迫真の演技が主役を食っていると評されるほどであった。また、新撰組に捕らわれ、寺田屋に宿泊するなど史実と関係ないところで弥太郎が出しゃばり過ぎとの批判もあった。
弥太郎を準主役として目立たせたいならば清風亭会談こそ活躍の場になる。たとえば後藤象二郎(青木崇高)を動かして土佐藩と亀山社中の連携を成功させた影の立役者を弥太郎とすることなどが考えられる。
しかし、『龍馬伝』では異なっていた。弥太郎は後藤に龍馬の存在すら報告しなかった。「さ、さ、」と龍馬の名前を口に出そうとして、言えなかったシーンは笑えるが、弥太郎は時代を進める役割は果たさなかった。後藤が龍馬の存在を知った経緯は長崎の商人の口からであった。
今回描かれた弥太郎は口とは裏腹に龍馬のことを思う「いい人」であった。弥太郎は龍馬の身を案じ、後藤との会談を求める龍馬に「薩長への橋渡しだけで良い」と答えた。また、会談中に龍馬に斬りかかろうとする上士を体張って止めようとした。微笑ましいが、活躍ではない。
代わりに清風亭会談では後藤の懐の深さが描かれた。後藤の人物の大きさを描くためには、弥太郎の活躍で清風亭会談が成功したというシナリオは邪魔である。龍馬と後藤という人物同士の率直な会談で、薩長同盟締結時にもなかった緊迫感を演出できた。その意味で今回のシナリオは大成功である。
一方で弥太郎の立ち位置は微妙である。龍馬の人間的魅力に嫉妬心を抱きながらも、引っ張られるだけで終わってしまうのか。どのような弥太郎を制作者が描くつもりであるのか目が離せない。
http://www.hayariki.net/cul/drama.htm

『20世紀少年<第2章>』全体主義の怖さ:林田力

映画『20世紀少年<第2章>最後の希望』(堤幸彦監督)は2009年1月31日に公開された作品である。本作品は浦沢直樹のSFサスペンス漫画『20世紀少年』『21世紀少年』を原作とする実写映画である。映画は3部作になっており、本作品は第2章になる。

第2章はケンジ(唐沢寿明)の姪のカンナ(平愛梨)が主人公的存在である。時は西暦2015年で、第1章では幼児だったカンナも高校生に成長した。2015年の日本は救世主とされた「ともだち」が支配する社会になっている。2000年の「血の大みそか」はケンジ一派のテロと濡れ衣を着せられた状態である。行方不明のケンジに代わり、カンナやヨシツネ(香川照之)、オッチョ(豊川悦司)は「ともだち」の正体に迫る。

第2章も第1章に引き続き、原作の雰囲気に忠実である。ストーリーも原作をなぞっていたが、長編漫画を映画にまとめる関係上、省略されたエピソードも多い。そのため、次第に日常が非日常に侵食されていくという原作の不気味さは弱まっているが、一気に見せる映画の性質上止むを得ない。一方、「ともだち」の正体は原作とは異なり、第2章の最後になっても分からずじまいで、第3章のお楽しみとなっている。この点は原作と異なる内容になる可能性があり、第3作も観なければならないという気にさせられる。

オーディションで大抜擢されたカンナ役の平愛梨をはじめとしてキャストの好演が光った本作品であるが、不気味さを怪演していたのは高須光代(小池栄子)及び彼女の率いる「ともだちランド」スタッフである。高須らは「ともだち」教団の裏仕事を担当するが、悪事をしているという後ろめたさを全く感じさせないハイテンションさが不気味である。

第1章でケンジの経営するコンビニを襲撃した集団は、いかにも洗脳されている狂信者という印象であった。これに対し、高須らは非常に軽い。命令に対して「サンキュー」や「喜んで」と答える。まるでサービス業の接客マニュアルのような応対振りである。それがかえって怖さを感じさせる。

「ともだち」の組織はカルト的な宗教団体である。それが自作自演のテロ事件を起こし、日本を支配することになる。現実にもオウム真理教による地下鉄サリン事件などが起きており、決して荒唐無稽な話ではない。それでもカルト組織は通常の市民生活を送る人々にとっては縁遠い別世界の話である。

ところが、高須らの集団は日本社会に普通に存在するサービス業従事者のような行動規範である。ここには企業組織が容易に全体主義の歯車に転嫁してしまう怖さがある。実際、多くの企業不祥事は企業内部の常識が世間の常識とずれていたために起きている。企業の内部にいると、社会的には悪いことをしているという感覚が磨耗してしまう。
http://www.hayariki.net/cul/movie.htm
記者も東急不動産(販売代理:東急リバブル)から不利益事実(隣地建て替えなど)を説明されずにマンションを購入して裁判で売買代金を取り戻した経験がある(林田力『東急不動産だまし売り裁判 こうして勝った』ロゴス社、2009年)。その時の東急不動産の課長(当時)の論理は「隣地建て替えを説明しても、もし建て替えられなかったならば問題になる」という消費者の利益を無視した身勝手なものであった。消費者の立場を理解しようとしない東急不動産従業員には宇宙人と話しているような不気味さがあった。同じ不気味さが高須らの集団からも感じられた。

カルトという特別な集団だから問題なのではない。普通の企業であっても、間違った方針の下、構成員が思考を停止し、歯車になってしまえばカルトと同じような暴走をする。異常なカルト教団が社会に浸透する恐怖を描いた第1章に対し、第2章ではカルトに限らない全体主義の怖さがある。そして一見するとソフトな全体主義こそ、現代日本において第一に警戒しなければならないものである。その意味で第2章は前作にも増して社会性が深まった作品である。

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高橋みなみ。やっと終わったというすがすがしい気持ち。
柏木。母がスイカにマジックで、おめでとう。
前田敦子と大島優子は仲がいい。
板野友美。昨日は眠れなかった。

