2011年11月24日木曜日

家政婦のミタ第6話

松嶋菜々子の家政婦らしからぬ家政婦が注目されるが、脇を固める面々も侮れない。皆が自分勝手なエゴの塊である。筆頭は父親である。この期に及んで不倫相手に未練を残している。しかも、それを義理の妹のうららの前で話す無神経ぶりである。家庭放棄の父親に代わって子ども達を養子に迎えようとする祖父の姿勢は真っ当であるが、他人の話を聞かず、自分の価値観を押し付けるばかりで、善人には見えない。長女の結は被害者であるが、短慮と身勝手さが目につき、純粋な悲劇のヒロインにはなっていない。結を綺麗なヒロインで終わらせないところに、所属事務所オスカーのエース女優を育てる本気度が現れている。三田が感情を出さない分、脇役の感情がむき出しになる。登場人物はバラバラのカオス状態である。
これは南極大陸の皆が一つの目標に向かって団結して困難に取り組むという展開とは対照的である。視聴率低迷で早くも主演のキムタクに責任転嫁の声が出ているが、エゴをむき出しにする家政婦のミタの好調を踏まえるならば、キムタク一人に責任を負わせることは筋違いである。むしろ皆が一つの方向を向く特殊日本的集団主義を気持ち悪く感じるほど日本社会が成熟した証である。
キムタク中心のドラマ展開に多くの視聴者が違和感を抱いているが、キムタクを浮かせている脇役にも問題がある。越冬隊の隊長は物分かりが良すぎる。隊長が物分かりが良いキャラならば、ナンバーツーは厳しいタイプと相場が決まっているが、ナンバーツー的存在は倉持である。ナンバーワンもナンバーツーもイケイケどんどん型であり、組織のバランスが悪い。さらに問題は監視役を自称する氷室である。倉持の障害になる役どころであるが、実はツンデレであることが序盤から明らかになり、結局は倉持の独走を許している。そもそも組織の論理では同じ山岳部OBは監視役としてふさわしくない。氷室が監視役となることは、倉持にとって甘い状態である。倉持に立ちふさがる壁はなく、キムタクの思い通りに進む展開である。曲がりなりにも初回放送の視聴率が高かった背景には、敗戦の傷跡が残る中で南極観測どころではないという社会情勢を丁寧に描き、それが倉持らの壁になっていた。しかし、話が進むにつれて、倉持の壁はなくなり、キムタク中心のドラマとなり、不自然
さが際立った。
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もともと南極観測を困難に挑戦したドラマと描くことには難しさがある。大ヒット映画「南極物語」もあり、視聴者は日本の観測隊が外国船に救援を求め、樺太犬を置き去りにして帰国した史実を知っている。日本の復興を世界にアピールするどころか、敗戦国日本の恥の上塗りになった。
集団主義的とされる日本人であるが、ルース・ベネディクトが菊と刀で喝破したように恥の文化と喝破したように実態は自らを律する内なる倫理意識が乏しいだけである。故に集団の権威が強ければ盲従するが、集団に権威がなければアナーキーにもなる。家政婦のミタのアナーキーさには日本人の一つの真実が存在する。
この点に韓国ドラマに押されがちな日本ドラマの勝機がある。韓国ドラマの大きな魅力は常識を突き抜けた突き抜けたキャラクターにある。古くは「猟奇的な彼女」である。しかし、これは突き抜けた個性を許容する韓国社会で生まれたから面白さが成り立つ。日本で生まれたならば単なる暴力女かトラウマを抱えた可哀想な女性とステレオタイプになってしまう。韓国女優キム・テヒを起用した「僕とスターの99日」は脇を固めるキャラクターに個性的な面々を揃えて、韓国ドラマの面白さを取り込んでいるものの、視聴率的には苦戦している。あまりに個性的なキャラクターは個性と縁の薄い日本社会では嘘臭くなってしまう。普通の人々が感情をむき出しにする家政婦のミタにリアリティを感じやすい。林田力

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