2011年5月26日木曜日

坂本龍馬の泥臭さ

坂本龍馬は時代の一歩も二歩も進んだ人物として描かれてきた。司馬遼太郎の「竜馬がゆく」では刀から銃、銃から万国公法の時代になると見抜いていたというエピソードがある。それ故に龍馬は同時代人から飛び抜けた存在で、同時代人の目線では人間離れしたヒーローになる。
これに対して、仁が再開した龍馬は武器商人で武力倒幕派になっていた。寺田屋事件で殺されかけた龍馬は暴力の信奉者になっていた。どれほどすばらしい考えを持っていても、死んでしまったら終わりであり、力でねじ伏せなければならない、と。龍馬の人間的な弱さを描いている。同時代人からみれば時代の先を行っている龍馬であるが、現代人から見れば当然のことながら限界がある。仁では現代人の仁と絡ませることで、等身大の人間としての龍馬を浮き彫りにした。
もともと内野聖陽の龍馬は泥臭さが評価されていた。これは龍馬伝の福山雅治のスマートな龍馬と対称的な特徴である。内野は風林火山でスマートな軍師とは対照的な泥臭い山本勘助を熱演した。人間臭い龍馬像を切り開いた内野の演技に注目である。

0 件のコメント:

コメントを投稿