2011年6月9日木曜日

市川海老蔵暴行事件は反社会的勢力との戦い:林田力

市川海老蔵の暴行事件で、関東連合系の元暴走族リーダーの代理人を務める藤本勝也弁護士(藤本法律会計事務所)は2010年12月16日に予定していた記者会見を急遽中止した。会場の混乱が避けられないことを理由とするが、額面通りに受け取る人は少ない。元暴走族側の過剰なパフォーマンスは、海老蔵が罠にはめられたとの印象を強める。
歌舞伎役者の海老蔵が顔などを殴られ、全治2ヶ月の重傷を負った事件は一大スキャンダルになった。本来ならば善悪は明確である。暴走族などの反社会的勢力との関係を指摘される人物が歌舞伎役者に重傷を負わせた。歌舞伎役者は命からがら逃げ帰り、所持品も失った。失った携帯電話を反社会的勢力が悪用する可能性も指摘されている。本来ならば反社会的勢力に対する恐怖をもたらす事件である。
海老蔵に道徳的に反省すべき点があるとしても、暴走族のような反社会的行為はしていない。それでもメディアは酒癖の悪さなど海老蔵を集中バッシングする傾向にあった。これには2つの理由が考えられる。
第一に酔っ払いへの嫌悪感である。酔っ払いに絡まれて嫌な思いをさせられた人間は少なくない。酔っ払い自身はいい気持ちになっているために始末が悪い。しかも、翌朝になれば、すっかり忘れてしまう。自分が不快感を与えた人間であるという自覚もない。酔っ払いに苦しめられた経験のある人々にとって、服を脱がし、土下座までさせた伊藤リオン容疑者の行為は、痛快でさえある。酔っ払いの酔いも一気に冷めたことであろう。
これまで後進的な日本社会は酔っ払いに対して寛容すぎた。酔っ払いに対して本気で怒ることは野暮であり、大目に見ることが度量というような愚かな発想さえある。酔っ払いに対しては、たとえ我慢できたとしても、あえて硬直的な態度をとって座を白けさせるくらいが適切である。その意味では酒癖の悪さをクローズアップして、人格批判するマスメディアの論調は日本社会の進歩と受け止めることもできる。
http://hayariki.net/cul/show.htm
第二に意外性である。暴走族が人を殴ることは明らかに悪いことである。しかし、社会のダニとまで忌み嫌われている暴走族が悪事を働くことに意外感は少ない。それよりも伝統芸能の継承者であり、それこそ末は人間国宝とも考えられる梨園のプリンスの悪酔いの方がネタとしては興味深い。
以上のとおり、海老蔵へのバッシングにも理由があるが、それが一巡すれば元暴走族側の胡散臭さが浮き彫りになる。もともと藤本弁護士は12月11日に会見を行う予定であった。しかし、海老蔵に暴行を加えた伊藤リオン容疑者が10日に逮捕されたことを理由に16日に延期していた。
その会見を今度は、大勢の記者が殺到して会場に入りきれず、混乱するという容易に想像できる理由で再延期した。ここからは会見を交渉のカードとして利用しているように推測できる。実際、会見延期を報じるネット記事には以下のコメントが寄せられた。
「裏の交渉がまとまらなかったのですね。」
「(会場が)狭い理由以外に間違いなく裏事情があるな。」
「本当の都合は、1円でも多く搾り取るための都合でしょ?」
「うまい金づるになると見込んで海老蔵側の動揺を誘うために大したネタもないのに会見を発表したけれど、予想外の海老蔵側の強気の態度に当てが外れてしまった?」
「弁護士も彼らのグルだろ。品格が全くないもん。」
もともと元暴走族側は裏交渉での示談を求めていると見られていた。元暴走族側の被害届提出への言及も、海老蔵への揺さぶりの一環とされる。元暴走族が海老蔵に負傷させられた証拠となる診断書にも疑問がある。診断書を書いた高木繁・統合的癌治療専門エイルクリニック院長は外科ではなく、ガンの専門医である。
高木氏は「末期ガンにキノコが効く」などと主張する異色の医者である(高木繁『最強・最速の抗ガンキノコメシマコブ—あなたの免疫力を最強にする驚異のキノコの神秘!』サクセスマーケティング、2003年)。元暴走族は何故、わざわざガン専門医に受診したのだろうか。
元暴走族側の怪しさを知る上で、16日に発売された週刊文春2010年12月23日号の記事「海老蔵 vs 伊藤リオン容疑者『スキャンダル・バトル』」は興味深い。記事では海老蔵に負傷させられたと主張する元暴走族は事件後に飲み歩いているとする。また、高木氏についても様々な情報を掲載する(「診断書を書いた医師はあいはら友子夫『末期がんにキノコがきく』」)。
極めつけは関東連合系の暴走族ブラックエンペラーの幹部であったとする金崎浩之弁護士(弁護士法人アヴァンセ)のコメントである。そこでは「海老蔵にとっても示談はメリット」とし、「被害届を取り下げた方が双方にメリットがあるが、海老蔵側が意固地になっている」と分析する。金崎氏は中立的な識者としてコメントしたような装いだが、内容は暴走族側の本音の代弁にしか読めない。
金崎氏はテレビ番組にもコメンテータとして出演し、「海老蔵の経歴に傷が付くのは、困るでしょう」などと主張した。インターネット掲示板では「テレビで関東連合の思惑を語った弁護士」と受け止められ、「海老蔵事件関係の関東連合系人物相関図」にも名前が載った。少なくともメディアが金崎氏のコメントを求めた理由は、金崎氏が元暴走族という経歴を売りにしているためである。海老蔵事件が暴走族など反社会的勢力出身者の特需になっているという嘆かわしい現実がある。
この状況で海老蔵が被害届を取り下げて、示談で済ませたならば、反社会的勢力の無法を許すことになる。海老蔵が暴走族に屈服したという印象を世間に与える方がダメージである。そのために民事介入暴力の専門家・深澤直之弁護士を海老蔵の代理人とした意味がある。
反社会的勢力に弱みを見せれば、成田屋は恐喝され続け、骨までしゃぶられる。同じ伝統芸能の大相撲でも反社会的勢力との癒着が厳しく糾弾された。興行にはヤクザがつきものという考えもあるが、それは伝統的な任侠を念頭に置いたもので、暴走族やチンピラは有害無益である。
海老蔵事件は六本木に巣食う闇組織の実態を明らかにし、壊滅させるチャンスになる。それに貢献することが海老蔵にできる最大の善行である。

『モンスタークレーマー対策の実務と法』クレームには誠意を:林田力

本書(升田純、関根眞一『モンスタークレーマー対策の実務と法 第2版』民事法研究会、2009年10月16日発行)は弁護士(升田氏)と苦情・クレーム対応アドバイザー(関根氏)がクレームの背景を分析し、解決の方向を紹介した書籍である。第2版では業種別クレーム事例を倍増して、より実践的な内容にした。
副題に「法律と接客のプロによる徹底対談」とあるとおり、異なる分野の専門家2人の対談形式で進行する。版元は法律書専門の出版社であるが、本書の内容は法律論よりも苦情処理が中心である。これは升田氏が聞き手で関根氏が語り手という形で進行する流れになっているためである。法律論では合法か違法かで一刀両断することになるが、苦情対応の現場では違法性がないから突っぱねるというものでもない。その意味で法律論を抑えたことは、この分野の書籍として成功である。
かねてより私はクレーマーという言葉の使われ方に疑問を抱いている。クレームは「要求する、主張する」という意味である。権利の上に眠るものは保護されない社会において、権利を主張することは正しいことである。商業メディアがクレーマーにネガティブなイメージを植えつけただけであって、消費者はクレーマーと呼ばれることを誇りにするくらいでいいと考えている。
残念ながら本書でもクレーマーはネガティブなイメージで使われている。しかし、関根氏は「最初から悪意を持ってクレームをつける人は、普通はいません。ところが、クレームの前に、問い合わせをしたときに受け付けてもらえず対応がいい加減だったというようなことがあると、自分の主張を通すために勉強をしてくる」と述べる(17ページ)。
クレームには基本的に誠意をもって謝れば解決できるというスタンスで、クレームを受ける側が顧客の不満を言葉の中から探し出し、相手の立場に立つことが解決の近道と主張する。本書のタイトルにはモンスタークレーマーとあるものの、本書は常識の欠けた理不尽な要求をする人に特化したものではなく、通常の苦情対応の対策書である。
通常の苦情でも対応を誤ればモンスタークレーマーとなってしまう。むしろ、消費者をモンスタークレーマーとラベリングすることで、企業側は自己満足する。その背景を関根氏は以下のように分析する。
「仮に100%こちらに落ち度があったとしても、売り手側、商業側、企業側としては、そうは言いましてもという気持ちがあり、何も抵抗する必要がないのに必要以上に時間をかけてしまう。やがてそれで収まりがつかないと、正しいクレームを言った人に対して、変人扱いをする」(50ページ)。
関根氏がクレームに正面から向き合うことを力説する背景は相手を顧客と位置付けるためである。クレーム対応がまずければ顧客を失うことになるという緊張感を持っている。この発想は人口が減少しリピーターの価値が高まる日本社会では一層重要になるだろう。
また、私は新築マンションの購入トラブル経験があるが、その際の売主側の対応が酷かった理由も理解できた(林田力「マンション販売トラブルで「お詫び」 東急リバブル・東急不動産」JANJAN 2007年10月4日)。
http://www.hayariki.net/cul/claim.htm
不動産購入は一般人にとって一生に一度あるかないかの買い物であるため、良心のない不動産業者にとっては一度売った客の相手をしない方が合理的になる。業者の思考回路を理解できるという点で消費者にとっても有益な一冊である。

