2018年10月23日火曜日

のぼうの城

和田竜『のぼうの城』は忍城攻めを描く歴史小説である。野村萬斎主演で映画化された。
長束正家が腹立たしい。現代日本の高慢な小役人と同じである。現代日本の高慢な小役人は往々にして納期意識に欠けた無能公務員でもあり、それ故に民間感覚による行政改革が期待される。ところが、本書の長束正家は土手作りでは有能であり、後の五奉行として重用される要素はある。
豊臣政権における加藤清正や福島正則と石田三成の対立は有名であるが、武人ならば、むしろ長束正家のような性格の方が許せないと感じるのではないか。田中芳樹『銀河英雄伝説』でミッターマイヤーがオーベルシュタインは兎も角、卑称な小役人タイプのラングだけは除かなければならないと感じたように。それとも石高の少ない長束正家は大名にとって脅威ではなかったのか。
本書はリーダーのあり方について考えさせられる。忍城は城代が、でくのぼうのような人物であるから、侍大将が能力を発揮した。官僚的な管理主義は組織をダメにする。日本大学で問題になったボス支配も組織をダメにする。結束して皆で頑張る話であるが、特殊日本的集団主義を正当化するものではない。

御家人斬九郎

柴田錬三郎『御家人斬九郎』(新潮文庫、1984年)は江戸時代後期の貧乏御家人が表沙汰にできない罪人の介錯を副業とする時代小説である。著者は三田文学出身であり、慶應義塾大学卒の私には親近感がある。武士の物語であるが、江戸城にもほとんど行ったことのない下級武士であり、忠義や立身出世という要素はない。公務員臭さはない。民間感覚を大事にした慶應義塾大学の学風を感じさせる。
反骨精神は前老中が出す料理にも発揮される。第四話「柳生但馬守に見せてやりてえ」では小粒な高級料理をこき下ろす。「料亭の名だけで、もったいめかした、子猫の餌ほどの小鯛二尾、それも一向に味らしい味もせぬ」(40頁)。高い値段の料理を高い値段ということでありがたがる愚かさはない。価格と品質が比例するという浅ましい拝金主義ではなく、健全な消費者感覚がある。
本書は一話完結のオムニバス形式である。この一話一話が非常に短い。想像力を働かされる。文字数や原稿用紙の枚数が報酬の単位となる作家としては贅沢な作品である。

2018年10月21日日曜日

キン肉マン

ゆでたまご『キン肉マン』は超人達によるバトル漫画である。週刊少年ジャンプ黄金期の前期を彩る作品である。
キン肉マン消しゴム(略してキンケシ)は私の小学生の頃に流行った。高学年になるとSDガンダムのガンケシに移行した。消しゴムと言っても塩ビである。
この『キン肉マン』の第1巻は、その後のストーリーとは様相が異なる。キン肉マンは宇宙怪獣から日本を守るウルトラマンらの同業者である。そのヒーロー中では落ちこぼれの存在であった。
キン肉マンは赤ん坊の頃に親に豚と間違えられて捨てられるという悲惨な過去がある。心に傷を負いそうな話であるが、ギャグテイストで語られる。80年代的な無神経さである。現代の作品ならば、もっと心理的葛藤を描くだろう。貴種の生まれながら孤独な生い立ちの主人公を描いた作品に『ナルト』がある。ナルトは前向きな主人公であるが、孤独の描写は深い。心理描写の深まりは21世紀のエンタメ作品の進歩だろう。