2011年6月8日水曜日

市民運動はtwitterやSNSの積極的活用を:林田力

市民運動はツイッターを積極的に活用すべきであるが、市民運動家にはツイッターに否定的な感情も少なくない。この点について以下では考察する。
短い言葉を気軽に呟ける点がツイッターの人気の背景である。これに対して市民運動の抱えるテーマは複雑である。誠実に情報発信しようとすればするほど字数制限の壁にぶつかる。市民運動ではないが、大阪市の平松邦夫市長の反応が典型的である。大阪府の橋下徹知事がツイッター上での政策論争を呼びかけたが、平松市長は「字数が少なく議論に不向き」と拒否した。
ツイッターの字数制限は、複雑な問題を述べる上で短すぎることは厳然とした事実である。正確に説明するためには、相当程度の文章にならざるを得ない。
ネット上の口コミを商品購入の参考にする消費者は少なくないが、ツイッターによって手軽に感想を呟け、それが簡単に伝播するようになった。それは必ずしも悪いこととは断言できないが、心から揺さぶられるようなモノに出会った時の感想はツイッターでは書けない。字数制限のために手軽なモノの感想が多くなる。賢い消費者にはツイッターの感想とブログの感想を区別するリテラシーが必要である。
市民運動が抱えるような問題も字数制限のあるツイッターで書き込めるものではない。思い付きを垂れ流すような情報発信があふれる中で、それらとは一線を画したいという市民運動家の思いも正当である。
http://hayariki.net/cul/pjnews.htm
しかし、ツイッターを利用することはツイッターで完結させることを意味しない。極端な使い方をすればタイトルとリンクだけを呟き、自己のウェブサイトやブログ記事に誘導するだけでいい。あくまでツイッターは道具である。完璧を求めて全否定するならば市民運動にとって大きな損失である。
ブログによっては記事を投稿すれば自動的にツイッターにタイトルとリンクを呟いてくれるサービスもある。また、電子メールで記事を投稿できるブログもある。電子メールが使えるだけの人でも、最初に仕組みを構築できればブログやツイッターも可能になる。
市民運動家には短い言葉を呟くツイッター的情報発信に過剰な拒否感も存在する。この生理的な拒否反応には二つの背景がある。
第一にマルクス主義の翻訳文の影響である。学生運動出身者など日本の伝統的な市民運動家の多くはマルクス主義の洗礼を受けている。マルクス主義の邦訳文献の多くは長文で難解である。それに慣れ過ぎて、そのような文章表現が普通になっている市民運動家も少なくない。これは市民と市民運動が乖離する要因である。
この点で科学的社会主義の担い手を自認する日本共産党が機関紙・赤旗を「です・ます調」で統一していることは興味深い。新聞が「です・ます調」になっていることには違和感があるが、左翼に蔓延する難解なドイツ語翻訳調からの克服という点では意義がある。市民運動も難しい内容を難しく説明して仲間内で悦に入る自己満足は克服しなければならない。字数制限のあるツイッターの活用は、効果的な情報発信の訓練になる。
第二に小泉純一郎的なワンフレーズ・ポリティックスへの嫌悪である。小泉元首相は、「構造改革なくして景気回復なし」など短くて分かりやすい言葉で国民の支持を集めた。これは衆愚政治・ポピュリズムとして左派的な市民運動家の多数が反発した。正確な説明に欠けるツイッターの呟きが大きな反響を呼ぶことにも、ワンフレーズ・ポリティックスと同じ匂いを嗅ぎ取り、拒否感を示す。
日本には様々な保守反動勢力が存在するが、市民運動にとって当面の最大の敵は新自由主義・構造改革派である。新自由主義者は自らを改革者と位置づけるが、市民運動にとっては改悪であり、最大の反動勢力である。それ故に市民運動家が小泉構造改革を憎むことは正しい。田中角栄流金権政治の申し子である小沢一郎に期待することも、反構造改革の観点では合理性がある(林田力「尖閣弱腰外交が管直人を救う可能性」PJニュース2010年9月29日)。
http://www.pjnews.net/news/794/20100928_16
しかし、小泉構造改革を憎むあまり、「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」の論法で、ワンフレーズ・ポリティクスという小泉元首相の手法までも否定することは不合理である。在特会などの行動する保守は街頭デモなど左派市民運動の手法を取り入れて成長した。市民運動も敵の効果的な手法を取り入れるべきである。
そもそもワンフレーズ・ポリティクス自体は左派にとって敵の手法ではない。憲法九条擁護や反原発など市民運動こそワンフレーズ・ポリティクスに親和性がある。1989年の参議院選挙で社会党が大躍進したが、それは消費税反対というワンフレーズ・ポリティクスの成果である。2009年の民主党政権誕生も「政権交代」や「コンクリートから人へ」という分かりやすいキャッチフレーズが原動力であった。
小泉元首相の手法としてワンフレーズ・ポリティクスを否定するのではなく、自分達の手法として奪い返すくらいの意識が望まれる。
市民運動はSNSの積極的活用も望まれる。国際的にはフェイスブックが有名で、チュニジア革命などでも活躍した。今後は日本でもフェイスブックがシェアを伸ばす可能性が高いが、現時点ではミクシィ、グリー、モバゲータウンの国産サービスが御三家である。このうち、グリーやモバゲータウンは積極的な宣伝広告が示すようにゲームをキラーコンテンツとし、未成年のユーザーが多い。そのために市民運動の情報発信ツールとして向いているSNSを一つ選ぶことになったら、国内向けはミクシィが最も適している。
SNSの特徴として足跡という機能がある。これは誰が自分のページを閲覧したかを教えてくれる機能である。少なからぬユーザーは足跡を定期的に確認し、足跡を付けたユーザーを訪問する。つまり、多くのユーザーに足跡を付けることが自分のページの宣伝になる。
但し、この性質を悪用して自動的に足跡を付けるソフトウェアも販売されており、システム側でも不自然な連続足跡を規制するというイタチゴッコが続けられている。
現実にミクシィ上での足跡による過剰宣伝が問題になった有名人に平沢勝栄衆議院議員と元刑事で作家の北芝健氏がいる。共にアカウントを他者に悪用されたと主張している。
平沢議員は2008年8月25日付のブログ記事「早急に対策。」で、ネットに詳しい人にミクシィの開設を依頼したが、議員の把握していない動きが出たために各方面に連絡し対策をとると表明した。その後、8月29日にミクシィのアカウントは削除され、当該ブログ記事も削除された。
北芝氏も2009年8月15日付のブログ記事「まだ梅雨が明けないのかな」で、勝手にミクシィのアカウントを開設した人物が、そのアカウントを他者の誹謗中傷やナンパの道具に悪用したために非承認としたと述べている。
このような問題があるものの市民運動が適切にSNSを活用すれば運動を広げることができる。
市民運動には住民運動のようにローカルな問題に取り組む活動も多い。そのような団体にとっては世界中に発信できるインターネットは必ずしも魅力に感じないかもしれない。それよりも街頭でビラ配りをした方が効果的との考えも出てくる。
しかし、そのような団体こそSNSは向いている。ソーシャル・ネットワークにはコミュニティーという同一のテーマで集まる機能がある。そこには江東区や世田谷区など地域のコミュニティーもある。地域のコミュニティーのメンバーの大半は住民であり、後は勤務先があるなど地域に関係・関心があるユーザーである。コミュニティーで呼びかければピンポイントで特定地域を対象とした情報発信が可能になる。
http://sites.google.com/site/hayariki4/
「『AZUMI−あずみ−』第8巻、泥まみれの下層民のリアルな描写」リアルライブ2011年6月4日
http://npn.co.jp/article/detail/53108228/
「『江〜姫たちの戦国〜』第21回、眉間にしわを寄せて悩む上野樹里」リアルライブ2011年6月6日
http://npn.co.jp/article/detail/35125879/
「『手塚治虫のブッダ』カースト制度の苛烈な現実を描く人間ドラマ」リアルライブ2011年6月6日
http://npn.co.jp/article/detail/96500462/

市民運動はツイッターやSNSの積極的活用を:林田力

独裁政権を倒したチュニジア革命(ジャスミン革命)やエジプト革命ではツイッターやソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)が威力を発揮した。これは日本の市民運動にとって参考になる。
大まかに言って日本の市民運動はウェブサイトやメールが普及し、ブログを開始したというレベルである。デジタルデバイドのある日本において、これは大きな前進である。しかし、運動の拡大にはブログはもとより、ツイッターやSNSの積極的活用に進むことが望まれる。
静的なウェブサイトもツイッターのような相対的に新しいサービスも、ブラウザ経由で情報をアクセスする点で同じである。それ故に既にウェブサイトを開設しているのだから、新たにツイッターなどを開設する必要はないとの考えは一理ある。
また、情報の保存の点でも静的なウェブサイトは有効である。基本的にブログやツイッター、SNSはサービス提供者のサイト上で更新する。そのためにサービス提供者に削除されたら、情報発信者には何も残らない。
これに対し、静的なウェブサイトは自己のパソコンで作成したHTMLなどのファイルをFTPでアップロードする形である。このため、サービス提供者に削除されたとしても、別のウェブサイト提供サービスと契約して、自己のパソコン内に保存していたHTMLファイルなどをアップロードすれば、URLは別になるが、同一内容のウェブサイトを復活できる。
この点は権力や大企業の妨害を考慮する必要がある市民運動にとって重要である。このため、いくらツイッターなどの新しいサービスが発達しても、特定のサービスに依存することは危険である。依然として静的なウェブサイトをネットの情報発信の基本とすべきである。本記事では市民運動に新たなサービスの活用を推奨するが、静的ウェブサイトにからの置換を求めるものではない。静的ウェブサイトに加えて新たなサービスの活用を推奨する。
新たなサービスの活用を推奨する大きな理由は、ウェブとツイッターなどでは情報の発信力が異なるためである。ウェブサイトは基本的にURLを入力した人か検索エンジンの検索結果から流れた人しか見ない。URLを知っている人は直接交流がある人である。検索エンジンからの訪問者も、関連するキーワードを入力した人であり、問題意識を元々有していた人である。
マンション建設反対運動に反対運動そのものへの関心はないマンション購入検討者が関心を抱くというようなことはあり、それを積極的に呼び込むように工夫することは正当である(林田力「マンション建設反対運動の団体名の一考察」PJニュース2010年12月11日)。しかし、同時に限界があることも理解する必要がある。
http://www.pjnews.net/news/794/20101210_5/
ウェブサイトが世界中からアクセスできるということは事実であり、安価に世界中に情報発信できることはネットの革命的な利点である。しかし、世界中からアクセスできるということと、世界中の人がアクセスするということは異なる。多くの人に知ってもらう点では依然として既存メディアの影響力は大きい。ネットを過小評価することは誤りだが、過大評価も誤りである。
読み手が積極的にアクセスしなければならない静的ウェブサイトと異なり、新しいサービスはプッシュ型の情報配信の仕組みがあり、情報を伝播させやすい。ブログはPingやトラックバックという機能によって、記事の更新を他のサーバに伝えることができる。
ツイッターやSNSにはフォローや友達という仕組みがある。自分のページを開くとフォロー先や友達の新着情報が見られる仕組みである。この仕組みはブログでも可能だが、読み手側がRSSリーダーに登録する必要がり、ツイッターやSNSほど手軽ではない。この点が字数制限のある点でブログよりも機能が劣るツイッターがメディアとして注目される一因である。
フォロワー(フォローする人)や友達は少しの努力で増やすことができる。自分がフォローすればフォローを返してくれる人も多い。SNSでは友達を募集するコミュニティーが存在し、そこで友達を募集でき、友達募集者を見つけることもできる。フォロワーや友達を増やすことで静的ウェブサイト以上の情報発信力を得ることができる。
http://www.hayariki.net/cul/pjnews.htm
「『幸せになろうよ』第7話、優しさからのドロドロ展開が月9の新機軸か」リアルライブ2011年6月1日
http://npn.co.jp/article/detail/12289646/
「『リバウンド』第6話、コメディの中でシリアスさが際立つ栗山千明」リアルライブ2011年6月3日
http://npn.co.jp/article/detail/07149539/

2011年6月7日火曜日

『北芝健のニッポン防犯生活術』犯罪者の性向を踏まえた防衛策:林田力

本書(北芝健『元警視庁刑事・犯罪社会学者 北芝健のニッポン防犯生活術』河出書房、2007年12月30日発行)は元警視庁刑事で犯罪社会学者の著者が犯罪に対処する技術と思考を具体的に提示した書籍である。警察官時代に多種多様な扱った著者に相応しく、空き巣から悪徳商法、ネット犯罪まで幅広い内容を扱っている。一つのテーマが見開き2頁または4頁にまとめられており、イラストや表を多用しているため、非常に読みやすく分かりやすい。

本書の特色はテーマのカテゴライズにある。章立てを「家族に降りかかる犯罪」「子供に降りかかる犯罪」「娘が巻き込まれる犯罪」「両親に降りかかる犯罪」と想定される被害者別に分けている。その結果、「家族に降りかかる犯罪」という同じ章の中に「空き巣」や「家庭内暴力」、「交通犯罪」が入るなど、犯罪類型からすると奇妙なカテゴリー分けになっている。これは犯罪学的な分類ではなく、犯罪被害者となりうる読み手の立場を優先してまとめた結果である。読み手に有益な形で情報を提供しようとする著者の実践的なスタンスは評価できる。

また、本書は「投資詐欺」や「催眠商法」という悪徳商法にも独立した項目で説明し、防犯の観点からは軽視されがちな経済犯罪にも目を配る。東急不動産(販売代理:東急リバブル)から不利益事実(隣地建て替えなど)を説明されずに新築マンションをだまし売りされた経験のある記者にとって大いに歓迎できる。
http://www.hayariki.net/cul/kitashi.htm
市民が巻き込まれる可能性のある犯罪を網羅した本書であるが、迫力があるのは暴力団に関する記述である。刑事警察・公安警察の捜査に従事し、組織犯罪に立ち向かった著者ならではの内容である。暴力団の怖いところは一度でも介入を許してしまうと、どこまでも追い回し、骨の髄までしゃぶられることにある。そのため、著者は「そもそも暴力団とは接点を持たないこと」と主張する(23頁)。

記者も上述のマンション購入トラブルで、地上げをしていたブローカーから圧力をかけられた経験がある。記者はブローカーを相手にせず、東急不動産に対して内容証明郵便を送付してブローカーの活動の停止を要求した(林田力『東急不動産だまし売り裁判 こうして勝った』ロゴス社、2009年)。

暴力団は少しでも弱みや妥協的な姿勢を見せれば、そこから一気に入り込んでくる。毅然とした対応を求める本書の主張は記者の経験からも納得できる。犯罪者の性向まで考慮して防衛策を紹介する本書は安全な生活を送るために参考になる一冊である。