こうして店は潰れた

小林久『こうして店は潰れた 地域土着スーパー「やまと」の教訓』(商業界、2018年)は山梨県の老舗スーパーの三代目社長が経営改善や破産を描くノンフィクションである。このスーパーやまとはマイバッグ無料配布や貧困家庭への食料品支援、障がい者雇用など社会的な活動を色々としている。
そのために経済合理性優先を批判し、古きよき昭和を懐かしむトーンかと先入観を持ってしまったが、誤りである。逆に社長になってからは癒着や馴れ合いのあった取引先や従業員を切り、赤字店舗を閉鎖するなど経営改善を進めた。テレビドラマなどではリストラを進める側が悪玉で主人公サイドは人情で対抗しがちであるが、本書では著者の経営によって公正で公平な職場環境を実現し、従業員のモチベーションも上がった。合理的な経営を進めることと不合理を許さず、社会活動を行うことは同じ方向にある。今の日本の問題は日本大学や相撲協会のような不合理なドン支配だろう。
著者は癖のある人も含めて多くの人を雇ってきたが、採用時に必ず「変な薬とかやってませんよね」と質問するという(86頁以下)。依存性薬物は人間を蝕むものである。
社会的活動をする中では行政とのやり取りが発生する。責任を回避する行政の体質にはうんざりさせられる。ごみ袋有料化では甲府市がレジ袋のゴミ出しを禁止して指定ゴミ袋の販売を開始したとする(79頁)。消費者に負担とコストを押し付ける環境対策である。
やまとは安くてボリュームのあるコスパの高い弁当を販売した。著者は「これを食べるべきだ」と売る側が強いることを嫌い、腹いっぱいになる幸せを共有することを目指す(123頁)。価格と品質が比例するという浅ましい拝金主義とは異なる健全な商人精神がある。
やまとはプロサッカーチームのヴァンフォーレ甲府応援企画として対戦相手の本拠地の特産品を使ったドンブリを販売した。私の地元の浦和レッズと対戦する場合が気になるが、「浦和ならキムチで赤くすれば格好はつく」とする(129頁)。浦和の料理の認知が低いことを再確認した。実は市民団体oneさいたまの会のアンケートでも「さいたまは食文化で有名なものがないような気がする」と指摘された。
著者は山梨県の教育委員に就任した。そこでは委員報酬を削減したり、委員会の傍聴席を増やしたりした。教育委員会は教育の政治的中立性を確保するために独立性の高い機関になっている。その目的は正しいが、独立性を逆手にとって、主権者住民の目の届かない事務局官僚の牙城となってしまいがちである。お手盛りの報酬や密室の決定になりがちである。報酬を民間感覚に近づけることや情報公開は立派な教育委員会改革になる。

ドラえもん魔法事典

『ドラえもん』37巻には「魔法事典」が収録されている。
のび太は魔法少女のアニメに夢中になる。ジャイアンやスネ夫からは女の子の観る番組と馬鹿にされるが、自分が面白いものを面白いと感じる、のび太は立派である。セーラームーンやプリキュアの普及した現代から見れば、のび太は先進的である。
ジャイアンやスネ夫にいじめられた、のび太は魔法を使いたがる。ドラえもんは「魔法事典」を出す。そこには何も書かれていないが、自分で好きなように書き込むと、それが魔法になる。この魔法事典があれば、映画『のび太の魔界大冒険』で、もしもボックスを使って魔法が使える世界にする必要はなかった。もしもボックスで魔法が使える世界にしても、魔法は訓練や高価な道具がなければ使えなかった。しかも人間界を滅ぼそうとする魔界まで作られてしまった。魔法事典ならば、これらの問題は起きない。
一方で、のび太は魔法事典を使っても失敗する。魔法が使えればうまくいくとならないところは、魔界大冒険と共通するコンセプトである。
この魔法事典はアニメで放送された。

2018年10月20日土曜日

ダイの大冒険3

堀井雄二監修、三条陸原作、稲田浩司作画『ダイの大冒険』3巻(集英社)はパプニカで不死騎団を率いるヒュンケルと対決する。一方でハドラーは軍団長を召集し、魔王軍の六軍団長が全て登場する。
六軍団は百獣魔団、妖魔士団、不死騎団、氷炎魔団、魔影軍団、超竜軍団である。この六軍団は連載当時はモンスターを組織化する仕組みとして新しさを感じた。しかし、改めて読むと、同種のモンスターばかりを集めた組織は役所の縦割り組織と同じ弱さがある。同質性の高い組織は危機に弱い。
勇者のパーティーのように、攻撃力の高いモンスターや攻撃魔法に長けたモンスター、回復魔法に長けたモンスターなど異なる特性を持ったモンスターでチームを組む方が強力だろう。多様性が強みになる。『ナルト』で綱手が医療忍者を小隊に加えたことは画期的であった。
パーティーはドラゴンクエスト3から登場した仕組みである。皆が同じことをするのではなく、異なる職種がチームを組んで効果を発揮させる。前世紀の頃から、このような仕組みを考えていたとはドラゴンクエストは先進的なゲームである。

ダイの大冒険2

堀井雄二監修、三条陸原作、稲田浩司作画『ダイの大冒険』2巻(集英社)は獣王クロコダインとの戦いが中心である。クロコダインは一度目ダイ達に敗れ、二度目はザボエラに唆されて卑怯な手段をとる。後にヒュンケルがザボエラの口車に乗ったから負けたと述べた通り、これが失敗だった。卑怯な手段をとる必要はない。一度目の戦いは敗れたが、朝日が目に入ったという不運があった。実力で敗れたとは思わないだろう。必殺技の獣王痛恨撃も出していない。実力でリベンジできると考える方が自然ではないか。ザボエラの詐欺師トーク力が高かったのではないか。
この巻ではマアムが登場する。マアムはヒロイン的な存在であるが、改めて読むとヒロインらしくない。ジェンダーを飛び越えた作品である。逆に『るろうに剣心』の神谷薫は連載当時に思っていた以上に恋する乙女になっていた。