幸せになろうよ揺れる心

一人の時間が多くなって寂しくて純平ならば優しくしてくれると思って。一番大事な人に優しくしなければならない。

影山明仁『名作マンガの間取り』間取りからキャラや時代を想像:林田力

本書(影山明仁『名作マンガの間取り』ソフトバンク クリエイティブ、2008年)は建築コンサルタントである著者がマンガを中心としたフィクション作品に登場する建物の間取り図を作品中の描写を元に作図したものである。
取り上げる間取りは『ドラえもん』の野比邸や『サザエさん』の磯野邸など住宅がほとんどである。一方で『ナニワ金融道』の帝国金融や『機動警察パトレイバー』の特車二課のように事業所の間取りもある。マンガに登場する間取りを集めただけでも斬新な企画であるが、事業所の間取りが出てくるとは想像できなかった。著者の設計経験とマンガ読書量の豊富さがうかがえる。
実際に作品中の建物の間取りを作図すると、様々な無理や矛盾が生じており、著者の想像で補ったという。設計士から見た突っ込みどころを、ユーモラスにコメントしている。
著者は「あとがき」で家族仲がよく、特に母親の存在が大きい作品の建物は作図しやすかったと感想を述べる(110頁)。人間関係における住環境の重要性を示唆している。これは現実世界の問題であるが、マンガの世界にも適合している点が面白い。
本書で取り上げた作品の中で記者(林田)にとって最も馴染み深い作品は『ドラえもん』である。実際に野比邸の間取り図を見ると部屋数の多さに驚かされた。居候のドラえもんを除外すれば、子ども一人の三人家族であるが、間取りは5DKである。のび太の幼い頃は祖母と同居していた描写もあり、2階の一部屋が祖母の部屋だったと推測される。1階には居間(和室)と洋室(応接室)が別々に存在する点が特徴的である。
気になった点は、のび太の机が南向きの窓に面して置かれている点である。直射日光が当たる南向きの場合、一般に集中力が途切れがちで、落ち着いて勉強しにくい。のび太は、机に向かうと5分で欠伸が出る体質の持ち主であるが、机の向きも一因と思われる。机の向きを変えると少しは勉強好きになるかもしれない。
これに対して『あたしンち』の立花邸では子ども部屋を北側の部屋(窓は東向き)にしている。立花家では両親がユニークなキャラクターであるのに対し、相対的に子ども達は常識人である。キャラクターと間取りの相関が感じられて興味深い。
日本人は農耕民族としての伝統のためか、陽光を最大限に享受できる南向きの人気が高かった。しかし、日照が強い南向きは勉強部屋に向かない上に、急激な室温上昇や壁紙・家具・カーテンの退色などのデメリットがある。反対に北向きの窓ならば年間を通して柔らかく安定した採光が得られる。また、植物は南を向く性質があるため、北向きの窓は緑地への眺望に適している。南向き神話は文字通り神話になっている。
それを端的に示したのは記者が原告となって、マンション売主の東急不動産を訴えた裁判である。この裁判では東京地裁平成18年8月30日判決で北側の窓の日照阻害などを理由に売買契約の取消しが認定された(林田力『東急不動産だまし売り裁判 こうして勝った』ロゴス社、2009年)。
この判決は不動産売買契約について消費者契約法に基づく取消しを正面から認めた点で先例的価値を有するが、北側の窓からの日照阻害を重要事項と認定した点にも意義がある。日照といえば南向きという図式の崩壊が裁判でも裏付けられたのである。
本書はタイトルに名作マンガとあるように、古い作品が多いが、その中で相対的に新しい作品に『カードキャプターさくら』がある。この作品の木之本邸は一戸建てであるが、階段を南側に配置しており、南からの居室への日照は期待できない。ベランダは西向きに設置している。ここには南向き神話は見られない。時代別に作品を整理して間取りを分析すると、時代の傾向も発見できる。
間取り図からキャラクターの特徴や作品の時代に思いを馳せることができる。本書は様々な点で想像力を刺激させてくれる一冊である。
http://www.hayariki.net/cul/madori.htm
「『リバウンド』第5話、スリムとデブの相武紗季の心情の違い」リアルライブ2011年5月30日
http://npn.co.jp/article/detail/13443694/
「『JIN-仁-完結編』第7話、廓言葉で花嫁を演じた中谷美紀」リアルライブ2011年5月31日
http://npn.co.jp/article/detail/92915400/

2011年6月6日月曜日

佐藤賢一『象牙色の賢者』の感想:林田力

本書(佐藤賢一『象牙色の賢者』文藝春秋、2010年2月10日)はフランス歴史小説を得意とする著者によるデュマ三部作の最後の一冊である。
最初の『黒い悪魔』はフランス大革命期に活躍したアレクサンドル・デュマ将軍が主人公である。次の『褐色の文豪』ではデュマ将軍の息子で、『三銃士』や『モンテ・クリスト伯』で有名なアレクサンドル・デュマ・ペール(大デュマ)が主人公である。締めくくりの本書は大デュマの息子で『椿姫』を代表作にするアレクサンドル・デュマ・フィス(小デュマ)を主人公とする。
本書は形式及び内容面で前二作と比べて大きな特徴がある。形式面では本書は小デュマの過去を振り返る語りで進行する。内容面では前二作には心躍る冒険活劇があったが、本書では小デュマの内省や父親・祖父・文学・フランス社会などへの観察が一人称の語りで続いていく。
著者の作風として『小説フランス革命』シリーズに登場するロベスピエールのような熱血漢のモノローグがあるが(林田力「【書評】『議会の迷走 小説フランス革命4』の感想」JANJAN 2010年1月31日)、本書の語りはタイトルの賢者らしい落ち着いた深みがある。これは三部作としての統一感は壊されるが、デュマ・フィスの人生や作風に合致する。
小デュマの祖父のデュマ将軍も父親の大デュマも波乱万丈の人生であった。デュマ将軍はフランス革命期の大混乱の中を一兵卒から将軍まで上り詰めた軍人である。数多くの戦場を駆け抜けた人生であった。
http://www.hayariki.net/cul/books.htm
大デュマも七月革命やガリバルディのイタリア統一運動を支援するなど作家にとどまらない活躍をした。貧しい子ども時代を送り、ベストセラー作家となってからはモンテ=クリスト城などで散財し、後に破産するという浮き沈みの激しい人生であった。自身の人生も小説と同じように冒険に満ちていた。
彼らの物語が冒険活劇になることは当然の成り行きである。それに比べると、小デュマの人生は作家一筋で地味であった。また、小デュマの作風も大デュマの冒険活劇に比べると私小説風である。その点で深い内省に基づく一人称の語りという展開は小デュマらしさが出ている。
前二作と趣の異なる本書であるが、『黒い悪魔』との共通テーマも存在する。小デュマの語りの中で大きな場所を占めたものが父との葛藤であった。これはデュマ将軍の葛藤でもあった。大デュマにとって幼少時に没した父親・デュマ将軍は憧れの偶像であっても、葛藤の対象にはならなかった。それに比べると『象牙色の賢者』は親子の葛藤という原点に回帰する。三部作を締めくくりに相応しい小説になっている。

『蘭陵王』の感想:林田力

本書(田中芳樹『蘭陵王』文藝春秋、2009年9月30日発行)は中国の南北朝時代を舞台にした歴史小説である。著者はスペースオペラ『銀河英雄伝説』やライトノベル『創竜伝』で有名であるが、中国史にも造詣が深く、著作には中国の歴史小説も多い。

日本人の中国史への関心は非常に偏っている。三国志への関心が圧倒的に高く、残りが春秋・戦国時代で占められると言っても過言ではない。他は遣隋使・遣唐使や元寇、日中戦争のように日本史との関係で語られる。中国の悠久の歴史を踏まえると、この状況は非常にもったいない。

これは著者の問題意識でもあり、伝説的な女性武将・花木蘭(ディズニー映画「ムーラン」のモデル)を題材にした『風よ、万里を翔けよ』、中国最大の英雄・岳飛を描いた古典「説岳全伝」の編訳『岳飛伝』などを発表している。本書の主人公・蘭陵王(高長恭)も日本では雅楽・蘭陵王(陵王、蘭陵王入陣曲)以外には知られていない悲劇の武将である。

その蘭陵王の半生を軸に隋の統一へと向かう南北朝時代末期の動乱を描く。本書の特徴は正史に依拠している点である。正史とは国家が正式に編纂した王朝の歴史書である。編纂当時の王朝の正当性を示すために、前の王朝の君主が必要以上に悪く書かれることもあるとされる。

本書でも引用した正史により、蘭陵王が仕えた北斉の君主の暴虐や佞臣の専横がウンザリするくらいに書かれている。史料批判の立場からは北斉を貶めるための記述と割り引いて考えるべきとなるが、その記述には編纂時の王朝を賛美する目的よりも、権力そのものの醜悪さへの反感が感じられてならない。中国の史書には諫言によって理不尽にも罰せられた司馬遷(『史記』編纂者)に象徴される反骨精神の伝統がある。それ故にこそ多くの作品で権力に批判的な記述を繰り返している著者が正史を積極的に引用していると考える。
http://www.hayariki.net/cul/100307ran.html
本書では正史に依拠することで、日本で使われている故事成語の誤解も指摘する。たとえば大本営発表で使われた「玉砕」という言葉は「死んでも節操を守る」という意味であって、「敗北」や「全滅」の意味は全くない(84ページ)。日本人の歴史歪曲や歴史美化は世界から批判されているが、中国人の歴史への真剣さに学ぶべきである。

本書は正史に依拠した「固め」の歴史小説である一方で、道姑(女道士)・徐月琴という架空のヒロインを登場させることで「軽さ」も出している。徐月琴は山中で修行していた設定であるため、社会の動きを知らない。そこで徐月琴を都に呼び寄せた父親の徐之才が北朝の歴史を説明する。これは南北朝時代の歴史に疎い読者に対する説明にもなっている。
http://www.hayariki.net/cul/
有能な皇族や臣下が暴君の嫉妬や奸臣の讒言によって次々と虐殺される暗澹たる状況の中で、明朗でユーモア精神に富み、辛辣な皮肉も口にする徐月琴の存在は物語を華やいだものにする。蘭陵王は知勇兼備の武将であり、外敵には果敢に戦った。しかし、国内の政治の乱れには無力であり、改善しようともしなかった。そのために蘭陵王のみの視点では、やりきれなさが残る。徐月琴が言いたいことを言うことで、現代人も楽しめる小説に仕上がった。

2011年6月5日日曜日

『村上春樹の「1Q84 BOOK3」大研究』の感想:林田力

本書(平井謙『村上春樹の「1Q84 BOOK3」大研究』データハウス、2010年)はベストセラーとなった村上春樹の『1Q84 BOOK3』の研究本である。本書は5部構成となっている。
第I部「『1Q84』BOOK3を楽しむヒント」はBOOK1からの粗筋、読みどころの紹介である。
第II部「『1Q84』BOOK3で謎は解けたか」はBOOK1、BOOK2で残された謎が、BOOK3でどのように整理されたかを明らかにする。
第III部「『1Q84』BOOK1‐BOOK3解読のバリュエーション」は幾つかのテーマから『1Q84 BOOK3』を論じている。
第IV部「『1Q84』BOOK1‐BOOK3と春樹ワールド」は特定のテーマについての過去の村上春樹作品との比較論である。
第V部「『1Q84』BOOK1‐BOOK3からの眼差し‐比較で読む『1Q84』」は他の作品との比較論である。
本書は研究本であるが、肝心の『1Q84 BOOK3』の考察はそれほど深くない。これは研究対象をBOOK3とする以上、仕方のない面がある。何故ならばBOOK3自体がBOOK1、BOOK2で投げかけられた謎を解明する解説書的な要素があるためである。また、BOOK1、BOOK2については、著者がメンバーの一人になっている村上春樹研究会『村上春樹の『1Q84』を読み解く』で考察済みである。
その代わり、本書は他の作品との比較論が充実している。『1Q84』の土台となったジョージ・オーウェルの『1984年』を比較対象とすることは当然であるが、興味深い点は『1Q84』の刊行前後の作品も俎上に載せたことである。
『1Q84』は川奈天吾の物語と青豆雅美の物語が交互に進む複線構造という特徴がある。さらにBOOK3では牛河利治の物語も展開する。この点に本書は『1Q84』の現代的特徴を見出す。実際、同時期に出版された宮本輝『骸骨ビルの庭』も複数のビル住人の話によって骸骨ビルをめぐる歴史が明らかにされる形態になっている。これらには「一人の声では語れない真実」「ざわめきの総体として形成されることでしか知りえない<現在>」という主題がある(241頁)。
http://www.hayariki.net/cul/1q84.htm
ここから私はインターネットの世界で爆発的に普及したツイッターを想起した。単純にコミュニケーション・ツールとしての機能では、ツイッターはブログに劣る。それでも、ツイッターが支持された背景には一人の声だけで語られる内容よりも、ざわめきの総体として形成される内容の中に価値を見出す傾向があるからであろう。
その傾向が小説の世界でも分析されたことは驚きである。私小説というジャンルが示すように、私を描くことが伝統的な小説のテーマである。本書で『1Q84』との類比が言及されたセカイ系も自意識の物語という点でサブカルチャー分野の私小説的存在である。その物語のベースとなるべき個が現代文学では崩壊または分散する動きがある。
私小説にしてもセカイ系にしても社会的視点の欠如が伝統的な批判であった。しかし、個性を否定する集団主義的な日本社会では、個を確立するためには社会性の犠牲は止むを得ない選択であった。個の確立と社会性のトレードオフは『1Q84』も無縁ではない。BOOK3では天吾と青豆の物語が進展した代わりに前巻までに見られた社会的テーマ(教団やリトルピープルなど)は後退した。
『1Q84』を通読すると、現代文明批評と恋愛小説の間を揺れているとの印象を受ける。そこには「自意識の物語」(125頁)と「個の崩壊」(249頁)との緊張関係も影響していると感じられた。

豊臣の妻

江。猿も姉上も許さぬ。断じて許さぬ。
初。何としても姉妹の溝を埋めなければな。
江。猿のややなど母上は許しておられません。
おね。子ができようとは。そのことがこたえた。
江。妻としての思い。女心では。
甥か姪が生まれるのはうれしゅうございまする。

『ONE PIECE 50巻』回想シーンに感動:林田力

本書(尾田栄一郎『ONE PIECE第50巻』集英社、2008年6月発行)は週刊少年ジャンプで連載中の漫画である。1997年の連載開始であり、既に10年以上続いていることになる。連載漫画が単行本50巻になるまで続くというだけでも、ちょっとしたニュースになるが、この50巻はストーリーの節目という意味でも意義深いものがある。

「ONE PIECE」は架空の世界を舞台に、世界の最果ての地にあるとされる「ひとつなぎの大秘宝(ワンピース)」を求める海賊の冒険を描く漫画である。主人公モンキー・D・ルフィ率いる「麦わら海賊団」は、この50巻目で世界を半周するところまで辿り着いた。この巻の副題は「再び辿りつく」である。そこには、この意味が込められている。「ONE PIECE」の世界も地球と同様、球体になっており、世界を一周すると元の地点に戻る。物語は50巻かけて、ようやく折り返し地点に近づいたことになる。

「ONE PIECE」は仲間とともに冒険を続け、悪人と戦うという少年漫画の王道を行く作品である。しかし「ONE PIECE」が人気漫画の座を長期間保持し続けた理由は、王道を忠実に守っていたからだけではない。「ONE PIECE」の魅力はストーリーの深さにある。

敵を倒す、悪を倒す。これが少年漫画の王道である。しかし、こればかりでは次第に戦いの意味すら希薄化してしまう。これに対して「ONE PIECE」では虐げられた側の痛みや憤りが丁寧に、時には長い回想シーンで描写されている。だから敵を倒した時の感動も大きい。

「ONE PIECE」も連載が長期化するにつれ、戦闘シーンでグダグダ感が生じたことは否めない。仲間が増えるにつれ、それぞれの見せ場を出さなければならず、戦闘が長期してしまう。これはアラバスタ編以降で見られるが、特にエニエスロビーでは顕著であった。それでも「ONE PIECE」は感動的なエピソードが挿入される点が優れたところである。それは50巻にも当てはまる。

50巻では世界政府に従う海賊の王下七武海ゲッコー・モリアとの戦いが展開されたスリラーバーク編が完結する。正直なところ、私にとってスリラーバーク編に対する評価は高くなかった。お化け屋敷風の雰囲気が、これまでの「ONE PIECE」の舞台と比べて違和感がある上、ボスキャラに威厳がなく、あまり強そうに感じられなかった。
http://www.hayariki.net/bleach.htm
しかし、完結編の50巻は、それまでの停滞を打ち消して余りあるほど感動的な内容であった。特に読み応えのあるのが、麦わら海賊団の新しい仲間になるブルックの回想シーンである。宴会で作中歌「ビンクスの酒」の演奏中に回想シーンに入る。そこで描かれる過去の回想シーンは現在のシーンと上手く混ぜられている。

回想シーンも楽しかったルンバー海賊団時代と、仲間が死に絶えた跡に一人で魔の三角地帯(フロリアントライアングル)を彷徨っていた頃の2つの時間帯を並行に描いている。陽気な過去と絶望的な過去、そして新しい仲間と出会い、未来への希望が生まれた現在が作中歌「ビンクスの酒」を背景に対照されている。この回想シーンがあればこそ、ブルックの「生きててよかった」という言葉に実感が生まれる。

「ONE PIECE」の構成力の秀逸さを再認識することができた。物語上は50巻で半分である。ということは100巻以上続きそうである。これからも笑いあり、感動ありのストーリーを描き続けて欲しいと思う。

2011年6月4日土曜日

「天地人」第11回、「御館の乱」、義を貫く華姫:林田力

戦国武将・直江兼続の生涯を描くNHK大河ドラマ「天地人」第11回「御館の乱」が2009年3月15日に放送された。今回から上杉謙信の跡目をめぐり景勝(北村一輝)派と景虎(玉山鉄二)派が激突する御館の乱になる。
前回から引き続き兼続(妻夫木聡)は自己中心的である。謙信の遺言が偽りであることを知っていながら、あくまで偽りの遺言を根拠として景虎には景勝への服従を求め、景勝には家督相続の正当性を主張する。謙信が草葉の陰で悲しむとしたら、遺言を捏造してまで家督を継ごうとする景勝派の浅ましさである。
封建社会の武士にとって忠義の対象は直接の主君であって、主君の主君は主君ではなかった。この価値観に従えば上田衆にとって忠義の対象は景勝一人であり、越後上杉家が分裂しようと国力が消耗しようと関係ないことになる。それ故、上田衆が景虎を排除してでも上田長尾家の当主である景勝に家督を継がせようとすること自体は戦国時代のリアリティを追求したものである。それが彼らにとっての義になる。
もし、兼続が上田衆としての立場を徹底するならば、筋は通っている。ところが、本作品の兼続は戦争の原因となるような言動をしておきながら、内紛に心を痛めるという「いい人」を演じている。上田衆によるクーデターを進めた兼続がソフトランディングを希求すること自体がおこがましい。
天地人は「日本人の義と愛」を描くことを企画意図としているという。ところが現在の兼続には自国がアジアを侵略していたにもかかわらず、それを批判する国際社会の圧力をABCD包囲網と呼んで自国が攻撃されているかのように被害妄想を抱き、十五年戦争を自衛のための戦争と正当化した醜い日本人を連想させる。
矛盾した兼続とは対照的に好演していたのが景虎とその妻の華姫(相武紗季)である。春日山城本丸を武力で占拠した上田衆に対し、景虎が怒ることは当然である。謙信の遺言が景勝派の捏造であることを知っている視聴者から見れば、景虎はもっと怒ってもよいくらいである。
http://www.hayariki.net/tenchi.htm
先週から裏切られ続けた景虎は心が荒み、悪鬼のような形相になっていた。三国一の美男子と称されて登場していた頃とは別人のような変わりようである。その景虎が華姫の熱意によって優しさを取り戻す。悲劇の武将である景虎の心が少しは救われたようで感動的なシーンであった。封建社会の忠義が直接の主君に対するものであることを踏まえれば、兄と夫が争うという複雑な状況において迷うことなく夫についていく華姫こそ今回の放送で義を貫いた人物である。

AKB48「カチューシャ」PVで教師役の篠田麻里子の教育的センス3:林田力

もともと日本はヤンキーという迷惑かつ恥ずかしい存在に対して寛大過ぎた。ヤンキーには荒れるだけの原因や理由があるかもしれない。それ故に非行を理由にヤンキーを退学処分にすることが教育者として責任放棄であるかのようなナイーブな論調も出てくる。
しかし、ヤンキーに荒れる原因があるとしても、ヤンキーが暴走行為などで他人に迷惑をかけることを正当化する理由にはならない。他の生徒の教育環境を維持するという視点に立つならば、ヤンキーの事情を無視して問答無用に排除することが教育者として正しい解決策になる。
他の生徒の迷惑を省みず、教育者にヤンキーの抱える問題に向き合わせることを期待することは、ヤンキーの甘えであり、自己中心主義である。相手がヤンキーだからといって、相手に一目置き、相手の心情を理解して向き合わなければならない理由はない。むしろヤンキーの暴言を逆手にとって硬直的な対応をした方が、ヤンキーに甘えを自覚させることができる。
仁藤が演じた不良少女も甘ったれたヤンキーであった。仁藤は理由なく教師を平手打ちし、自分が不良になった理由を篠田に責任転嫁した。篠田が怒り、仁藤に謝罪を要求したことは人間感情として自然である。甘ったれたヤンキーは硬直的な怒りで全否定することが教育的な対応になる。
それ故に篠田の逆ドッキリは肯定的に評価できる。それでも篠田の逆ドッキリに後味の悪さが残ったことは事実である。篠田自身が「逆ドッキリの着地点を見失った」と認めている。しかし、それは篠田の責任ではない。もし仁藤が篠田の怒りにビビって謝罪すれば逆ドッキリは成功に終わった。ところが、実際の仁藤は篠田の怒りにもヤンキーのふてぶてしさを失わなかった。
http://www.hayariki.net/akb48.html
仁藤はヤンキーを演じきったことになるが、それがアイドルとして価値があるかは疑問である。AKB48のコアなファン層はヤンキー文化と対立するため、ヤンキーになりきることはアイドルとしての評価を高めることにはならない。むしろ篠田の逆ドッキリの枠組みに乗っかった方が仁藤にとっても成功であった。実際、指原莉乃はヘタレというキャラクターで人気が急上昇し、AKB48で初の冠番組『さしこのくせに』を持つに至っている。

2011年6月3日金曜日

AKB48「カチューシャ」PVで教師役の篠田麻里子の教育的センス2:林田力

この周囲が凍りつく激怒シーンは「魅惑のポーカーフェイス」をキャッチフレーズとする篠田のイメージに合わないために話題になった。当時の篠田はフジテレビの月9ドラマ『大切なことはすべて君が教えてくれた』にも出演中で、ルームシェアする親友の元婚約者が元彼という複雑な感情がありそうな役どころを文字通り「魅惑のポーカーフェイス」で演じていた。
「ドッキリ女学園」では激怒シーンの収録の後に篠田が「逆ドッキリしてやろうと思って、仕掛けた」と笑顔で説明した。これに対してインターネット上では篠田の怒りが本気(ガチ)なのか演技なのかで議論になった。まず共演者の反応やインターネット上に流出した台本の内容から、篠田の怒りの反撃が予定されたものではないと結論付けられる。
但し、怒った篠田が竹刀で目の前の机をバンバン叩いても、板野友美は全く動じなかった。その後のドッキリ企画では一目散に逃走した板野が篠田の竹刀には動じなかったことから、篠田が竹刀で叩くことを予め知っていたのではないかとする見解がある。これについては、驚きのあまり身動きできなかったとする反論が有力である。
篠田の怒りを本気とする立場は、逆ドッキリならば最後にドッキリであったことを相手に明かすことが普通と指摘する。篠田は「終わらせ方が分からなかった」と釈明するが、それはドッキリとして不自然である。篠田の凶暴な本性に幻滅して推し変(推しメンバーを変更)を宣言するファンも現れた。
http://sky.geocities.jp/hayariki4/h/jan2.html
これに対し、演技とする立場は福岡出身の篠田が本気で怒る時は方言になるのではないか、篠田が胸につけていた心拍数が上がると点灯するランプが怒った時に点灯しなかったと反論している。また、篠田の怒りが本気であったとしても、あそこまでコケにされれば激怒は当然と擁護する見解もある。そこでは理不尽な要求を断固拒否した篠田を反対に評価する。
実は逆ドッキリと本気の怒りには大きな相違はない。仁藤演じるヤンキーに不愉快にならなければ、わざわざ台本に書いていない逆ドッキリを仕掛けることはない。それ故に計算された逆ドッキリであったとしても、基底には怒りが存在する。問題は怒りの性質である。篠田の批判者は篠田の怒りを最年長メンバーによる後輩イジメと受け止めている。
しかし、そのような見方は番組の設定を無視し過ぎている。篠田批判者は篠田がマジギレして番組の設定を破壊したと主張するが、それならば番組の設定に沿って篠田の怒りを解釈しなければならない。
番組の設定に沿って解釈するならば、理不尽な因縁をつけて粘着するヤンキーへの怒りとなる。この怒りはAKB48のコアなファン層にも共感できる性質のものである。AKB48を含むサブカルチャーの担い手は、ヤンキー的なメンタリティと鋭く対立する(林田力「勢いに乗る韓流(下)」PJニュース2010年11月12日)。
http://www.pjnews.net/news/794/20101109_13

AKB48「カチューシャ」PVで教師役の篠田麻里子の教育的センス1:林田力

【PJニュース 2011年6月3日】アイドルグループAKB48の新曲「Everyday、カチューシャ」(2011年6月25日発売)が好調である。発売初週で約133万4000枚を販売し、Mr.Childrenの「名もなき詩」(約120万8000枚)の最高記録を更新した。

AKB48はストーリー性のあるプロモーション・ビデオ(PV)も魅力であるが、「カチューシャ」のPVではメンバー最年長の篠田麻里子が教師役となっている。グループの中でもメンバーを牽引する立場にある篠田であるが、教師として篠田を考えた場合に印象的なエピソードがある。生徒として出演した番組であるが、教師としてのセンスも示している。

それは2011年3月4日放送のテレビ東京系バラエティ『週刊AKB』内のドッキリ企画「ドッキリ女学園」内の出来事である。篠田らAKB48メンバーが生徒役として学園生活の中で、他のAKB48メンバーらからのドッキリを受ける企画である。ヤンキーに扮したAKB48の仁藤萌乃と宮澤佐江が教室に乱入し、篠田に因縁を付けた。
http://www.pjnews.net/news/794/20110603_1
仁藤は篠田を「年増のロリコンか、気持ち悪いんだよ」などと挑発し、宮澤と一緒に「謝れ」コールを始めた。困惑しつつも笑顔を見せていた篠田は突然、立ち上がり、「何で謝らなければいけないんだよ」と激怒した。そして仁藤の持っていた竹刀を奪い取り、「お前が謝れよ」と反撃した。

激怒した篠田に周囲のAKB48メンバーも驚愕した。それまでのドッキリ企画につまらなそうな顔をしていた前田敦子が隣の大島優子と止める相談を始めたほどであった。普段ならば「AKBの良心」と言われる高橋みなみが仲裁役になるが、この場にはいなかった。最後は「先生止めてよ」というメンバーの声を受けて、教師役のカンニング竹山が二人を引き離した。

2011年6月2日木曜日

ブログ人気のAKB48柏木由紀は神7を超えるか:林田力

AKB48の柏木由紀の公式ブログ「ゆきりんblog〜晴れのちゆき〜」が安定した人気を保っている。2011年4月7日からアメブロに移転したばかりであるが、芸能人・有名人ブログ上位にランクインし、一時は前田敦子のブログを抜いて2位に躍り出た。初期メンバーが引っ張っている印象の強いAKB48の後継世代の注目株である。
柏木は2006年12月の「第3期AKB48追加メンバーオーディション」に合格し、現在はチームBのキャプテンである。柏木は高城亜樹や倉持明日香、佐藤夏希、大家志津香と共にワタナベエンターテインメント傘下事務所に所属している。柏木らナベプロ傘下事務所所属のメンバーは「ワタナベガールズ」として、ナベプロのサイトでブログを開設していたが、3月7日から「ワタナベガールズ」のブログがアメブロに移転した。
アメブロではアメブロ上の芸能人・有名人ブログのランキングを公表しており、柏木ブログのランキング急上昇を確認できる。3月7日の総合ランキングは306位であったが、3月8日は14位になり、3月9日は2位になった。この3月9日の1位は大島優子、3位は前田敦子で、AKB48メンバーで上位3位までを独占した。翌10日は3位に落ちたものの、前田1位、大島2位で依然としてAKB48メンバーが占めた。
柏木ブログの強みはコメントの多さである。アメブロに移転した3月7日から10日までの記事では6000件から13000件のコメントが寄せられている。同時期の大島ブログでは2000件から8000件、前田ブログでは4000件から6000件である。
柏木ブログではコメントを書きたくなるように記事を工夫している。3月8日付記事「柏木カメラマン」では柏木が撮影したメンバーの写真を掲載する。ここでは峯岸みなみと宮澤佐江の写真を掲載したが、他のメンバーのリクエストも募集する。他メン推しのファンもコメントしたくなる記事である。
また、3月10日付記事「豊富*」では自分のニックネームについて論じる。様々なニックネームを紹介した後で、「あなたは私のことを、なんて呼んでますか」と呼びかける。気軽にコメントを書きやすい記事になっている。
その後はアクセス数及びコメント数共に減少し、移転当初の御祝儀アクセスの限界を露呈した。しかも、東日本大震災に際しては「あっ そうそう 皆さん 地震大丈夫ですか」と地震被害を軽く語る失言もなされた(林田力「AKB48プロジェクト義援金にAKB商法への期待高まる」PJニュース2011年3月18日)。
http://www.pjnews.net/news/794/20110317_4

前田ブログや大島ブログとは依然として大きな差があるものの、現在でも総合ランキング10位圏にランクしており、AKB48メンバーのアメブロ開設者では前田、大島、指原莉乃に次ぐポジションにいる。
柏木は2010年の「AKB48 17thシングル選抜総選挙『母さんに誓って、ガチです』」で8位となった。この総選挙での1位から7位までの大島優子、前田敦子、篠田麻里子、板野友美、渡辺麻友、高橋みなみ、小嶋陽菜は前回の総選挙でも1位から7位までにランクインし、「神7」と呼ばれる。ブログのランキングでは神7の板野を抜いているが、次期総選挙「AKB48 22ndシングル選抜総選挙」で神7の壁を超えられるか注目される。
http://book.geocities.jp/hedomura/jan2.html

2011年6月1日水曜日

銀魂坂本辰馬の新章突入

週間少年ジャンプで連載中の人気マンガ銀魂が新しい章に突入している。最初は桂とエリザベスのしょうもない話に思われたが、坂本辰馬も登場し、シリアスな長編になりそうである。辰馬の話は以前から作者が書きたかったことと述べていた。アニメの銀魂は、かぶき町四天王編に入っている。

『江〜姫たちの戦国〜』第15回、戦が嫌いな戦国時代劇:林田力

『江〜姫たちの戦国〜』第15回、戦が嫌いな戦国時代劇
 NHK大河ドラマ『江〜姫たちの戦国〜』の第15回「猿の正体」が、4月24日に放送された。今回は佐治一成(平岳大)と離縁させられた江(上野樹里)が羽柴秀吉(岸谷五朗)に復讐するため、秀吉の弱点と正体を調べて回る。紀州攻めや四国攻めが行われた時期であるが、合戦シーンはなく、既存の時代劇的な価値観を覆す戦国現代ドラマになった。

 この戦国現代ドラマでは才人・石田三成(萩原聖人)も江の前では形無しである。三成は人を見る目の確かさを称賛するために、自分の出世話を披露する。茶を所望した秀吉に対し、飲みやすいように最初は温めの茶を出したというエピソードである。これは三成の才覚を示す話であるが、本人の口から語らせると効果半減である。江に「全部そなたの自慢話ではないか」と一喝される。

 このように有名な歴史的エピソードを登場させつつも、定説とは異なる文脈で利用する点が『江』の特色である。過去にも市が小豆を織田信長に送るエピソードや、信長が敵将の頭蓋骨を盃にするエピソードで新鮮な解釈が提示された。
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『義風堂々 前田慶次酒語り』第1巻、『花の慶次』を大胆に再構成
 武村勇治が『月刊コミックゼノン』で連載中の歴史漫画『義風堂々!! 直江兼続 前田慶次酒語り』第1巻が、4月20日に発売された。『義風堂々』は原哲夫の人気漫画『花の慶次 雲のかなたに』のスピンアウト作品で、原作者に原と堀江信彦が名を連ねる。前田慶次の莫逆の友・直江兼続の人生を描く。

 もともとは『義風堂々!! 直江兼続 前田慶次月語り』と題して『週刊コミックバンチ』で連載されていた。晩年の慶次が若い頃の兼続の人生を語るという形式で、新発田重家の乱の鎮圧までを扱った。兼続は前田慶次に会う前であり、基本的に本編で慶次は登場しない。

 掲載誌を『月刊コミックゼノン』に移した『酒語り』では、慶次と兼続が酒を飲みながら、二人が出会った後の出来事を昔語りする。『花の慶次』の出来事を、兼続を主人公として再構成する。『花の慶次』ファンにとっては懐かしさもある内容である。

 前田慶次は原哲夫作品において最も成功したヒーローである。圧倒的な強さだけでなく、清々しい性格が周囲を魅了する。原哲夫の代表作と言えば『北斗の拳』であるが、キャラクターのインパクトは主人公のケンシロウよりも、ラオウを筆頭とする脇役陣が強い。『北斗の拳』の世界観を継承した『蒼天の拳』の主人公・霞拳志郎の性格は、ケンシロウよりも慶次の影響を受けたものになっている。(林田力)
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